西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

山田康之先生、文化勲章受章おめでとう!

2012-10-31 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
昨日、今年の文化勲章受章者が発表された。6人で、当然と言うか、iPS細胞の山中伸弥さん他であるが、その中に植物分子細胞学の山田康之先生(80歳、京大農学部農芸化学科卒、京大名誉教授、宇治市在住)がおられた。

山中さんも、山田さんも京大繋がりであると同時に生駒にある奈良先端科学大学院大学繋がりである。生駒市は「けいはんな学研都市」域なのだ。(他に山田洋次映画監督も受章ということで三人「山」がつく姓である)

で、個人的なことを言うと、山田康之さんとは、山田さんが「奈良先端大学院」の学長の時(1997年4月~2001年3月)、僕は1998年6月から2001年3月まで丹羽雅子奈良女子大学長の下で学生部長、副学長をしており、同じ奈良にある大学の付き合いで何度か会食した。

先端大学院は、いわば「山の中」にあるので楽しく飲食出来る場所が近くにないというので山田学長は、学内にちょっとした「飲み食い」できるサロンをつくられ、我々も招待されたことがあった。

寒い時で湯豆腐で温まった記憶がある。その時、山田さんは大学構内で瓢箪を栽培していて豊作でしたよ、と言われたので、僕はすかさず「いやー瓢箪から駒という言葉があるけれど、これは植物(瓢箪)から動物(駒)への進化を思い起こさせますね(山田先生らしい選択)、まあここは生駒だから瓢箪から生駒と言った方が良いかな」と言ってみた。

この「瓢箪から生駒」は、生駒の商店街再生のための小冊子の題名に採用された。

山田さんが退官される時、『富雄川の水絶えず』という学長講話などを集めたエッセイ本を頂いた。

山田先生、文化勲章受章おめでとうございます。いつまでも日野原重明先生のように、元気にご活動ください。

『模倣と習熟 「学び」の復権』(辻本雅史著、岩波)を読みだす

2012-10-29 | 教育論・研究論
数日前から『模倣と習熟 「学び」の復権』(辻本雅史著、岩波)を読みだした。どうも「教え込み型」教育から「滲み込み型」教育へ転換すべし、との論のようだ。明治以降の日本の教育は大きく見て「教え込み型」、江戸時代の教育には「滲み込み型」もあり、まあモデルを見ての見様見まねの「自学自習」もあったようだ。

で、その江戸時代の教育の先達として貝原益軒をあげている。その教育に関する著書は『和俗童子訓』である。「「和」というのは「漢」(中国)に対する日本のこと、「俗」というのは「雅」の反対で、学問に通じた「雅」なる知識人とは異なる一般庶民の世界を指している。」

つまり、そういう「日本の庶民の子供に対する」教育論である。詰め込みの「教え込み型」ではなく、自学自習の「滲み込み型」である。

いやーたまげたな。貝塚益軒と言えば『養生訓』でよく知られているが、そういう健康論も、なにかをやり遂げるのに健康は必要だ、という総合的視点に立っている。同じように『和俗童子訓』は、大人以外の子供(将来大人)のしっかりした教育が未来を保証するとはっきり自覚した教育論で、おそれいる。

シーボルトは「貝原益軒は、日本のアリストテレス」と評した ようだが、確かにアリストテレスのような総合的学問を目指しており、しっかり読み込んでいきたい。

辻本雅史さんは、京大大学院教育学研究科教授、1949年愛媛県生まれ、京大大学院教育学研究科修了、文学博士である。日本教育史、思想史専攻。


近所の健康教室に行って精進料理食べ、話を聞く

2012-10-25 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
今日、近所のT中央病院主催の「健康教室」に行って精進料理(永平寺風)を食べ、その精進料理の話を聞いた。

この教室については、近所に住む「地域sns、けいはんな市民雑学大学」仲間のkotaroさんに聞き、一度行ってみたら、と言われていたし、妻が友人と何回か行っていて、僕にも参加を勧めたことと、今日の教室が実際に病院の調理室でつくった「永平寺風精進料理」を食べて、話を聞くというところに魅力を感じ、一人で行く羽目になったが、頑張って出かけた。今日は、60人ほど参加の「大盛況」だったがkotaroさんや知り合いの顔はなかった。

12時からなのだが11時半に行った。その頃までに行くと、事前に料理を食べさせてくれる。「中会議室」で、まあ定員20名ほどである。参加費(レシピ付きで)650円、美味しく、栄養バランスしており、「安い」と思った。

出た料理は、レシピによると、主菜とおぼしき「精進チンジャオロース」、(平椀)「ナスとカボチャの揚げびたし」、(膳椀)「山ゴボウの酒粕あえ」、(汁椀)「新ジャガの揚げ汁」、(飯椀)「わかめご飯」、(デザート?)「トマト寒天寄せ」だった。

12時前に「大会議室」に移動、食事を済ませた我々20人は一番前の椅子席、他の後から来た40人ほどは机つきの席で次々と目の前に料理が運ばれてくる。12時10分過ぎから半前まで「レシピ」の説明やアンケートのお願いなど、聞きながら皆食べている。

先に食べた我々は、レシピを見たり今日の話の「レジュメ」を見たり・・・。

12時半から管理栄養士とおぼしき「Y.」さん(女性)が精進料理の説明をした。いくつか耳に残ったが、それは「精進料理は栄養のバランスがとれているということ。よく五法、五味、五色ということを言う。 「五法(ごほう)」とは、生、焼き、煮、蒸、揚げであり、 「五味(ごみ)」とは、甘い、辛い、苦い、酸っぱい、塩味であり、 「五色(ごしょく)」とは(野菜などの色で)、赤、緑、白、黄、黒で、黒食物(海苔、ごま、茄子など)が不足しがちとのことだ。この三つの「五」をバランスよくとるのが肝心とのことだった。

月に数回、ランチ付きは一回くらいで後は「デザート付き」のようだ。又行こうかな。

試験答案返されて60点、喜べ!

2012-10-22 | 時論、雑感
ノーベル賞の山中伸弥さんが「研究者は、成功1割で「御の字」みたいに言っているが、子供時代も全科目5みたいな「秀才」でもなかったようだ。

山中さんは、まあ失敗しても、どうしてそうなったのか良く考えれば良い、と言っているように、子供達にも「試験答案返されて60点でも喜べ!」と言いたいと思う。

何故ならば、百点満点なら満足して「再考」など普通しないものだ。ところが×印がついた問題があれば、「じゃあ何故、何処で間違ったか、正解は何か」と考えることができるのだ。

×印、変じて○印になるのである。

建築を健やかに楽しもう!

2012-10-20 | 住まい・建築と庭
昨日、西山夘三先生の建築計画学関連記事を書いた。

まあ、建築と我々の関係を取り上げるとすると、・建築意匠(デザイン)、・建築計画、・建築設計、・建築施工、・建築管理、・町並み景観としての建築、・歴史としての建築などのコンセプトが重要になるだろう。

それらは、いわば専門化している分野である。

で、大多数の国民一般から建築はどう捉えられるのだろうか。

そこでは、恐らく「建築を活用し楽しむ」ということが重要となるだろう。

我々は、世界や日本の建築群を「楽しい健やかな」ものとして捉えたい。

まあ『建築を活用し楽しむ』という本を早く書く要があるのでは・・・。

西山夘三著『現代の建築』(岩波新書)の再読へ

2012-10-18 | 京都の思い出(学生時代)
今日、自宅(京都府内)の書棚を整理して学生時代(1960年~1966年)に初めて読んだ本を最上段に並べた。その中に今は絶版になっていて古本でしか買えない、あるいは大きな図書館でしか読めないだろう西山夘三著『現代の建築』(岩波新書)があったので、手に取って見た。

この本は、岩波新書の(青版)229番、1956年(昭和31年)1月16日に第1刷、1962年(昭和37年)7月20日の第9刷を買った。130円だった。私は京大工学部建築学科3回生であった。教養課程から専門課程に進み、ある意味、勉学意欲に満ちていた。西山先生の講義も目の前で聞いてはいたが、まとまった著書を読んでみたいと思ったのである。

その新書のカバーの帯書きには、「戦後の建築はぐんぐん美しくなっている。都市美を代表するオフィスやデパート、劇場などはいうまでもなく、集団住宅や個人のすまいにも戦前とは違った近代的な様式が大胆にとりいれられている。本書は、近代建築の美しさや合理性を、その歴史的な変遷、技術上の進歩、生産の仕組みの問題など、さまざまな角度から検討し現代建築の課題を提供する。」とある。

全部で6章構成、Ⅰ私たちの生活と建築 Ⅱ建築技術の進歩 Ⅲ棟梁から建築家へ Ⅳ建築の美しさ Ⅴ国民の建築 Ⅵむすび 計184ページである。

今日は、Ⅳ章 建築の美しさ をざっと読んだ。色々と近代の建築、建築家、建築理論を幅広く取り上げており、西山先生の「学習・研究」の幅広さも窺える。

まあ、モスクワのモスクワ大学や地下鉄のデザインに対する評価は、未だ「社会主義」を前提にしているが、現在生きておられたら又別の評価をされるだろうと思う。

西山先生は生きておられれば101歳、医者の日野原重明さんと同じだ。二人とも学部は違うが戦前の京都帝大の卒業、キャンパスで通りすがりに会っていたかもしれない。

今日、見た書棚には、故人の服部千之先生(名工大、京大大学院、西山研究室修了)や長峰晴夫先生(住宅公団、名大、東大卒)の本もあった。読み返していきたい。

日本家政学会関西支部研究発表会に行き懇親会挨拶など

2012-10-13 | 地域居住学
今日、私は奈良女子大学で行われた日本家政学会関西支部研究発表会に行き懇親会で挨拶した。でもまず講演を聞きに行った。演題は「奈良女子大学所蔵の正倉院模造宝物」である。

講師は奈良女子大学特任教授の松尾良樹さん、元々は中国語の専門家、京大文学部出身。奈良に来て、正倉院模造宝物にぶち当たり色々な人と付き合う中で面白い学際的研究を追求することになった、と言う。

こういう分野では、次々と面白い共同研究者にぶつかり、今日に至っているという。松尾さんは、異分野と交流するに、「酒を飲める人、一つの異文化に対して一人だけ」選んできたという。まあ、「飲みにケーション」を重視した人選だな。そう言えば、今はもうなくなったが、「都(みやこ)」という飲み屋が女子大南門近くにあって、何度も松尾さんをそこで見かけて一緒に飲んだこともある。

本番の研究発表会では、住環境分野に聞きに行った。二部屋あったけれど一部屋しか行けなかった。住居学の瀬渡章子さん、井上容子さん、発表もされた藤平真紀子さんにも会った。中山 徹さんも海外出張から帰国したばかりだが、司会をしていた。

18時過ぎから生協食堂で懇親会、挨拶した塚本幾代実行委員長によると今日は50ほどの演題に150人が参加と言う、懇親会には50人位の参加、的場輝佳さんも来ていて旧交を温めた。

関西支部長の今岡春樹さん(奈良女子大教授)が、若手研究者4人に研究発表賞を手渡していた。

私が参加者では最高齢(71歳、的場さんが1級下)だったので、司会の菊崎泰枝さん(奈良女子大教授)指名により乾杯の音頭をとった。

その挨拶概要(記憶による):
「多分、参加者で最高齢ということで乾杯の音頭を取らされるのだ、と思います。その前に一言、先ずお礼を言いたいと思います。それは5月の日本家政学会大会(大阪市大)で功労賞を頂きましたが、これは関西支部の推挙によるものです。皆さんのサポート、協力のたまもので、深くお礼申し上げます。

特に思いだすのは二つ、一つは、1995年の阪神・淡路大震災で家政学会で組織して調査研究をし、学会誌に報告したり報告書を作ったりして、それなりの役割を果たしました。しかし、昨今の東日本大震災にあたっては、家政学会編の「小冊子」を発行して一歩前進して良かったと思っています。もう一つは、2004年の夏に京都国際会館で行った国際家政学会(IFHE)の実行委員長をしたことです。今日もこれらに協力して頂いた方もみえています。

さて私は7年半前にこの奈良女子大を定年退職し、現在名目的に平安女学院大学客員教授ですが、実際はボランタリーの「けいはんな市民雑学大学・代表」が主でして、奈良女子大の先生方の協力も得ていますが、更に奈良教育大の協力も得たいと考えています。

まあ私は7年半前に職場人間から地域人間、仕事人間から生活人間、まとめると職場仕事人間から地域生活人間になりました。で、基本的生活として炊事、洗濯、掃除、育児、介護、お洒落、買い物、近所付き合いが出来ることが大事と言っています。

先日も例の山中伸弥さんの奥さんが言っていました。スウェーデンからノーベル賞の受賞の知らせが来た時、自分は冬物の布団にカバーをつけていたが、山中は電気洗濯機の修繕をしていました、と。定年退職前から基本的生活実践が大事なのですよ。

それで「今日(こんにち)は、iPSの時代と言うべきですが、ここに持ってきた本は『今こそ家政学』(ナカニシヤ出版刊)と言っています。著者は13人全員関西支部所属ですが岸本幸臣さん、花輪由樹さん(ここにいます)、小倉育代さん、表 真美さんを私は知っています。是非お求め下さい。

では、家政学、家政学会の発展と皆さまの前進、健康を祈念して 乾杯!」

(後で「挨拶が長すぎる!」とお小言を言われた。自認している。)



次回は来年の10月、大阪青山大学(箕面)にて、また会いましょう。


iPS細胞の将来、他の分野への波及序論

2012-10-13 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
iPS細胞を人間で初めてつくった山中伸弥さんは、「今までに一人の命も救っていないのだから、重要なのは今後で、現実の医療に生かす責任をもっている・・・」と述べている。 

この技術の位置づけ・意義を、大局的に言えば「人間の臓器、部分の欠陥をiPS細胞由来の臓器、部分で補って、人間の命を救い、延命化させることだ。」と言えるのではないか。これが現実となるのは将来のことである。理化学研究所を中心に網膜の加齢性黄斑変性に対する臨床試験が来年あたりから始まるようだ。

医療(治療及び病気が起こるメカニズムの解明)や創薬への応用は、iPS研究所(山中所長)でも表明しているし、良く分かる。

では、将来、人間生活が、それによって(延命化)によってどう変わるのか、またどう考えたらいいのか、は考えようによっては大問題ではなかろうか。

前にも一寸述べたが、iPS細胞由来の臓器や部分は、前の(病変の)臓器や部分より長命なのかどうか。もし長命なら、体全体の寿命の長短とどう関係するのか。

現在の延命治療というと、段々弱って死に至る延命、というイメージだが、もし元気延命だとしたら、それは生命倫理の上でどう考えたらいいのか。

まあ次から次へと現実的問題が起こってくるに違いない。

東電、責任を認めるほか

2012-10-12 | 時論、雑感
今日は、東日本大震災から満1年7か月である。色々なことがあった。

東京電力が設けた「第三者委員会」では、東日本大震災での(1)大津波に対して対策が不備だったと認めた、(2)原発事故対応のシュミレーション、実際の訓練などしてはいたが、真剣味に欠けていたと認めた。事故の責任を認めたのだ。

これによって、(1)今後、どんな企業もどんな行政組織も、とことんありうべき危険性に対して最大限の安全対策を取るべきこと、(2)今後、防災訓練は、より真剣にやるべきだ、ということがはっきりした。

次に、ニュースでは、大きな地震による火災で、首都直下地震により東京都内では約18万8千戸、南海トラフ地震では大阪府が一番多く被災すると分かった。全国では、17都府県にわたり5745haが被災するということだ。東京都が大阪に次ぐ被災で1683ha、墨田区が389haである。

これら原発事故、大地震による火災被害によって放っておくと多大な人命が失われるが、今から対策を打つことでブレーキがかかるだろう。そうあって欲しい。

両者とも、しっかり見守っていきたい。

iPS細胞の諸問題私論

2012-10-11 | 時論、雑感
今年のノーベル賞医学・生理学賞の一人に山中伸弥さん(京大教授、50歳)が選ばれた。

人のiPS細胞(人工多能性幹細胞(じんこう たのうせい かんさいぼう、英語:Induced pluripotent stem cells)を6年前に初めて作成した業績に対するものだ

まあ、iPS細胞作成は、ある意味で1953年のワトソン、クリックによるDNAの二重らせん構造モデル提示に匹敵するのではないか。今後の広大な医療等への応用が見通せる。

でも様々詰めるべき諸問題が横たわっている。研究上の問題として、1)人間のどの細胞からでもiPS細胞が作れることになっているが、実際には、何処の細胞によるかで細かい性能が異なっているようだ。では、どの細胞に狙いをつけたらよいのか。2)加齢性黄斑変性網膜などに対する「新網膜」再生が臨床試験に入るようだが、個々の臓器再生での様々な問題クリアはどうなっているか。

また倫理上の問題として、将来、仮に自分の細胞から自分自身(クローン人間)、心臓や脳が作れるとしたら、一体、人間の寿命をどう考えたらいいのか、の深刻な問題も先に横たわっている。

京大のiPS細胞研究所では、そういう問題も扱う部門も整備するようだが、そうなると今までにない総合研究所になるだろう。期待して見守りたい。


インターン制度と新臨床研修医制度など

2012-10-08 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
昨日、Eテレで戦後の日本の医療制度変遷を1時間半にわたりやっていた。

先進国のレベル、つまり人口10万人に医者150人、医療費は税金で無料というイギリスのNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)、それに見習おうとしたが、うまくいかず、日本では全体として国民皆保険自由開業医制の中で過疎地というか全国的にどう医療のサービスレベルを揃えるか、というのが大問題だったし、今もそうである。

懐かしい「喧嘩太郎」こと医師会会長の「武見太郎」氏も出てきた。

私が社会に出た1966年辺りから激しくなってきた大学紛争は、医学部から火がついた。医局制度とインターン制度が問題となり、結局1968年(昭和43年)にインターン制度(2年間医局を中心に大学付属病院で色々な科を回り経験を積む)は廃止されてしまった。教授を頂点にした医局の末端にインターンが位置付けられこき使われるという医学部生の主張が通ったかたちである。

若かりし日野原重明さん(聖路加国際病院)は「若い時に様々な科を経験するのは医者として良いこと・・・、」と主張したが「大学の先生方は、研究第一で教育については二の次だったので、インターン制度は廃止されたのだ」と言う。

その後、一都道府県一医大政策が取られ医者は増加したが、相変わらず大都市に集中し、過疎地の医者は増えなかった。

そうこうするうちに1986年から10年で医者1割削減の方針になった。

しかし、全人医療、総合医の必要性が出てきてインターン廃止(1968年)から36年後の2004年(平成16年)に「新しいインターン制度」ともいうべき「新臨床研修医制度」が発足した。昔のインターン制度の弊害の大学医局への「縛り付け」を避けるため大学病院以外の指定大病院でも研修して良いとなったため、大学医局の医者供給力は復活せず、相変わらず過疎地医師不足が続いた。

だが、東日本大震災が起こり、福島県では医師が125人退職、他地域に移動したが、一方「新臨床研修医制度」の必修科目の内科、救急医療科、地域医療科により大震災地域に「地域医療研修」で研修に来る医者の卵も増え、すこし明るい面も出てきた。

まあ、それと全国的高齢化で複数の症状を持つ高齢者を地域で面倒みる必要が出てきたので、複数の科に通じる医者が必要となりつつあるのだ。(以上、番組の小生要約)

地域住民としても、しっかり見守っていかねばならない。


ドラマ吉田 茂ー負けて勝つーNHKTVを批判的に見るー

2012-10-07 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
昨日NHKTVで全5回でやっていたドラマ吉田 茂ー負けて勝つーが終わった。

ここでは、吉田 茂に対してマッカーサーに臆することなく「戦争で負けたが外交で勝った」みたいな虚像を作り上げていると思う。結構若くして亡くなった高坂正堯さん(京大教授歴任、政治学)が吉田 茂を持ち上げたことが効いている。

まあ「吉田学校」生徒だった池田勇人、佐藤栄作、宮沢喜一、田中角栄らが「礼讃」したことも効いている。

しかし、孫崎 享著『戦後史の正体ー1945~2012-』でも明らかなように、吉田 茂こそ戦後から現在まで日本のアメリカ従属を決定的にした張本人だと思う。

昭和20年代の子供時代に作られたマッカーサーや吉田 茂の「プラス」の虚像(巨像)を頭を再開発して打倒せねばなるまい。

久し振りの「3Sの会」に行く

2012-10-06 | 地域居住学
昨日、久し振りに3人でやっている「3Sの会」に行った。

言ってみれば、Slow Special Supper(ゆっくりした特別夕食)かな。まあ、家政学・生活学にベースをおいた話題について色々談じ合うという趣向である。

今年に入って3月、7月そして昨日は3回目かな。昨日は、私が話題提供にあたっていたが、考える間もなくて、最近読んだか、読んでいるか、読みたいなあと思っている本を何冊か持って行って、「お茶を濁す」ことになった。

・生物学的文明論     本川達雄(新潮新書)
・学問の冒険       河合雅雄(岩波現代文庫)
・人類史のなかの定住革命 西田正規(講談社学術文庫)
(持ち忘れた本:38億年 生物進化の旅  池田清彦(新潮文庫))

・新版 枕草子(上巻)  石田譲二訳注(角川ソフィア文庫)
・新訂 徒然草      西尾 実 安良岡康作校注(岩波文庫)
・新訂 方丈記      市古貞次校注(岩波文庫)
・方丈記 全訳注     安良岡康作(講談社学術文庫)

・養生訓ほか       貝原益軒(松田道雄訳、中公クラシックス)

・なぜ、「食べる順番」が人をここまで健康にするのか  梶山静夫 今井佐恵子(三笠書房)

これらの選定は、まあアトランダム(まあ雑学的選定、私的ストーリーはあることはあるが・・・)である。

次回から『養生訓』(貝原益軒著 松田道雄訳、中公文庫)によってしばらく「ゼミ」をすることになった。私が「第1回報告者」となった。

昨日の特別夕食は、「沖縄料理」各種であった。飲み物もオリオンビール、泡もり各種で良かった。  

岩波書店『図書』の10年予約

2012-10-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今年の12月で結構前から定期購読している岩波書店の月刊広報誌『図書』の予約が切れる。来年の1月からどうするのか、今度来た『図書』10月号に予約振替用紙が入っていた。この雑誌は、必ずしも岩波書店発行の書籍だけPRしているものではなく広く教養主義をとっているようで、私にとって刺激を受ける月刊誌の一つだ。

私自身も『図書』1994年12月号に、宮本憲一編『水俣レクイエム』(岩波)にかんする小文(『水俣レクイエム』によせて)を書いたこともあり、その印税で『図書』を予約したことがある。

で、色々と考えて今日、後10年予約(予約費一万円)することにした。2013年1月から2022年12月までである。その際、後10年元気に生きておられるだろうか、ということを考えた。妻にも話して見た。「目標が出来るからいいじゃないの」と言われた。

予約が終わるころ、もし私が未だ生きているとすると81歳となっている。母方祖母、父、恩師(西山夘三先生)皆83歳から84歳まで生きたし、『養生訓』の貝原益軒は85歳まで生きている。まあ、当面、そういう先達を目標にしていきたい。

以繋為道、以道為繋

2012-10-04 | 地域居住学
私が2005年(平成17年)3月に奈良女子大を定年(63歳)退職した折、最終講義を重要文化財の記念館の講堂でさせてもらい、地域居住にとって「繋がり」が基本的キーワードと最後にまとめてみた。もう少し言うと、「人々との繋がり、環境との繋がりそして歴史との繋がり」である。

そして四字で書くとすると、「以繋為道(繋がりを以て道と為す)」である。(私補注:以和為貴・・・和を以て貴しと為す)

これはこれでいいのであるが、一方「以道為繋(道を以て繋がりと為す)」も言えるのではないか、と最近思い当った。この場合の「道」は、「人の道」などという「道」ではなく文字通り物理的・土木的「道」である。

私の生まれ故郷の金沢市櫻畠三番丁では片側10軒、全体で20余軒の家(住宅)が道にはりついていたが、この三番丁の小路こそ家々の繋がりのための道だったのだ。

このように家から外に出た場合の道の最初の区切り(分節点)までが、末端の家々の共通の繋がり空間なのだ。こういう分節化が最近の郊外住宅地で余り考えられていないのではないか。

戸建住宅地では、小路としての道が繋がり空間であるが、集合住宅では、階段とか廊下がそれに当たると言えよう。