西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

山川元庸弁護士の「遺言」と考えたい

2010-02-25 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
日本住宅会議関西会議運営委員だった山川元庸弁護士が2月13日に急逝されたとの事務局長の竹山清明さん(京都橘大学)からの「知らせ」があった。未だ若いのに残念だ。

思い出すと、1987年の国際居住年(IYSH)の諸企画に日本住宅会議として取り組んだ時に色々と個人的にも議論したことを思い出す。彼は、その時にも最近も言っている「公営住宅の大量建設というメインスローガンだけで運動するのはちょっとどうかな」という言い方をしていたのではないか。私も「持ち家が半数以上になった時代に、持ち家の問題点や改善方向を強く言わない運動というのはおかしい」と思っていたのを思い出す。その思いは今も変わっていない。

で、山川さんは、最近も、「関西会議」の機関誌『あすか(安住処)133号』に、「住居は、人権か」とする論考を投稿しており、私は読んで感銘し一度リアルに話し合いたいと思っていた矢先のこと、議論できなくなったのも誠に残念である。

今度来た『あすか(安住処)135号』には、たまたま事務局長の竹山さんが「住居の権利と政策及び運動 山川論文を分析してみる」を書いていて、時機にかなっていると思った。

竹山さんは山川論文の要旨を次のようにまとめている。
①住居は人権ではない(お金を払って手に入れるものに基本的人権と言う概念は成立しない)
②基本的人権とは、公権力に対抗するものがほとんど(本当に大切な自由権、ややグレードが落ちる基本権としての生存権、国民の基本的人権に労働基本権があるが大家と店子の間にはない)
③「住居は人権である」と主張するⅩ氏ら(具体的政策イメージなしに公営住宅大量供給のみを求め、持家住宅や民間借家などの多くの国民共通の住宅問題をネグレクトしてきた)は、運動団体としての住宅会議の適切な運動を阻害して来た
④住宅会議はテニュア(所有)別の科学的な住宅政策を提言すべきで、その内容は生活者本意のものとして最低限度のワンランク上のものをめざす必要がある・・・

しかし、竹山さんは、「住居は、人権になりつつある」という捉え方であろうか。最低限度の衣食住が保障されねば生き延びていけなくなるからであろう。私も権利概念、意識は歴史的に発展するものであると考える。先頃、紹介したフランクリン・ルーズベルトの「権利章典」でも、国民の享受すべき権利として次のものがあがっている(衣食住の権利も挙げられている):

○社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利 
○充分な食事、衣料、休暇を得る権利 
○農家が農業で適正に暮らせる権利 
○大手、中小を問わず、ビジネスにおいて不公平な競争や独占の妨害を受けない権利 
○すべての世帯が適正な家を持てる権利 
○適正な医療を受け、健康に暮らせる権利 
○老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利 
○良い教育を受ける権利

日本国憲法の25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の具体像とでも言えよう。

個々の住宅政策の充実は、山川さんの「遺言」として鋭意取り組んでいこうではないか。

関心のある方は、竹山研究室へ:電話:0794-23-2650 FAX:075-574-4198

末孫男(満2歳、もうすぐ3歳)の「世話」に名古屋へ

2010-02-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、名古屋に住む娘家族の末孫男(満2歳、もうすぐ3歳)の一時世話に出かけた。今までは妻が出かけていたが、今回は都合悪く、お鉢が私に回ってきた。この日は、次孫女(小2)の授業参観と担任と親達の話し合いの会があり、娘は満2歳の男の子を連れて行くと、動き回って「困る」と思い、我々に「助け」を求めたのだ。

私は、最近、一寸した「遠出」がなかったので、喜んで出かけた。「ジパング倶楽部」料金で乗車券・特急券3割引、「ひかり」号である。昼前に着き、昼過ぎから16時ころまでの「世話」である。彼は、もう2本足で走り回っており、言葉も「ぺらぺら」である。彼の歓心をかうため「好きな」玩具の自動車を一台土産に持っていった。フォードのマスタングである。最近の玩具自動車は精巧に出来ていて「リコール?」などはないのであろう。

昼食は、大人の私と娘は私が京都駅で買って行った「柿の葉寿司」、彼はうどんである。朝食べたお握りも未だ食べている。午後に娘が出かけた後は、2歳の孫とあれこれ「遊んだ」。彼は玩具の自動車を30台ほど持っていて、ずらり並べて名前を次々言うが、私はご存知「ノーカー」全然知らない。「じーじはどうして知らないの」と不思議そう。

自動車名鑑のような本も見せてくれた。私は「しまじろう」の絵本を読んでやった。積み木ブロックで「オートバイに乗っているしまじろう」もつくってみた。

15時頃に次孫女(8歳)が帰宅、16時頃に娘が帰宅、「おやつ」は豆乳ドーナッツと煎餅、次孫と娘、末孫が外(公園)に遊びに出る。私は在宅、洗濯物一部取り入れ。16時半に3人が帰ってくる。末孫の彼が涙顔、急にさっき「おやつ」の煎餅を食べなかったのを思い出して帰ってきたのだ。

私は、ご飯時以外に「おやつ」などをだらだら食べるのは拙いと思い、「一つだけ」と約束して一枚与えた。が、彼は、更に要求、私は「約束だから」と拒否、大泣きに泣かれた。「ねーね(姉さん、次孫)」が本を読んでやり盛んに慰めている。私も涙や鼻水は拭いてやったが「間食をだらだら食べるのは良くない、ご飯のときにちゃんと食べなさい」とした。

17時半頃に長孫男(中1、13歳)が部活を終えて帰ってきた。ひょろひょろと大きくなっているが、未だ私の方が「高い」。3人の孫の顔も見れたし、末孫とも「仲直り」でバイバイした。

帰り、名古屋から京都までの「ひかり」で飲んだ缶ビールが体にしみる一日だった。

最近、『孫の力』(島 泰三著、中公新書)を買ったが、まだ読んでいない。
まあ、孫が「祖父さん(お祖母さん)の力」を受け継ぎ成長し、祖父さん(お祖母さん)が「孫の力」を吸収して「若返る」好循環が求められている時代と思う。

マイケル・ムーア監督・出演「キャピタリズム」を見る

2010-02-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、近所の「シネマ・コンプレックス」に行ってマイケル・ムーア監督・出演『キャピタリズム』を見た。私は「シルバー料金」で何時行っても千円ぽっきりだ。

この映画では、昨今の金融崩壊前からとその後のブッシュ時代、更にはオバマ登場まで、アメリカの「資本主義(キャピタリズム)」の奇怪さを既存フィイルムを使い、監督自身も出演して描いている。少し遡ってフランクリン・ルーズベルトの「権利章典」演説も心に残った。

だが「エンタテイメント映画」という触れ込みの割には「深刻さ」ばかりが浮き彫りになっている。

心に残ったポイントいくつか:
 最後にカントリー調の「インターナショナル」が歌われていたのにびっくり、
この映画で認識を新たにしたのは、
(1)サブプライム・ローン問題(住宅追い出し問題)、
(2)アメリカの航空会社のパイロットの給料が案外安く年収1~2万ドルと聞いてびっくり、アルバイトをしないとまともな生活が出来ない。事実、航空事故も起こった。(アメリカの航空機に乗りたくない!とつい思ってしまう。)
(3)アメリカの会社は自社の労働者に勝手に生命保険かけている、労働者が死ぬと会社が保険金を「丸儲け」だ。社員の死すら儲けのネタにしている、ハゲタカ資本主義だ。
(4)金融崩壊が避けられなくなって、当の大手金融業者は政府に700億ドルを出させる法案を出す、民主党下院が莫大な税金を使うことに反対して一旦否決、金融業界「大物」が乗り出して民主党下院議員を切り崩して「成立」に持ち込む。
(5)これに反対のオバマ大統領の当選、一旦追い出された住民が住宅に(実力で)戻る。
(6)大統領選挙過程で世論調査で「資本主義」とほぼ肩を並べて「社会主義」(20%位か)が支持されるのは「驚き」だ、かってアメリカでこういうことがなかったのではないか。
(7)過去の大統領では第二次世界大戦終了間際のフランクリン・ルーズベルト大統領の「権利章典」が重要、当時ルーズベルトのラジオ・テレビ演説で明らかにされた、「第二憲法」の位置づけだった。1年後にルーズベルトが亡くなり、「権利章典」は成立しなかった。

ルーズベルトがあげた国民の享受すべき権利は次の通り;
○社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利 
○充分な食事、衣料、休暇を得る権利 
○農家が農業で適正に暮らせる権利 
○大手、中小を問わず、ビジネスにおいて不公平な競争や独占の妨害を受けない権利 
○すべての世帯が適正な家を持てる権利 
○適正な医療を受け、健康に暮らせる権利 
○老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利 
○良い教育を受ける権利

その精神は、敗戦国のイタリア、ドイツ、日本の新憲法に入っているようだ。「そうなのか」と思った。そしてアメリカ国民は今でも確実に確保していない、と言っていた。良く調べてみよう。

磯田憲生(則生)教授の最終講義

2010-02-21 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
2月19日(金)に奈良女子大学・生活環境学部の磯田憲生(則生)教授の定年退職前の最終講義「住まいの快適環境」が記念館講堂で行われ、私も聴講してきた。評議員や学部長もされたので、野口学長や久米前学長も来ておられた。

磯田さんは、私より6年後に奈良女子大学家政学部に赴任され30年間勤められた。環境工学分野の温熱環境(暖冷房の基礎的な)研究に取り組まれてこられた。

日本の北海道から沖縄までの伝統民家の温熱環境の調査研究、人工気候室における実験的研究、最後の方では「環境共生的住まい方の意識と省エネルギーとの関わり」の調査研究をされた。また大学研究室や教室を使って窓外に緑を置くと、夏場の暑熱緩和効果があるのかどうかも実践的に研究された。

15年ほど前に拙宅に「OMソーラー方式(太陽熱利用の空気床暖房方式)」を取り入れた時に、冬場にデーターを取ってもらったこともある。省エネルギーの研究のデータの一部になっていると思う。

暖房や冷房の最適温度の研究も興味深いものだが当然個人差があり、一定の幅があることが明らかになっている。私は、暖房では低め、冷房では高めにして後は「慣れ」や「被服」等でおぎなったら、との考えを持っているが、その温度の目処もまあ分かったかなと思う。

講義の後、生協食堂で懇親会があり、磯田さん本人に連なる卒業生や修了生、旧・現同僚(私は旧同僚の一人)、学界関係者などが参集していて、久し振りに卒業・修了生にも会えてよかった。二次会は、磯田先生共々「GENTRY」に行った。わいわいがやがやだった。

磯田先生、長い間ご苦労さん、3月27日(土)の奈良ホテルでの「退職記念パーティ」には「けいはんな市民雑学大学」とバッティングして出れませんが、5月の「会」には行きますし、今後は機会をみて「市民雑学大学」でも話してくださいね。

VANSで伴 年晶さんの話聞く

2010-02-19 | 住まい・建築と庭
昨日、大阪の建築設計事務所VANSで、建築家・伴 年晶さんの話を聞いた。伴さんは1945年生まれ、山口県生まれ、岡山県育ち、阪大構築工学科(建築コース)出身、私が「書庫」を「しょこっ」と持っているコーポラティブ住宅地の全体計画を担当された。建築(特に住宅)設計を理論的に考えて続けておられる。

この「話」は、毎週木曜日の夕方にVANSでやられている「勉強会」でのもので、外部からも何人か招かれていた。私と同じ住宅地で設計事務所を経営の阿久津さんも来ておられた。伴さんからは一昨日に急に電話があったものだが、「建築設計や建築の形の話」は最近の強い関心領域の一つなので、急遽だが行くことにした。

過去の伴さん関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5f0b6d2147512e2f5d9f3343351b24ea

演題は、「出来ちゃった建築」(Happening Architecture)というものだが、どうも「出来ちゃった婚」とか日本語の「ハップニング」の語意から、もうちょっと別の言い方がないのかな、と何人かが発言した。(私もその一人)

缶ビールを飲み、つまみをつまみながらの聴講と議論、京都での「くるこば会(来る者は拒まず会)」を思い出した。http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%A4%AF%A4%EB%A4%B3%A4%D0

さて、伴さんの思いは、住み手の要求をとことん聞きだして、それをベースに設計すれば、その過程で建築の内容や形は自ずと出来てくる、ということだ。建築家が予め持っている設計のイメージを「押し付ける」のは最悪だし(三流建築家)、逆に住み手要求べったりも拙い(二流建築家)、住み手と建築家が自在に呼応しあって思いもかけない設計(デザイン)を生み出すのが「一流」で、それを目指しているのだ、と言う。

だから、「伴流の形」の定番というものはない、とのことだが、色々な過去事例を見せていただくと、窓からの風景を重視、窓を大きく、腰を低く・・・、出入りの玄関を単なる出入り口にせず・・・、中層・低層を重視、木造・木質材料の重視・・・、などが浮かび上がってくる。このほか、国民生活自体のありかた目標として、皆が衣食住等でそこそこ満足した上で余裕の行動、それを可能にする時間や空間を持つこと(新しい物は、もう「良い」のではないか・・・)と言う。

別れ際に、その内、私にも何か喋ってね、と言われた。さて、なにを喋るかな。

帰りは、阿久津さんと同じ方向なので近鉄で駄弁りつつ帰った。ひとつ、考えるべき論点も浮かんできた。大阪に出たのは久し振りだった。

金大付属高校・出石 隆先生の思い出

2010-02-18 | 金沢の思い出
本日、金大付属高校時代の恩師・出石 隆先生の息子さんから「父は12月29日に永眠致しました」の葉書を受け取った。年賀状を出していたので、それを見て知らせていただいたのだろう。

出石 隆(いずし・たかし)先生は、三人おられた数学の先生のお一人だった。ニックネームは「ズッさん」だった。廊下をバタンバタンと履物の大きな音を立ててやってこられた。教室では、やや顔を上に向けて教科書も顔と平行かやや上にかかげ、大きななりわたる声でしゃべられる。

論理明快、良く分かる授業だったと思う。「こら、○○、ちゃんと前を向かんか!」と大声で言われたので誰が叱られたのかと思い、先生の視線の先を見ると、こちらの教室のガラス窓を越えて中廊下の先の教室で勉強中の○○君を叱っているのだった。当時の校舎は昔の陸軍の兵舎を転用したもので、中廊下の両側に教室があった。まあ、こわい先生でもあった。

その後、私は大学に進学し、社会人になった頃に、出石先生は、大学に転出された、と聞いた。それが何処だったか失念したが、確か最初の定年を福岡教育大学で迎えられたと思う。その前後から、私は賀状を再開したと思う。福岡教育大には、家庭科教育分野に知り合いがいたので、急に身近に感じたものである。昨今の金大付属高校創立60周年記念で金沢でお会いしたのが、最後で、少し足が弱っておられる風だった。

今年の5月、卒後50年のクラス会があるが、そこでお元気な姿に会えると思っていたのに・・・。ご冥福をお祈りしたい。

平仮名と片仮名の元漢字(3)の学習

2010-02-18 | 言語・字・言語遊戯
は(波の草体)ハ(八の全画)、ひ(比の草体)ヒ(比の旁)、ふ(不の草体)フ(不の最初の二画)、へ(部の旁の草体)ヘ(その変形)、ほ(保の草体)ホ(保の終りの四画)

ま(末の草体)マ(万の最初の二画の転形)、み(美の草体)ミ(三の草体)、む(武の草体)ム(牟の上画)、め(女の草体)メ(女の略体)、も(毛の草体)モ(毛の下画)

や(也の草体)ヤ(也の草体の略体)、ゆ(由の草体)ユ(由の終りの二画)、よ(与の草体)ヨ(与の転形)

ら(良の草体)ラ(良の最初の二画)、り(利の草体)リ(利の旁)、る(留の草体)ル(流の終りの二画)、れ(礼の草体)レ(礼の旁)、ろ(呂の草体)ロ(呂の上画)

わ(和の草体)ワ(和の旁の転形)

以上、平仮名と片仮名の元漢字の学習終り。出典:『広辞苑』(岩波書店)

京大工学部・教養部T3会発足

2010-02-17 | 京都の思い出(学生時代)
いやー、私が京大工学部に入学したのは50年、半世紀前の1960年(昭和35年)4月である。

で、その時の教養部のクラスはT3(工学部三組)だった。色々の専攻のメンバーが混じっていて、当時のクラスメートの専攻は、土木、建築、鉱山、原子核、電子だった。ここに書いた順で構成メンバーは多かった。

クラス編成は、教養部で取る第二外国語によっている面がある。我々のクラスはドイツ語だった。クラスには「担任教授」もいて、1回生の時は人文地理学の藤岡謙二郎先生、2回生時は物理学の多田政忠先生だった。多田先生は、旧制一中(現・洛北高校)、旧制三高(理)、京大理学部と湯川秀樹先生と同期とのことだった。

同期クラス51名中、2名のみ鬼籍、まあ頑張っているのではないか。専門の建築学科では同期40名(T3以外のクラスも含む)なのに7名も亡くなっている。T3(建築)では14名全員元気である。

最近、クラスメートの関東在住の友人たち12名が東京で集まって48年ぶりにクラス会をしたようだ。これを機会に51名のクラス全員の名簿を整備してくれた。それを今度メイルで送ってもらった。建築学専攻の友人は5年ごとに集まっているが、他の専攻の人達とは、卒業後、疎遠であった。今度の名簿には懐かしい名前が並んでいる。今後「全体会」もするようだ。是非、参加したい。幹事7人に感謝!

我々は、安保闘争の1960年に入学、最後の宇治分校を体験した。また東京オリンピック開催、東海道新幹線、名神高速道路開設の年に学部卒業、色々と節目の世代である。今後どれだけ生きれるか分からないが、何かの縁なので大学・教養部のクラスメートと楽しく付き合っていきたい。

平仮名と片仮名の元漢字(2)の学習

2010-02-16 | 言語・字・言語遊戯

さ(左の草体)サ(散の草体)、し(之の草体)シ(之の転形)、す(寸の草体)ス(須の草体の旁の終わり部分)、せ(世の草体)セ(その転形)、そ(曾の草体)ソ(曾の最初の二画)

た(太の草体)タ(多の上画)、ち(知の草体)チ(千の全画の転形)、つ(州の略体の草体か)ツ(州の略体)、て(天の草体)テ(天の最初の三画の転形)、と(止の草体)ト(止の最初の二画)

な(奈の草体)ナ(奈の最初の二画)、に(仁の草体)ニ(漢字の二)、ぬ(奴の草体)ヌ(奴の旁)、ね(禰の草体)ネ(禰の偏)、の(乃の草体)ノ(乃の最初の一画)

中国から輸入した漢字を元にして、「草体」「略体」「転形」「偏」「旁」「一部(数画)」を自在に利用している。我らが祖先、古代日本人も想像力も創造力も豊かだったのだな。(続く)

平仮名と片仮名の元漢字(1)の学習

2010-02-15 | 言語・字・言語遊戯
日本は「辺境」で、「辺境人」の有利さは、「中華」(中国という意味ではないが、まあ元々はそこをイメージ。戦後は日本は、アメリカを「中華」と考えてきたのでは・・・)のオリジナルを受け入れて自家薬籠中のものに変形してしまう、ということだ。

で、漢字が日本に入ってきて、それも使うが、平仮名と片仮名をその漢字からつくりだして、漢字仮名混じり(さらにローマ字混じりも)文を生み出してきた。このブログ文章も正にそうである。

そこで、平仮名、片仮名の元漢字をおさらいしておきたい。自らの学習のためである。

あ(安の草体)ア(阿の偏略)、い(以の草体)イ(伊の偏)、う(宇の草体)ウ(宇の冠)、え(衣の草体)エ(江の旁)、お(於の草体)オ(於の草体の偏)

か(加の草体)カ(加の偏)、き(幾の草体)キ(その上の部分の転形)、く(久の草体)ク(久の最初の二画)、け(計の草体)ケ(介の略体)、こ(己の草体)コ(己にの最初の二画)  (続く)

うーん、うまく漢字の一部を使っているな、しかも漢字の音読みに基礎を置いて・・・。

いい水の採りかた-いい水を食べる-

2010-02-13 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
今朝、テレビを見ていたら、マラソンで、これまで「十分な水の補給を!」と言っていたが、最近は「飲みすぎ」は「水毒」とのことだ。

マラソンに限らず、高血圧や高血糖に対しても「水を十分飲んで!」などと言われているが、どうなのだろうか。確かに人間の体の大半が水なので水が不十分なのはいけないが、がぶがぶがいいかと言うと、そんなことはないだろう。

私は、水道水を「還元」する装置経由で使っている。で、出来るだけ水そのものよりも、野菜や果物に含む水分、味噌汁や珈琲、お茶などの水分でとろうと心がけている。水の場合、冷水より味噌汁や湯割り焼酎のようにお湯としてとっている。

とにかく、普通の水道水は活性酸素を含み、冷たいと体を冷やすほうに傾く。野菜(大根おろし、トマト、玉ねぎ等)や果物(トマト、苺、スイカ等)に含まれる水は、正に「命の水」で、私は、「野菜や果物の水を食べている」と言っている。

酒も水分だが、ビールは「冷たいし」、酒の熱燗は「糖分が多いし」、ということで焼酎の湯割りが私の定番となっている。

日々の読書、学習と「知の動的平衡(=市民雑学)」

2010-02-11 | 文化論、科学・技術論
昨日、「けいはんな市民雑学大学」の運営委員会があり、当面8月頃までの月一回の講座の目途をつけた。決まったら又お知らせしたい。同時に6月頃までに「市民雑学大学」二周年記念フォーラムの企画案を決めることになった。まあ12月頃に実際に出来れば良いな、と思っている。

で、帰宅途上、帰宅後、つらつらと「(けいはんな)市民雑学とはなにか?」と考えてみた。

人間は、日々新たな情報にさらされている。それらが受動的なものであれ主体的なものであれそうである。読書等によるものは主体的情報である。それらの情報は、知の栄養分であるが、大人の場合は、過去の既に「出来上がっている」個々人の「知の体系」を直撃する。それで、その新たな情報が、その知の体系のそれぞれの部分に矛盾なく収まれば、現存の知の体系を強化することで終わる。

ところが、現存の知の体系に大きく矛盾したり、個々の部分でも違和感のある場合には、それらに馴染ませるために「知の体系」を変化・発展させなければならないのである。

これは、知の動的平衡、または知の「ホメオスタシス」と言ってよい。

「市民雑学」とは、それぞれの地域において、市民として人間として成長するための、「市民知の動的平衡」と言ってよいだろう。どうでしょうか。

政治家の片言隻句の意味、メッセージ

2010-02-10 | 時論、雑感
民主党の小沢一郎幹事長が鳩山総理大臣と会って、「幹事長を続けさせていただきます、と言ったら”はい。しっかり頑張ってください”と言われた」、と小沢さんが記者会見で言った。

ところが、その後、鳩山さんは、記者会見で、「・・・」と小沢さんに言われ、上記のように答えたのですね、と問われて「いや、(幹事長続投には)はい、と答えたが、”しっかり頑張ってください”とは言わなかった」、と答えた。

又、その小沢ー鳩山会談で、枝野行政刷新大臣を小沢さんに認めさせた、と鳩山さんは言っている。うーん、それを聞いて、一寸、両者の力関係に変化が起こっているのかな、と思った。

こういうように、記者会見での片言隻句(へんげんせっく)は、「深い意味」を持ち、誰かに対するメッセージにもなっている場合が多い。しっかり聞き取っていきたい。

また、時系列的に色んな人が、前に言われた言葉を前提に自分の考えを、一般にはもっともなように言いながら、特別の人達に特別のメッセージを発しているのを全体として捉える必要があると言えよう。

「地域居住懇話会」再開の報

2010-02-10 | 地域居住学
昨日、奈良女子大の中山 徹先生からメイルがあり、今年(来年度)から「地域居住懇話会」を5年ぶりに再開したい、とのこと、賛成しておいた。このブログで検索すると、一つだけヒットする。

それもそのはず、私が退職した2005年3月で、「休眠」に入っていたからだ。このブログも2005年の5月頃にスタートしている。関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/6bc337c60e30bea8a55ae3d9743049a1

「地域居住懇話会」は、それ以前に10年ほど続いていた。「機関誌」も年一回発行していた。そこには、地域居住学関係の「西村ゼミ」「中山ゼミ」での卒論(卒計)、修士論文、博士論文の要旨を載せ、「自由論文」や「エッセイ」等も載せていた。

私も自由に書かせてもらったことがある。今後は、まあ卒業、修了生は研究畑ばかりでなく色々な分野に進出しているのだから、「近況報告」も載せたらよいと思う。

卒業生で、このブログを熱心に読んでいる人もいるので予告記事である。6月12日(土)に「会」があることをお知らせしたい。そのうち「案内」と「近況報告」依頼が来ると思う。

小沢マターで「分かったこと」

2010-02-06 | 時論、雑感
小沢一郎民主党幹事長が「不起訴」となり、配下の秘書達が「起訴」となった。容疑は、政治資金規制法違反(記載ミス)である。

この東京地検特捜部の取調べ過程で、我々国民にも色々と分かったというか「そうなのか」と思ったことも多いのではないか。

(1)政治資金規制法では、政治家と会計責任者としての秘書の責任が「分断」されていて、仮に10億円以上も「不明金」があっても政治家が積極的に指示したことの証拠がなければ秘書の記載ミス(形式犯)ですますという仕組みのおどろきである。これを見て、民主党議員の「一年生」が変に「学習」したら将来どうなるのか。   
 ここから、秘書の責任は政治家の責任、という連座制が、是非必要だ。

(2)同時に、企業・団体の献金を禁止するべきだろう。国民主権の国民とは、現在は、成人男女の日本国民であって、企業や団体は、主権者ではない。選挙権も成人個人にあるのであって、企業・団体にはない。

(3)東京地検特捜部と大マスコミの「癒着」が垣間見れたのではないか。大マスコミは、「関係者によると」と言って、検察リーク情報を垂れ流していた、と多くの国民は思ったと思う。あとで、何十人の記者を投入して取材の結果で記事を書いていると言い訳を言っていたが、では自主取材記事で「なるほど」と思うものがあったか、と言うと皆無ではなかったか。今後、「検察は正義の味方」と思うのは止めたほうが良い。何故なら、証拠不十分、「自白強要」の菅家さんなどの冤罪事件もあるし、三井 環氏(元大阪高検公安部長)の証言による検察庁の違法な「裏金つくり」等も明らかになっているからである。
 ここから、取調べ過程の完全可視化、「癒着」を生む司法記者クラブの廃止が必要だろう。

国民は、勿論、小沢さんが「真っ白」とは思っていないだろう。だが、今の法律では、「疑わしきは罰せず」である。まあ、証拠もないのに「灰色、真っ黒に近い灰色」などと言わないほうが良い。国民は、民主党中心政権に託した面がある。「個別疑問」がなくなったわけではない。しかし、国民は、当面、「個別疑問」より「全体善」を優先させたと理解する。じっくりと、小沢行動、マスコミ、検察などを監視継続していこう。