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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

アシアナ航空慣熟飛行中にサンフランシスコ国際空港に墜落

2013-07-08 | 私の考え出した言葉
韓国のアシアナ航空のボーイング777型機がパイロットの慣熟飛行中、サンフランシスコ国際空港に墜落炎上した。

ここで、「慣熟飛行」という言葉に目が行った。過去のブログでも「慣熟飛行」から思いついて「慣熟居住」ということを言ったことがある。

過去ブログ記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c51d4b29d2cbaada63acf831a460f60a

それを一層拡張してみると、どんな局面、どんな技術にも「慣熟」という段階があることになるのではないか。

生活習慣病から生活習慣美容へ

2012-07-24 | 私の考え出した言葉
今日、突然「生活習慣」から「生活習慣美容」という言葉が浮かんだ。

まあ、健康維持のためには、三つの要件、栄養(食い物、飲み物)、休養(睡眠)そして運動があり、それらを適切に生活習慣的に維持しないといけない。

で、運動では最近、散歩(ウオーキング)と共にラジオ体操が見直され、特に若い女性が取り組んでいるようだ。今日の『朝日新聞』(大阪本社版)にもそういうことが載っていた。 私も散歩は前から意識的にしているが、最近は毎朝6時半前に起きて部屋でラジオを聞きながらラジオ体操(第一、第二)に取り組んでいる。

これは他の栄養や休養と共に毎日の習慣に留意している。

つまり、それらは「生活習慣病」の予防行動である。

で、今日、ラジオ体操は若いピチピチ女性が取り組んでいるように「生活習慣美容」の基礎である、と認識したのである。どうでしょうか。


瞬・点

2011-05-20 | 私の考え出した言葉
瞬とは、瞬間の瞬で、極めて短い時間のことだ。点とは、点線面の点で、極めて狭い空間のことだ。

137億年という極めて長い時間、宇宙という極めて広大な空間の対極にあるのが、「瞬・点」であって恐らく『広辞苑』にも未だない言葉であろう。

私の考え出した言葉に登録しておきたい。


瞬点の 吾が宇宙を 想う時 心頭の 広々とする  市路

止泣放笑(しきゅうほうしょう)って?

2011-05-13 | 私の考え出した言葉
「しきゅうほうしょう」と読むのかな、なんて私が勝手に書いてみた「四字」なのに・・・。

深夜放送(NHKラジオ深夜便)を何気なく聞いていたら、ひょっこりひょうたん島の歌をやっていた。井上ひさし・山元護久作詞、宇野誠一郎作曲の有名な歌だ。

「…丸い地球の水平線に 何かがきっと待っている 苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけどボクらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め! ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島」

で、この歌をあえて四字にすると「止泣放笑」となるかな・・・。

まあ、この時代、そういう気持ちでやっていきたい。今どき、色紙に書くとしたら(まあ、そういうことはないが・・・) これかな、と思う。

念のため『広辞苑』第六版を調べてみたが、そういう「言葉」は、登録されていない。はたして将来の第○版(○≧七)の『広辞苑』に載るだろうか。まあ無理だなー。

住み間(居間ではなく)と言ったらどうか・・・

2011-04-22 | 私の考え出した言葉
住まいで居間というと家族全員の「公的空間」、場合によって外からの客人も通される。

その居間というのは、いわば家族各人が思い思いのことをする空間で、小学生低学年では、そこで遊びも勉強もする。父親が床に寝転んでテレビを見ている、母親が趣味の習字をしている等々だ。

で、その居間を英語に直訳すると、staying roomあるいはsitting roomとなるだろう。

ところが本来の英語では衆知のようにliving roomというのだ。

で、そのliving roomを和訳すると、「住み間」となるのではないか。そちらの方が、一寸言いにくいが居間より実態に近い言葉づかいである。

居間を今、住み間などと言って「すみません」!


考古学の分節ー考遠古学、考中古学、考近古学ー

2010-07-15 | 私の考え出した言葉
普通、考古学は、文字で書かれた歴史を研究できない以前の人類の歴史を遺物、遺跡を基にして研究する学問と考えられている。

ところが、近世の江戸時代の考古学と称して取り組んでいる方もいる。普通、遺物の発掘は地上で行われるが、水中では、木簡に見られるように「木」などは長年腐らずに残るので、「水中考古学」と称して琵琶湖に潜っている方もいる。

実際、発掘を始めると、表層は現代に近く、そこからも色々な物がでてくる。昔、奈良女子大で大学院の建物を建てるとき、事前に発掘調査が行われた。で、中世の井戸枠も出てきたが、近代の茶碗の欠片や日章旗(小旗)も出てきた。どうも、これは「日露戦争」の時に、兵隊さん送り出しのため打ち振ったものではないか、とのことだった。

古い時代の地層に至る以前の地層からは比較的新しい物が出てくるが、それらも捨てずに保存する要があるだろう。文字の歴史書だけでは分からないこともありうるからだ。

で、これらの時代分節として、考古学を大きくは三つに分けて、考遠古学、考中古学、考近古学と呼んだらどうか、と私は思う。

話は一寸変わるが、最近、既に大半は「失われた」私の子ども時代の金沢の風景や暮らし(1941年ー1960年)を私は主に「思い出し」を中心にして描こうと取り組みだしている。

記憶は、言ってみれば「断片的」である。それらを考古学でやっている壷の断片をつなぎ合わせて「全体」を組み立てるように、断片のメモを前において、分かる範囲の全体地図や全体間取りなども睨みながら全体ストーリーを考えている。まあ「考近古学」の一つの試みである。

わいわい交流=和異和異交流

2010-05-07 | 私の考え出した言葉
ラジオ深夜便で小椋 佳さんが、「命ときずな」トークで、最後に、日本民族には元々「きずな」、言ってみれば「和の精神」が底流にあり、現在は、むしろ「和」というより「異」を唱える「個」の主張が大切ではないか。それを通過して「新たな和の段階」に至るのではないか、との趣旨を話していた。

それを聞いていて、つい「洒落精神」から、出会って「わいわい交流して」きずなを強めることを、「和異和異交流」と言ったらどうか、と思った。でもこれは、音で聞いても分からない。字に書いて初めて分かる言い方である。

参考:ではお祭の掛け声「わっしょい」は、「和緒威!」かな。

単雑と複純(Simplex &Comple)

2010-05-02 | 私の考え出した言葉
単純と複雑:「単純だけど複雑なもの」→単雑 では「複雑だけど単純なもの」→複純

ああ、そういうこと・・・。では、単雑と複純の英訳は、SimpleとComplexから合成してSimplexとCompleとなるだろう。

では「単雑で複純なもの、複純で単雑なもの、なーに?」「答え:人間 英語ではHuman-being

うーん、To be or not to be, That is the Question.

人間のこの世への匂いづけ=刻印、マーキング

2009-08-07 | 私の考え出した言葉
空間への匂いづけ=刻印という話をしていたら、「それってマーキングのことですね?」と学生(院生)から言われた。「横文字」では、そうかな、と思う。

人と空間(環境)との「つながり」を意識的に強めるもの、強めることが匂いづけなのである。

匂いづけの事例(アトランダム):○神社仏閣を建てる(東大寺=聖武天皇、新薬師寺=光明皇后、談山神社=藤原鎌足、日光東照宮=徳川家康・・・)、○有名建築を設計し残す=有名建築家、○銅像、像を建てる、○墓碑銘を書く、○著書、記録を残す、○記念植樹をする、○記念写真、肖像写真を飾る、○マイ・チェアや、○マイ・ベンチを置く、○スナックへのボトルキープをする、○落書きする、○土産の展示をする、○建築、共用空間づくりへの参加、

逆傾向=削印:新権力者は旧権力者の跡を消そうとする、新入居者は旧入居者の跡を消そうとする、・・・

法則・・・匂いづけした空間には特別の「引力」が働く。

必要な「出」をみて、必要な「入」を求める

2009-08-04 | 私の考え出した言葉
世に「入るをはかって出るを制す」という言葉がある。これは、収入の範囲内で支出を考えよ!という意味だろう。

しかし、「出る」ことを一義的に考えて、それに対応する「入る」を求める、工夫するというのが本質的ではないのだろうか。

呼吸でも、先ず呼気であり、体中の空気を出してから静かに吸気に移るのである。
水でも小便で出したり汗で出したりした後で水分を補給するのが良いのだ。それが自然であろう。食い物でも、先ず「出す」ことがあって美味しく食べられるのである。情報も絞り出した後に猛烈に「勉強」したくなるのである。

今回、シロアリ対応で多大な経済的「出」が発生する。これに対して、どう「入」を考えるのか、「深呼吸」して死ぬまで考え努力していきたい。

「だいこん」:「ほうれんそう」に対して、と「可」の解釈

2008-11-17 | 私の考え出した言葉
今日、学生に就活(就職活動)に関する話をしていて、ふと「ほうれんそう」という言い方を思いだして、対するに私の考え出した「だいこん」についても説明した。関連過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/815b2a58322ff918296560e3cb961dbf

これらを出来れば見てほしい。

もう一つ、思い出したのは、面接で「貴方は「可」が多いですね」と言われたとき、どう切り返すか、である。私は、次のように切り返したらどうか、といっている。これは、自分自身の感慨でもある。「ハイ、それは可能性の「可」です。今後は、「可」で底を打って、右肩上がりにあがるだけです!」と。

「思い出」から「思い出し」へ、「出会い」から「出し合い」へ

2008-11-09 | 私の考え出した言葉
住まいを計画し建築する場合、一から全く新しい住まい空間を考えると言うより、過去何十年か住んできて経験のある住まいを思い出して、悪かったことは排除し、良かったことは形を変えて発展的に再現しようとするのが人間の本性ではなかろうか。

それは単に自然な「思い出」の作用というよりは、意識的に「思い出し」た事柄の作用と言えるのではないだろうか。

同様に、地域の「まちづくり」にあっては、様々な人々の「出会い」によって人々が「つながり」、物事が前進するのであるが、それは人々が持つ異なった力、知識等を「出し合う」ことが効いているのではなかろうか。この言葉は、私の住む地域のIwaha.さんの言い方によっている。

真剣に思い出し、惜しみなく出し合おうではないか。

臭い付け、臭い残しそして臭い消しー住まいと親しくするー

2008-10-12 | 私の考え出した言葉
過去のブログで「臭い付け、臭い消し」について語っている。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/01d02412e9b5da040702f294158306db

それに今回「臭い残し」を付け加えたい。それは、どういことかと言うと、過去に作られた住宅で歴史的に意味あると感じられる伝統的住宅に住むときには、「臭い付け」も「臭い消し」も多くはないだろう。何故なら、既に「いい臭い」が付いているからである。それらの「いい臭い」を残すのが「臭い残し」である。

こういうことをすることによって、その住まいは、よそよそしいものではなく親しみをもったものになるだろう。ああ気分がいい!

小緩衝空間(ミニ・バッファー・スペース)

2007-09-09 | 私の考え出した言葉
一寸前に「半地下屋根芝方式」という言葉を紹介した。そのブログを書いていたら「小緩衝空間(ミニ・バッファー・スペース)」というのも昔考えたことがあるな、と頭に浮かんだ。緩衝空間とは、文字通り「衝撃を緩める」空間で、例えば工場地帯と住宅地帯の間の幅広い緑地空間のようなものである。国際政治的には敵対する国家の間に緩衝地帯をおく、という風にも使われる。ここに言う「小緩衝空間(ミニ・バッファー・スペース)」とは、それらより遥かに小さい空間である。
例えば、駐車空間と住宅本体の間のライトの光や排気ガスが直接当たらないための小さな障壁、ゴミ置き場と住宅地の間の植栽、街区公園と住宅地を分ける道や並木等々である。駐車空間、ゴミ置き場、街区公園と言ったものは、住宅の近くにあれば良いが、直接に隣接していると困るなあ、という性質の空間である。

半地下屋根芝方式

2007-09-07 | 私の考え出した言葉
平城ニュータウンの平城第一団地の公園の半分近くを「潰して」駐車場の一つが出来たようだ。それでも500戸居住に対して全部で250台で50%の設置率と言う。最近、その話を聞いて、昔、日本住宅公団(現・都市再生機構)が開発した枚方市の香里団地の駐車場問題を思い出した。この団地は、京大の西山夘三研究室(後の絹谷祐規助教授担当)でマスタープランを作り、結構、実施計画にも内容が反映している。この団地は公団初期大規模(当時)団地で、昭和で言うと30年代前半の着手だ。通勤は、バスで京阪電車に接続して大阪や場合によって京都に行けば良いとの考えが強く、マイカー通勤のための駐車場は殆ど用意されていなかった。ところが団地完成後、昭和40年代に入って自動車が爆発的に普及し始め、駐車場設置要求が噴出してきた。幸い、初期の公団団地は、敷地をゆったり使う考えが基本にあって、住棟と住棟の間の空地(隣棟間空地)が広く取られていた。その空地を潰して駐車場にすればよい、との考えが当然ながら出てきた。ところが、そのゆったり空地で子供たちを遊ばせていた住民が、その空地を削るのを猛烈に反対(交通事故、騒音、空気汚染等の理由)、そのため、住棟の「妻側」(長手)方向の僅かな空地を主な駐車場にした経緯がある。その後は、それでも足りなくて隣棟間空地にも手をつけざるをえなくなってきた。そこで、私は提案した。「やるなら半地下屋根芝方式に」と。これは、駐車場を半地下に地上から直接入れて、その上はゆるく屋根を架け、その表面には芝(緑)を貼る、というものだ。これで、駐車場は屋根つきでとれる、子供が遊ぶ空間も確保される(一寸、屋根のエッジ部が危ないので注意!)とした。しかし、工費が高くつくというので実施されなかった。
あれから相当時間が経ち、事情も変わってきたと思うが、相変わらず駐車場はアスファルトに白線引きの平面が多く、この夏も大変暑かったし、駐車場というと殺風景だ。屋根付き、緑蔭付きの駐車場は、出来ないのだろうか。