西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

スポック博士がこんなこと言ってますよ

2009-03-31 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
一寸年配の人ならアメリカの『スポック博士の育児書』(翻訳は暮らしの手帖社刊行)の世話になった人もいるだろう。日本の松田道雄の育児書(岩波)もよく普及していた。これらが双璧だった。

で、『スポック博士の育児書』は、ベストセラーで版を重ねているが、日本では第六版までしか翻訳されていない。実は、第六版までは、スポック博士は「牛乳推進論者」だったが、1998年の第七版から180度考えを転換し「牛乳批判論者」になったのだ。2004年の英文第八版によってスポック博士の考え方をみてみよう。これらはJANE PLANT教授(女性イギリス人科学者)の『乳がんと牛乳』に訳者:佐藤章夫さんの注として次のようにある。

「アメリカ人の心臓発作に到る道程は子供のころから始っている。すでに3歳で、多くのアメリカの子どもの動脈壁に脂肪が付き始める。12歳の子どもの70パーセントに動脈硬化の初期変化がみられ、21歳になるとほぼ全員に動脈硬化が始っている。肥満がアメリカ社会全体を覆うようになった。アメリカは社会全体で食生活を変えなければならない。最悪の食品は乳・乳製品である」

「長いあいだ、お医者さんは少年少女にたっぷりカルシウムをとらないと、年をとってから骨がもろくなってしまうと言い続けてきた。事実、米国科学アカデミーは、1~3歳の子どもは1日500ミリグラム、4~8歳は800ミリグラム、9~18歳は1300ミリグラムのカルシウムが必要だと述べている。こんなにたくさんのカルシウムをとる手っ取り早い方法は牛乳をたっぷり飲むことである。アメリカは国をあげて『もっと牛乳・乳製品を!』という宣伝キャンペーンを繰り広げてきた。しかし、最近、こんなに大量のカルシウムが子どもに本当に必要なのかと疑問を投げかける専門家が現れるようになった。たとえば、12~20歳の女性を対象にした研究によると、1日500ミリグラム(勧告量の40パーセント)以上のカルシウムをとっても、骨密度が増えることはないと言う。骨を丈夫にするのは、カルシウムではなくて運動(身体活動)なのだ!よく運動する少女ほど骨が丈夫(骨密度が高い)であった」

「個人的なことになるが、私(スポック博士)は、88歳になった1991年から乳・乳製品を完全に絶ち、肉は脂身のない部分を少ししか食べないという食生活にきりかえた。この食事にしてから2週間で、長年の抗生物質治療で効果のなかった慢性気管支炎が消えた。私の中高年の友人で、食事から乳製品や肉を除くことによって持病の心臓病が良くなった人が何人もいる。この種の食事が効果を発揮するためには、精製しない穀物、たくさんの野菜・果物を食べて、よく体を動かすことが必要である。」

「私は、もはや2歳を過ぎた人間に乳・乳製品を勧めることはしない。たしかに、乳・乳製品が望ましい食物だと考えていた時期もあった。しかし、最近の多くの研究や臨床経験に基づいて、医師も『乳・乳製品はよいものだ』とする考えを見直さざるを得なくなったのである」と。

出来れば、牛乳給食は中止したほうがいいですね。どうでしょうか。

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF

ラジオ深夜便で山折哲雄さんの話を聞く

2009-03-27 | 文化論、科学・技術論
宗教学者 山折哲雄の話(後半)をラジオ深夜便で聞いた。「21世紀 日本の進む道」である。山折さんは1931年生まれ、私より10歳年上、東北大出身、国際日本文化研究センター、センター長歴任、京都市下京区に住む。

私のブログ検索では、山折さんは3回出てくる。http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%BB%B3%C0%DE%C5%AF%CD%BA

聞いていたメモ・・・日本で、200年以上、平和であった時代は、平安時代そして江戸時代という。世界で見ると「パックス・ロマーナ」(ローマ[帝国]の平和)があるが、背景は武力である。日本の場合は、武力と言うより「神仏習合」が背景にあった。神も仏も「仲良く」していたのである。

西洋の宗教学(プロテスタント系)では、アニミズム、多神教、一神教と歴史的に進んで、最終はプロテスタントである、となる。他は異教になり、世界的には「争い」の元になる。(その「西洋宗教学」では、日本仏教の「山川草木にも仏性あり」はアニミズムの原始的状態となる。)

21世紀は、(無宗教も含め)多宗教併存の寛容・平和の時代をつくらねばなるまい。日本が先導できるのでは、いやリードしなければと言う。

別の話で「人生50年時代には、生まれて一生懸命働いたら死が待っていた。ところが、人生80年では、生死の間に「老病」が実質入ってきた。どういう人生モデルで生きるか。古代インドでは、人生(100年)を四期にわけている。学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)そして林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき、この期に達する人はめったといなかった)である。(私は、林住期に入っているかな・・・、)

山折さんの目指す人生モデルは、西行、芭蕉、良寛という。旅と文芸を愛した(仏教がベースにある)人生である。(ただし、「人生50年時代」の先達であるが・・・。)

「あっ」と驚く万葉集解釈ー白川 静ー

2009-03-25 | 文化論、科学・技術論
万葉集随一の詠み手は柿本人麻呂であろう。

その有名な「安騎野の冬猟歌」について、「漢字学者」の白川 静さんが「あっ」と驚く解釈(仮説)を提出している。

これは長歌と四首の短歌からなっている。

松岡正剛著『白川 静』(平凡社新書440)によると(157頁以下)、この歌は、持統7年(693年)のことで、持統天皇の孫(亡くなった草壁皇子の子)の軽皇子(11歳、後の文武天皇)が安騎野へ、柿本人麻呂等を伴って出かけた時のものだ。

これは、冬至の頃だったことが重要と、白川さんは捉えていたようだ。

四首の短歌で一番有名なのは、「東の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ」であろう。これについて、斉藤茂吉は「安騎野に宿った翌朝、日出前の東天に既に暁の光がみなぎり、それが雪の降った安騎野にも映えって見える。その時に西の方をふりかえると、もう月が落ちかかっている」という解釈をしている。素直な叙景的解釈と言ってよい。

ところが、白川さんは、違ったユニークな解釈をしている。まず、何故、持統天皇は孫の軽皇子を、この時期に安騎野に柿本人麻呂等を伴わせて宿らせたか、であるが、亡くなった子の草壁皇子の霊を孫の軽皇子に受けさせて「競争者」多数の中で次期天皇の地位を確実にしようとたくらんだ、としている。

そこで、先の短歌の「東の炎(かぎろい)」は、軽皇子を意味し、「月かたぶきぬ」は草壁皇子が消えていくことを表し、この二者の強い「つながり」を意味している、とのことのようだ。つまり、軽皇子は親の草壁皇子を継いで次の天皇になるべく「東より昇っている」とのことだ。

うーん、そういう深読みをするのか、と驚いた。

卒業式でのアカデミック・ガウン

2009-03-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
3月18日(水)に平安女学院大学の卒業式が高槻キャンパスであった。

一昨年(2007年度)から学長・学部長等も学生もアメリカのキリスト教系大学と同じく「アカデミック・ガウン」を着ることになった。平安女学院大学は、アメリカのキリスト教・聖公会系の大学のためである。

私も今年、「辞める」ので、最後のガウンを着た。どうでしょうか。

リンパ・マッサージと乾布摩擦

2009-03-23 | 思いつきから仮説へ
風呂に入って浴槽で体を温めると同時に足の裏、手のひらを中心に手(指)の届く範囲で自己流に「リンパ・マサージ」をしている。

浴槽を出ると足の先や手の先が「赤く」なっていて血液(赤血球)が「充満」(仮説的には毛細血管から体細胞へ浸潤?!)している風である。

風呂を上ると乾いたタオルで体表の水分を拭き取った後で、タオルを替え、体表を末端から体幹へと乾布摩擦もしている。

すると体表全体が「赤味」を帯びてくる。これも体表末端の毛細血管周辺に血液が充満してきた証拠である。

このようにして、いずれにせよ体の末端に新鮮な血液を十分に送ることが体調維持に大切では、と最近、実感しているのだが・・・。

日めくりタイムトラベルー1960年(昭和35年)ー

2009-03-22 | 京都の思い出(学生時代)
昨日、衛星テレビ、夜の長時間(3時間)番組で、「日めくりタイムトラベルー昭和35年(1960年)ー」を見た。立ったり座ったりで通しで見ていないのだが・・。

それでも「大きな年」だったな、と思う。私は個人的には前にも書いたとおり金沢で高校を卒業し京都の大学に進学した年だった。6歳年下で団塊の世代の最初の人達(1947年、昭和22年生まれ)が大体は中学校に入っている。一回り(12年)下の人達(1953年、昭和28年生まれ)が小学校入学だ。

「大きな年」というのは、何と言っても「安保闘争」のあった年で、国民・学生側は「敗北」し、「挫折」という言葉が流行ったが、「安保改訂」を強行した岸信介内閣は倒れて「所得倍増計画」の池田勇人内閣となった。アメリカでもアイゼンハワーからケネディーに大統領が変わった。

この番組では、当然、「安保闘争」を取り上げ、樺美智子(かんばみちこ、東大生で国会前デモで死亡)、唐牛健太郎(かろうじけんたろう、全学連委員長、北大生)など懐かしい名前も出てきた。私は、京大宇治分校・宇治寮で、右も左も分からず右往左往していた。

「安保闘争」の他に映画の「ヌーベルバーグ」で大島 渚を取り上げていた。「青春残酷物語」や「日本の夜と霧」なども出てきた。奥さんの女優・小山明子さんも出演して現在も含めあれこれ語っていた。大島さんは、脳出血が原因で言語障害、右半身障害で奥さんに助けられてリハビリ中である。

大島さんは、大学(京大・法学部)生時代、京都府学連委員長、1954年(昭和29年)卒らしい。
(だとすると、私の京大・建築先輩の上田 篤さん(阪大教授、京都精華大教授歴任)と同期、上田さんが京都府学連副委員長、同じく建築先輩で大島さん上田さんと同期の故・吉野正治さん(京都府立大教授歴任)が京大同学会委員長と「つながり」があるはずだ。)

この番組では、又、歌手・橋 幸夫の「潮来笠(いたこがさ)」デビューのこともやっていた。三井三池炭鉱闘争があったり、ローマオリンピックがあったりで、なかなか目まぐるしい年だった、と思う。

1960年3月20日の思い出

2009-03-20 | 金沢の思い出
今日は3月20日、ラジオで「今日は何の日?」を聞いていて、「そうだったなー」と思い出した。

今を去る49年前の1960年の3月20日は日曜日で、大相撲春場所の千秋楽だった。14日目まで横綱・栃錦と同じく横綱・若乃花(初代)が14連勝で、千秋楽で全勝同士の横綱が対戦するのは史上はじめてだったと思う。

当日、私は留守番で、テレビで大相撲を見ていた。もちろん、前年1959年に買った白黒テレビである。私は栃錦ファンだったのだが、当日は力相撲の末、若乃花が寄り切りで栃錦を破って全焼優勝した。私は「残念」という気持ちで一杯だった。

その時「西村さーん、電報ですよ」と郵便局の人が来た。それは、私の「大学合格電報」だった。どういう文面か忘れたが、まあ半分以上諦めていたので「えー」と気持は一転して欣喜雀躍だった。

夜に家族が帰ってきたが、夕食までぐっと我慢して、夕食時に「発表」して皆を驚かせ喜ばせたことを懐かしく思い出した。

食育、体育、徳育、知育の位置づけとつながり

2009-03-18 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
食育の重要性を我が国で最初に指摘した石塚左玄、村井弦斎らの位置づけを参考に言えば、「教育のベースが食育、食が体を作り、勿論、脳も作っているし、日々それらを働かせているからである。」

だから「次が体育、運動である。つまり体を鍛える必要がある。昔は採取、狩猟等の生きる活動がそのまま運動で、体を自然に鍛えていたのだが、昨今はデスクワーク中心の仕事や知育の学習も多くなったので、意識的に体育、運動に取り組む要があるのだ。」

その上に文武両道というか、「徳育」と「知育」が乗っていると考えられる。やはり、人の道を教える「徳育」が先にあって、最後が「知育」であろう。

これ(知育)を早期に、又肥大に先に持って来ることから色々な歪みが起こると考えられる。

又、この「知育」において「食育」「体育」「徳育」もより深く考察されるのである。このようにして、これらの四つが位置づけを得て安定し、つながって循環・発展していくと考えたらどうだろう。

奈良教育大学に「食育講座」聞きに行く

2009-03-16 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
先週の土曜日(14日)の午後、奈良教育大学へ「食育講座」を聞きに行った。

知り合いの鈴木洋子教授が責任者となって文部科学省の「質の高い大学教育推進プログラム」に応募し、選ばれたので、そのスタートの講座だった。

これまた知り合いの渋川祥子さん(横浜国立大学名誉教授)の講演があった。渋川さんは鈴木さんの先生である。熱源を使う調理の専門家のようだ。

その日は、「オーブンレンジ(オーブンと電子レンジの機能をもつ機器)による料理」の特徴を講義された。特に電子レンジについてである。

簡単に言うと、電子レンジは、電子ビームにより食材内部の分子を「振動」させて熱を起こし内部から熱して柔らかくするということだ。ガスや炭等に対して、第一に短時間で料理できる、第二にコストが安くつき地球環境にやさしい、ということである。しかし外部に焦げ目がつかないという特徴もある。

質問コーナーで私は質問した。「電子レンジの原理は分ったが、その「発展」とも言うべきIH調理器の電磁波は人体に悪いと聞いているが、どうなのか。先生は、遠赤外線調理器も評価されているようだが、その活用は、どうですか」と。

渋川さんは、IHはあまり評価されていないようだ。「気分が悪くなった、という人も聞いている」という。遠赤調理器に関しては、「焼き魚等には良いが、揚げなどはどうなのだろう?」と言っていた。

でも、まあ我々がやっている「けいはんな学研都市」での「健康調理教室」と「つながったな」と思った。調理科学会の的場会長も聞きに来ておられた。

(写真は、渋川名誉教授)

映画「おくりびと」を見に行く

2009-03-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日の午後、映画「おくりびと」を見に行った。まあ、アメリカでの映画のアカデミー賞を獲得した話題性のある日本映画である。リアルな人生を終わって「あの世」に旅立つ「姿」を整えるのが仕事の「納棺師」の物語である。

私は、母方祖父、母、母方祖母、父を見送ったが、「納棺師」がいた記憶がない。地方によって、納棺儀式が違うためであろうか。今日の映画の現場は山形県の庄内地方、酒田であろうか。

この映画を見ながら「おくりびと」がアメリカ人に受けた理由として三つが頭に浮かんだ。

第一は、日本人にも、はっきりと認識されていない「納棺師」の役割、所作をはっきりと描き出したことである。

第二は、日本でも東京や京都ではなく田舎の秋田の風景を背景にしたことである。白雪の山や鮭が上ってくる川、色んな石のある河原、ひなびた街並みが良い。

第三は、主人公が弾くチェロの曲など西洋音楽がバックにあることである。単に日本の文化や風景を描くだけでは「エキゾシズム」に留まるかもしれない。そこに、
・「Symphony No9」L.v.Beethoven、・「Wiegenlied」J.Brahms、・「Ave Maria」J.S.Bach/C.Gounodなどが流れることによって、それらの音楽を生み出したヨーロッパが故郷のアメリカ白人に受けたのではなかろうか。

それは、同時に「日本文化は、西洋文化の教養も背景にしているよ」、「貴方たちとも共通項があるよ」ということも言っている形となっている。

初めて知ったことに「石文(いしぶみ)」によるコミュニケーションがある。

三砂ちづる「着物で生活革命」

2009-03-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
国際的な疫学研究者、津田塾大教授の三砂ちづるさんの「着物で生活革命」(2)をNHKラジオ深夜便「こころの時代」で聞いた。

(1)を聞いていないので、本筋の「着物で生活革命」そのものの意味を本人から聞いたわけではないが、(2)の趣旨として、日本人の昔の生活で見直すべきこと色々あるのでは・・・、何が何でも西洋流がいいとは限らない、ということなので、その線で着物も位置付けうるだろう。

我々の分野での関連で言うと、「椅子座」が日本人の姿勢を悪くしたのではないか、という。そういう面があると思う。「近代住居学者」とも言うべき西山夘三先生が、晩年、「最近、正座がしづらくなった。若いころ、もう少し正座をする機会をつくるべきだったかな。」と言われるのを聞いて驚いたことがある。
私自身は、法事やお茶事の時に特に困る。皆さんはどうですか。

三砂さんは、西洋の女性、コーカサスの女性、アフリカの女性の体格と日本人女性の体格を比較すると、誤解を恐れずに言うと、日本人女性の体格は一般に貧弱、それを立ち居振る舞い、着物、薙刀などの武道等で補ってきたのでは、という。洋服は、西洋人のように肩の筋肉が元々しっかりしていないと肩が凝る。日本人の「なで肩」では着物の方が合理的、という。

長年の外国住まいから日本人の生活上の良さを指摘している。

(1)誰がすべきと決まっていないことでも、やったほうが良いなと思って率先してやる精神・・・例えば、ゴミが落ちていると自然と拾う、落ち葉を自然と掃除する・・・、(外国ですると、「よその人の仕事を奪う」などと非難されることがある)
(2)お金を一円まで厳密に考えない。ブラジルで日本人移民が成功したのは、使用人に対しても、そういう態度(悠長な態度)で接したからでは・・、という。
(3)主張すべきことは、しっかり考えて言うが、べらべら喋るのがいいわけではない。(べらべらは、べらべらでしかない!あまりディベート等の技術論にいくべきではない!)

このほか聞くべきこと:
○津田塾の創始者の津田梅子が言ったのは「全たき女性を目指せ」ということで、それは良妻賢母の女性でも職業婦人の女性でもない。

○乳児のおむつは出きる限り早くとれるように・・・、実際、赤ちゃんの立場になると「したいときに泣く」のであり、「して、おむつが気持ち悪いから泣く」のではない。昔は赤ちゃんのサインを読み取って「持ち上げて例えば庭に向かってした」ものだ・・・。母子のコミュニケーションはそういうことからも始まる。読み取れるようになったお母さんは嬉しそうだ。

血液は何処で生成されるのか

2009-03-04 | 色々な仮説や疑問
一般に血液は骨髄で生成されていると言われてきた。

でも、過去、戦争で両手両足が切断されて長骨(骨髄の主な部分)が失われた人でも血液が生成され生き延びているのが観察されている。

これに関して現代医学で全く無視されている「千島喜久男学説」では、血液は主に小腸で生成されている、としている。

消化過程では、まず胃で「砕かれ」消化され、小腸で吸収される。現代医学では、小腸で吸収された後、アミノ酸、血糖等は、血液に乗って体中を運ばれ、それぞれの部分で細胞分裂による代謝の原料になる、また燃えてエネルギーになる等とされている。

ところが、「千島学説」では、小腸で複雑なもの(食物)が単純なもの(アミノ酸等)に砕かれるのが消化、それらの単純なものが複雑なもの(赤血球等)に再構成するのに何故遠い「骨髄」等まで行かねばならないのか、その小腸で引き続き赤血球や白血球をつくってもいいのではないか、としている。その赤血球が体の隅々まで運ばれ、細胞を作るのである。細胞分裂で増えるのではなく「細胞新生」という考え方だ。

うーん、「革命的考え方」だ。これを実証するのにどうしたらいいのだろうか。

「市民雑学大学」で雇用問題の講座

2009-03-02 | けいはんな学研都市マター
先週の土曜日に「第十回けいはんな市民雑学大学」があった。

市民教授は武田 富美さん(リクルート エージェント勤務)
テーマは『激動期の企業の雇用動向』だった。

----------以下、抜粋(友人FUTANさんによる)----------

第一部 不況期の企業の採用心理と  企業選びのポイント
第二部 企業から選ばれるには ~キャリアアップするには~

不況期の企業の行動(採用面において)

シグナル①:07年末→応募から内定までの日数が長くなり出した。
シグナル②:08年1-3月期→面接した人が内定になる確率が下がり出した。
シグナル③:08年4-6月期→実際に採用数が減り出した。

それ以外に、以下のような動きが現れた。

「求人に占める未経験者求人の比率の減少」
「必要な経験年数の上昇」
「資格を必要とする求人の率の上昇」
「語学を必要とする求人の率の上昇」

企業から選ばれるには?(キャリアアップするために)~面接対策~
■面接に挑む心構え
■面接の事前チェックポイント
■面接でのマナー
■面接でのオーソドックスな質問例と企業の質問意図
  1.自己紹介
  2.転職理由
  3.志望動機
  4.今までの仕事内容
  5.弊社(応募企業)への質問
■面接で上記以外によくある質問
  1.学生時代の学科選びのポイントは?
  2.学生時代、力を入れたことは?
  3.新卒の時の就職活動は?
  4.あなたの長所・短所は?
  5.弊社(応募企業)へどんな貢献ができるか?

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で、企業で「リストラ」が起こると、第一に、最初に正社員以外の派遣社員から始まる。第二に文系では一般事務、経理、総務職と進むが、企業の生産物を売る営業職は最後まで「切られない」。第三に、理系では開発、技術職は「景気回復」の場合、真っ先に働かねばならない職種なので最後まで「切られない」と武田さんは言われた。自分の甥子さんにも「出きれば理系に進んだら」と言っているようだ。

転職では、30歳代が一番多く、60歳代は殆ど皆無と言う。転職給料は「横滑り」とのことだ。60歳代の転職をサポートするには民間企業では難しく、NPOなどでやらざるをえまい。

「住宅、建築職の雇用はどうですか」と大学教員のFUTANさんが聞いた。答え:今は需要が減っているが、なくなることはない。

「農業はどうなりますか」という質問もあった。私は、「空中でクルクル舞っているお金関連の仕事より、地道な農業や社会福祉のような自然物や人間を対象とする仕事が人間の仕事として基本になるのではないか」と懇親会等で話しておいた。