西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

奈良女子大学卒後30周年(1984年、昭和60年卒生)記念同窓会に参加する

2015-08-24 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、奈良女子大学卒後30周年(1985年、昭和60年卒生)記念同窓会に参加した。JR奈良駅裏の「日航奈良ホテル」4階飛天の間で、2011年以来、5回目である。それ以前、私は、奈良女子大を2005年に定年退職以来「奈良ホテル」での会へ6回参加している。皆出席、と思う。

この会について、昔、同僚だった理学部生物学科の高木由臣さんは、当日配られた『恩師からのメッセージ』で次のように書いている。「卒業30年目という人生の最も充実した時期にある元学生が、新陳代謝しながら(毎年53歳前後の:私注)変わらぬ姿で登場するこの同窓会の仕掛けには、毎年のことながら感嘆します。そこに登場する元教師は一方的に老化・死に向かうというコントラストが、見事で素晴らしい!」「老化・死は進化の産物である。」・・・高木由臣(『寿命論』NHKブックスより)

今回、僕のように、まあまあ元気の部類は、参加できたが、「体調不良で欠席、老老介護のため欠席」などという人もいて、上記の高木さんの位置づけのとおりである。しかし、今年でこの会が「終わり」の人、今年から新たに「参加」の人もいて、平均年齢は一方的に上がる訳ではないが、暫時上がっていくことになるだろう。

参加は旧学生200人余、旧教官50人余であった。久しぶりに会った人もいた。奈良女の文学部(体育)にいた大築立志さん(東大名誉教授、70歳)だ。(『手の日本人、足の西洋人』(1989年、徳間書店刊)の著者)、鎌倉在住、地域スポーツに関したこともやっておられる風。「運動の他に、栄養や休養も大事ですよね」と言ったら、「何事も行き過ぎはダメ、ほどほどに!ということだった。異分野の人が集まると、耳学問が出来るなー。

梁瀬度子(やなせ・たくこ)さん叙勲おめでとう

2013-11-04 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
奈良女子大学で同僚だった七年ほど先輩の梁瀬度子さんが「瑞宝中授章」を受章のようだ。新聞で確認した。「おめでとう」と言いたい。

瑞宝章を『広辞苑』でしらべると、「公共の事業に貢献」に対する勲章と言う。他に「旭日章」というのもあり、「一寸上」と思われているが、趣旨が元々違っているようだ。

旭日章は、「国家及び公共に貢献」と「国家」が入っている。今までの国家は権力を握った少数者の権益を守る組織、まあある程度、庶民の利益も図らないと国会議員になれないのでポーズ上、庶民の味方みたいな顔をしているのがいやである。 梁瀬さんは日本家政学会でも副会長を歴任し、その点でも僕の先輩だ。梁瀬ゼミの学生さんたちに「梁瀬(やなせ)先生は、やーな先生ではありません、すばらしい学生・院生たちが(たくちゃん)いますよ。」と言っています。

末永く元気でね。僕らの「元気姉さん」なのだから・・・。

地域居住学の卒業生、修了生6人と語る

2013-10-13 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大の生活環境学部住環境学科卒業生、同大学院修士課程(地域居住学専攻)修了生6人と昼に奈良で会食し(レストラン東吉)大いに駄弁った。順不同で井倉さん(コンサル)、立松さん(奈良教育大)、宮川さん(和歌山大)、森田さん(奈良女子大)、高岸さん(旧姓、コンサル)、藤原さん(阿南高専)で、私を入れて7人である。まあ2年ほど前、私が古希になった時に集まってくれたメンバーの半分ほどが集まった。

それぞれの近況を聞きながら、僕の近況も話した。で、突然飛ぶが、色々と「疑問」も起こったので帰宅後調べた。

支離滅裂・・・ばらばらでまとまりがなく、筋道が立っていないさま。▽「支離」はばらばらなさま。「滅裂」はきれぎれ、離ればなれ。ばらばら。(辞書より)

12月は「師走」といって「先生が忙しく走り回る」月らしい。で、今日、「走らなくとも歩けばいいのでは・・・」との意見も聞かれた。  「師歩」と言ってもいいのでは、とのことだ。これを何と読めばいいのか。宿題となった。 卓袱台(ちゃぶだい)と卓袱(しっぽく)が同じ字なのはどうして?!・・・

書斎の整理へ

2012-05-25 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
家の中の整理をしよう、と妻と話している。

私は、自分の書斎などに「散乱」する紙類、書類、資料、雑誌、本を整理して不要なものは「古紙回収」の時などに出すこと、まあ一寸は役立ちそうなものは一時保留、貰ってもらったり古本屋に出すことを担当だ。

妻は、衣類(下着、上着、ネクタイ等々)の不要な物を整理し出すことだ。

それら以外の大型「ゴミ」候補は二人でチェックする。

で、今日、私は書斎の段ボール二箱を整理、雑誌は殆ど「出すこと」にした。お陰で机の周りは空いてきて気持ちが良い。

大抵の雑誌で必要なものは、近所の「国会図書館関西館」「奈良女子大学図書館」「精華町図書館」などで見れると思っている。

生活環境学部「親和会」に行く

2012-05-24 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、「古巣」奈良女子大学生活環境学部の懇親組織「親和会」の春の集いに行った。
「卒業」教員では、僕以外、大先輩の近藤公夫さんが来ておられた。先生は、今83歳位だろうか。元気に乾杯の音頭を取られた。

この会は、12月にもあるのだが、僕は基本的に5月の会に行くことにしている。何故なら、その会には、辞めたばかりの先生方や4月に赴任された先生方が来られる可能性が高いからだ。そして、12月を遠慮しているのは、年度も押しつまり、彼我とも気ぜわしいからである。

昨日は、新大宮の「ボーノボーノ(buono buono美味しい美味しいとの意か)」というイタリア料理店で僕は初めてだ。

学部長、名誉教授、新任教員は、「上座席」で8人だ。今岡春樹学部長が挨拶、それによると、大学全体で「改組」のようで、生活環境学部の学生定員が他の文学部、理学部を凌いで一番多くなるようだ。今岡さんの手腕も問われるだろう。今岡さんは5人の新任教員の紹介もされた。(順不同)三成美保(教授・生活文化、ジェンダー史等)、橋本朋子(助教・衣環境、衣材料)、熊代千鶴恵(特任准教授・食物栄養、管理栄養士コース担当)、滝沢祥恵(助教・食物栄養、管理栄養士)、瀧野敦夫(講師・住環境)である。

僕の座ったテーブルは、4人テーブルで、今岡学部長、僕のほか、三成さん、橋本さんが座った。今岡さんとは前から良く知っており、僕の「洒落、駄洒落」にも免疫を有しているが、他の三成さん、橋本さんは初めてなので、僕は、その席で「ウオーミングアップ」をした。この4人での話:今日は「僕中心」、洒落の話、詳細日記の話など。・形、色、肌ざわり、・○、□、△、○の繰り返し、・緑(水、大地、空気、星、)、・素人、玄人、グレイト、・取っ手を取ってもとっても良い、・Electricity,Velocity,・・・

お陰で、後でのスピーチでは、地域人間、基礎的生活力、健康第一の話をしたのだが、後で「久し振りに西村節を聞いた」と何人かに言っていただいた。

奈良女との「付き合い」は、年一回の「これ」、同じく年一回8月に行われる「卒後30周年同窓会」が主なもの、後は「地域居住懇話会」(不定期)、「露天風呂の会」(開いたり開かなかったり)がある。

まあ、奈良女と関係がないとはいえないが、奈良教育大学に非常勤で行っていた縁での原則月一回の「自主ゼミ」も楽しみだ。

Kさんと「計算」外の会話ー奈良女にてー

2012-05-21 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、7月の「けいはんな市民雑学大学」を重要文化財の奈良女子大学記念館でやるべく、色々相談に「奈良女」に行った。一応、話がついて、帰ろうとしたらバッタリKさんに会って「計算」外の会話を楽しんだ。

まあ話題は色々あったが、農業をやっている、という話が良かった。彼はバリバリの自然科学者だが、昔から農業志向なので「面白い」のである。

彼は、今、加茂町(木津川市内)で畑を借りて苺やキュウリなどを作っているようだ。
こだわりでアメリカ押しつけの1年限りのF1の種を忌避して多年種を埼玉から買って栽培している、という。「偉い!」と思う。

現在、田舎では「爺さん婆さん」農業で次世代どうなるか「大変」とのことだ。まあ、他に「野菜工場」のこと、その他色々のこと話した。

もうすぐ来年3月に「退職」なので、その後の去就を見守り、出来れば「けいはんな市民雑学大学」に誘いたい。

今年の「末広会」の様子

2011-12-23 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
大分前から年末にやっている「飲み会」は、奈良女子大学家政学部、生活環境学部で教員やっていてリタイアしたメンバーの会であるが、2年前(2009年12月13日)にK先生の提案で私が思いついて「末広会」と名がついた。まあ8人でスタートしたことと、今後益々元気にということと、メンバーも「末広がりに」増やしていきましょう、ということだ。

今年はE先生のお世話で京都の伏見で行われた。「月の蔵人」という「月桂冠」の会社系列のレストランである。13時過ぎから2時間、「飲み放題」の牛シャブコースだった。

今日集まったのは7人、最長老のK先生、私より一寸上のM先生が欠席し、かわりに新顔の現役教授Iさんが参加した。たまたま、全員、学生部長、図書館長、人間文化研究科長、生活環境学部長、副学長などの経験者である。

その現役I先生からは、奈良女大全体の様子(改組のこと等)、生活環境学部の様子を伺って、国立大学法人は「大変なのだな」と思った。厳密に言うと「国家公務員」ではないので、失業保険もかけているようだ。人事権は、教授会にあるというより学長に集中しているようだ。

でも学際的、総合的に今後を考えると三学部のうち文学部や理学部より生活環境学部が前面に出る方が良いと思われる。

ところで、M先生が編集した「奈良女子高等師範學校校歌」その他のCDを買った。

森羅万象、議論はあちこちに飛んだが私も大いに参加して喋りまくった感じ、他の先生方もそうだった。現役のI先生に「先輩達の元気は全然衰えていませんね」と言ってもらった。

最後にK先生の提案で年一回の集まりを冬と夏の二回にしたら、となり、次回は7月(第四土曜除く)に奈良で行うことになった。

記念撮影をし、大手筋の喫茶店でお茶を飲んで17時前に解散となった。

piano-forteの第17回演奏会へどうぞ

2011-12-14 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
12月17日(土)の午後2時より奈良女子大学講堂で学生のピアノ・サークル「piano-forte」の第17回演奏会がある。関心のある方は、どうぞお運びください。

実は、このサークルの演奏会プログラムの巻頭に10年以上前から小文を書かせてもらっている。当時「学生部長」だったせいだ。今度のは、以下のようなものだ。当日行かれたら再度、目にすることになりますが、コピーをアップしておきたい。


アレグロ・アッサイ、アンダンテ・カンタービレそしてアダージョ                      西村 一朗(名誉教授)

西洋音楽では、演奏するスピードを指定する記号がある。
アレグロ・アッサイ(allegro-assai 非常に速く)、アンダンテ・カンタービレ(andante-cantabile 歌うようにゆっくりと)そしてアダージョ(adagio 遅く静かに)などである。

私は、これらには、時代的背景もある、と考えている。「疾風怒濤」の時代ならアレグロ・アッサイがふさわしいだろう。「高度経済成長時代」でも同じかもしれない。
しかし、今や日本では人口減、低成長時代である。東日本大震災で大津波が日本を襲い、東電の原発も大事故を起こしている。こういう時代、「それ行けドンドン」という訳にはいくまい。じっくりと考え、着実に前進すべき時代と言えよう。

だから音楽でもアレグロ・アッサイではなくアンダンテ・カンタービレかアダージオの時代と言えるかもしれない。今度の「ピアノ・フォルテ」の演奏会ではどうなるのだろうか。演奏題目には勿論、そのスピードにおいて、彼女らが発するメッセージに期待しておきたい。(2011年9月22日)

天平文様を売り出す藤野千代さん

2011-11-08 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今朝、テレビを見ていたら、よく知っている顔が出てきた。奈良女子大学・特任教授と紹介された藤野千代さんだ。「社会連携センター」に所属しているようだ。

藤野さんとは10年ほど前からの知り合いだ。毎週金曜日に「発刊」されている奈良女子大学の「メール・マガジン」も創刊号から編集し、私も創刊号からの読者の一人だ。

元々は理学部の出身で、会社の研究所にいたのだが、多分、久米学長の時代に「引き抜かれて」大学全体のために働きだし、私も全学に関与していた時代だったので知り合ったのだ。当初から行動的で中々のアイデア・ウーマンだと思っていたが、今日のテレビでは、奈良の色々な商品の包装紙などに「天平文様」をいろいろアレンジ・デザインして提供しているという。

そういえば、酒造業と奈良女で共同開発した日本酒「八重桜」の箱のデザインにも彼女が関わっていたと思う。最近、ならコープのPR紙を見たら、今度、奈良女子大学(食物栄養学科の学生たちが主役か)と共同開発した「ならコープオリジナル特選おせち」の重箱も藤野さんのデザインになるもののようだ。(一箱?頼もうかな!)

私達がやっている「けいはんな市民雑学大学」で、記念館を使った奈良女との共同企画の音楽講座や奈良女子大関係の先生が市民教授の時などには「メルマガ」で宣伝してもらっている。今後とも持てるアイデア活かし、「千代に」活躍して下さいね。

ガーナに行った思い出の反芻より

2011-08-08 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、テレビで「世界遺産一万年の叙事詩」の「大航海時代」を見た。

そこで、アフリカ・ガーナにある「大航海時代」のポルトガルの要塞などを見た。ポルトガルが何故ここに要塞をつくったかと言えば、近くで黄金が大量に産出したためだ。ために後にこの海岸を黄金海岸と呼ぶようになった。

実際に産出したのは、内陸部のクマ市周辺である。私は2000年7月24日から29日までの「国際家政学会19回大会」に参加するためガーナに行った。その際、時間をみて古い「都」のクマシにも行って、世界遺産の神殿などを見学した。

クマシは、古い部族アシャンティの本拠である。アシャンティは金鉱を押え、金をポルトガルに「売り」、代わりに銃を「買って」、それによって、ガーナの諸部族を押えたのである。今でもシャンティ族の祭祀が毎年行われている。

私も行ったことを記憶している神殿の石の壁には、当時の「絵文字」が書かれているが、「生れてから成長し老化しやがては死ぬ」という人生物語を記したものがあり、それは角々とした「二重らせん」で書かれているのに驚いた。DNAの形が15~16世紀頃にに既に分かっていたのだろうか。

大航海時代は、ポルトガル続いてスペインによって切り開かれた。東の地中海方面は、イタリア都市国家によって押えられ、その先にはオスマントルコがいたために、ポルトガルは南に、アフリカ沿いに進み、スペインは西の大西洋に乗り出したのだ。(その後オランダ、イギリス、フランスなどが乗りだし、ガーナはその後イギリス領になった)

こういう大航海時代は中国・明の永楽帝の時代にもあったようだ。日本の石見銀山(世界遺産)も「巻き込まれていた」ようだ。

もう一度ガーナのアクラ(首都)及びクマシに行ってみたいなあ。


奈良女大・生活環境学部「親和会」に行く

2011-07-20 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、昔いた奈良女子大・生活環境学部の懇親会である「親和会」に招かれて行った。

新大宮の「奈良ロイヤルホテル」である。40人ほど集まったが「名誉教授」は私だけだった。

そこで今岡春樹学部長(「アパレル」の先生)の挨拶の後、乾杯の音頭をとった。

「本日は、お招きいただき有難うございました。名誉教授の常連の先生などが来ておられないので私から。私は7年前63歳で奈良女を定年退職し、7年経ちましたの何歳になったか、皆さんおわかりですね。古希なのです。古希は「古来、希なり」と言われますが、今年は正に古来希な事件が起こっています。第一に東日本大震災であり第二に東電福島第一原発事故ですよね。

まあ、これは近代では明治維新、太平洋戦争敗戦に次ぐ第三の変革期に当たるのでは、という人もいますね。しっかり取り組んでいきたいものです。

もう一つ、古来希な良いことも起こりました。サッカーの「なでしこジャパン」が世界制覇したことです。女性は、やはり歴史的考えても強い、奈良女子大学、生活環境学部も女性を励ます取り組みをしていって欲しい、と思います。学部の発展と皆さんのご健康を祈念して乾杯!」

まあ、今岡さん始め多くの知り合いと交流したが、今年4月に赴任された4人の方々と交流したことも良かった。  奈良女子大生活環境学部は全学的改組をして前進するようだ。

行って良かった。

OMソーラーシステムの維持管理

2011-06-28 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私は現在の家に住みだして、ほぼ17年になる。阪神・淡路大震災の起こる2ヶ月ほど前に入居した。それ以来OMソーラーシステム(冬季・空気床暖房、夏季・温水取得)を「動かしてきた」。

現在は夏モード運転中である。ここに来て、吸入口ダンパー(調節弁)を動かす所で不具合が出て、「トン、トン」と跳ねる音が出だした。この調節弁が壊れると真夏に突然冬モードになって温風床暖房が効きだして「灼熱地獄」になりかねない。

このシステムを導入を仲介したY.さんにすぐ来てもらい、新部品を取り寄せ取り換えて貰った(約3万円)。また今まで2回、屋根の空気取り入れ太陽光で温める強化ガラスが一部分破損して取り換えた。これは、足場を組まねばならず結構の出費、保険かけていたので良かった。
まあ15年を過ぎた頃から急に維持管理費が増えたと言えよう。

このシステムの心臓部は屋根裏におかれているが、今回の「取り換え作業」で観察していると、下の台所にある作動コントロール盤との関係もあり沢山の配線網も絡んでいて複雑だ。

こんな家庭用機器でも回路が複雑で「何が何だか」良く分からない。

毎日毎日、何らか故障している東電福島原発は、さぞ複雑なシステムであるだろう。20年を過ぎた古いものから廃炉にしていったほうが安全で安心だろうな。

九州の女子大生が北海道で実体験

2011-01-27 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私が奈良女子大勤務時代に大学院生だった立松麻衣子さん(九州女子大学准教授)から大部の報告書『学生の総合的教育につなげる実体験プログラム―アウト キャンパス スタディin北海道2010』が送られてきた。今年で3年目で毎年送って貰っている。

北九州市にある九州女子大学家政学部の女子学生が9月の夏休み期間に10日間、「過疎地」の北海道厚沢部町(あっさむちょう)に行ってホームステイなどをしながら家政学を現場で学びながら、同時に過疎地の活性化についても考えるという試み、ほぼ同じ面積の北九州市、厚沢部町だが人口や産業構造は全然違い、気候風土も正反対ともいえるところも面白い。

今回は、小学生の子供たちと「ふれあいセンター」で1泊2日の合宿をしたことが新しい。

この企画は、大学と町が提携を結んで行っている。女子大生が主役で主体的に企画を立てている形だが、そこは立松さんなど家政学部の教員集団もしっかりバックアップしている様子が分かる。

取り組んだ立松さんの感想として「家政学って何でも出来るんですね」との感想手紙が添えてあった。その通り、と思う。『北海道新聞』も大々的に取り上げてくれたようだ。女子大生には極めてインパクトを与えた企画なのは明らかで、過去2年の「アウト キャンパス スタディin北海道」に参加した卒業生も社会へ出ての自信につながっているようだ。

しかし、これで北海道から九州まで女子大生が来るとは、いいにくい。でも家政学をこのように「座学、実験学」だけでなく「現場学」として位置付けるのはいいことだ、と思った。

奈良女時代同僚有志の「忘年会」(末広会)

2010-12-24 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
年に一回、年末に奈良女時代の同僚有志で忘年会をしている。今年は場所を奈良で探すことになり、私が担当した。1,2知り合いに聞いて、また実際に行ってみて、奈良町の「粟(あわ)」にした。2年ほど前に出来た店(伝統野菜と大和牛)で、以前も何かレストランだったようだが記憶がない。

奈良町の伝統町家を内部改装している。最初に予約した時には、席は、一番奥の蔵部を改装した2階となっていたが、今度の参加者には「高齢者」も多く、蔵のやや急な階段が「しんどい」と思ったので店長に頼んでツボ庭が見える和室に変えてもらった。

参加者は、去年の8人にたいして都合で2人欠席で6人、「末広会」になっていない。この「末広会」というグループ名は去年、京都の「魚三楼(うおさぶろう)」で行った時に私が提案して決めたのだが、皆忘れていて、誰も思い出さない。いやー「歳だな」と、思った。しかし去年の日記(ブログ)に書いておいてよかった。「会員」も「末広がり」(定年退職者が次々加わるはずだから)との意味づけもあったはずだが、努力せず?、去年と同じ会員数だ。

60歳台は私も含め3人、70歳代以上が3人だ。先輩3人が「上席」、我々60歳代3人が「下席」、先輩方には座イスをお願いした。まあ「末広会」には、八十歳代になっても益々元気に、という意味ももたせてある・・・。しかし、70歳代で一番若い先生と60歳代で一番若い先生が心筋梗塞の手術をしておられる。今はお二人とも元気だ。

現役時代、食物学科所属が3人、住居学科が2人、生活経営学科が1人である。いきおい、食い物のこととか、住居のこととか、家計のことなども話題となる。田沢湖にいて絶滅したと思われていた「国鱒」が西湖で見つかったというニュースについて水産学科出身の先生が「そんなに大きく扱うニュースとも思わないが、他のニュースから目をそらせるためか」などとうがった見方を提示された。また「今日は天皇誕生日だが、天皇が記者会見で、魚を正確に「うお」と言っておられるのには感心した」とも言われた。

確かに後で辞書をみると、魚類は魚と書いて「うお」と言うのが正しく、「さかな」は元々「酒菜」であって、肴と書く。まあ「うお」も「さかな」に多かったので魚(うお)も「さかな」と言うようになったのだろう。

絶滅と言えば、狼の絶滅が山中の鹿、猪などの異常な増加と関係がある、漢字圏では、狼は獣偏に「良」と書く、日本では「大神」である、と去年ぐらいからの私の認識を披露しておいた。

まあ、共通で健康の問題も話題となり、私は、最近、江戸時代の儒学者の貝原益軒の『養生訓』を松田道雄訳で読んでいることも披露しておいた。

料理は、大和野菜及び世界の伝統野菜がベースの「健康料理」で、それらは奈良市南部の「清澄(きよすみ)の里」でNPO及び提携農家で作られているようで、「粟」の本店は「清澄の里」にあるようだ。

そこは天理にも近く、紅葉や酒の発祥地としての正暦寺(しょうりゃくじ)にも近い。

まあ地産地消である。少量ずつ多くの野菜(大豆含む)料理を頂いた。大和牛のユッケ(生肉千切り)やタタキも頂いた。飲み物は生ビールに始まり、焼酎湯割り、日本酒と「ほろ酔い加減」(貝塚益軒推奨)で頂いた。デザート果物、コーヒーで仕上げである。

店をでて、未だ奈良町にある奈良女子大学のセミナーハウスを見たことがない先生が3人おられたのでぶらぶら見に行った。今日は祝日で鍵がかかっていた、裏に回って庭や縁側を見た。

帰りは、興福寺の五重塔を見ながら近鉄奈良駅方面へ、元興寺の極楽坊にも立ち寄った。これは、明日香の飛鳥寺の移築であり、屋根には一部日本最古の瓦がつかってある、と説明した。生活経営の先生が「農家住宅でも減価償却は最後に1割残るようにし、その1割は瓦代だ」、とのこと、「なーるほど」と思った。元々の飛鳥寺は蘇我氏の寺である。

だから、それを亡ぼした藤原氏の興福寺が北にそびえて五重塔が見え、さらに「上」のほうに聖武天皇建立発願の東大寺がある。一種の「階層構造」になっている、と訳ありに言ってみた。どうでしょうか。

来年は、「末広がり」になるように・・・。

去年の様子:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b1f5e91242b37332d1fbd52eb4203eb7

奈良のおん祭の雑踏と「ゆったり昼食」

2010-12-17 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、妻と連れだって奈良に行った。実は、大和野菜の昼食を食べに出かけたのだが、行くと丁度、「おん祭」の行列にぶつかった。三条通りを通るもので、おめあての「大和野菜レストラン」へはすっと行けなくて興福寺境内から祭りの行列を眺めた。

何度か「おん祭」を見に来た経験があるが、こういう場面は初めてだ。猿沢の池の周りも屋台がずらりと並び雑踏である。金曜の昼なのに小中生が一杯、「特別休み」なのかな。

で、13時半頃に雑踏を抜けて南下し、「旬彩 ひより」に行って「大和野菜料理」の昼食にありついた。場所は、中新屋町26の鶉屋(うずらや)倶楽部1階である。3年ほど前から営業しているらしいが、私達は初めてだ。

この店では、田原本の農家と提携して「大和野菜」中心のメニューだ。客では熟年の女性グループが多いかな。

うーん、レストランも健康志向なのだな、と納得、我々もこの店の売りの「大和野菜ランチ」を頂いた。天麩羅(牛蒡など)、和え物(九条ネギなど)、酢のもの(ほうれん草)、ふろふき大根、諸種菜のみそ汁、古代米+雑穀のご飯、香のものなどだ。一人1500円ほど、まあこんなものかな。

どうぞ、「旬彩 ひより」のホームページを検索下さい。「ひより」とは、マスターが最初にここに来た時に奥の一角に太陽光が射していたからだ、と言う。今日も「ひより」だった。