西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

春の気候

2014-03-23 | 時論、雑感
今朝、NHKTVで気象予報士の解説では、(1)平均風速13m/s以上の日が一番多い月は? 答え:3月、4月(9月は台風襲来で多いのでは、と思われるかもしれないが、台風のように秒速30㍍を越す風が吹く日は多いが、平均すると秒速13㍍を越える日は、3,4月より少ないようだ。  (2)風向は、3月は北北西よりが多いが4月は南よりが多い。3月は未だ寒い風、4月になって漸く暖かい風なのか。 (3)日中の最高温度、最低温度の差が一番大きいのが4月で温度差は8℃だ。花冷えあり、夜桜見物ではコートが必要。「こうと知ったら片付けるの一寸早い」

知っているようで、はっきりとは意識していなかった。

「ごちそうさん」の分析、評価ー山下和枝対西門め比子ー

2014-03-08 | 時論、雑感


朝ドラ「ごちそうさん」の今日の分を見て、シナリオライターの気持ちなどを分析、評価してみたい。

(1)(活男の戦死公報あり、に対して)め比子は一人で夕食食べつつ途中で中止し「本当に戦死したのか」を確かめに出かける。途中、崖から転げ落ちてしまう。そこで、め比子は、自分は活男のいる極楽に行けないと思う、ご飯を食べなくていい世界だからだ。め比子は(浄土の活男に対して)「あんたがこの世に戻ってきなさいよ!」と叫んでいる・・・。

 疎開先の義姉さん和枝の家では、お手伝いさんが「(め比子を)探したらどうか、どうなるか心配」と和枝に言っている。それに対して和枝は「この程度では私は死ななかったから(心配ない)」と言っている。(その通り!和枝も昔、最初の嫁ぎ先で子供を死なせて離縁されている!)

 次の朝、め比子は近所の人に連れられて戻ってくる。そこで、和枝はめ比子に任せてある畑に連れて行って土に押し倒して「この野菜が死んだのは、あんたが世話を怠って殺したのだ。分かっているのか」と詰問する。め比子は長男の出征、次男の戦死で動転して畠の世話を怠っていたのだ。(そこには、人間、野菜の違いがあるが、同じ生きているものとしての「思い」を和枝が言っている。)

それを効いため比子は、「ひょっとしたら私が活男を殺したかも・・・」とつぶやく。自分を相対化できた瞬間だった。

(2)「和枝からめ比子へ」・・・「子を亡くしたら一、二日泣き明かしてもどうにもならない。十年、二十年経っても癒えるものではない。一生かかる場合もある。」→これは、時期も時期、東日本大震災で津波などで子供を亡くした人たちへのメッセージ、と思う。

「め比子から和枝に、会話・・・「義姉さん、一緒にご飯食べてください!」(め比子は子ども時代からづっとあたたかい家庭で食事しているので、一人で食べるのは耐えられない。

それに対して和枝は「あなたは一人で食べなさい。(私も今一人で食べている。)あなたは体も心も強い人です。あなたは送る人です。色々な人を次々と送って最後は一人になる人です。今からそれに慣れたらいいのですよ。」→高齢社会へのメッセージ/「高齢者はいづれにしろ最後は一人になるのだ。

今日は玉音放送あり、戦争は終わった。め以子は、実った茄子を握って「終わったのだ」と言っている。(ほっとしている。)畑の世話は、その後きちんとやって猪を撃退し、ニンジンなどは無事出来ている。戦後編はどうなるのかな。

こういう分析、評価どうでしょうか。

『これで古典がよくわかる』(橋本 治著、ちくま文庫)を読む

2014-03-06 | 金沢の思い出
金沢の高校時代(金大付高)、国語の古文で源氏物語、枕草子(以上、平安時代)、徒然草(鎌倉時代?)などをならったが、それらの古典を体系的に位置付けて習ったわけではない。で、最近になって日本の古典(文学)を歴史的、体系的に捉えてみたい、との要求がふつふつとして起こってきた。

そういう場合、最も参考になると思われる文献に当たる、というのも一つの方法だと思う。そこで、『これで古典がよくわかる』(橋本 治著、ちくま文庫)を読んでみることにした。まあ完全に読破し消化したとの自覚があるわけでもないが、歴史的、体系的な理解の見通しを持った。

歴史的にいうと、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』は、日本にまだ日本語をみづから表記する文字がなかったので、中国から入ってきた漢字を借用した。そのうち漢文を日本語的に読み下し文にするために読む順(返り点など)や漢字に付随するカタカナがつくられ、平安時代にいたって「万葉仮名」としてひらがなもつくられた。

しかし、『源氏物語』や『枕草子』は、女性が使うひらがなのみによって書かれている。男性は、漢文、漢字カタカナ混じり文のみだったが、女性と思いを交流するためには、女性が使うひらがなを使わざるをえず、和歌を作って女性に送ったのだ。ために徐々に男性もひらがなに慣れ漢字ひらがな混じり文も書くようになってきたのだ。まず「漢字カタカナ混じり文」として長明の『方丈記』そして「漢字ひらがな交じり文」として『徒然草』があらわれたのだ。


で、現在、我々は「漢字ひらがな、カタカナ、アルファベット混じり文」に到達しているのだ。

『懐風藻』『竹取物語』、『今昔物語』等の位置づけもしておくべき、と思う。


注:橋本さんは、7歳ほど年下、東大文学部卒、1968年(昭和43年)、学園闘争全盛期の東大駒場祭で、「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」というポスターを制作、マスコミに注目された。僕は、豊田高専に勤めていた。

「ごちそうさん」悠太郎の満州配属?に当たって・・・

2014-03-01 | 時論、雑感
朝ドラ「ごちそうさん」は、この3月で「終わり」である。主人公の「め以子」の旦那・悠太郎は、防火演習の「不手際」から大阪市役所を「首」となり、満州の関東軍の軍属に配属されることになり出発する。

これを見ていて、僕の親父やお袋も満州に行き、向こうで妹が生まれ、終戦間際に戻ってきたことを思い出した。親父は関東軍の主計将校、もう親父もお袋も亡くなっている。事情で、親父やお袋に満州生活や本土帰還の詳しいことを聞けず、妹も1943年(昭和18年)生まれで(僕は1941年生まれで)、自分達の当時の記憶はほとんどない。戦後に両親に時に聞いた断片が記憶に残っているにすぎない。

現在の日本人でも親戚を辿ると戦争中や戦後も満州にいた人も多いのではないか。悠太郎や一家が「どう終戦を迎え、どう戦後を過ごすのか」日本の歴史的なこととの関連で知りたいものだ。