朝ドラ「ごちそうさん」の今日の分を見て、シナリオライターの気持ちなどを分析、評価してみたい。
(1)(活男の戦死公報あり、に対して)め比子は一人で夕食食べつつ途中で中止し「本当に戦死したのか」を確かめに出かける。途中、崖から転げ落ちてしまう。そこで、め比子は、自分は活男のいる極楽に行けないと思う、ご飯を食べなくていい世界だからだ。め比子は(浄土の活男に対して)「あんたがこの世に戻ってきなさいよ!」と叫んでいる・・・。
疎開先の義姉さん和枝の家では、お手伝いさんが「(め比子を)探したらどうか、どうなるか心配」と和枝に言っている。それに対して和枝は「この程度では私は死ななかったから(心配ない)」と言っている。(その通り!和枝も昔、最初の嫁ぎ先で子供を死なせて離縁されている!)
次の朝、め比子は近所の人に連れられて戻ってくる。そこで、和枝はめ比子に任せてある畑に連れて行って土に押し倒して「この野菜が死んだのは、あんたが世話を怠って殺したのだ。分かっているのか」と詰問する。め比子は長男の出征、次男の戦死で動転して畠の世話を怠っていたのだ。(そこには、人間、野菜の違いがあるが、同じ生きているものとしての「思い」を和枝が言っている。)
それを効いため比子は、「ひょっとしたら私が活男を殺したかも・・・」とつぶやく。自分を相対化できた瞬間だった。
(2)「和枝からめ比子へ」・・・「子を亡くしたら一、二日泣き明かしてもどうにもならない。十年、二十年経っても癒えるものではない。一生かかる場合もある。」→これは、時期も時期、東日本大震災で津波などで子供を亡くした人たちへのメッセージ、と思う。
「め比子から和枝に、会話・・・「義姉さん、一緒にご飯食べてください!」(め比子は子ども時代からづっとあたたかい家庭で食事しているので、一人で食べるのは耐えられない。
それに対して和枝は「あなたは一人で食べなさい。(私も今一人で食べている。)あなたは体も心も強い人です。あなたは送る人です。色々な人を次々と送って最後は一人になる人です。今からそれに慣れたらいいのですよ。」→高齢社会へのメッセージ/「高齢者はいづれにしろ最後は一人になるのだ。
今日は玉音放送あり、戦争は終わった。め以子は、実った茄子を握って「終わったのだ」と言っている。(ほっとしている。)畑の世話は、その後きちんとやって猪を撃退し、ニンジンなどは無事出来ている。戦後編はどうなるのかな。
こういう分析、評価どうでしょうか。