西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

各種学会の継続と退会

2012-04-20 | 文化論、科学・技術論
7年前、奈良女子大学を63歳で定年退職するとき、基本的に「職場人間」から「地域人間」に転換するのだ、という認識だった。

だから職場をベースとした各種学会は、整理すべしと思った。

ところがずるずる今日まで来てしまった。

で、意を決して各種学会の整理に入った。

・「建築学会」の論文会員はやめて『建築雑誌』だけ講読することにする、手続き出来るかな。

・「環境教育学会」は、今年度は退会、会費8千円が「浮く」。

・「日本家政学会」は、私が70歳(古稀)になって「功労賞」を貰うことになり(5月12日に大阪市大での大会にて)、『家政学会誌』は、「ただ」で購読できることになった。ここでも年会費8千円が浮く。

・他にも徐々に整理していく積りだ。

・で、「職場人間」から「地域人間」に転換したのだから、地域のボランティア活動(「けいはんな市民雑学大学」「地域SNSけいはんな」など)に、それらの「浮いた」お金を回したら、と今考えているところだ。

単なる縮小退会ではなく「退会転換」を図りたい。

書籍の分類:経史子集の四部

2011-12-19 | 文化論、科学・技術論
『史記を語る』(宮崎市定著、岩波文庫)を読んでいたら、

中国では伝統的に、あらゆる書籍を分類して経史子集の四部に纏める方法が行われる。経は儒教の経書、史は『史記』を初めとする史籍、子は諸子百家の書、集は文学を主とする文集であって、経書を経典たらしめた編者は言うまでもなく孔子であり、史学の創始者は明らかに司馬遷であるが、子部、集部は集合名詞であって、創立者を持たない。こうした点から見ると、学問の上から言って、司馬遷は孔子と肩を並べる地位に立つものと言うことができる。」という文言にぶつかった。

さもありなん。

で、昨日、日本最古の書籍ともいうべき『古事記』について誰が何のために書いたか、ということがシンポジュウムで問題になっていた。これは古代の「憲法」をめざしたもの、という意見があった。まあ史書にとどまらない、という認識である。

日本の古代史書では、この『古事記』のほか『日本書紀』がある。『万葉集』や『懐風藻』は、古代の集であるだろう。

では、日本古代の経書はあるのだろうか。『古事記』自体に、大陸から『論語』などが持ち込まれた記事が見えるが、それが中国と同じように日本の経書にならなかったとしたらどうしてだろうか。その代わり持ち込まれた仏典が経書の役割を果たしたのだろうか。

それと、もう一つ日本古代の「子」(諸子百家の説)は何なのか、はっきりしない。

日本古代では、中国古代のように「がっちり」した論理体系を持てなかった(なぜか)、あるいは持たなくてもやっていけた(なぜか)ということが言えるかもしれない。

分析的科学から総合的学問へ

2011-11-16 | 文化論、科学・技術論
最近、健康問題に関心の一つがあり、地域SNSけいはんなの日記で、安保 徹さん(新潟大教授、東北大医学部出身、1947年生まれ)が最近『学士会会報』に書かれた「エネルギー生成系で知る病気の成り立ち」を詳しく紹介したのだが、まあ、そこでは西洋医学の問題も浮き彫りになっている。

西洋医学は、他の西洋科学と同じく分析的である。そのため、それらの分析的追求の網の目にかからないニッチな(隙間にある)知見は「飛ばされる」おそれがある。

私は、分析的(西洋)科学は、科学として尊重すると共に、そこに留まらないで総合的な(東洋的とも言うべき)学問が見直され威力を発揮する時代になりつつあるのではないか、と思っている。

医学だけでなく、農学、林学、建築学などもそうではなかろうか。

一寸オーバーかな。

「現在の奈良と平城宮・京跡」(舘野和己さん講演)

2011-01-29 | 文化論、科学・技術論
昨日、奈良女子大学でJSA奈良の研究会があり、古代史専攻の舘野和己さん(奈良女子大教授)の表記の講演を聞いた。昨年は、平城遷都1300年祭りに全国から予想の250万人を超える380万人も訪れたとのことだ。私も、平城宮跡、復原・大極殿等に行ったが、京跡を色々歩いたかと言われると、殆ど歩いていない。

舘野さんのお話は色々興味あるところが多かったが、最後に「点としての史跡(平城宮跡、諸寺社)は知られても、面としての平城京への理解は?」と疑問を出されたところでは「そうだな、自分としては余り面という前に多様な線も行っていないな」と思った。

舘野さんの言われたヒントのいくつかをあげてみよう。
・朱雀門から東に二条大路を往くと、東大寺西大門跡にぶつかる。途中、奈良女子大構内の南側を通るが、この道が、奈良時代、天皇や皇后が宮中から東大寺に参詣する主ルートであった。朱雀大路の約74メートル幅に次ぐ約38メートル幅の大路であった。(今は4メートルほどの狭い道)
現在、東大寺の正門は、南大門になっているが、往時は西大門が正門であった。

・薬師寺と大安寺は、共に国が建てた寺で、南門は共に六条大路に面している。・・・

舘野さんは、現在の道路わきの主な所に「平城京○○大路に当たる」という表示と「平城京地図」を啓示したら、という提案をされたが大賛成である。

私は、一寸「外京(げきょう)」のことについて質問してみたが、先の線、面理解に関して、元興寺、興福寺、東大寺の配置について「思い」を述べてみた。出来た順は、以上の順で、元興寺は元々は南の飛鳥寺を移築したもので、日本最古の屋根瓦が現在ものっている。この寺は、蘇我氏の氏寺だった。その蘇我氏を亡ぼしたのが藤原氏(鎌足)であり、その氏寺が興福寺である。さらに奈良時代になって、聖武天皇、光明皇后によって外京の外の高台に興福寺を見下ろすように建てられたのが東大寺である。
元興寺は、その後、境内を切り売りして現在「奈良町」と言われている地域に成り、僅かに「極楽坊」しか現存していない。豪族の盛衰、天皇と豪族との関係等が都における位置取りに「反映」しているのかな。

まあ、これらについては色々の考え方があるようだ。

終わって、年一回の懇親会に6人で行った。ここでは、邪馬台国に関する話題などあれこれ古代史談義になり楽しかった。私は、読みたての『古事記』の話もしてみた。来年は古事記1300年となる。

利己主義と利他主義(鷲田清一さん小文より)

2011-01-17 | 文化論、科学・技術論
町の図書館に先週金曜日に行って新聞、雑誌を少し見た。で、『科学』(岩波)という月刊誌を見て、気にとまった文章があったのでノートした。昨日のブログに太平洋戦争に至る日本陸軍の暴走についてのテレビ番組を見て、感想、小考察を載せた。

今日は、それにも関連し、金曜日にノートした巻頭エッセイの「「他人」の位置」という鷲田清一さん(阪大総長、哲学)の文章の中から一部引用してみたい。

「…ひとの存在が社会的なもの、つまり相互依存的(inter-dependent)なものであるかぎり、利己と利他はいずれも貫きとおすことの不可能な主義である。いずれも自身の死へつながるからである。
 わたしたちの生存は、だれも独りでは生きられないという、そういう峻厳な条件の下にある。そう、わたしたちの存在はつねに相互依存的なものである。
育児から食事、労働、教育、介護、看取りまで、それらをひとはつねにだれかに頼り、頼られつつ営んできたのであって、独立(in-dependent)して生きうる者などいない。そのように考えるなら、「自立」とは、独立のことではなく、いざというときにインターディペンデンスの仕組みにいつでも頼れる準備ができているという状態を意味することになる。利己か利他かの二者択一を迫るのは、さして身のある議論とは思われない。」

つまり、普通は利己と利他は混じっていて、どういう条件でどちらに傾くか、であろう。しかし、絶えず条件依存的ではなく、各人でその持っている色合いはあるであろう。まあ利己が利他よりも多いのが普通である。
そして、利他は個人に依存するのではなくシステム(仕組み)が必要なのである。


干支(えと)の話ー自前で計算ー

2011-01-11 | 文化論、科学・技術論
昔、大学で講義していた時、干支の話となり、「十干十二支」を説明した。一つの「教養」である。

十二支は「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い」と毎年、年賀状に描いたり貰ったりするので、大抵知っている。

ところが、その元々の漢字となると、皆きちんと書ける学生は少なかった。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」である。音では「シ、チュウ、イン、ボウ、シン、シ、ゴ、ビ、シン、ユウ、ジュツ、ガイ」である。

で、十干の方は「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、申、壬、癸」であり、音では「コウ、オツ、ヘイ、テイ、ボ、キ、コウ、シン、ジン、キ」である。昔(戦前)は、学校の学業成績は、これらで付けたようだ。今の「オール5」と言うのは、昔は「全甲」であった。

それで、十干と十二支を順にペアで並べていくのが干支(えと)である。

最初が「甲子」で、まあ甲子園が出来た年が、「甲子」であった、と説明する。「甲子」の読み方は、音では「コウシ」で良いが、訓では「きのえね」と言う。「子」は「ね、うし、・・・」の「ね」であるが、「甲」は「きのえ」なのである。

十干を五つのグループに分けて、順に「木、火、土、金、水」とする。それで、それぞれを「兄と弟」に振り分け、「兄」が「え」であり、「弟」が「と」である。そうすると「甲」は「木のえ」であり、「乙」が「木のと」となる。

以下、「丙、丁」が「火(ひ)のえ、火のと」、「戊、己」が「土(つち)のえ、土のと」、「庚、申」が「金(か)のえ、金のと」、「壬、癸」が「水(みず)のえ、水のと」となる。

十干と十二支を、順にならべると、一回目で十二支の二つがはみ出す。で6回、十干を繰り返すと、十二支が5回割りつけられて、元に戻る。そこで、10×6(12×5)=60、60年で「還暦」となるのである。

今年は、2011年で「辛卯(シンボウ、かのとう)」の年である。「辛抱、辛抱」でもあるかも・・・。さて、歴史的に、乙巳の変(いっしのへん、昔の言い方は、大化の改新)、壬申の乱、戊辰戦争は西暦では何時だったでしょう、という問題が出たら、最近のそれらにあたる西暦を見つけて60の倍数で遡っていけば良い。

まあ、「大化の改新」が645年と覚えていたら、同じ7世紀の壬申の乱の西暦は、割り出しやすいかもしれないが、別の方法で割り出してみる。戊辰戦争は慶応4年・明治元年から2年と分かっているとすると、1868年が戊辰の年、明治2年が己巳、明治3年が庚午、明治4年が辛未、明治5年(1872年)が壬申なのである。これは、「壬申戸籍」が明治5年と知っていたからである。

すると、そこから1200年遡ると672年となり、どんぴしゃりなのである。

同様に遡っていくと甲子園は1924年(大正13年)に出来たことになる。

空気、水、食い物の科学的分析と技術的対応

2010-11-03 | 文化論、科学・技術論
空気の質の重要性について、過去ブログで触れた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/05225a4bef151243359c8a2169174b3b

空気に含まれる微量物質が完全に明らかにされているとは言いにくい。場所、場所によって空気の質が違うと感じるのだが、なにが違うのかを明らかにするのは、やはり科学的分析であるだろう。

水についても、そうであるが、例えば海、海水に含まれる多様の微量物質は未だ十分分かっていないし、それらを有効に回収する技術も確立していない部分が多いだろう。

食い物についても蛋白質、糖質、脂質、ヴィタミン、ミネラル、食物繊維などは、大体分かっているだろう。更に最近はポリフェノール等の物質も分かりつつあるだろう。しかし、例えば赤ワインに含まれる微量物質は未だ完全に明らかにされていないとのことだ。

食い物は、丸ごと食べるのが良い、とも言われるが、その根拠は何か、何かを例として明らかになったらいいな、と思っている。

日本では周りが海であるし、森林も多く「美味しい空気」も多い。海の幸、山の幸も多い。
これらを戦略的に腰を据えて長期にわたって研究することにしたら、日本民族にもプラスだし、世界にも根本から貢献するのではなかろうか。・・・

サンデル教授ディベート@東大第二回を見る

2010-10-10 | 文化論、科学・技術論
今夕、マイケル・サンデル教授(ハーバード大、政治哲学)の「正義」に関する東大生相手の議論の第2回を見た。(NHK教育テレビ、午後18時)言ってみれば、個人の道徳的責任つまり「道徳」そのものを考えて個人的にも責任を取るべきか(カントの考えと言う)、共通のコミュニティの善的伝統に基づく責任をとるべきか(アリストテレスの考えらしい)の議論である。

先ず、愛する家族の一員が殺人罪を犯したと知っている場合、捜査当局にその家族の犯罪を通知すべきか、家族の一員として守るべきか、という問題を出す。

そして段々国レベル、世界レベルの問題に展開していく。例えば、バングラディッシュで大災害が起きている、同時に国内でも同じような大災害が起きている。「あなたは、どちらを助けるべきか。」「まあ、国外を助けると言っても行くのさえ大変だから、お金があればお金で助ければ良い、国内は直接出かけて行って助ける諸種の行動をすれば良い。」「余裕のお金が100円しかなくとも50円、50円で助けたらよい。」

日本は1930年代40年代に戦争を始めたことに対し、現世代は謝るべきだろうか。・・・。

最後の質問。「オバマ大統領は、最初に核兵器を使った国として道義的責任がある、と言って世界的な核兵器廃絶に踏み出したが、原爆を最初に使った日本にたいして謝罪すべきだろうか、またオバマは、原爆投下時には未だ生れていない世代として、前の古い世代の責任を負うべきだろうか」

聞いていた私の「答え」:戦争を仕掛け、始めた日本は、その責任を負い被害を与えた国に対して謝罪すべきだし、戦争で受けた苦しみが癒されるまで後続の世代も責任を負い気遣うべきだろう。同時に、戦争を早く終わらせるという理由であるにせよ、化学兵器や核兵器を使うのは非人道的であり、使った相手国に対して後世代もきちんと謝罪すべきである。」

国やコミュニティは、「伝統」という「つながり」を持ち続いているからだ。

しかし、サンデル教授は、自分の結論は言わず、違う意見を闘わせるディベートこそ自らの考えを深め相互理解に資するとして締めくくっている。

前回について:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/fecfcead31f73c04e4409ad34e6aad5c




非受験科目の大切さー家庭科、体育、美術、音楽などー

2010-08-10 | 文化論、科学・技術論
高校や大学への「受験科目」は、一般に国語(日本語)、数学、理科(物理、化学、生物、地学等)、社会(日本史、世界史、地理、公民等)、英語(外国語)となっている。

最近読んだ雑誌『U7』(8月号)で、東大副学長の小島憲道さん(京大理学部卒、京大助手、助教授から東大教授、現・副学長)が「恩師を語る」で、鳥取大学付属中学の前田祐一先生(東大理Ⅰから航空工学、健康を害して文系にかわり、社会科教諭)の言葉を紹介している。

「君達がこれから高校に進学すると、数学、英語などの主要科目が重要視され、音楽や美術などの科目が軽視されがちになると思うが、社会に出た時、芸術の素養と感性が最も重要となる。どうかそのような感性を持って欲しい。そうでなければ、いくら勉強が出来ても私は君達を軽蔑する。」と。

私は、美術や音楽だけでなく、体育や家庭科も大切と思う。体がしっかりして健康でなければ何事も「しっかりやろう」との気分も起こらないし、基本的生活力の理解と涵養ー家庭科の目標ーがないと、生活の豊かさ目標も掴めないのではないか。

以上の受験科目、非受験科目にストレートに対応するのは、やや難しいが、
食育→体育→徳育→知育という順で教育が積み上がっているという観点に立つと、全体を関連付けて重みも付けて展開する要があろう。

加山雄三、千住真理子さんの話聞く

2010-07-18 | 文化論、科学・技術論
昨日、今日とラジオで加山雄三さん(俳優・歌手、73歳)と千住真理子さん(ヴァイオリニスト、48歳)の話を別々に聞いた。二人ともたまたま慶応大学の出身、色々、多面的な人生を生きている。

まあ普通「順風満帆」で来たと思うかもしれないが、色々と苦労していると分かった。そういう悩み、苦労を乗り越えるのが人生だな、とゆっくり噛みしめた。

科学者会議奈良支部の会に出る

2010-06-19 | 文化論、科学・技術論
自然科学、社会科学、人文科学を国民本位に総合的に発展させようという「日本科学者会議奈良支部」の会に久し振りに出た。

大学を辞めてから少し経つが、最近の機関誌『日本の科学者』を読むと、国立大学法人の様子なども批判的に紹介していて「そうなんだ」と思ったりする。

学長を決める方法は、国立大学の時には「有権者」(これには各大学で広い狭いがある)の何段階かの投票によっていた。

ところが6年前の「法人化」から学長選考会議(外部からの理事等を加える)で決めることになってきたようだ。それも、前段で学内各層の投票を全くやらないところ(東北大学等)、投票の結果をほぼ反映するところ(東大、京大、阪大、名大など)、投票の結果を「参考にする」ところ(多くの大学)の三つの部類に分かれるようだ。

この真ん中の大学は、まずまず民主的と言えるだろう。最も民主的なのは名大のようで、教員だけでなく職員、学生等にまで投票権があるようだ。

この中で「参考にする」中で、結果として「全く考慮しない」のと同じことになった大学も幾つか出てきたようだ。参考投票で60パーセント獲得した候補者が落選し、20パーセントで学長に選ばれた大学もあったようで、訴訟も起こっているようだ。


で、昨日の「奈良支部」の会は総会で、前段で講演があった。3月に奈良女子大学を定年退職された磯田則夫先生(同名誉教授)の「温熱環境の話」だった。長年の研究のエッセンスだった。私の家のOMソーラーハウスも調査対象の一つになっている。

結局、暑くなる時は、我慢できるところまで我慢し、自然風、扇風機で過ごし、どうしても35℃を越えるくらいで「ピークカット」のためクーラーを少し入れる。寒くなるときも同じ、少しの寒さは被服でしのぐ。暖房は床暖房が良いとのことだ。夏は暑く冬は寒いのが自然で、「年中一定の温度・湿度が良い」等というのはおかしいとのことだ。当然だろうな、と思う。

終わって、近くのレストランで飲食しつつ懇親会、磯田先生を含め8人の参加、専攻も色々違うので「学際的お喋り」が楽しい。今度、定年で民間企業(家電メーカー)の研究部門を辞められた方も「さあ、やりたいことが出来るぞ」と張り切っておられた。私は最近の「世界史」のお勉強の話をした。アンコールワットの保存に関与しておられる上野邦一さんがアンコールワットに行き来しておられる期間に、皆で行こうじゃないか、という楽しげな話もあった。

日々の読書、学習と「知の動的平衡(=市民雑学)」

2010-02-11 | 文化論、科学・技術論
昨日、「けいはんな市民雑学大学」の運営委員会があり、当面8月頃までの月一回の講座の目途をつけた。決まったら又お知らせしたい。同時に6月頃までに「市民雑学大学」二周年記念フォーラムの企画案を決めることになった。まあ12月頃に実際に出来れば良いな、と思っている。

で、帰宅途上、帰宅後、つらつらと「(けいはんな)市民雑学とはなにか?」と考えてみた。

人間は、日々新たな情報にさらされている。それらが受動的なものであれ主体的なものであれそうである。読書等によるものは主体的情報である。それらの情報は、知の栄養分であるが、大人の場合は、過去の既に「出来上がっている」個々人の「知の体系」を直撃する。それで、その新たな情報が、その知の体系のそれぞれの部分に矛盾なく収まれば、現存の知の体系を強化することで終わる。

ところが、現存の知の体系に大きく矛盾したり、個々の部分でも違和感のある場合には、それらに馴染ませるために「知の体系」を変化・発展させなければならないのである。

これは、知の動的平衡、または知の「ホメオスタシス」と言ってよい。

「市民雑学」とは、それぞれの地域において、市民として人間として成長するための、「市民知の動的平衡」と言ってよいだろう。どうでしょうか。

ラジオ深夜便・心の時代で「親日国トルコの素顔」聞く

2010-01-21 | 文化論、科学・技術論
今朝、ラジオ深夜便で親日国トルコの素顔(一橋大学大学院教授 内藤正典)を聞いた。知らなかったいくつかのことがわかった。

・トルコでは今年は「日本年」であるようだ。1890年、今から120年前に親善のため日本にやってきたトルコ(トルコ帝国)の軍艦(エルトゥールル号)が帰国途上、紀伊半島沖で遭難、串本の漁民が数十人助けたようで、それから勘定して「日ト友好120年」なのだと言う。最近、イラク・イラン紛争のとき、イランのテヘランに取り残された日本人をトルコ政府が飛行機を飛ばして救出したのだと言う。(多くの日本人は忘れている。昔、日本人に助けられたのを「思い出してくれた」のだ。)

・1920年代、第一次世界大戦後に苦労して共和国になり、トルコはアジアの西端であるとともにヨーロッパの東端、イスタンブールは、その象徴的都市、現在、そのボスボラス海峡の地下鉄を日本企業が工事しているようだ。その上の橋の工事にも過去日本企業が参加している。

・トルコは、1920年代以降ヨーロッパに「入ろうと」努力、だからNATOに加盟している。そこで、現在、アフガニスタンに治安維持部隊を派遣している。アメリカやNATO部隊で唯一戦死者を出していないのがトルコ軍という。同じイスラム教徒ということもベースにあるが、「テロリスト」をかくまっていないかと民家に踏み込む場合、事前に女性の部屋から女性を退去させてから点検するそうだ。アメリカ軍は、土足でドヤドヤ踏み込むようで、反感を買っているようだ。(アメリカ軍は、昔、日本を攻撃するとき研究を重ね『菊と刀』(ルース・ベネディクト)のような認識を持っていたが、アフガンでは研究不足なのかな。)

・その他、パトロールの時は、戦車から機関銃を構えてはいけない、サングラスをかけてはいけない、という軍紀も民衆を安心させているようだ。

・内藤さんによると、イスラム教は元々平和主義で「アメリカに追い詰められてやむを得ず防衛しているのだ」との認識だ。

・トルコでは、殆ど日本のような「自殺」という現象はないようだ。「何故、日本は自殺者が多いのか」と聞かれるようだが、トルコ人には理解できないようだ。イスラム教では、不幸なことは、自分の責任ではなく「神様の思し召し」となるらしく、ストレスを感じなくてよい「構造」になっているという。

・イスラム教徒を「無理に戦闘的に仕立てているのは」、言ってみればキリスト教徒のせいではないか、とのことだ。現在、イスラム教徒だけが世界的に信者を増やしているようだが、それは、平和的でおだやかな教えのためではないか、と内藤さんは言っていた。

まあ、一寸、見方を変える必要があるかもしれない、と思った。持続的に研究していこう。

(この番組とは別のことだが、トルコ帝国がロシア帝国の南下政策に「おそれ」を抱いていた時、日露戦争で日本が勝利したため、トルコは喜んでイスタンブールに(東郷平八郎連合艦隊司令長官に因んで)トウゴウ通りをつくった・・・、と聞いたことがある。) 

『99.9%は仮説』(竹内薫著)より

2010-01-12 | 文化論、科学・技術論
一寸前に買ってあった『99.9%は仮説』(竹内薫著、光文社新書)を読んだ。

るる書くのは止めて、ひとつだけ「へー」と思ったことを書く。

それは、「医学界の負の遺産、ロボトミー」の項だ(100頁~110頁位)。エガス・モニス(1874~1955)というポルトガルの医者が、1949年度のノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)

ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。現代、脳の前頭葉の働きは大分分かってきていて、こういうブログをさっさと書けるのも前頭葉の働きのおかげだと思う。

ところが、こともあろうにモニスは、1935年11月に人間に対して、このロボトミー手術を始めた。そもそものきっかけは、1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトンという人が「チンパンジーに対してロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」という報告を行ったのだが、それをたまたま聞いていたモニスがロボトミー手術を精神病患者に応用することを思いつき、すぐさま自分の患者に対し手術をしたのである。

竹内さんは、「これは、現代から考えると、まったくありえないことです」と言っている。私も5年ほど前まで大学の「研究調査倫理委員会」のような所の仕事もしていたので、こういう権的な試みは現代なら絶対許されないと思う。

当時は(まあ75年前ですが・・・)医学にとって人間は「実験動物」と同じだったんだな、と認識を新たにした。(現代では、本当はどうなのだろうか?)

何故、モニスがすぐにロボトミー手術を行ったかというと、「当時は、たとえば統合失調症や躁うつ病のような精神病に対して、効果的な治療法がなかったから」という。

で、現代から見ると「脳の司令塔」を切除する訳だから、暴れなくなるのは当然なわけです。そのかわり副作用として「腑ぬけのようになる」ことや亡くなった人も多かったようだ。(1948年の記録など)

1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。「結果的には、ロボトミー手術というのはとりかえしのつかない治療法だったということになります。世論が180度変わってしまったわけです」と竹内さんは言っている。

はたして、こういう「犯罪的」とも言えることに対するノーベル賞は取り消されたのだろうか。一寸、分野は違うが、沖縄核持ち込みの密約をした佐藤栄作元首相のノーベル平和賞もどうなるのだろうか。ノーベル賞も絶対視してはいけない。特に科学は、反証できるのだから全て(99.9%)仮説と考えた方が良い、というのが竹内さんの本の趣旨である。

そういう意味で、竹内さんも言っているが、科学哲学や失敗の歴史も含めて科学史の研究や教育が大切と思った。


国民読書年

2010-01-11 | 文化論、科学・技術論
最近、ブログを書く頻度が落ちている。まあ、毎日覗いてくれている人には、「新鮮味」が落ちるかもしれないが、過去に4千件ほどのものがあるので、「逍遥」して頂くと有難い。

で、ブログ書く頻度が落ちたのは他にすることがあるからだ。その一つに読書がある。過去を振り返って一番読書をしたのは学生時代から30歳代位までではないか。

50歳代、60歳代と何かと「忙しかった」せいもあり、十分に出来なかった。ここにきて、言ってみれば「職場人間」から「地域(居住地)人間」に転換したので、読みたくて買って「積んどく」してあったものを紐解きたい。また、興味ある古典や新刊なども小遣い消費の根幹として買って読みたい。図書館も利用したい。

読書をすると、当然、考えることになる。これは、本を買うようにお金が要るわけではなく、正に「無料(無量)」の楽しみなのだ。ああでもない、こうでもない、自分だったらこう考えるがなあ・・・、時間がすぐ経っていく。

今年は、「国民読書年」のようだ。読んで、考え、出来れば書いていきたいが、どうもブログは延々と書くのには適さないのでは・・・、と思っている。

最近、「ツイッター」という「つぶやき書きネット」も紹介されたが、時間利用の上から、当分は使わないだろうと思う。