一方で「紅白歌合戦」をやっているが、ラジオでチェリストの平井丈一朗さんの話を聞いた。平井さんは1957年に名チェリストで名指揮者のパブロ・カザルスのいるプエルトリコに行き、カザルスに師事、カザルスから「後継者」と言われるまでになった。パブロ・カザルスはスペインのカタロニア地方の出身、チェロ演奏において革命を起こしたと言われる。それまではバイオリンに比べて演奏法が確立していなかったのを確立させ、独奏演奏会も可能にした。偉大な音楽家だ。カタロニアを侵略したフランコ政権に対して反対して平和運動も行い、フランコ政権支持の国には演奏に行かない、と徹底していて、ために日本にはずっと来なかったが、平井丈一朗さんの日本でのデビューのため指揮者として1回だけ来日した。平井さんはカザルスの遺志を受け継いで平和のための音楽活動をしていきたい、と言われる。それとカザルスから平井さんは、分業による演奏家等ではなく総体としての音楽家というのを受け継ごうとしているところが素晴らしい、と思った。子息(秀明)も音楽家である。1970年東京生まれ。幼少よりチェロを父平井丈一朗に、作曲を祖父平井康三郎から学ぶと言う。(写真は、指揮するパブロ・カザルス)
(An die Freude)
Freude,Schoner Gotterfunken Tochter aus Elysium Wir betreten feuertrunken,Himmlische, dein Heiligtum!Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt;Alle Menschen werden Bruder, Wo dein sanfter Flugel weilt.
やはり年末はベートーベン第九の「歓喜の歌」であろう。シラーの詩になる。
「紅白」は視聴率50%回復を目指しているが、どうなりますか。私は、アシュケナージの指揮、NHK交響楽団の演奏、二期会の合唱を聴いた。(写真は、佐倉市民による第九合唱)
Freude,Schoner Gotterfunken Tochter aus Elysium Wir betreten feuertrunken,Himmlische, dein Heiligtum!Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt;Alle Menschen werden Bruder, Wo dein sanfter Flugel weilt.
やはり年末はベートーベン第九の「歓喜の歌」であろう。シラーの詩になる。
「紅白」は視聴率50%回復を目指しているが、どうなりますか。私は、アシュケナージの指揮、NHK交響楽団の演奏、二期会の合唱を聴いた。(写真は、佐倉市民による第九合唱)
今日は大晦日、大掃除日である。私は、毎年、各種雑誌を3年分だけ保存と基本を決めており、古くなったものは、捨てることにしている。今日は、その入れ替え日だ。去年やっていなかった雑誌もあって2年分のもある。ストックは、1階前室か地下室に置く。地下室はSハイムのユニット型で約3畳ある。17年前からの日記や手帳、写真アルバムなど自分史の記録に関するものも地下室に整理してある。海外出張の記録もある。今日、地下室で作業していたら「バタン!」と蓋が閉まってしまい、閉まるとランプが消えるシステムなので真っ暗だ。内側から開かない構造になっている。大声で叫んで、「救出」してもらったが、一人の時にこういうことが起こると困る。命が縮む思いだった。「欠陥商品」ではないか、と思った。
4月以降の講演について思い出してみた。
・5月7日「一住一切、二住二彩、そして・・・」(奈良女子大退職記念講演、奈良ロイヤルホテル)
・7月23日「小宇宙としての住居」(平安女学院大学オープンキャンパス、レジュメあり)
・10月8日「これからの郊外戸建住宅地」(「人と住まいと社会を考える」研究会講演、積水ハウス総合住宅研究所)
・10月22日「ロンドンの住まいと生活の豊さ」(平安女学院アグネス講座)
・11月3日「リフォーム、樹木、曲面取り入れの時代」(「新建・奈良」、奈良女子大学)
・12月10日「東アジアの中の日本住居」(武庫川女子大関西文化研究センターフォーラム、武庫川女子大学術交流研究館)
他に、高校等への出前講演2回(福知山、大津)あり。それぞれ前後にブログで書いているので、興味ある人は見てください。
現在、来年3月の出身高校(金大付属高校)での講演の準備をしている。
・5月7日「一住一切、二住二彩、そして・・・」(奈良女子大退職記念講演、奈良ロイヤルホテル)
・7月23日「小宇宙としての住居」(平安女学院大学オープンキャンパス、レジュメあり)
・10月8日「これからの郊外戸建住宅地」(「人と住まいと社会を考える」研究会講演、積水ハウス総合住宅研究所)
・10月22日「ロンドンの住まいと生活の豊さ」(平安女学院アグネス講座)
・11月3日「リフォーム、樹木、曲面取り入れの時代」(「新建・奈良」、奈良女子大学)
・12月10日「東アジアの中の日本住居」(武庫川女子大関西文化研究センターフォーラム、武庫川女子大学術交流研究館)
他に、高校等への出前講演2回(福知山、大津)あり。それぞれ前後にブログで書いているので、興味ある人は見てください。
現在、来年3月の出身高校(金大付属高校)での講演の準備をしている。
1968年の始めにチェコスロバキアではアレクサンデル・ドゥプチェクが共産党第一書記になり、「人間の顔をした社会主義」いわゆる「プラハの春」が始まった。危機感を抱いたソ連は、結局8月にワルシャワ条約機構軍を派遣し介入、潰した。その時にプラハの町中に鳴り響いていたと言われるのが、スメタナ作曲の「わが祖国」の中の「モルダウ」(ドイツ語、現地語ではヴルタヴァ)である。
私は、当時、結婚したばかりで豊田にいた。ラジオで、このことを知り曲も聞いた。以来、「モルダウ」を聞くと、1968年の「プラハの春」を思い出す。(写真は、ヴルタヴァ川とプラハ城)
私は、当時、結婚したばかりで豊田にいた。ラジオで、このことを知り曲も聞いた。以来、「モルダウ」を聞くと、1968年の「プラハの春」を思い出す。(写真は、ヴルタヴァ川とプラハ城)
ベートーベンのエグモント序曲は好きな曲の一つだ。これを聞くと気持ちが高揚する。それは、1960年6月15日のことだった。当日は、日米安保条約が自然成立する日だった。国会前ではフランスデモが行われ(ブログ11月11日参照)、樺美智子さん(東大学生)が亡くなった。私は、当日、京大宇治寮でNHKラジオを聞いていた。何故か安保の放送の合間にベートーベンのエグモント序曲が流れたのだ。気分が高揚したことを覚えている。
後年、1966年に豊田高専に就職した時、事務の課長の平野常一さん(名古屋大学卒業、1960年当時、名大職員)との会話で、彼も1960年6月15日に名古屋でデモに参加し、帰宅してこのエグモント序曲を聞いたと言う。一寸気持ちが落ち込む時、又聞いてみたい曲の一つだ。(写真は、山形フィルのエグモント序曲演奏)
後年、1966年に豊田高専に就職した時、事務の課長の平野常一さん(名古屋大学卒業、1960年当時、名大職員)との会話で、彼も1960年6月15日に名古屋でデモに参加し、帰宅してこのエグモント序曲を聞いたと言う。一寸気持ちが落ち込む時、又聞いてみたい曲の一つだ。(写真は、山形フィルのエグモント序曲演奏)
今日、NHK衛星テレビで「ハンガリー動乱」をやっていた。ソヴィエト体制(鉄のカーテン)を揺るがす大事件だった。インターネットによる検索から概要を述べると「ハンガリーでも、1956年10月23日に、首都ブダペストで、学生・労働者による反政府反ソ暴動が起こった(ハンガリー反ソ暴動、ハンガリー暴動、ハンガリー動乱)。 この日、ナジ=イムレの首相復帰・言論と集会の自由などを要求する学生・労働者のデモは反ソ暴動に発展し、各地に波及した。スターリン派のゲレ第一書記は、非スターリン派のナジ=イムレを首相に復帰させるとともに、デモを鎮圧するためにソ連軍の出動を求めた。 翌24日、ナジ=イムレ(1895~1958、任1953~55、56)が首相に就任したが、ソ連軍が出動し、市街戦が展開され、多くの死傷者が出た。 ナジは事態の収拾に努め、自由化を約束し、ソ連軍と交渉してソ連軍をブダペスト郊外に撤退させた。さらに自由化を求める急進派の声に押されて、ソ連軍の即時撤退を要求してソ連と交渉したが、交渉は決裂した。交渉が決裂すると、ナジは11月1日にワルシャワ条約機構からの脱退と中立を宣言した。 これを見たソ連軍は再び介入にふみきった。11月1日、ソ連軍は戦車を引き返してブダペストに向かい、11月4日、ブダペストに対する総攻撃を開始した。 同日、ナジ政権の閣僚全員が逮捕され、カダル(1912~89、任1956~88)を首相とする新政権が成立した。ブダペスト市民はソ連軍に激しく抵抗し、市街戦を展開したが、多くの死傷者を出して鎮圧された。そしてナジは、1958年に処刑された。 ハンガリー反ソ暴動は、共産圏からの離脱は絶対に許さない、離脱しようとするものに対しては武力による厳しい制裁も辞さないというソ連の大国主義が、スターリン批判後も変わらないことを示した出来事で、世界中に大きな衝撃を与えた。」
私の金沢市立野田中学3年生の頃の出来事で、ソ連への反感とともに、何故西欧社会が救いの手を差し伸べないのか、と強く感じたことを思い出した。(写真は、ハンガリー動乱の一場面、ソ連戦車に登るブタペスト市民)
私の金沢市立野田中学3年生の頃の出来事で、ソ連への反感とともに、何故西欧社会が救いの手を差し伸べないのか、と強く感じたことを思い出した。(写真は、ハンガリー動乱の一場面、ソ連戦車に登るブタペスト市民)
今日は、窓ガラスのガラス拭き、天井、壁、電灯の笠のすす払い、トイレの排気ファンの掃除をした。トイレの排気ファンの掃除は、中のモーターまでやったのは、1994年以来11年ぶりではなかろうか。さすがに煤がファンにも内壁にもこびりついていた。ウェット・ティッシュウだけでは取りきれず、使い古しの歯ブラシを使って狭い空間の煤を落とした。使い古しの歯ブラシを使うことは家内に教えてもらった。さすが、「ベテラン」である。家内は、浴室のブラインドの掃除、窓のカーテン洗濯、網戸洗濯、大洗濯等をやっていた。とにかく娘と孫二人が来るまでには、やりきらねばならない。外壁の高い所のすす払いをしていて少しよろけた。歳を考えてやらないといけない年代となった。(図は、京都町家のすす払い)
『図書』1月号(2006年)で筑紫哲也さんの「長寿と「人間の豊かさ」」を読んだ。その中に「人間開発指数」というのがあり、通称「人間の豊かさ」指数というようだ。「人間開発指数は、一人当たりの国内総生産(GDP)、平均寿命、識字率と就学率に基づいて各国の豊かさを測る指標」と言う。国連開発計画(UNDP)が1990年に発表し始め、今年で16年目となる。日本は最初の2年が1位、じりじり下がって2000年から2004年まで9位、今年ついにベストテンから脱落11位となったと言う。ジェンダー・エンパワーメント指数が極端に低く調査国・地域177のうち43位、「生涯学習」も先進国で低位などが順位を下げる要因のようだ。しかし、平均寿命は依然男女とも1位である。しかし、である。内橋克人さんを引いて「日本人は10人に4人は長生きしたいと思わない」とのことだ。また「10人に8人は歳をとることに不安を感じている」とも言う。・・・
この話を家内にしていたら「そうなら今の上位の国は何処?」と聞かれた。インターネットで調べたら、1(1)ノルウェー 、2(7)アイスランド 、3(3)オーストラリア 、4(15)ルクセンブルク 、5(4)カナダ 、6(2)スウェーデン 、7(11)スイス 、8(10)アイルランド 、9(6)ベルギー 、 10(8)米国 、 11(9)日本 (注)カッコ内は昨年の順位、となっている。今年行ったノルウエーが1位というのは「そうだな」と思わせた。また、高齢者になりつつある者の一人として、将来に色々不安はあるな、と思わざるをえないところだ。
この話を家内にしていたら「そうなら今の上位の国は何処?」と聞かれた。インターネットで調べたら、1(1)ノルウェー 、2(7)アイスランド 、3(3)オーストラリア 、4(15)ルクセンブルク 、5(4)カナダ 、6(2)スウェーデン 、7(11)スイス 、8(10)アイルランド 、9(6)ベルギー 、 10(8)米国 、 11(9)日本 (注)カッコ内は昨年の順位、となっている。今年行ったノルウエーが1位というのは「そうだな」と思わせた。また、高齢者になりつつある者の一人として、将来に色々不安はあるな、と思わざるをえないところだ。
表題は、今日の『毎日新聞』見出しである。韓国・ソウル大学の黄教授と同じく東大教授も論文データを再現できず「捏造」と考えられている。記事では実名も挙がっていて工学研究科の多比良和誠(たいらかずなり)教授らのグループが問題になっているのだ。教授は、たんぱく質合成にかかわるRNA(リボ核酸)研究の第一人者とされるが、当の「日本RNA学会」から問題提起されたのだ。新年10日が再現データー提出期限だが、今の時点で提出はまず無理で、処分内容を検討せざるをえない、と新聞は報じている。
一応は日本のアカデミー最高峰とみられる東大でもこうなら、推して知るべし、次々と出てくることも予想される。まあ「予想(よそう)」を逆に読んで「うそよ!」であって欲しいものだ。このような問題はこの辺で「よそうよ!」である。(写真は、東大安田講堂)
一応は日本のアカデミー最高峰とみられる東大でもこうなら、推して知るべし、次々と出てくることも予想される。まあ「予想(よそう)」を逆に読んで「うそよ!」であって欲しいものだ。このような問題はこの辺で「よそうよ!」である。(写真は、東大安田講堂)
テレビ朝日系で毎週日曜の夜、NHKでは「大河ドラマ」の時間にやっている「大改造!!劇的ビフォーアフター」は、住宅リフォーム時代を反映して大人気だ。それはそれで良い。私は何だか変だな、と思っていたが、室崎生子さん(平安女学院大学教授、奈良女子大・住居学科卒)と駄弁っていて彼女の発言を聞いて「そうだな」と納得がいった。室崎さんが言うには「匠(建築士)の創造的取り組みは、それで良いのだが、プロセス途中に当の住民が全然出てこないのはおかしい」とのこと、確かにそうだな、と思った。世は住民参加時代である。住民が良きにつけ悪しきにつけプロセス全体に参加してこそ、住んで長続きするだろう。住民が全過程に参加していない現在の「大改造!!劇的ビフォーアフター」ならどうなるか。現実を調査してみたい気がする今日この頃である。ビフォーアフターと言っていて中間のミドルが入っていないので止むを得ないかもしれないが・・。
12月25日の夜に起きた最上川鉄橋付近におけるJR東日本の羽越線特急「いなほ14号」の脱線事故から4日が経った。鉄橋では、横風が強くなるのは当然のことだ。昔、山陰線の餘部鉄橋(あまるべてっきょう)でも横風による脱線事故があり多くの人が亡くなった。ために橋は鉄橋から鉄筋コンクリート橋になるようだ。
これでJR西日本も東日本も今年、大事故を起こしたことになる。やはり国鉄がJRに民営化されてから「サービス」も確かに良くなった替わりに「安全性」に問題が出てきた。今後、注視していきたい。
これでJR西日本も東日本も今年、大事故を起こしたことになる。やはり国鉄がJRに民営化されてから「サービス」も確かに良くなった替わりに「安全性」に問題が出てきた。今後、注視していきたい。
1982年の大晦日はロンドンにいた。手持ち無沙汰でBBCのテレビをみていた。番組は「Across the years」というもので、BIG BEN なども写していた。Across the yearsとは、両年を横切って、といった直訳も出来るが、日本流には「行く年、来る年」であろう。一寸気が早いが、ビッグ・ベンが深夜の12時を打つと新年1983年で、その日は、トラファルガー広場など大騒ぎになった。その時だけ、だれかれなく抱きついてキスをしても良いことになっているためだ。私は後から知って文字通り「後の祭り」だった。1984年までいたのなら試してみるのだったが、残念、というところであった。(写真は、ビッグ・ベン)
Be the Best for the Fans!は、Never Never Never Surrender!の後の阪神タイガースの来年度の標語である。イチローのようにFansに感動を与えるプレーを一丸となって常に心掛けて欲しい。ある推計では阪神タイガースのファン数はジャイアンツのファン数を僅かに抜いて12球団一位になったとのことである。「へ~」と思った。
来年度が楽しみだ。(写真は岡田監督と女性ファン)
来年度が楽しみだ。(写真は岡田監督と女性ファン)
・初夕陽 朱雀門朱(あか)く 輝けり(05.01.02.)
・粉雪に 山の胡麻塩 頭かな(05.01.08)
・伊吹山 凛々として 雪に立つ(同上)
・(川柳)もったいない 駅弁ふたの 飯を喰い(同上)
・(短歌)瞬点の 我が宇宙を 想うとき 頭心の 広々とする(05.01.12)
・花に寄る 我は虫達の 子孫なり(05.01.17)
・定年や 晦日(みそか)明ければ 最年少(05.03.31)
・忙しく あいさつ回り した後で ふと淋しさの 襲いくるなり
・ガランとす 教授室に 吾おりて 三十一年 想う定年日
・思いがけず 教授室にて 花束を 貰いてジーンとす この定年日
・パソコンで 最後のメイル 確めて ランのコード 抜く17時(以上05.03.31)
・名庭(めいてい)に 酩酊(めいてい)したり 花の宴(05.04.10)
(小川治兵衛作の名園「洛翆」に招かれて)
・月輪(がちりん)を拝みし後や藤の花
(宇治平等院に月輪、蓮台を拝観に行きし時)
(芭蕉の「くたびれて宿かる頃や藤の花」を踏まえる)
・藤つつじバトンタッチで咲き誇り(以上2句05.05.01)
・隠居まだ 花の迎える 山路かな(高槻の山路にある平安女学院大学に再就職しての気分かな)(桑原学子さんに「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」という芭蕉の句をひねった「隠居はまだ 花のもてなす 山路かな」を貰って推敲)(05.05.09)
・北山に 過ぎたるは及ばざるが如しと 杉育つ
・杉山の 緑を背にし 茅の屋根
・前景に レンゲ花咲く 茅屋根里
・芦生来て 緑の空気 押し分けり
・ブナの木や 由良をつなぎて 若狭鯖
・病(やまい)の気 芦生緑で 元(もと)の気へ
・藤から藤 平等院藤 美山藤(以上7句05.05.14,15)
以下、京都皐月 四十五年目 同期会(2005年5月22日)
仁和寺にて
・わいわいと 御室会館 集いけり 昔悪がき 今日も元気ぞ
・金沢から 東京辺から 京都へと 昔紅顔 今熟成顔
・仁和寺の 法師の読経 堂に満つ ありがたきかな 同期会の朝
嵐電(らんでん)に乗りて
・ちんちんと 嵐電に乗り ほっとする 帷子ノ辻(かたびたのつじ) 嵐山へと
天龍寺にて
・法堂(はっとう)で 天龍を見て ハッとする 何処から見ても 我を見ている
東本願寺渉成園にて熊谷宗恵氏の法話を聞く
・仁和寺から 天龍寺を経て 本願寺 南無阿弥陀仏 人生の旅
(10月23日 柿のわいん をタゴール農場で試飲して)
宇宙と交信するという話から・柿わいん飲めば宇宙に舞い上がる
いやタゴールだから・柿わいん飲めば世界を駆け巡る
短歌で「啖呵」を切るとすると、・富有柿わいんを冬に飲み干せば心も富裕に温かくなる
・粉雪に 山の胡麻塩 頭かな(05.01.08)
・伊吹山 凛々として 雪に立つ(同上)
・(川柳)もったいない 駅弁ふたの 飯を喰い(同上)
・(短歌)瞬点の 我が宇宙を 想うとき 頭心の 広々とする(05.01.12)
・花に寄る 我は虫達の 子孫なり(05.01.17)
・定年や 晦日(みそか)明ければ 最年少(05.03.31)
・忙しく あいさつ回り した後で ふと淋しさの 襲いくるなり
・ガランとす 教授室に 吾おりて 三十一年 想う定年日
・思いがけず 教授室にて 花束を 貰いてジーンとす この定年日
・パソコンで 最後のメイル 確めて ランのコード 抜く17時(以上05.03.31)
・名庭(めいてい)に 酩酊(めいてい)したり 花の宴(05.04.10)
(小川治兵衛作の名園「洛翆」に招かれて)
・月輪(がちりん)を拝みし後や藤の花
(宇治平等院に月輪、蓮台を拝観に行きし時)
(芭蕉の「くたびれて宿かる頃や藤の花」を踏まえる)
・藤つつじバトンタッチで咲き誇り(以上2句05.05.01)
・隠居まだ 花の迎える 山路かな(高槻の山路にある平安女学院大学に再就職しての気分かな)(桑原学子さんに「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」という芭蕉の句をひねった「隠居はまだ 花のもてなす 山路かな」を貰って推敲)(05.05.09)
・北山に 過ぎたるは及ばざるが如しと 杉育つ
・杉山の 緑を背にし 茅の屋根
・前景に レンゲ花咲く 茅屋根里
・芦生来て 緑の空気 押し分けり
・ブナの木や 由良をつなぎて 若狭鯖
・病(やまい)の気 芦生緑で 元(もと)の気へ
・藤から藤 平等院藤 美山藤(以上7句05.05.14,15)
以下、京都皐月 四十五年目 同期会(2005年5月22日)
仁和寺にて
・わいわいと 御室会館 集いけり 昔悪がき 今日も元気ぞ
・金沢から 東京辺から 京都へと 昔紅顔 今熟成顔
・仁和寺の 法師の読経 堂に満つ ありがたきかな 同期会の朝
嵐電(らんでん)に乗りて
・ちんちんと 嵐電に乗り ほっとする 帷子ノ辻(かたびたのつじ) 嵐山へと
天龍寺にて
・法堂(はっとう)で 天龍を見て ハッとする 何処から見ても 我を見ている
東本願寺渉成園にて熊谷宗恵氏の法話を聞く
・仁和寺から 天龍寺を経て 本願寺 南無阿弥陀仏 人生の旅
(10月23日 柿のわいん をタゴール農場で試飲して)
宇宙と交信するという話から・柿わいん飲めば宇宙に舞い上がる
いやタゴールだから・柿わいん飲めば世界を駆け巡る
短歌で「啖呵」を切るとすると、・富有柿わいんを冬に飲み干せば心も富裕に温かくなる