西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

反安保闘争を再び、しかない!

2010-05-29 | 時論、雑感
昨日のブログで米軍の「普天間基地撤去」について書いたが、鳩山政権の辺野古移転ではどうしようもない、と断言できる。

こうなったら、論理的にも「無条件撤去」を米国につきつけるしかない。他に解決策があったら言ってほしい。それより、より本質的解決は「日米安保条約」廃棄をアメリカに通告して、米軍基地の撤去を迫ることだ。

私は、かって1960年に大学に入り、右も左も分からずに「反日米安保闘争」に参加した経験がある。10年後の1970年前より再び「反安保闘争」があり、それに参加した人もいるだろう。

若い時にそれらに参加し、その初志を貫いている人もいると思う。私も途中少し「日和(ひよ)った」かも知れないが、その後色々考えて、今は60歳も半ばを過ぎたが、はっきり日米安保条約を廃棄しないと、米軍基地撤去問題は解決しないと思うにいたった。

1960年、1970年の「反安保闘争」に参加した人も、そうでない人も、今の状況で「反日米安保」でいかないと普天間のみならず沖縄の基地負担も、他の本土の基地負担も解決しないと思うが、どうだろう。皆さん、もう一度「反安保闘争」をしていこうじゃないか。

普天間基地撤去問題、「予測」外れについて

2010-05-28 | 時論、雑感
本日、鳩山総理は、普天間基地撤去問題で「日米共同声明」を発表、その中では、選挙公約で「県外または国外」と「移設」を言っていたのに、結局、自公民政権と同じ辺野古周辺に移転、を声明した。全くがっかりである。

沖縄県民の大半、本土国民の過半も「がっかり」したと思う。社民党の福島党首は、これに反対、鳩山さんは福島さんを罷免した。

これまで、私はこのブログで色々論じ「予測」もしてきた。しかし、今日の「共同声明」で、はっきり「予測」が外れたと言ってよい。問題を色々分析・考察してきた立場から、何故「外れた」のか、冷静に考えてみたい。

このプロセスで、マスコミ等に現れる情報以外に裏で「隠れた大きな力」が働いていたのでは、と思う。例えば、米国の「某力」であり、国内でも前政権からの慣性が働いた上、国内「某力」も働いたと思う。

そういうところについて、仮説は持ちうるがリアルな情報は見えないので「予測」が外れたと考えている。

だが、今現れている情報だけから考えても2014年までに「移設」するのは、先ず無理であろう。では、政権のありかたも含めて今後どうなるか、よくよく考えてみるべきだろう。

奈良女大生活環境学部「親和会」に行く

2010-05-27 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日は、奈良女子大生活環境学部の「親和会」に行った。学部教員の懇親会だ。春(5月)と冬(12月)にあり、現役の先生方は「積み立て会費」制、我々「卒業生」(名誉教授)は「参加会費」制である。今、「我々」と言ったが、昨日は石川 実さんと私の二人だった。会場は、奈良市内の一寸した「料亭」であるが、立ち働いているのは全部「学生」、現役の先生方は、やりにくそう・・・。

石川さんは5歳年上、退職(当時は退官)して10年目、私は5年目である。年長の石川さんが乾杯の音頭をとられたが、近況も言われた。3年前、退官後7年にして単著(社会学あるいは社会心理学的著書、「嫉妬論」だったと思う。)を上梓され、今はホッとしているとのこと、いかにも晴れ晴れしていて喜ばしい。私としても自分の「残り時間」が気になり出している。

教務補佐、助教、准教授、教授(専任、特任)6人の自己紹介があった。今年の3月に退職の先生方は4人だったが、昨日は一人も来ておられないので少しさみしかった。退職1回目の「親和会」のみタダだったはずなのに・・・。いつも顔を出しておられた近藤公夫先生が見えないのもさみしい。8月の例の「卆後30周年同窓会」には見えるだろうか。石川さんはここにいる先生方の1/3位しか分からない、と言われたが私は半分位はなんとかわかる。

途中、指名されて私は近況を話した。
「退職すると、一緒に議論したり調査したり(あるいは実験したり)する院生、学生もいなくなり、装置もなくなる。あるのは、目と口と足と考える頭である。よく見、よく話し、よく歩き、よく考えることが日課である。特に考えることは無料(無量)の楽しみと思ってやっている。よく話し、よく歩くことは健康にも良いと思う。

まあ、職場人間から地域人間に「変身」したと思い、地域に馴染み地域をよくする諸活動にも参加している。特にボランティアでやっている「けいはんな市民雑学大学」は、はじめて2年以上25回ほど月一でボランティアで運営委員の一人で運営している。又、皆さんにも参加お願いしたいと思っている。他にも色々あるが今日はふれない。

家庭においては、基礎的生活力(炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合い)をつけるようやっている。炊事では朝食定番を担当している。(で、具体的説明に入る)他のことについても報告したいが今日はここまで。」

司会の今岡春樹教授に「今日は、西村先生は珍しく一つも駄洒落が入りませんでしたね」と言われた。隣で聞いておられた石川先生も「(僕は)夕食は良くつくりますよ」とのことで、調理論議も少しした。参加者の1/4以上は食物学関係の先生方だったので、後で回って色々話が出来てよかった。そこでは「駄洒落」も少し披露、初顔の先生方には「新鮮」のようだった。

日本史の時代区分は「関東史観」?

2010-05-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
我々が高校で習った日本史の時代区分は、先史時代(原始時代)、古代、中世、近世、近代、現代である。それらに含まれる「サブ時代」は大略以下の如し。
先史時代は、まあ考古学の時代である。縄文や弥生時代である。
古代は、耶馬台国、古墳時代から明日香、藤原京、奈良、平安時代。
中世は、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、(安土桃山時代)。
近世は、江戸時代。
近代は、明治から1945年まで。
現代は、戦後、現在まで。
(最近買った『山川の高校日本史』は、学界説に近づいているようで、中世は平安時代の院政のころから、近世は織田、豊臣あたりから始めている。鎌倉、江戸を始める前に畿内を助走として「入れて」妥協を図ったか。)

これに、異を唱えるのが、建築史家の井上章一(国際日本文化研究センター教授)さんである。
『日本に古代はあったのか』である。

彼の紹介では、同じ京大学統の東洋史の宮崎市定、内藤湖南(東洋史学初代教授)の東洋史(宮崎市定さんは西洋史とも対照し)の古代は、周、秦から漢までとし、中世は3世紀に始るとした。隋唐は中世なのである。(その時、日本史は未だ「古代」)近世は、11世紀の宋からとしている。そして元、明、清である。(日本史の高校教科書では、未だ「古代」)近代は、中華民国。現代は、言っていないが現在の中華人民共和国であろう。

この宮崎市定流の分け方は、西洋史の分け方と良く似ているし時代的にもパラレル(並行的)のようだ。ローマ帝国時代まで古代、ゲルマンがローマを滅ぼしフランク王国などが出来たのが4世紀くらいか。ここから中世が始る。近世は、ルネッサンスの頃に始る。近代は、フランス革命前後に始まり帝国主義の時代まで。現代は、やはり第二次世界大戦後か。(ここいらは、私のやや勝手な面がある。)

結局、日本史の時代区分が、西洋史や東洋史(内藤湖南、宮崎市定)分類と異なっているのだ。(東大学統の東洋史では、隋等は「古代」になるようだ。日本史時代区分に引きづられているか。)

で、井上さんは、日本史では中世の始るとされる鎌倉時代(武士政権)、近世の始るとされる江戸時代、近代の始る明治時代は、すべて「関東政権」である、と言う。

まあ、軟弱な古代平安王朝政権を打ち倒したのが鎌倉(征夷大将軍)武士政権であり、王朝風に取り込まれた関白政権から安定した(征夷大将軍)武士政権を再興したのが江戸徳川政権であり、近代資本主義を開いたのが東京明治政権である、と。

つまり、「古代」のみ畿内に置き、以下何度か政権は畿内にくるが、決定的な変り目は関東であるぞ、と言っているのだ。(と井上さんは「発見」している。これらを理屈で言い立てたのは明治以降の東大学統の日本史研究者だ、と京都生まれ京都育ち京大(建築)卆京都勤めの井上さんは言う。面白い読み物だった。私もついつい「頑張れ」と言ってしまう。)

でも最近の日本史の学界では中世は平安時代の院政開始辺りに遡っているようだ。京大中世史研究グループが「勝利」したようだ。だが、高校教科書は、まだ鎌倉時代から中世を始めているのかな。(内藤湖南は、応仁の乱あたりで近世に入るとみているが・・・)

それにしても、と井上さんは嘆いている。関西生まれ育ちの国民的作家・司馬遼太郎も京大学統の『文明の生態史観』の梅棹忠夫も「鎌倉を持ち上げて」関東史観に毒されていると・・・。

さて、今日、平城遷都1300年の大和政権を国民はどう位置づけるのだろうか。
井上さんは日本にはイギリス、フランス、ドイツと同じく古代はなく中世から始るように、耶馬台国あたりから中世である、とのにわかには「そうだ」と言いにくい説を採っている。土地を分け与え働かせ管理させたことを広く「封建制」と捉えるためであるのか。奈良時代にも武士はいたし・・・。

駐日ドイツ大使の講演聞き意見言う

2010-05-25 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
昨日、奈良女子大記念講堂で駐日ドイツ大使・フォルカー・シュタンツエルさんの「ドイツと日本ー副題あり?-」という講演を聞いた。日独交流150年記念で、日独協会奈良支部と奈良女子大学の共催で行われたものだ。約30分のスピーチ、30分の質疑応答があった。

マイクの拾う音が小さすぎて全体が明快には聞き取れなかったが、日独交流は、この記念館の102年の歴史より長く、平城遷都1300年より短いみたいな当たり前のことを「枕」に150年前の日独交流が始ったころの双方での熱い思いも語られた。
最近のEUでの「ギリシャ問題」の苦しい実情や先頃の米国発の「リーマンショック」の影響なども言われた。今後も収拾策について互いに学びあっていこう、と。今後は特に「市民交流」が大事、ということでスピーチは締めくくられた。若いころ京大でも一時学ばれたようで、日本語でのスピーチだった。

しかし、質疑応答の大半は、通訳(奈良女の先生か)を通じてドイツ語で応対された。
学生が何人か、「私達は友好交流で何が出来るか」聞いていた。まあ実例として琉球大学や京都産業大学が「プロジェクト」を走らせているが、それらに学んで独自アイデアを出して欲しい、と言われた。当日、一緒に行った地域の知り合いのI.さんが「近所の小母さん」として質問、知り合いからの情報としてドイツでは幼稚園での経済負担軽減からも小学校の教育制度が「下」に一年下がるようだが、どうなんでしょう?と聞いていた。

また、学生が雇用問題について、日独型とアメリカ型は違うのでは、と聞いていたが、今やドイツも日本もアメリカ型に巻き込まれているのでは、とのことだ。女性が働くことについて、本当のところ、子どもを抱えて継続的に働きたいのかどうか、逆に聞いていた。

私は「近所の小父さん」の一人として、「EUの中で率先してギリシャを助けるのは偉い、国内で人気がないのに・・・」と先ず「評価」しつつ、その長期的意味として、「現在のヨーロッパ文明や(日本などアジアやアメリカなども含む)世界文明を生んだ元の一つギリシャ(ローマ帝国)を助けることは必要(世界文化遺産国家の保全、世界史や世界観光振興の上でも)、ドイツだけでは無理なので(EU全体のみならず)日本(やアメリカ)も出来る範囲で援助・サポートすべき・・・」と意見を言っておいた。

別の近所の小父さんが、ドイツ国旗の三色(上から黒、赤、黄)は、どういう意味か?私もフランスの三色旗のようには知らなかった。答え「ナポレオン侵略に対して抵抗した時の旗、黒は死、赤は血、黄色は勝利を意味する」(つまり、死を乗り越え血であがなって勝利を勝ち取ったのだ、との意)この旗は、ビスマルク時代、ヒットラー時代には使われなかったという。

もう少しマイクの性能が良かったらもっと良かったのに・・・。

私は、「オーバーな発言」をして、21世紀は正に緊密な世界史の時代だな、と思った。

懐かしい、昔の同僚にも何人か会えた。学生は、もう分からない。「浦島一朗」であった。

つい色々の造語言ってしまう、

2010-05-24 | 言語・字・言語遊戯
私には、そんなにスマートではないが、「造語癖」があって、「私の考え出した言葉」というカテゴリーをこのブログで設定している。今回は、あれこれ過去に思いついて言ったものを「反芻」しつつ言ったので、「言語・字・言語遊戯」のカテゴリーにしておく。

昨日の日曜日、近所の友人の家で「医食コラボ研究会」があって、初めて参加してみた。今回はお医者さんは欠席だったが、食関係のプロが一人、健康関係が二人、住居関係が私をいれて二人、会社経営者が一人、近所のご夫婦が一組だった。

村上和雄さん(筑波大名誉教授、栄養化学?)の加わった鼎談を素材にして話をする。医療のことと食い物の関連性が話題になったので、家に戻って3冊ほど読んだ(読んでいる)ものを持って来た。こういう時は近くは便利だ。

『非常識の医学』『免疫革命』(以上、安保 徹さん(新潟大教授、医学)が共著、単著)『少食は世界を救う』で「これは、本の二三冊ですが・・・」と紹介したら、思わず「笑い」をとってしまった。「怪我の功名」である。私が「後笑い」したので、皆は気づいたかもしれない。

・基礎的生活力・・・炊事、洗濯、掃除、介護・育児、お洒落、買い物、近所づきあい、を誰もが付けていく重要性、必要性(特に男性が高齢単身になった時)

関連で・職場人間から地域人間に切り替えよう

関連で・地域祖父母と地域孫(地域っ子)、(地域父母)の交流を

・体に入れるものの重要性の順位・・・綺麗な空気、還元水、健康食べもの

・「水を食べよう」・・・綺麗な還元水は果物や野菜より「食べよう」

・グループ「家基都(かきつ)」の旗のまとめ形(○□△)の提案
前に別の友人から建仁寺の庭に禅寺らしく「不立文字(ふりゅうもんじ)」として、その「図形?」が書いてあった、と聞いたことがある。
私は、世の中の自然の形は、動物にしろ植物にしろ海、山、川にしろ皆、曲面で「ぐにゃぐにゃ」に出来ているが、人間は形の秩序を、○、□、△でつけてきたのではないか。旗もそれでまとめたら「全体」を表すことにならないか・・・。

今日、勉強になったことの一つ(Yさん発言)・・・「汗は、良いものも悪いものも全て出す(やや大小便と違い排出機構の「進化」が遅れたため)」、だから体に良くない微量物質も汗で排出してくれる。汗をかくことは大切、とのことだ。
発汗機構を勉強しよう、運動や入浴で汗をかくのは大事であろう。

『広辞苑』散歩

2010-05-21 | 地域居住学
一つの言葉の意味を求めて『広辞苑』を引いたら、次々と「芋づる式」に引く羽目になり、それが「高じて」時間貧乏になっている。

井上ひさしさんのエッセイを読んでいて「後架に立つ」という言葉にぶつかり、前後を読んでいくと意味は推測できるのだが、正確を期して『広辞苑』(第四版)を引いてみた。

後架(こうか) 禅寺で、僧堂の後ろにかけ渡して設けた洗面所。その側に便所があり、転じて便所の意になる。ごか。

昔、福井県の禅寺の永平寺に行った時、確かトイレは「東司」(とうす)と言っていたな、と思い出して、それを引く。

東司(とうす) 禅寺で、便所のこと。東浄(とうちん)。

そこで「東浄」(とうちん)にいたる。

東浄(とうちん) (トウジョウとも)東司(とうす)に同じ。⇔西浄(せいじん)

西浄(せいじん) (セイジョウ・セイチンとも)便所。禅宗で西序の人が用いるからいう。西司。⇔東浄(とうちん)

これで「ぐるり」と回ったわけだが、なお「追求」していく。

西序(せいじょ) 禅宗で、西班に属する役僧。仏殿・法堂において座位が西方にあるからいう。首座(しゅそ)・書記・知蔵などの頭首(ちょうしゅ)。→両序

西序のついでに東序(とうじょ) 禅宗で、役僧を両班に分けたうち、東班に属するもの。仏殿・法堂において座位が東方にあるからいう。都寺(つうす)・監寺(かんす)・副寺(ふうす)などの六知事。⇔西序。→両序

両序(りょうじょ)〔仏〕①禅寺で、諸事万般統制する職。学徳に長ずる頭首(ちょうしゅ)を西序、世法に通ずる知事を東序とし、その総称。両班ともいう。②禅堂の内陣の両側にある西序・東序の座席。

「知事」「両班」で、今まで知っている意味と違う禅宗独特の言い方があることが分かった。ついでに「りょうばん」ではなく韓国風の「やんばん」を引いてみる。

両班(ヤンバン) 高麗朝・李朝の朝鮮で、文官(東班)と武官(西班)の総称。のちに主として特権的な文官の身分と、それを輩出した支配層を指す。儒教倫理の実践を重んじ、独特な生活様式と気風を生んだ。

以上から、禅寺関係をまとめると、「役僧は両班に分かれるが、西班に属する学徳に長ずる僧を西序、東班に属する世法に通ずる僧を東序とし、内陣の座席は、それぞれ西、東と決まっていた。又、彼らがそれぞれ行く便所は、西序僧は西司または西浄、東序僧は東司または東浄と呼ばれる所だった。東西に関係なく僧堂の後ろに架け渡した便所は、後架と呼ばれた」となるだろう。

まあ「後架」一語で、これだけ『広辞苑』の”散歩”が出来たわけだ。ついでに禅宗寺のプランを次に復習しておこう、と思った。副産物として「ヤンバン両班」の意味もはっきり分かったことがある。



北朝鮮の魚雷で韓国哨戒艇沈没か?

2010-05-20 | 時論、雑感
本日の「マスコミ」夕刊は、3月に沈没し46人が亡くなった韓国の哨戒艇「天安」は、「北朝鮮の魚雷による水中爆発」によるもの、と国際軍民調査団は報告書で断定した、と報道した。

本当だろうか。ネット情報に次のようなものもある。
http://tanakanews.com/100507korea.htm

これによると、北朝鮮を監視していたアメリカの原子力潜水艦の魚雷による、のではないか、と指摘している。そしてその原子力潜水艦は、行方不明で、韓国の「天安」の魚雷により沈没しているのではないか、としている。ビックリである。

哨戒艇とは、敵の潜水艦を見張り、見つけるのも任務であり、当時、「天安」は不審な潜水艦を発見し、何ら「応答」がないので魚雷を発射したのでは、とのことだ。そして「相撃ち」となったのかもしれない。

何故、その時、「同盟関係」の米韓で、意思疎通を欠いたかは、上記ネット情報をみて欲しい。

今度の韓国の「発表」が本当としたら、韓国やアメリカはもっと激こうしていても良いのに、そうでもない。中国も疑問を呈している。ふと、昔、アメリカはベトナム沖で「トンキン湾事件」をデッチあげて「北爆」を始めたことを思い出した。

静かに成り行きを見て行こう。

漢字の造語能力(井上ひさし)について

2010-05-19 | 言語・字・言語遊戯
最近、亡くなった井上ひさしに凝っていて、まあ小説、エッセイ(随筆)、評論、劇作、紀行文など色々なジャンルについて徐々に読み進めている。

今日は、読み出した評論の『私家版 日本語文法』(新潮文庫)より「漢字の造語能力」の例について抜書きしておきたい。これは著書中の「漢字は疲れているか」というエッセイの中にある。

「明治維新の是非はともかく(私注:井上さんは、是非を問題意識に持っていることを示している)、あの疾風怒濤(私注:四字熟語の一つ)の時期、西洋の文物が洪水のように東海の孤島に押し寄せてきたが、それをどうにかしのぐことができたのはひとつはこの漢字の造語能力のおかげであった。あとからあとからと流れ込んでくる西洋文明を、明治の知識人たちが片っ端から漢字に「翻訳」してくれなかったら、わたしたちの曽祖父たちは横文字の海で溺死を強いられていたにちがいない。

坪内逍遥・・・「男性」「女性」「文化」「運命」
福沢諭吉・・・「自由」「演説」「鉄道」
加藤弘之・・・「・・・論」
福地桜痴・・・「主義」「社会」
西 周(にし・あまね)・・・「哲学」「文学」「心理学」「権利」「義務」
森 鴎外・・・「業績」

・・・たとえば「力」などは精力絶倫で、「学力」「金力」「精神力」「語学力」「読解力」「瞬発力」「原子力」「戦闘力」「攻撃力」・・・(私注:最近『・・・力』という本が氾濫している。)

「性」にもほとんど無限の可能性がある。「永続性」「具体性」「安全性」「妥当性」「客観性」・・・

「式」もやり手だ。「和式」「洋式」「水洗式」「汲取式」「本式」「略式」「神式」「仏式」「入学式」「成人式」「結婚式」「金婚式」「葬式」・・・

そのほか、「政界」「財界」「官界」「学界」「花柳界」「芸能界」「文学界」の「界」、
「死亡率」「離婚率」「失業率」「打率」「的中率」の「率」、
「悪化」「純化」「不良化」「機械化」「理論化」の「化」、
「悲観」「楽観」「主観」「客観」の「観」、
「参政権」「漁業権」「日照権」「嫌煙権」の「権」、
「論理的」「倫理的」「功利的」「合法的」の「的」など枚挙にいとまがない。・・・

「最年少」「最先端」「最敬礼」の「最」、
「超自然」「超能力」「超音速」の「超」、
「駄法螺」「駄洒落」「駄菓子」の「駄」、
「没交渉」「没個性」「没趣味」の「没」など接頭語的な造語能力をもつものもまたすこぶる多い。」(『同上書』103頁~104頁)

いやはや、井上さんは、大変な「引用能力」「参照能力」の持ち主だ。

「日本の漢字」は、いささかも疲れていないのである。

マスコミよりネット情報が面白い?!

2010-05-17 | 時論、雑感
最近、マスコミ(大新聞)の購読を止める人が多くなっているようだ。月4千円ほどは「高い」、特に年金生活者には・・・。しかし、理由はそれだけではない。

それは、「権力の見張り人」の筈が、「日々の流れに身を任せ」て、意図的に「マズゴミ」情報を垂れ流して世論操作をしているからだろう。例えば、野中広務さん(元官房長官)が、4月19日TBS報道番組「NEWS23X」で重大な証言を行ったことについて。―野中さんは、マスコミ界の大物にも首相官邸の「機密費」をばらまいていたことを暴露したのに当の「大マスコミ」はベタ報道のみで大々的に報道しない。これは、実際に大マスコミの主な人たちが「貰っていた」ことを認めているようなものだろう。今後そういう眼で彼らを見る、というか疑いを持ちつつ言動をチェックすべきであろう。

又最近号の『週刊ポスト』によると、10年ほど前に「竹下機関・三宝会」に大マスコミのベテラン記者10数人も組織されて政界中枢(自民党系)と大マスコミとの癒着構造が出来た。それが、今でも「生きていて」、反民主の「流れ」を形成しているようだ。

昨今の「世論調査」なるものも意図的に「世論誘導」しておいてやるから、最初から「傾向」は読めている。半年一寸で「支持率」が70%から20%まで落ちるとは普通考えられないのでは・・・。折角、「政権交代」したのだから半世紀以上の自民、自公政権の「垢」を落すには、前向きに3,4年は見守るのが普通だろう。

「世論誘導」で、無理に「イライラさせられている」のが実情だろう。ストレスは健康にも良くない。普天間基地撤去問題でも、大マスコミは、代替地が見つからないと結局は普天間が固定される、みたいな言い方をしているが、ネット情報で過去の国会論議を調べた人がいて、自民党の中曽根外相は、「普天間基地の代替地は法的には求められていない」と発言しているのだ。外務省も分かっているのに、それを言わない。
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-868.html

正に政治的な誘導作戦で、大マスコミも分かっていてもそれを言わない。あるいは、調べるのを怠っているかもしれない。もしそうなら、マスコミの「学習能力」も衰えたものだ。

もし、中曽根さんの言うことが本当なら、交渉次第で、普天間基地は無条件に戻ってくる可能性があるのだ。

小沢問題でも(小沢さんは全く「白」と言えるかは問題として)、大マスコミは検察リーク情報を流しまくって「起訴」雰囲気を作ったが、「不起訴」になっても報道姿勢を点検しようとしていない。

昨日も「テレビ朝日」系で、元検察庁の大阪特捜部公安部長の三井 環さんが改めて暴露していたが、検察庁は組織ぐるみで飲み食い用などの「裏金つくり」をしていて、これは税金の「私物化、私的利用」で、明らかに犯罪、犯罪を摘発すべき検察庁が犯罪を犯していて、何が「正義の味方」なものか。
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/

このように、政府(民主党については、今はペンディング)、検察、大マスコミの癒着構造がある、という目でもってマスコミを見る要がある。

大マスコミを生き残りがあるから、「新聞部門」が癒着していても、「テレビ部門」や「週刊誌部門」で一定、国民、市民目線で事件を取り上げることもあるが、それも限度ものだろう。そういう構えで大マスコミを監視していきたいものだ。心なしか、部数が減るのがいやだから「声」欄には、まともな「声」を載せている傾向だが・・・。

それよりネットのブログやツイッターが面白いようだ。彼らの多くは、「マスコミ」を「マズゴミ」と濁音で読んでいるが「言いえて妙」である。これらを参考にすると、色々なことが見えてくる。

ロンドンでの動物(ペットなど)風景(2)

2010-05-16 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
1982年12月11日のロンドン滞在日記より(続き)


 糞というと犬より大きくて明らかに違うものもある。それは馬の糞である。僕の住んでいるBorough of Barnet(バーネット区)は北の郊外で、Open Spaceが豊富なので、馬の運動ををさせるところも多いのであろう。僕の家の近所に、ゴルフ場と墓場の間を抜けて林の小道があるのだが、この小道は馬の散歩道の一つにもなっているようである。
 狭い小道なので、こちらの散歩と向こうの馬での散歩とかち合うことがあるが、木の間に入ってよけてやると「Thank you!」と可愛い娘さんの声が返ってくることもある。時々、自動車に貼り付けているのと同じ「L」マークを乗馬服に貼り付けている人も見かける。(「L」マーク・・・Learning 修行中、初心者)

リス
 この小道の両側の林には、リスが住んでいる。散歩の途中、ガサガサいうので何かと思ったら小リスが木をのぼり木を飛び移っているのだった。色はうすい灰色をしている。僕はヘンドン図書館に通う時は、たいていこの道を通るのだがいつも、2、3匹のリスに出会う。
 中には全く逃げずにすぐそばの道ばたで木の実か何かを盛んにかじっている。食べるのに夢中で逃げ忘れたか、あるいは「また例の奴が通るぞ」と安心しているのかどうか分からない。逃げるといっても姿も見せずにいつの間にかというわけでもなくて、大抵は音のするほうを見ると、リスが木をよじ登っていたり木の蔭にかくれたりしているのがみえるのだから、「間が抜けている」といえるかもしれない。

小鳥
 ロンドンに初めて来た人がまず行くところは、「トラファルガー広場」かもしれない。ここからは、繁華街の方にも近いし、ビッグ・ベンのある国会の方にもバッキンガム宮殿の方にも近い。また、すぐ横にタダで入れる「ナショナル・ギャラリー」(国立美術館)がある。このネルソン提督の高い塔の下の広場は、また、鳩の群れが集るところである。観光客が、奈良の鹿に対するのと同じようにエサを買って与えるために、全く人怖じしない鳩の群れとなっている。足元まで来ても、意識的に蹴飛ばさない限り逃げないし逃げるといってもバタバタと2,3メートル飛び下がるだけである。手や肩、頭の上にさえ平気に止まってエサをねだっている。
 これほどでもないが、僕が「ハイ・ホルボーン」の公園で「take away(お持ち帰り)」のサンドイッチなどをベンチで食べていたら、やはり鳩とスズメがやってきた。鳩が人に近づくのは当然としてスズメがすぐ手の届くほどそばまで来て投げてやったパンくずを平気で食べているのには少し驚いた。
 イギリスの庭にやってくる小鳥(文字通りGarden birdsと言う)も、日本より種類が多いようだ。スズメや鳩のほかにblack bird(カラスにあらず)や私の知らないものも来る。イギリス人はバード・ウオッチング(小鳥観察)が好き、というのも多種多様なの小鳥がいるからだろう。ある日の朝、となりのモーア老夫妻の家と僕の家の境に立っている木にガーデン・バードが鈴なりになっているのを見つけて、フト餌でもやってみようか、という気になってパンくずをパラパラと庭先にまいてみた。しかし、一向に我が庭に降りてこず、となりの庭のほうばかりに降りてくる。おかしいなと思って2階の窓からとなりの庭を見下ろしてみてたまげてしまった。そこら中、2-3メートル四方一面に白くなるほどパンくずがまかれているのだ。他に止まり木付きのエサ箱も木に吊るしているのである。これでは、こちらに降りてこないはずである。
 次の日から捨てていたパンの耳を大切に大切にとっておいて、それを細かくちぎって隣りほどではないが、少し芝生が白くなるほどにまいてみた。案の定、降りてきた。小鳥にも習性がもちろんあって、見ていると面白い。勇気のある(?)一羽がまず近くに降りてきて様子をうかがい思い切って食べだすと、いっせいに木々や屋根や塀に止まっていた奴が降りてくる。窓のカーテンをめくったり、一寸物音をさせるといっせいに飛び立ってしまう。別の日に焼き飯の残りや白い飯の残りも置いてみたが、知らないうちになくなっていた。

 以上、猫、犬、馬、リス、小鳥について観察した二三のことを書いてきたが、総じて、こちらの小動物は(日本と経験的に比較して)人間により近い存在ではないかということである。イギリス人は動物好きの国民といえるだろう。(一応、終わり)

ジャック・アタリ氏インタビュー・ブログ再録

2010-05-15 | 時論、雑感
ロンドンの動物(ペット)事情(続き)は、又の日にして、今日は過去のブログで書いたジャック・アタリ氏の「21世紀の世界予測」を採録しておく。

何故か、昨日の私のブログ・アクセスでは、このブログ記事(ジャック・アタリ氏インタビューに対するもの)が、トップ記事に次いで2位だったからである。普通は、トップ頁から古い方に徐々に閲覧が減るのだが、時々昔の記事が多く読まれることがある。

で、最近見はじめの読者に、1年ほど前のこの記事を紹介したい。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/4c93bf775edffaf67f85d9d687f5c7db


複雑な世界の現状を読み解く参考になるだろう。

ロンドンでの動物(ペットなど)風景

2010-05-12 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
1988年2月10日以前の日記は、ノートにメモ風に書いている。本来の日記風かもしれない。今日は、ロンドンへ在外研究員で出かけていた1982年10月~1983年7月までの日記ノート4冊を書架に見つけた。読み出すと、これが自分で言うのも何だが面白いのである。

当時の光景がありありと目に浮かぶ。時々、日記の中に「覚え書き風」のエッセイのような文がある。これらは、まとめると面白いかもしれない。今日は、1982年12月11日(土)の日記に付随している「イギリス人と動物(ペット)」を表題のようにして紹介する。(若干、言葉遣いを変えている)

ローラ(猫)
 全体としてみると、イギリス人の方が日本人よりもより多くペットを飼っているといえよう。僕のとなりのモーア老夫妻も「ローラ」というメス猫を飼っている。近所に猫や犬を飼っている家が多い。庭によく近所の猫が入ってくる。少なくとも「ローラ」以外に三毛猫一匹、黒猫二匹をみかけた。そのうちの黒猫一匹が一回家に入ってきたことがあった。朝、台所のドアをあけてゴミを出していた妻が庭にいる黒猫をみつけて「Come on!」と呼んだところ、さっと逃げるのかと思いきや「庭石」を伝って台所口までやってきた。彼女がためしに「ニボシ」を二、三戸口においたらソロソロと近寄って臭いをかぎ、口にいれた。前にとなりの「ローラ」で試してみて失敗している妻は「アレ、この猫、ニボシ食べるよ」と叫んでいる。
 食堂にいた僕も台所口に立っていって見ると真っ黒な猫がノッソリと台所に入ってくるところだった。首輪をしているので当然どこかの飼い猫である。手を出してみたが別に逃げようともせず、かえってドンドン家の中に入ってくるという感じである。ノドをなでてやっても別にいやな顔もしていない。うれしい顔もしていない。ニボシをたべてから、ノソノソと食堂の方まで入ってくる。イスの足や洗濯物干しの足でさかんに背中をこする格好をしている。きっとかゆいのであろう。
 僕は、そんなに特に動物好きでもないのでやや離れて観察しているわけだが、妻のほうは動物が好きなものだから、ひょいと前足二つをつかんでイスの上にのせてやっている。別にいやがるわけでもなくなお背中をイスや妻の足にこすりつけている。
 食堂のドアは、その時すでに閉まっていたのだが、ややあってその黒猫はひょいとイスをおりてそのドアのところまでゆき、さかんに前足で開けようとしている。「ははーん、もう帰りたいのだな」と思って開けてやると、そんなに急ぐわけでもなく、またノソノソ台所の方にもどっていく。台所口まで行くかなと見ていると、途中で止まって、さかんに台所の中をかぎまわしている。
 妻は「ニボシの臭いがするからだわ」と言って又二、三与えている。背中をまるめてゆっくりとうまそうに食べている。恐らく、生まれてはじめての味ではないだろうか。食べ終わってもノッソリと僕らの顔を見上げているばかりで一向に出てゆこうともしない。
 僕は「もう出したら」といっていわば無理に戸外に押し出してドアを閉めた。ドアのガラス越しに見ていると、向こうでうずくまってこっちを見ているのである。ややあって、庭の木戸の下からとなりのほうに出ていった。
 このように、こちらの猫は、全然見ず知らずの人にも近寄ってくる場合が多いのである。


 猫がこうだから犬はなおさらである。朝夕、レセプション・ルームのカーテン越しに近所を散歩させている人を何人も見かける。それもほとんど鎖なしである。買い物に犬を連れてくる人も多い。特別に食物関係の店では「Sorry,no dogs allowance!」(すみませんが犬お断り!)と入り口に書いているが、他の店では中まで入ってくる場合もある。店の外で待たせている例もある。その場合も、おとなしく長時間でも待っている。地域の図書館の前でご主人が中で数時間も読書をしている間、外で待っている例も目撃した。
 地下鉄やバスににも犬は乗せてよいことになっている。盲導犬はタダだし、その他の犬は子ども料金である。地下鉄で真っ黒な犬(犬の種類も日本よりはるかに多くて、よく判別できない)をつれた婦人が僕のとなりに座ったことがあった。その犬は座ったその婦人に足をかけようとして、叱られて無理に足を床におろされている。やむなくそこいらを眺め回しているが、僕と眼があった。ヌーと僕のほうに首をつきだしてひざの上のカバンなどの臭いをかいでいるが、ただそれだけである。
 犬を自動車に乗せている人も多い。近所の家の外壁を塗りに来ていたペンキ屋の犬は、自動車の助手席で長時間、仕事が一段落するのを待っていた。公園に散歩に来ていた犬が帰りに自動車に乗せてもらって帰るのだが、ドアを主人が開けるとヒョイと飛び乗ってちゃっかり後ろの席に鎮座ましましている。盲導犬もよくみかける。
 犬の散歩は日常茶飯事で、鎖をつけていなくても噛み付くなどということはまずないのであるが、一つだけ「オヤッ」と思うことがある。それは、犬の糞を飼い主が始末しないことである。歩道によく「鎮座」しているのをみかける。が、いつの間にかなくなってはいる。その近くの人が処分したのか、市の清掃局の人が清掃したのかよくわからない。ロンドンでは並木も多く、落ち葉も多いのだが、その落ち葉は時々市の人が清掃しているのを見かけるので、その時、一緒に犬の糞も清掃するのかもしれない。(まあ、乾燥しているので、糞は日本ほど臭くはないのだが・・・)(続く)(馬、リス、小鳥編へ)

有料老人ホーム「アクティバ」の視察記録

2010-05-11 | 訪問場所・調査地
最近、過去日記をどうしようか、考えている。実はノートなどに摘要を大分前から書いているが、パソコン(前は「ワープロ」)で書き出したのは1988年(昭和63年)2月10日であり、22年前である。

で、その年の日記によると、2月21日(日)にアルパックの霜田 稔さんと滋賀県湖西の雄琴にあった有料老人ホーム『アクティバ』に見学に行った。同行したのは木下さん夫妻(元宇治市職員)、松井さん(元アルパック)の奥さんである。

(以下聞き取りより)この施設は老人医療に携わっていた医師・今井幸一さん(茨木市)が老人用居住施設をつくろうと6年前(=1982年)にプロジェクトチームを発足。ヨーロッパを調べたが日本とギャップが大きすぎ、アメリカの民間施設を参考とすることとなった。アメリカの施設はほとんど湖の傍に建っていた。湖の傍は気候温和、気分爽快ということで日本で数十ヶ所調べ最後に琵琶湖と浜名湖が残った。

結局、大阪、京都に近い琵琶湖となった。雄琴は、ある意味でイメージが悪いが長い目では「歴史的温泉地」となり大丈夫となったという。(木下さんの話では琵琶湖西岸が正解で、東岸は駄目であるとのこと。何故なら老人に昇る朝日を見せても良いが沈む夕日は禁物とのこと)

全部で60数億円の事業費、建設費だけで40数億円である。1万坪の敷地に6000坪の建物。6階建て。やはり集合住宅のほうが老人ホームとして合理的か。普通のベースではとても高くつくので施工の間組にも浴室施設の松下電工にも協力を要請した。浴室は「実用新案[特許]」にて共同で売り出すらしい。

昨年(1987年)7月に完成(隣りのクリニックは9月となる)して181室の内80室が契約済み、現在40戸が入居している。2期工事としてあと100戸位つくると言う。

5戸のみ夫婦で、後は単身であり女性が多い。平均70歳過ぎ。前歴は社長、経営者、医者、学校の先生など。中にはオペラ歌手もいるという。

(経営は)利用権購入方式の株式会社で部屋の大きさにより2000万円より5000万円までである。その他に月10数万円の費用(管理、食費、光熱水費など)がかかる。月費用は厚生年金の範囲内。

入居にあたって親子のトラブルもあるらしい。利用権のため死んだら終わり(没収される)のため、子どもとしては全然財産にならないこと、(また)やはり「老人ホーム」に親を追いやったことに個人的に世間体からの抵抗があるとのことだった。


国際健康村『アクティバ』自身の施設内容は、かなり良く考え抜かれていると思った。国際、と銘打っているのは社長弟はアメリカ住まいが長く、その線にてハワイの同じような老人ホームと提携してお互いにゲストルームを開放し合おうということである。

また、普通はコミュニティ部分と個室部分が3対7なのに対して、ここでは4対6にした。ホテル部門、レストラン、バー、喫茶部門等があり。近隣の人も利用できる部分がかなりある。カルチャーセンターもあり。

となりの「クリニック」には入院施設もあり。寝たきりになれば、そちらに移行出来る。入浴サービスは送り迎え付で4500円/回で安い。


現在、どうなっているのか、「22年後の訪問」などしてみたい。ご存知の方、コメントをどうぞ。


書架探索の楽しみ

2010-05-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
前々から本は背表紙が見えるように「展示収納」すべし、と言っている。自分が買った本、とりわけ読もうと思って買ったが、未だ読んでいない本が何なのか、一目瞭然にしておくためである。

最近、時間があると幾つかある書庫、書架を探索をしている。本宅、書庫住宅(つなね)、本宅でも書斎、階段室、寝室に分散している。

そうだな、これは、あの時に買ったのだな、とはっきり分かる場合もある。時に「手に取り」読み出している場合もある。一冊の本から関連で「そういえば、あの本も買ったはず」と探す場合もある。

時々、配列を入れ替えたりすることもある。良く似たタイトルの同じジャンルの本、同じ著者の様々な本等々、それも楽しみだ。有名な必読本で欠けているものが分かる場合もある。

まあ、そのように時々というか毎日のように書庫、書架、背表紙探索をしている。未だ段ボールに「眠っている」ものも起こして「書架デビュー」して貰う必要がある。

最近、眼力が「衰えつつ」あるので、懐中電灯で背表紙を照らして書名、著者等を確認している。

まあ、他にエクセルでの整理も進めていきたい。