西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

風の風物誌-1

2007-01-04 | 地域居住学
昔ビデオにとってあったテレビ朝日の「風の風物誌」の一部を見た。それはオーストラリアとの共同制作の番組だった。地球の地表に満遍なくあるのは「空気」であるが、それは一般に運動形態では「風」となる。新井 満自由訳の『千の風になって』のあの風である。自然は、プラス面とマイナス面を見せる。風についてもそうであり、マイナス面は台風でありハリケーンでありサイクロンである。要するに暴風である。しばしば雨を伴い暴風雨となる。他にイギリスのカンブリア地方の「ヘルム」という風、スイスのフェーン、空港のウインド・メア、飛行機を叩きつける下降流のマイクロ・バーストなども恐い。
次に風と植物、動物との関係も面白い。植物ではタンポポは生き残りに風を利用している。私が京大で助手として最後に仕えた西山卯三先生は、御退官の折(1974年3月)、我々に色紙を下さった。そこに書かれた577は、「地のはてに 散りても咲けよ タンポポの花」である。動物では、蝶々、ペリカン、あじさし、カモメ、軍艦鳥等が風との関係でユニークだ。
我々のかかわる住宅に関しては、勿論、防風も大切だが、そよそよと吹く夏の気持ちよいプラスの風の流れも重要であろう。(続く)

日めくり昭和42年(1967年)

2007-01-04 | 名古屋・豊田の思い出
元日夜のテレビで「日めくり昭和42年(1967年)」のような思い出番組をやっていた。丁度40年前ということで、1967年に生まれた40歳の人が多数レポートしていたが、実際には彼らが生まれた年のことだから、彼らが経験としては全然知らないことで、後知恵で聞いたり勉強したりしたことばかりであろう。丁度、私が生まれた昭和16年(1941年)を40歳になった1981(昭和56年)に振り返るようなものだ。私は1941年勃発の太平洋戦争は経験としては全く知らないのである。で、思った。その番組は、40歳を出汁にしているが、実際は、昭和42年(1967年)に二十歳で、今年60歳の還暦(一般に定年退職)になる人たちへのメッセージではないのか、と。二十歳ならば、全て経験していたり考えたりしたことばかりである。私も当時は25歳位で、豊田高専助手であったので、20歳ほど感受性が強くないかもしれないが、大体知っていることが殆どだ。主なことを上げておく。東京はスモッグに襲われており、新宿副都心の再開発が始まった。東京都知事に革新統一の美濃部亮吉さんが当選。前年にビートルズが来日したこともありGS(グループ・サウンズ)旋風、JALが世界で四番目の世界一周航路を開設、ミニスカートがはやり、大学紛争が起こっていた(高専にも余波が及んできた)、ベトナム戦争への最大米軍派遣(50万人)とアメリカでの最大の反戦デモも起きた(終結への始まり)、中国では「文化大革命」(「失われた10年1966年~1976年」)が始まっていた・・・。定年になる還暦の皆さん、20歳を思い出して世界に目をむけ、政治の革新も足元より再度試みてくださいね。

高槻(茨木)辺りは古代からひらけていた

2007-01-04 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、高槻市と高槻商工会議所共催の年賀の会があり、平安女学院大学の学部長の一人として参加した。今年は統一地方選挙、参議院議員選挙があり、市長や議員がほぼ勢ぞろい、市会各派の勢力分布も分かった。公明党が議長を握るくらい勢力があり(自民党が分裂していることもある)、商工会議所会頭も替わったばかりで挨拶していた。で、懇談で色々な人と名刺交換したが、高校の日本史担当の先生がおられて少時間「文化的会話」をした。梅○裕○さんである。商工会議所の機関誌等に高槻の歴史を書いておられるようだ。別の話で、高校で世界史必修になったのは、国際化標榜の外務省の文部省(現・文部科学省)への圧力による、とのことだ。高槻の地域史の話で、クリスチャン大名の高山右近のお城もあって、高槻市の「看板」の一つにしたいところだが、実際そうなっていないのは市会の勢力分布が影響している、と思った。古代史の話で、高槻に中臣鎌足の墓があるが、元々、中臣鎌足が蘇我氏の圧力のため飛鳥から高槻(茨木)の辺りにきて生活していたが、中大兄皇子(後の天智天皇)の「招き」で飛鳥に戻って「談らいの山」(談山神社裏山)で談合し、蘇我馬子を討って「大化の改新」となる。天智天皇が大津京を造った時には中臣鎌足改め藤原鎌足は大津に行きやすい山科の辺りに住んでいて亡くなるが、後に元住んでいた高槻の山に葬られたのでは・・とのことだ。昭和の初めに発掘され、骨が出てきてⅩ線撮影もされた(立派な冠もかぶっていたようだ)が、天皇家に列なる重臣の墓ということで直ぐ埋め戻された。中々勉強になった。高槻(茨木)辺りも単に大阪の衛星都市ということだけでなく、ある意味で京都より古い歴史を持った地域だと分かった。

日野原重明さん今年96歳年男

2007-01-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今朝、出掛けにテレビNHKで日野原重明さん今年96歳の「健康秘訣」みたいのをやっていた。私は9時前に家を出る必要があり、それまで見た。日野原さんは、成人病という言葉を「生活習慣病」に改める提案をされた先生、京大(医学部)卒の大先輩、生活の質ということから、家で最後を看取ることが大事といっておられ、聖公会系の聖路加国際病院長を長くされていた。そして、日野原先生自身の言い方で、長生き人生の「ご褒美」という「文化勲章」を一寸前に貰われた。私のブログでも何度か登場しているが、今日特に印象に残り、やってみようか、と思ったことを書く。それは、寝方である。うつ伏せに寝ておられるのだ。四足動物は皆うつ伏せに寝ている。人間は何時ごろか、大方は仰向け寝になったが、本来、人間も元はと言えば「四足」だったし、内臓の配置、構造からしてうつ伏せが合理的なのでは(寝る前に食べても良く消化する・・)、現に「私」がその証拠、と言いたげだった。うつ伏せに寝るために顔を置く枕、胸・腹の下に置く枕、足に挟む枕等を工夫しておられる。私は、大抵右向き横になって寝ている(食べ物が胃から腸に移行しやすい、心臓を圧迫しない)が、今度、日野原式うつ伏せをやってみようかな。
日野原記事(過去):http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/049fedd7faa114973088d6ab8407d90b
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/54c767edbb251d86e954c83202d2b068
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/8681d5682ee10c1f6bfe519510ea2504
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7384814a56512ce71f0afa377b2de702