西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「ふるさと納税」の勧め?

2010-03-31 | 地域居住学
確か、前の自公政権で決まって、まあ「住民税」の替わりに自分のふるさと等に率先して税金を納めると、仮に1万円の場合は半分の5千円は「確定申告」で控除されるというのがある。

今日の朝「テレビ朝日」で「永田町トリビア」を見ていたら、その例で、米子市では、控除されない一方の5千円分について、色々郷土の製品(値打ちは5千円以上)を送ってくれるようだ。5千円のうち3千円を米子市が負担、あとの2千円と送料は協力企業が負担と言う。

米子市は1万円納税してもらうので勿論「黒字」だし、製品提供の企業も継続して注文を貰ったり広くPRとなるので損はしないという。まあ、「三方一両得」なのかな、と思った。

私としては、郷里の金沢市、学生時代世話になった宇治市、京都市、最初に働いた豊田市、30年以上働いた奈良市、調査研究した水俣市、伊根町などに「寄付納税」したいという気持ちがある。全部で7万円、控除とバック商品が各3.5万円だ。どうしようかな。

孫達の来訪

2010-03-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日まで二泊三日で名古屋の娘と孫三人がやってきた。正月以来である。

孫三人は、結構歳が離れ、長孫男は、中一で13歳、次孫女は、小二で8歳、末孫男は、満2歳(もうすぐ3歳)で、ほぼ5歳おきになっている。

今回の「主役」はやはり末孫男で、立っちで「二足歩行」を盛んにし、喋りも凄く発達したと思う。観察した彼の行動特徴:(1)すぐ上の姉さんや兄貴のやることを、ちょっと無理でもやろうとする。「姉さん」が高い止まり木椅子に座って食事をしようとしたら、彼も「やりたい」と同じ事をする。(2)「なんで?なんで?」という質問が多くなった。(3)知らない人にも近づいていって、あれこれ言っている。まあ「人見知り」しないのはいいが、一寸「危ない」面もある。黙って注視しておく必要がある。(4)私や妻の行動に指示をして場を「仕切ろうとする」面がある。

まあ「三つ子の魂、百まで」と言うが、どうなるだろうか。心配でもあり楽しみでもある。

奈良「きたまち」を歩きつつ

2010-03-29 | 地域居住学
昨日の日曜日、奈良に出かけ、「きたまち」を約3時間、「解説」付で歩いた。

まあ「きたまち」とは、「主に近鉄奈良駅より北側の地域」を言うようだ。奈良女子大、東大寺を含み、そして北は般若寺辺りまでである。

昨日の「歩く会」は、旧鍋屋連絡所の活用を考える会(+奈良女子大増井研究室、瀬渡研究室)の主催である。「旧鍋屋連絡所」とは、奈良女子大前にある旧い交番(奈良県警所有・管理、土地は奈良女子大所有)である。

これは、現在、使われておらず、このままだと朽ちるばかりなので、何か活用する企画計画が出来ないか、ということで奈良市募集の市民企画事業で「会」が立ち上がったのだ。

で、この日は100人もの市民や一部観光客が集り、いくつかの班に分かれて「きたまち」を歩いてみて回ったのだ。まあ、「交番」を地域住民や市民・観光客のための「たまり場」にしたいとの思いもあり、そこを扇の要として「東回り」と「西回り」に分かれて回った。

私は、少し時間が遅れて、東回りに追いついて「転害門(東大寺)」辺りから参加した。高い旧多聞城址(現・若草中学校)にも登って市内を遠望した。東大寺大仏殿、興福寺五重塔も見えた。江戸時代の武家屋敷風の家も見た。解説員は、増井正哉教授だった。

この巡見で考えたこと(メモ):
(1)色々な時代(奈良時代だけでなく、近代に至る色々な時代)の歴史的遺物や生きて活用されているものを総体として捉えて物語をつくっていく事。

(2)一つ一つだけでなく、まとまり、町並みとして見ていく事。

(3)近景だけでなく、中景、遠景も問題にする事。

(4)高い俯瞰する視点も重視する事。

(5)町並みを同時代町並みだけでなく、異時代混成の町並みも考えていく事、など。

子どもと高齢者の生活空間「拡張」「縮小」の「重なり」の意味

2010-03-26 | 地域居住学
考えてみると、子どもは成長・発達につれて行動する生活空間を拡張させているといえる。

母親に抱きついていた段階から、部屋中を這い這いする段階、たっちして家中歩き回り「危ない」地上に降りたり二階等にまで行こうとする段階、履物を履いて外に出る段階、乳母車・バギー車等に乗って「遠出」する段階、保育園・幼稚園に通う段階、以下小、中、高と生活圏域は拡張していく。大学や社会人になると、全国、全世界が「生活空間」とも言える。

一方、高齢者、とりわけ定年退職し、「職場人間」から「地域人間」に替わってからは、肉体的「老化」もあり、物理的には徐々に生活空間は縮小していく傾向にあると言えよう。ただし、精神の持ち方如何では、「精神的空間」は、最後まで「拡張・進化」するのではなかろうか。私自身そのような期待を持って日々過ごしている。

で、小学生や中学生の日々の生活空間域と定年後の高齢者の生活空間域は、重なってくるといえないか。一方は拡張途上で、他方は縮小途上でではあるが・・・。そして、小学生、中学生は一般に将来の生活空間に希望と不安を抱いている。しかし、新しい情報におそれを抱かずチャレンジする精神もあろう。一方、「地域人間」の高齢者には60年を越える人生経験がある。しかし、それらの経験が「古くなっている」場合もありうる。

だから、小中学生と高齢者が交流するということは、小中学生は、更に勉強し、社会に出る過程での様々な「ヒント」を得て不安を払拭できるであろうし、高齢者は、人生経験を「後輩」の小中学生に伝達できると共に若者より新しい「精神的刺激」を得て若々しく「精神的空間」を最後まで瑞々しく保って進化できるのではなかろうか。

こういう交流、コラボレーションのコーディネーターを誰がしたら良いのだろうか。
「地域居住懇話会」の皆さんはどう思いますか。

著者を身近な知り合いとして

2010-03-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、ドイツ文学者・池内 紀さんの『ゲーテさんこんばんは』(集英社文庫、2005年11月)をつらつら再読した。ゲーテの評伝なのだが、池内さんはゲーテのことを「ぼくの伯父さん」と言っている。親しみを込めた言い方で、それこそ対談している雰囲気も感じられる。

前に斉藤 孝さんの『読書力』を紹介した時、読書の楽しみの一つは、著者から面と向って聞いている積もりで読むことだ、ということを「引用」したことがある。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a18f9f522cb684669d76b54775d11875

で、今日は、池内さんの本を読んで、著者と面と向っているのだが、その上に、その著者を池内さんの言うように、伯父さんと思うだけでなく、相手との関係で、お兄さん、お姉さん、小父さん、小母さん、お爺さん、お婆さんと思ったらどうか、と考えてみた。

勿論、古い時代の著者は「お爺さん」以上だが、場合によって「お兄さん」のように感じてもいいのである。今後、本を読むとき、この著者は、自分の何にあたるのか、色々想像しながら読むのも楽しいと思うのである。

懐かしい名前、ウインパーとマッターホルンなどについて

2010-03-21 | 金沢の思い出
昨日の夜、テレビでスイスの最高峰のモンブランと名峰・マッターホルンの姿を見た。

特にマッターホルンに初登頂したリーダーのウインパーの名前を久し振りに聞いた。多分、最初にこの名前を聞いたのは、小学生高学年の頃ではないか。半世紀以上前である。

国語のテキストにウインパーのマッターホルン登頂の物語があり、感動、感心したことを忽ち思い出したのである。どこがどうだったか忘れていたが、昨日の解説で思い出した。

普通に考えると、切り立った斜面からより、より緩い斜面から頂上を目指すのが一見「楽」に見えるが、マッターホルンの場合、「緩い」のが南西面、「切り立った」のが北東面である。だから、長年、南西面からアタックするも、滑ったりして中々上手くいかない。

そこで、ウインパーは遠くからマッターホルンを眺めて、地層が「斜めに」走っているのを発見、高い北東から低い南西に地層が傾いているのだ。

だとすると、南西面が「緩い」としても、そちらに傾いているので、「引っかかり」が難しく、滑りやすい。逆に「切り立って」いても北東面では、「引っかかり」が得やすく、滑りにくいのである。

こういうことから、7人のパーティで北東面からアタックして見事頂上に立つのである。

ところが、下山の時に、事故が起こる。各人を結び付けていた命綱が岩にすれて切断、4人が落下して亡くなるのだ。ウインパーら3人が生き残るが、残念な結果となった。

これを聞いて日本での事故(『氷壁』に描写)を思い出した:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%CE%EB%BC%AF%B9%E2%C0%EC

また、小学校時代の教科書を再読してみたい、と思った。

遅れた読書『文明の生態史観』(梅棹忠夫著)

2010-03-19 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『文明の生態史観』(梅棹忠夫著)は昔から有名な本だったのに、ようやく最近「中公文庫」で読んでみた。「世界史」を考える一つの下敷きになるだろう、と思う。南北アメリカ大陸やアフリカ大陸、オーストラリアは一応「除いているが」、まことに面白く一気に読んだ。「除かれている」部分も含んで考えてみるのは一つの「応用」かもしれない。生態学から遷移(サクセッション)とか、平行進化とかいうコンセプト(概念)を適用している。今西錦司さんの『生物の世界』も思い出した。梅棹さんは、確か今西さんの弟子筋である。これらの本を、今西さんも梅棹さんも30歳代に書いている。たいしたものだ。これから一寸ノートとりつつ精読、考察してみたい。

まあ、近著『日本辺境論』(内田 樹著)や古典『風土』(和辻哲郎著)、『雑種文化ー日本の小さな希望ー』(加藤周一著)などを読んでいて、関連で読み出して、『日本辺境論』の次にこちらを読破したのである。

唯物史観の世界史があるのかどうか知らないが、マルクスが資本主義の最先進例としてイギリスを主に取り上げて『資本論』を書いたが、イギリスはマルクスの予想や期待の通り進まなかった。では、どうしてロシヤや中国で「革命」が起こったのか。梅棹さんの「第一地域」「第二地域」分類から、また「遷移」理論からも一定説明がつく。

「先進文明」は地域的に遷移するのだ。古代の四大文明は、皆、大沙漠の近くでたまたま水の豊富な「第二地域」に発生したが、やがて「第一地域」(西ヨーロッパと日本)に向って移動(遷移)する。その後「第二地域」ではやがて四つのブロック(中国、インド、ロシア、トルコ)が成立、まあ、その中のロシアと中国で、「近代化」のための「革命」が起こったのだ。インドや(広い意味での)トルコでも「独立」「改革」が起こっている。

梅棹さんは、東洋、西洋の中間が「中洋」で、旧インド、トルコ帝国地域はそれにあたる、と言っている。私らは、その辺りの知識が殆どないに等しい。学校教育では、十分に位置づけて習わなかったのだ。(梅棹さんの造語は他にイン僑ー華僑から類推ーというのもあった。比較宗教学、比較○○学の構想をしている。別の所での造語ー京阪神千・・・これは京阪神に千里ニュータウンを加えた地域、関西文化学術研究都市・・・この「文化」を入れるのを梅棹さんが提起した。)

「世界史」や「世界地理」を構造的に理解するための一つの下敷きになるのでは、と思った。

『生きてるだけで百点満点』(鈴木せい子さん)

2010-03-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、今日とNHK「ラジオ深夜便」の「心の時代」(午前4時台)で、助産師の鈴木せい子さんが「いのちの授業」という話をしておられた。全部きちんと聞いたわけではないが、いい話だったので、ここに書いておきたい。表記の著書もあるようだ。http://www.amazon.co.jp/gp/reader/476319660X/ref=sib_dp_pt#reader-link

鈴木さんは、助産師なので、二つの命(生む母親と生まれ出る子どもの命)を預かっているのだが、最近の世相でいうと、中学生位になった子どもが「なんで私なんか生んだのよ、何もいいことがない、生まれてこなければよかった」と平気でいう。また親のほうでも子どもを大切に扱わない、特に男性(父親)は母親サポートや育児に関心が薄い状況がみれる。

で、鈴木さんは子供たちのところ、親達のところに出かけて、自らの体験から「命の発生、成長、分娩」のプロセスを大きくなった子供たちにも生々しく伝え、「命の大切さ」を訴えている。その極め付きの言葉が「生きているだけで、自分にも親達にも百点満点よ」ということだ。胎内で成長し、生まれ出ることも大変なことだし、大きく成長して生きていることも、ある意味で「奇跡に近い」こと、とにかく先ず「勉強など出来なくとも、生きているだけで百点満点」、これは、子供たちや親達の「自尊心、自愛心」を高め、間違っても「いじめたり」、「自殺に追い込んだり」するブレーキとなる言葉であろう。

また、父親の「思いやり」や共同育児の必要性も具体的に強調しておられた。

色々な検証ー密約や政策や記事ー

2010-03-14 | 時論、雑感
最近、日米間に公式な公表されている条約、取り決めの裏で、首脳間などに別の密約があったということを政府も「認めた」格好だ。まあ、政権交代で、その密約存在を暴露することは、前政権さらに将来カムバックの可能性のある政党(自民党)に打撃を与えることも含んでいる。「自民党は、密約はない、と言っておきながら、あったじゃないか。うそつきだ。」といった感じである。しかし、核密約の存在により、日本の国是「核兵器は、持たず、作らず、持ち込まず」の最後の「持ち込まず(持ち込ませず)」は、どうも守られていなかったということになっている。(これを言い出した功績により受章した佐藤栄作首相のノーベル平和賞はどうなるのかな。)

だから、今後この三原則をきちんとアメリカに言って、密約自体は廃棄すべし、というのが正論と思うが、今日のテレビ出演で民主党の岡田外相は、アメリカにきちんといわなくて良い、と言っている。理由として、東西冷戦終了後、アメリカは艦船に核を搭載しないという政策を採っているので「持ち込ませず」は自ずと守られるからだ、というのだ。でも一方で、元々アメリカは「核搭載しているか、いないかは戦略上言わない」ということだから、本当のところはブラックボックスになっているのだ。

この外務省関係のいくつかの「密約問題」の他に、菅財務大臣が「沖縄返還にさいして、日本がアメリカに1億ドルの預金をして、その利子について何年かはアメリカ側の自由使用を認めた」といった密約があったことを明らかにした。

こうなると、他の省庁でもきちんと「密約」を調べるべし、となるだろう。

次に、毎年の予算編成、その基になる考え方、まあ政策を過ぎた段階で、きちんと検証すべきということだ。まあ国会レベルでは、予算委員会だけではなく、決算委員会を充実させるべきだ、ということになる。例えば、小泉改革と言われるもの(郵政民営化を含め)、本当に正しかったのかどうか、ブッシュ政権に「追随し」イラクへ自衛隊を派遣したのが正しかったかどうか、税制では法人税率、所得税率を引き下げて消費税を導入、引き上げたことが正しかったのかどうか等々を検証すべきなのだ。

又、これらを場合によっては大々的に報道し、世論を誘導したマスコミも、一体そういうやり方が正しいやり方なのか検証すべきであろう。最近のことで言えば、小沢一郎民主党幹事長が今にも起訴、逮捕されるような情報(検察リーク情報が多いと思われる)を流して世論を煽った(今もある意味で煽っている)ことについて、どう考えるのか。財政危機とそれと連動して消費税アップを誘導するような記事の洪水は正しいのか。本当に財政危機なのかどうかの検証はあるのか。消費税アップ以外の方策の研究はしたのか、等々マスコミも大いに反省し、自ら検証すべきであろう。

市民、国民は、少しずつかもしれないが、賢くなっていると思う。それが民主主義というものだろう。

風呂に入りつつ最近思ったこと

2010-03-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
寒い日に寝る前にゆっくり入浴するのは気持ちよい。私は、二度湯船に浸かる。

その時、足を伸ばして「ゆったり」肩や首まで浸かる。で、考えてみると、手・足は胴や胸周りよりも「細い」、その分、手・足では湯の温かさは、より早く芯にまで到達する。

だから、胴や胸の「芯」まで温まる感じを得るまで浸かっている。その間、手足の先の指のマサージをする。手足の付け根もマサージする。それは、血液やリンパ液の流れを滑らかにするためだ。

とにかく胴や胸の体幹部をしっかり温めることが健康に良いと信じている。皆さんはどうですか。

過去ブログ・・・湯船で検索:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%C5%F2%C1%A5

色々書いているなあ。

人間の住む密度と国土再編成

2010-03-09 | 色々な仮説や疑問
私は、日曜日のテレビ「ダ・ウイーンがきた」というエコロジカルな世界を記録している番組が好きだ。世界の動植物が見事に一定の密度、縄張りを守って共生している姿に感動している。長年の「食いつ食われる」関係から自然と「動的平衡」にいたっている。

それに対して人類は「無理」をしているのでは、と思う。こんなに多くの人口、こんなに高い密度は、どこか無理がある感じだ。

前にJALで海外に「飛ばされた」小倉寛太郎さん(山崎豊子著『沈まぬ太陽』主人公モデル)のアフリカ経験に裏付けられた「ハッとする」意見を紹介したことがある。

最近、近所のショッピングセンターのイオンの中を歩いていて、小さい赤ちゃんや幼児が群集の中を(親と一緒ではあるが)「うろうろ」している姿に出会って、「これは不自然、子どもにも親にもストレスを与えている」と思った。もう少し密度の低い、かと言って低すぎない住み場所に日本国土を再編成すべし、と思った。

過去ブログを再度読んでいただきたい。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/4f5768ee2f2b01004ae6a944c1bda450

鈴木成文先生逝去の報に接する

2010-03-08 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
建築計画学の鈴木成文先生(元・神戸芸工大学長、東大名誉教授)が亡くなられた報に接した。3月7日、東京駅で倒れられて、亡くなられたようだ。享年82歳であった。戦後、日本の建築計画学の独創として「ダイニングキッチン」の計画・設計をされ、日本中に普及した。

私は、このブログで鈴木先生の刊行され続けた「日記」について、多くの記事を書いている。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ff0dc1efa92e51350a5021bb4f9a0e5c
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/11adc3a698ea838ab1d7fa670fc2e3db
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/3e30dcd756aa3891e8f7a77a5304537c
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7cd229efc19ac2207a70f4147b4d63ae


私の鈴木先生との出会いから述べだすと、少しかさばるので又の機会とし、本日は、過去ブログを貼り付けて静かに思い出したい。なお、鈴木先生の「文文日記」は、3月4日で終わっている。

お通夜:11日(木)18時~
告別式:12日(金)12時~14時
護国寺桂昌殿にて



目からウロコー「偽装財政危機」-

2010-03-07 | 色々な仮説や疑問
最近来た雑誌『学士会会報』(2010年Ⅱ号)をぱらぱらと見ていて、経済アナリストの菊池英博さん(日本金融財政研究所所長・東大教養1959年卒)の「偽装財政危機が招いた平成恐慌ー財政呪縛から脱却し我々の預貯金を日本のために使おうー」を読んで、目からウロコであった。

折りしも今日の『朝日新聞』では、1~2面で、日本政府の「借金総額」はGDP比率では世界一(900兆円余)で何時「倒産」しても良い状況、ということをグラフを使って説明している。これをみても、何のためにこういうキャンペーンをするのか、考えてみると、「消費税をアップさせる」ための伏線といわざるをえまい。

そこで、菊池さんの論を紹介し、広く冷静に研究し議論すべきだ、と思った次第である。

菊池さんの引用:「私は2001年2月以来4回、衆議院予算委員会の公聴会に公述人として招かれ、「日本は財政危機ではない、純債務でみれば日本は健全財政である」と公述してきた。「純債務」で日本の財政事情を把握するということは、「一般会計」と「特別会計」を一体としてみることである。「純債務」でみれば政府の債務は300兆円程度であって、「純債務の名目GDPとの対比」(この指標が「財政規律」)でみれば、日本の財政事情は欧米並みである。決して日本だけが財政事情が悪いわけではない。しかも日本は世界最大の債権国(個人預貯金から300兆円も海外に貸し出している)であり、いくら政府債務が多くても日本国債が返済不能に陥ることは絶対にない。…」

「…(日本は)300兆円もの対外債権がある世界一の債権国であり、この資金を国内で日本のために活用すればデフレは解消する。デフレを解消するには財政政策が主導し金融はそれにフォローする政策であることは、昭和恐慌、米国大恐慌、1993年からの米国クリントン大統領の経済政策の教訓で明らかである。現在オバマ大統領が70兆円の景気振興策(うち73%は公共投資)を立てて、「日本のようにデフレになってはいけない」と日本を反面教師にして必死に努力している。」

「私はここで「デフレ解消5ヵ年200兆円計画」を提案してむすびとしたい。
※国家の基本政策の樹立ー新自由主義・市場原理主義を払拭し、「輸出大国」から内需中心の「社会大国」を目指す。その実現のために、毎年政府投資30兆円と民間の減税枠10兆円、合計40兆円(GDPの8%)を5年間継続する(中小企業投資減税・所得税定率減税の復活)。
※法人税(大手企業)引き上げ、所得税最高税率の引き上げ(累進税率の強化)―地方税の「フラット税」(一律10%)の廃止、累進課税強化
※新規プロジェクトを中心とした5ヵ年計画
対象:内需中心の新しい成長産業を基幹産業に育成する。国民生活を豊かにする社会基盤・インフラストラクチャー(社会的共通資本)の構築
主要5分野:医療・医療産業、環境、脱石油、教育研究、農業自給率向上
※期待される経済成長
①名目GDP成長率:年4-5%(実質3-4%)
②名目GDP金額:500-650兆円
③税収:53-70兆円
④政府の「純債務」の国民負担率:55%→42%程度へ低下
※財源
①「特別会計」から50兆円以上を一般会計の投資項目に移管し財政投融資項目で支出、財政投融資の拡充
②「デフレ脱却国債」20兆円(非譲渡制5年国債、無利息・相続税軽減)、「内需創設国債」100兆円(現在の外貨準備金に投資されている国民の預貯金の国内での利用)
③実際には新規財源120兆円程度ですみ、5ヵ年計画は実施可能。経済成長による税収で新たな財源が得られる。こうして経済規模が拡大し、雇用が増える。…」

まあ国外に貸し出しているという300兆円は、国民一人当たりにすると250万円である。私もそれ位、貯金はしているので、菊池さんの言うようにやってデフレを脱して成長軌道にのるなら、個人的に少しは「貢献」できるのかな、と思った。また菊池さんのいう「主要5分野」は結構で、賛成だ。

菊池さんの計画では、消費税は上げなくて良い、別の著書では、消費税0でも財政運営できる、と言っているようだ。それも賛成だ。政府(特に財務官僚、大臣では菅直人さん)の言動に注目だ。だまされてはいけない。

「遺伝子記憶」論(4)雨と太陽に対する反応

2010-03-06 | 思いつきから仮説へ
今日は、「冷たい」小雨が降っている。気分も余り良くない。雨の中、専用歩道を歩きつつ、昔「雨と太陽」について、どうして人間に「違う」反応が起きるのだろう、と考えブログに書いたことを思い出した。

過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7f923b49bc3072ba48e20c346ab1c8c6

こういう「仮説」は、やはり「遺伝子記憶」関連なのかな。

「遺伝子記憶」論(3)「猿時代」の森生活と緑、小枝

2010-03-05 | 思いつきから仮説へ
これは、半分は霊長類学者の河合雅雄さん(京大名誉教授)が「仮説」として言っておられたことである。それは、人類は、それ以前のアフリカでの森生活時代、長く樹木の上で棲息し回りが緑の葉っぱばっかりだったので、人間になっても「遺伝子記憶」作用で、樹木の緑を見ると落ち着く、緑の嫌いな人間はいない、ということだ。

で、私は、その考え方に共鳴し、「窓からは樹木の緑が見えるべし」と言っている。

もう一つは、「手すりはすべからく間伐材などの丸太樹木であるべきだ」とも言っている。何故なら、人間の手の指や掌の構造は、「猿時代」に樹木の小枝を握るのに最適に進化した時から基本的に変わっていないからである。

冬に冷たく、夏に熱いステンレスの手すりよりも、手の体温にも馴染む丸太樹木がいいですよね。