西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

平安女学院創立132年の会

2007-01-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、平安女学院創立132年の会があった。「記念礼拝」と「記念祝賀会」である。前者は午後16時から聖アグネス教会(竣工 1898(明治31)年、設計 J.M.ガーディナー、構造 煉瓦造平屋建て)で行われた。山岡景一郎理事長・学長のお話は、やはり聖公会のミス・エディが132年前にアメリカのインディアナ州から延々サンフランシスコ経由で日本に来て、大阪の川口居留地で3人の生徒の女学校を設立(1875年9月)、20年後の1895年4月に京都に移り平安女学院として再出発、現在に至っている、といった歴史の話だった。
「記念祝賀会」は近くのホテル・京都ガーデンパレスに場所を移して17時15分から行われた。教会でもホテルでも功労者等に「アグネス賞」を授与するセレモニーが行われた。昨年退職された堀田延子先生が貢献賞受賞者として挨拶された。色々の余興・出し物も各部署から琴・尺八合奏「春の海」、オーボエ「恋とはどんなものかしら(歌劇『フィガロの結婚』より、酒井 洋先生演奏)」、踊り、歌などがあった。歌ではプロの大奈さんや松田美緒さんも歌った。最後に山岡理事長が定番のマジックをやられた。プロはだしである。閉会の挨拶で梶浦恒男副学長が、2年前の130周年記念誌から三代目院長の言葉を引用し、語学のヒアリングや女性に対する体育の重要性を100年ほど前に指摘した先進性を紹介しつつ、「自校史」研究、教育の重要性を指摘された。誠にその通りで、山岡理事長がミス・エディに言及されたように、慶応では福沢諭吉、同志社では新島襄が教えられているだろう。大学教育でも自校のアイデンティティ(らしさ)をきちんと伝えるべき時代となっている。学園の歴史としては、京大、奈良女子大より古い、大変なことだな、と思いつつ、きちんと勉強し学生にきちんと伝えるべし、と思った。
(写真は、明治建築の聖アグネス教会内部)
去年は私が司会:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/d892caafc6dca01cdad00674ec693458

夫婦の会話と・・・

2007-01-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
田辺聖子原作の「芋たこなんきん」を見ていると、家族が寝た後で夫婦が対面して、昔話や家族のあれこれの話題を肴に、さしつさされつ飲みながら、語り合っている。ああいうのっていいなあ、と思う。自分を振り返ってみると、自分は飲んで色々喋っているらしいが、相手の言うことを殆ど聞いていないらしい。で、昨日、「人間ドック」で「酒は控えめに・・」と言われたので夕べは飲まずに、食事をしてから「お茶」を飲みながら少し喋りあった。ああ、こういう形態、時間もいいものだ、と思った。考えてみると娘が「出て行って」、夫婦だけなのだから、喋りあう時間は、なんぼでもある。二人の知り合い、友人も重なっている部分があり、二人の関心にも接点があるので話題に事欠かない筈なのに、今まで何してたんだ、とふと思った。今後どうなるだろうか。それにしても会話もいいが、色々なお茶を(酒の代わりに)飲めたのも良かった。「お茶って、こんなに美味しいんだ」なんて改めて思って言ったら、「近くに福寿園の研究所もあるから、いつでも勉強したり、買いに行けるわよ」と言われた。灯台下暗し、である。
福寿園関連私のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/160cdd246220571c7b74802e81917a50