西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

Yさん宅の「新築祝い」に行く、皆の生活現状も聞く、ゲデスの『進化する都市』(翻訳)の話も・・・

2016-05-10 | 地域居住学
昨日2016年5月9日(月)、千里ニュータウンの吹田市・津雲台6丁目の新築されたYさん邸に行った。木造の「外断熱」のかっちりした家だ。僕は、近鉄・高の原から近鉄に乗り、西大寺で大阪難波方面行きに乗り換え、更に日本橋で地下鉄堺筋線に乗り換え、阪急線に入って終点の北千里一つ手前の山田まで行った。当日はあいにく雨だった。この路線、方面に来るのは恐らく初めてではないか。

山田でモノレールで来るNさんとTsuさんに合流、taxiでYさん邸に行く予定のところYさんのご主人が運転で自動車で来られ、乗せてもらった。久しぶりの横浜から来たTsuさんが「足の痛み」を訴えた。誰もが、齢と共にそういう状況になるのだな、と思った。

別にYさんに聞くと、2013年12月14日(「忠臣蔵」討ち入りの日)に前住していた住宅が燃えてしまい(隣からの延焼)、やむなくこの新築に至った。やるからには「出来るだけ」良いものを、と心がけた、とのこと。二人とも住居学・建築学の出身だから自然の流れだろう。三人に最近の生活状況を聞けて興味深かった。それらの話は、ここでは記さない。

僕を含め、この4人は、その昔、若き頃にゲデスの『進化する都市』(1915年初版、1968年に「はしがき」付の再版)の翻訳に取り組んだメンバーの一部である。僕は、今度改訳した分について「100年前に、この中でゲデスが学生らに「(都市計画など)を学習するのにどこの国に行ったら良いか」について、その理由も付けて提起しているよ(イタリア、パリ(フランス)、アメリカ、ヨーロッパ色々、イギリス植民地、そしてとりわけ(第一次世界大戦であったにもかかわらずドイツ・・・)とて具体的に引用、説明しておいた。

すかさずTsuさんが「昔のヨーロッパでは、若者が訪れるのにゲデス推挙の地が妥当かもしれないが、現日本では又別、違いますよね」とすかさず言った。さすが我が教え子であるわい、と思ったが同時に自分だったら何処を推挙するだろうか、と考えてみた。何時か、「若い」学生たちに語りたいものである。

まあ、今日来ている「千里ニュータウン」は入るであろう。僕の「千里体験」は50年ほど前にさかのぼる。当時、住田昌二先生家族が住んでおられ、院生として僕等が住田邸を訪ねたことがあったが、夜になって帰るのにバスを待っていたら、バスのヘッドライトで野兎を認めたことがある。同じく院生時代に絹谷先生に連れられて「千里」を見学、視察したこともある。絹谷さんが、眼前に見える住棟を指して、「住棟間間隔は何メートルあるか?」の見た目で推測する「テスト」もあったのではないか。1987年の「国際居住年」には、イギリス人も招いて「千里」でシンポジュームを開き、今日に続く「高齢化」の問題点なども議論した記憶がある。阪大の大久保先生が研究者側の代表だったと記憶する。放送大学で、「千里」を取り上げたこともある。(本間博文、西村一朗共著『住居学概論』、1994年3月刊)

懐かしい「思い出」が脳裏に現れた1日でもあった。

『進化する都市』発刊100周年、『生活・住宅・地域計画』発刊50周年です。

2015-12-17 | 地域居住学
もうすぐ2015年(平成27年)も暮れていく。そこで一寸、この年は僕にとってどういう年なのか意識的に捉えておきたい。

まず、もう既にこのブログでも書いたが、スコットランド人パトリック・ゲデスが100年前の1915年に『進化する都市』を英語で発刊した年である。この著書は、スコットランドは言うに及ばず、イングランドでも注目されたし、他の英語圏のアメリカやカナダ、インドなどでも注目され、影響を及ぼした、といえよう。

ただ日本へはどうだったか、については、「社会学分野」や「都市史」「都市計画史」に一定の影響があった、といえるにすぎないのではなかろうか。

しかし、今年、原書発刊100年を期して不肖・僕の手で改訳本が出たことは、それなりに意義があるのではないだろうか。

と、同時に今年は都市計画分野でいち早くゲデスの『進化する都市』に着目し、本邦や僕たち弟子たちに紹介していた京大の絹谷佑規助教授がオランダで客死してから51年、絹谷先生の遺稿が西山夘三先生(1965年当時には京大教授)や西山研究室の編、絹谷佑規著で発刊(勁草書房刊)されてから50周年(半世紀)にあたっている。

ということは、大学院に入って僕等が研究し初めてから50周年である。同期の延藤安弘君や梶浦恒男君の感慨や如何に。

新国立競技場ー至福のひと時(人と木)になるやいなや

2015-12-15 | 地域居住学
至福のひと時(人と木)になるやいなや

新国立競技場の二案が公表された。「主な特徴」は、『朝日』の一面によると、A案は「木と鉄のハイブリッド屋根で伝統的な「和」を表現」、B案は「純国産カラマツの柱72本でスタジアムを支え、力強い日本を象徴」とのことだ。両方とも木に気を使い、伝統だ、象徴だと言っている。
僕は、直感では「A案がええ」と思う。 まあ決まっていくプロセスを見守って、楽しみたいのだが・・・。

京大T3会第三回集まりでのスピーチより

2015-11-27 | 地域居住学


昨日、京大T3会(京大工学部1960年入学3組クラス会、1,2回生時、第二外国語→ドイツ語組)があって参加した。現存46名中24名の参加だった。5名なくなっているので1960年入学時は51名のクラスメイトだったことになる。

現在は、各学科ごとにクラス編成されるようだが、1960年当時は、専門学科が違う学生ミックスでクラスが構成されていた。僕らのクラスは、土木、鉱山、建築、原子核、電子の順で混じっていた。2年間、このクラス分けは維持されるが、担当の教授も割り当てられていて、僕らの場合、1回生時は人文地理の藤岡謙二郎先生だった。(小柄だがエネルギッシュで早口の先生、先生は文科系だが、持論で、理科系の学生クラスを担当、先生宅にお邪魔したクラスメートもいたが、僕はクラスコンパの時に同席した。)

2回生時は物理の多田政忠先生が担任で、温厚な紳士、旧制一中、三高では、あの湯川秀樹先生と同期である。

昨日のクラス会は、24名の参加で初めて京大時計台の2階の会議室に時計台内にあるレストランの「出前」で行われた。挨拶、乾杯のあと少し歓談の後、「近況報告」に移ったが、予め各自提出の報告書(A4一枚)があるので、それ以外に2名のスピーチとなった。代表幹事の渡邊英一君(土木出身、京大名誉教授)の「指名」で僕が当たった。もう一人はM君で、彼は詩吟、白 居易(白楽天ともいう)の「酒に対す」だった。「蝸牛角上何事をか争う 石火光中この身を寄す 富に随い貧に随い且らく歓楽せん 口を開いて笑わざるは是れ痴人」(M君メモによる)やんやの拍手喝采だった。

さて僕の番、何をやるか言うか、もう「とっさ技」しかない。M君と違う調子の「大声」、皆に共通の何かを含むこと、出来れば「しゃれて・・・」

「僕らは学生時代の2年間、ドイツ語や体育など一緒に習いましたが、とにかく今までもこれからも「京大つながり」、兄弟同様お付き合いのほどを・・・、さて京大つながりは京大に入学してからですが、僕が合格電報を受け取ったのは1960年3月20日の日曜日、時あたかも大相撲春場所千秋楽、栃錦と若乃花の14勝同士の決戦、その時の立行司・木村庄之助・・・(行事の口調で)「何たることもなく、ここにいたったるところ、片や栃錦、栃錦、こなた若乃花、若乃花 この相撲一番にて千秋楽にござりますー」

結果は、若乃花の全勝優勝、僕は「ファンだった栃錦が負けて残念」と思うとともに「京大合格を喜んだのでした」
皆様は如何に? (拍手、笑い)木村庄之助の「まね」は「受けたようだ。」

あとで発見した巧まざる洒落・・・M君は「白 居易(はっきょい)」 僕は「はっけよい」  どうでしょうか。



信州大・山澤清人学長の入学式式辞より・・・生活空間研究の視点よりの一展開・・・

2015-04-08 | 地域居住学
昨日(2015年4月7日)にネットを見ていて(「朝日」デジタル)信州大学の山澤清人学長の入学式辞が目に留まった。以下、その式辞の一部関心部分を如何に引用する。これは、今日(2015年4月8日)の「天声人語」にも触れられている。

「・・・大学での勉強と生活の仕方を変えなければなりません。

 その理由をお話しましょう。創造性を育てるうえで、特に、心がけなければならないことは、時間的、心理的な「ゆとり」を持つこと、ものごとにとらわれ過ぎないこと、豊か過ぎないこと、飽食でないことなどが挙げられます。

 自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりとすることが最も大切となります。

 子供の頃をちょっと思い出して下さい。子供の頃は、例えば、夏休みがゆっくり過ぎていたと感じませんか。大人になると、忙しさで、時間は走馬灯のように速く過ぎていきます。脳科学者のDavid Eagleman(デイウィッド イーグルマン)さんは「記憶が詳細なほど、その瞬間は長く感じられる。しかし、周りの世界が見慣れたものになってくると、脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が速く過ぎ去っていくように感じられる」と言っています。

 自分の時間を有効に使うために、自力で時の流れを遅くする必要があります。

 そのために五つの方策が提案されていることは良く知られています。

 一、学び続けること。新しい経験が得られて、時間感覚がゆっくりとなる。

 二、新しい場所を訪ねる。定期的に新しい環境に脳をさらす。

 三、新しい人に会う。他人とのコミュニケーションは脳を刺激する。

 四、新しいことを始める。新しい活動への挑戦。

 五、感動を多くする。」


これはじっくり味わいたい。

じっくり、それこそ「余裕」をもって味わい考えたいポイントだ。そのうち、「二、新しい場所を訪ねる。定期的に新しい環境に脳をさらす。」について、少し突っ込んで考えてみたい。

・新しい場所(空間)を訪ねれば、当然、五感全体を緊張させてその場所(空間)をじっくり観察し、特徴をつかみ、自分との距離、関係性を位置づけて、ひとまず「安定」をさせる。じっくりいかない場合でも、一寸した事にも気を配り素早く認識・記憶して後でその「情報」を吐き出して整理する。
 まあ新しい所に行く時に、観光の場合でいうと、事前予習していく場合、現場に行っても「そうだ、そうだ」となって「新しい認識」が得にくい場合がある。言ってみれば「さっと」通り過ぎる感じとなる。
 そういう場合、良く予習した場合でも、仮に何度でも行っている所でも「新しい問題意識」があれば、「古い場所」でも「新しい場所、空間」と認識しうるのである。
・「定期的に新しい環境に脳をさらす」とは、文字通り「新しい環境に身を置いて観察、認識する」ということの他に「古い環境」でも「新しい環境」と思えるように認識する、ということではなかろうか。何度でも行っている場所の認識は、普通は記憶として(脳容量からも?)省略される傾向があるといえよう。

「まち」を創る建築をめざして、を聞く

2015-02-12 | 地域居住学
「まち」を創る建築をめざして(1、2)建築家 柴田知彦、柴田いづみさんをラジオ「深夜便」の明日への言葉で聞いた。
二人とも東京の出身、小石川高校、早稲田大学建築学科卒の先輩、後輩、知彦さんは丹下健三事務所、いづみさんはフランス留学(建築史)後に二人で設計事務所を、住む目白を拠点に活動、いづみさんは滋賀県立大学で建築学科立ち上げ以来かかわる。

まちを創る建築例:歩道状空地(建築敷地内に創る、生み出す)、樹木は何処でも欲しい、「緑」についてはいづみさんは七つほどの意義付けをしている(「つながり」をみている。)、防災、環境、ビオトープ、・・・、子どもの感性をはぐくむ。僕は、建築の内部から外界に緑が多様、多彩に見えるのが良い、としているの共感する。(勿論、視覚だけではなく聴覚や嗅覚、触覚など「緑」は五感の刺激が総合的で良い。)

知彦さんが、パリの都市計画は、オスマンが上から強権的にやったのに対し、江戸・東京などは大名屋敷などは大名が一定の枠内でほぼ自主的につくっていったと言える、みたいな発言に対して、いづみさんは、確かにオスマンが強権的にやった面があるが、その後「進化している」、例えば、パリでは昔の「城壁は取り払われ、環状道路からトラムカー(電車)軌道になり、最近は「乗り捨て」自転車道になっている」との説明、「進化している」という言葉遣いが良い。(「ゲデス風」)

知彦さんは「ヨーロッパは近くに切磋琢磨する国々があって競争している、例えば自転車の「道」を含めての重視は、オランダから始まりドイツに行き、今パリに来ているのではないか・・・。(ゲデスの言う旅行による学習、切磋琢磨である。それは、日本などよりヨーロッパがやりやすい。→日本は、多様多彩な藩の流儀の相互学習がそれに当たるか?!)

いづみさんは、近江で学生達を「まちづくり」の現場に誘い、色々な空間を創造的に使いまわす術、コツを学ばせ、大都市の大学ではできにくい実践をさせて付加価値をつけている。近江は、多様な「まち」があって良いらしい。二人で目白を「根城」に、多様な実践をしている。「目白の森」「広い歩道、狭い車道」「名のある小道例えば、ライトの径(こみち)→フランク・ロイド・ライト設計の「自由学園」が先にある。

聞きながら、全く別のゲデスの『進化する都市』のことを考えていた。

今日は何の日ー立冬、1917年ロシア革命などより

2014-11-07 | 地域居住学


ラジオで、「今日は何の日」を聞いた。立冬の日らしい。「暦の上では冬」である。寒くて朝も夕べも暗い冬である。

同時に1917年の今日は「ロシア革命」の日(ロシア旧暦では10月、だから10月革命!)である。あれから100年も経たないのに「ロシア革命」の精神は失われたのではないか。


当時は、1914年に第一次大戦(今年が100周年)があった。
20世紀は、戦争と革命の世紀、その余韻?は今も続いている。

一方、地域開発、都市計画、町・村づくりの世紀でもあった。イベネザー・ハワードの「田園都市論」、パトリック・ゲデスの「進化する都市」の時代でもあった。『進化する都市』が発刊されたのは1915年、来年が発刊100周年である。(僕らが『進化する都市』翻訳本発刊したのは1982年、鹿島出版会)

『進化した都市』を僕に教えてくれた絹谷祐規(すけのり)先生(京大助教授、故人)がオランダで亡くなって今年で50周忌である。来年が絹谷先生の論文集『生活・住宅・地域計画』が西山(夘三)研究室編で発刊(勁草書房)されて50年となる。

世界史の流れを押さえつつ、来年、『進化する都市』100年『生活・住宅・地域計画』50年に因むイベントが出来ればいいなあ、と世の片隅で思っている。どうでしょうか。

『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳 鹿島出版会刊)の研究ー4 社会学との関係

2014-06-26 | 地域居住学
『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳 鹿島出版会刊)の研究ー4 社会学との関係について述べたい。

日本の都市社会学は奥井復太郎さん、磯村英一さんに始まっているが、彼らはアメリカのシカゴ大学社会学部の研究を「都市社会学」の始まり(1920年代)とみなしている。が、イギリスのゲデスは1既に915年に『進化する都市』を発刊していたが、奥井さん等は、ゲデスには全く注目していなかった、と慶応大学の藤田弘夫さんは言っている。(論文「P.ゲデスと齢社会学の展開」による)

「ゲデスの都市研究は、都市計画学や地理学の分野では再発見であっても、(日本)社会学では発見であって、再発見ではない。都市社会学には、奥井復太郎以来、ゲデスの影はなかったといっても過言ではない。そしてこれに異をとなえる社会学者はいなかった。」(同上論文P.21参照)


で、僕に『進化する都市』を読んでみたら、と示唆した、故・絹谷祐規(きぬたにすけのり)先生(1964年当時、京大工学部助教授、修士論文の指導者)は、自らの学位論文で住宅供給をキチンとやるには家族の型を明らかにすべし、と考えていたので、社会学、家族社会学に注目し、蔵書にも社会学関係も多かったと言える。

でも社会学とりわけ都市社会学分野ではゲデスは殆ど取り上げられなかったのだ。今後、遅くないからゲデスをきちんと位置付けてほしいと思う。


『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳 鹿島出版会刊)の研究ー3

2014-06-25 | 地域居住学
パトリック・ゲデスは、教育としては「進化生物学」を専攻した。そして19世紀から20世紀にかけて活躍した。生物学も新しい段階に入りつつあったが、都市計画(学)も新しい局面に入りつつあり、ゲデスも「異分野」からそこに関わらざるをえなくなった。

ゲデスは、多方面に目配りし、色々な分野で新しい局面を切り開いたと評価されている。

例えば、教育学、<環境と開発>の教育学でも足跡を残している。

私達が『進化する都市』を翻訳して少しして一橋大学の大学院生・安藤聡彦さんから問い合わせがあって、以後「細々と」付き合いが続いていると私は認識している。安藤さんの指導教官は、藤岡貞彦先生で、1935年のお生まれ、僕より6年年上にあたる。

安藤さんは、その後、「環境教育とゲデス」で学位論文を書き、今は埼玉大学の教授ではないか、と思っている。安藤さんから、藤岡貞彦編の『<環境と開発>の教育学』(同時代社)を頂いた。中に「環境教育学者」でイギリス人のキース・ウィーラーさんが共著者で含まれており、ゲデスのエジンバラの「アウトルック・タワー」の実践も紹介されている。

ゲデスの業績を『進化する都市』発刊100周年にも因んで、色々な面から評価していきたい。関連ある方々からの評価をお聞きしたい。

『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳 鹿島出版会刊)の研究

2014-06-23 | 地域居住学
『進化する都市(Cities in Evolution)』は原版1915年に発行で、来年が発行100年となる。 僕たちの日本語訳本(1982年)発行からは来年で33年となる。復刻改訂版を出すいい節目と言えよう。

で、ぼちぼち「改訂」部を考えているのだが、今回、本の表題、特に副題については、付け加えておきたい。その方が、本の目的、性格が、より明白に分かると思うからだ。

副題としては、都市計画運動と市政学研究への入門、となっており、そのまま増補副題に採用したい。

第一に、都市計画を、市民や専門家の「運動」としてとらえており、かつ第二に、それを支え前進させるためにソフトな「市政学」という総合的学問を提起していることである。

「進化する都市」という中心軸を設定したうえで、新しい「運動と研究」をも設定していると言えよう。

『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳 鹿島出版会刊)の復刻へ・・・

2014-06-17 | 地域居住学
数日前、鹿島出版会のW.さんからメイルがあり、1982年(昭和57年)10月12日に鹿島出版会から発刊された『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳)の復刻をしたいが、どうですか、と問い合わせがあった。一寸考えて、同意することにし今日の朝「その旨」電話した。 今後、この仕事と高校卒(1960年、昭和35年3月)までの『自分史』のまとめが「大きな仕事」となるだろう。

『進化する都市』(パトリック・ゲデス著)を翻訳発刊した1982年(昭和57年)度は、又、「居住地管理に関する」学位論文を京大(工学部)に提出し、(1983年3月)に学位(京都大学工学博士)を授与された年度である。更に『進化する都市』(翻訳、編訳)を出してすぐ10か月間の文部省在外研究員でイギリス・ロンドンに出かけた年でもある。

私は『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳)を数冊携えてイギリスに出かけた。家族3人(私、妻、娘〔中2~中3〕)で出かけ経験した生活は、帰国してから別に『いい家みつけた』として晶文社から発行した。

イギリスに出かけて、LSE(ロンドン大学)の森嶋通夫さん(故人、経済学者、当時LSE教授)とノッティンガム大学のヘレン・メラー(Helen Meller)さん(女史、ゲデス研究者)に『進化する都市』(パトリック・ゲデス著 西村一朗他訳)を献呈した。ヘレンさんの研究室の書棚には、各国語訳の『進化する都市』が置かれていたが、今はどうなっているだろうか。

当時、私は41~42歳、丁度人生の折り返し点ではなかっただろうか。今後、先に述べた二つの仕事をしっかりやっていきたい。


「間の研究」をやってみたい

2014-04-16 | 地域居住学
今日、たまたま岩波新書の大岡 信著『新 折々のうた1』をパラパラと見た。

で、最初のうたが「橋一つ越す間(ま)を春の寒さ哉(かな)  夏目成美」であることを知った。

ここでの間(ま)は、まあ「空間の間」であると思う。しかし、これを読んで考えるに、「間」という言葉は、空間の間であると同時に時間の間

でもある、と思った。 「間の研究」をやってみたい。 

先輩の「お別れ会」に行く

2014-04-06 | 地域居住学

昨日、4月5日、大学での同じ西山夘三研究室の1級上、3年先輩の三宅 醇さん(豊橋技科大名誉教授、4月1日没、享年75歳)の「お別れ会」に間に合うように豊橋に出かけた。

道中、新幹線は神戸大教授の山崎寿一さんと一緒、豊橋駅で京大教授の高田光雄さんに会って一緒に会場「ディア(涙!)豊橋南会館」にタクシーで行った。

15時過ぎから始まった「お別れ会」は、面白かった。亡くなった三宅さん自身も「面白くしてくれよ」というメッセージを言っていたとのことだ。

仏式でも神式でもキリスト教的でもない、宗教に一線を引く新しいやりかただと思う。

正面を見ると、三宅さんのお棺が中央に据えられ、後ろや横は花で飾られている。花の色は普通の葬儀では、白や黄色であるが、ここでは派手な赤やピンクの花も多い。花畑のようだ。三宅さんの遺影は、にっこり笑っており、背景は故郷、中津川の恵那山とのことだ。この風景は、今まで毎年貰っていた年賀状にあったと思う。

三宅さん自身が、亡くなる間際の意識がはっきりしている時点で、「お別れ会」のプロジューサーとなり、色々指示されたようだ。

「皆さん、来ていただき有難う・・・」のような三宅さんの肉声録音も流された。

弔辞は5人もあり、色々な面から三宅さんの人となりを浮かびあがらせていた。森本信明さん、小川正光さん、正田要一さん(豊橋技科大・三宅ゼミ一期生)、田中 勝さん、住田昌二さんだった。三宅さんが最後の仕事としていた『日本住宅事情史』は、住田さんがバックアップされて三宅さんの弟子の田中さんが完成させるという方向も明らかとなった。

三宅さんと奥さんの結びつきの接点の一つは、コーラスであり、奥さんとそのグループに参列者も加わって「はるかな友へ」「あかとんぼ」「ふるさと」を合唱した。皆が参加意識を高めたであろう。

参列者全員の献花のあと、家族(奥さん、長男、次男、長女)の挨拶(参列お礼と「思い」の開陳)がそれぞれあった。ご長男が、病状の進展具合(最後に自ら設計された自宅に一日だけ戻ったこと含む)もあり、お骨は、豊橋技科大を下に見る寺院に収められ、何時も過ごした技科大を見られるように三宅さんの意をくむ配慮も感じられた。

ご長男の閉会の辞で、約2時間余の「お別れ会」は終わった。個々人で花を三宅さんの眠るお棺に収めた。

奥さんやご長女に昔、拙著(家内との共著)『キラッと輝くいい住まい』(彰国社)に収録するため三宅さんのご自宅を家内と共に訪問し、聞き取り調査をすると共に一泊させてもらったお礼をも言っておいた。ご長女の「あきさん」が、僕が3月27日に出した手紙を、三宅さんの枕元で読みましたよ、と言われた。「良かった、間に合った」と思った。

久し振りに会った人たちと言葉をかわした。後の自主的「二次会」で友人に聞くと、見逃した知り合いが多い。200人にもならんとする参列者で、言葉を交わせなかったのは残念だったが、今後あったら三宅さんのことや、我々の「終活」についても話したいものだと思った。

人間観察などー無量(無料)の楽しみですよ!!-

2014-02-06 | 地域居住学

 第150回直木賞受賞者の姫野カオルコさんは、あるメディアの質問に答えて
「外出時は人間観察。電車では読書しません。人と接することが少ないのは、小説を書くのに良くないですから。ジムに行っても、電車に乗っても、あの人は何をしているんだろうと。電車では、多くの男性が鼻(糞)をほじってシートにこすりつけているのがイヤです」と、さすがに細かい場面をきちんと観察、とらえている。

 僕も昔、学生たちに電車で「暇なこと」はない。前に座った人たちを観察し、何の仕事をしているのか、独身か家族もちか、持ち家かか借家かなどなどを推量するのは、只で無限だ。そういうのを「無量の(無料の)の楽しみと言う」、と言ってきた。

 もちろん、専門にも関連して、座席向かいの人間風景と共に窓外の風景にも注意すべし、と言ってきた。唱歌(汽車)にあるように「遠くに見える村の屋根、近くに見える町の軒」にも注目すべし、と言ってきている。どうでしょうか。