西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

画家・高島野十郎から学ぶ

2008-08-31 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
久留米出身の画家・高島野十郎ののことをNHKTV「日曜美術館」で知った。昭和50年(1975年)85歳で亡くなったが生前広く知られた画家ではなかった。

しかし、生涯、静物画、風景画に「写実」を追及し、死後、その作品、生き方は広く深く影響を与えていると言う。

元々、東京帝大の水産学科第一期生、首席で卒業したが、絵に対する思いやみがたく親兄弟が引き止めるのを振り切って宣言して、画家修行生活に入った。以後、死ぬまで独身修行を貫いた。親から貰った「弥寿(やじゅ)」という名ではなく「野獣のごとく生きる」の決意を込め「野十郎」というペンネームを使った。

「写実」の方法は、ひたすら「見る、観察する」ということらしい。

風景画代表作の一つ「雨の法隆寺五重塔」は細かい雨を丹念に描きこんでいるが、この作品が人手に渡って床下に数年捨て置かれカビだらけになって、補修するとき、細かい雨も描きやすいテンペラ油で薄めた絵の具ではない絵の具で丹念に描いていたから復元補修できたとのことだ。また、キャンバスの裏にも絵の具を塗りこんで、カビの影響を予測したかのように防護策をとっている。この絵を渡すとき「私の絵は千年はもつ」と野十郎が言ったと言う。この絵は、法隆寺五重塔の風景の「一瞬」を切り取って描いたものだが、これを完成させるのに17年間かかったらしい。

野十郎が言った「千年はもつ」という意味は、物理的にもつという意味よりは、その絵を見た人たちに永遠の印象を与えるという意味に解したい。一度見てみたい。

もう一つ、岩の両岸を流れ落ちる「流れ」は、水の流れ、細かい波、水しぶき、両岸の岩などリアルで、「写実」のきわみとも思うが、これに関して話した野十郎によると「ひたすらこの流れを見ていたら、突然、流れが止まって逆に両岸の岩が動き出した」とのことだ。悠久の自然の変化を「体感」した一瞬だったかもしれない。

更に「菜の花」は、天と地の間に咲き誇る「命の花」を強く印象を残すように描いている。

静物画の「からすうり」は、誰にも感動を与える描き方だ。

最後に、お世話になった人たちに渡したと言う多様な「ろうそく」画は、「一隅を照らす」という意味もあったかもしれないが、「一瞬の光も、絵として永遠に貴方の側そばにある」というメッセージかもしれない。

総じて「一瞬をリアルに描いて永遠を」というのが高島野十郎の絵であるかもしれない。一度、画集や評伝を見てみたい。

(写真は、「ろうそく」)

街路樹の椋鳥の群れ対策

2008-08-29 | 地域居住学
今日、用事で天理に行った。で、天理市役所の人と話していたら、最近、街路樹に椋鳥(むくどり)の群れが飛来して、糞などを落とし、市民から「何とかしてくれ」と苦情が寄せられていると言う。

椋鳥は、特別に害鳥に指定されていないので、むやみに捕獲したり、殺したりは出来ない、と言う。「じゃあ、どうするの」と聞いてみた。

対策を二つほど考えたと言う。一つは、不要になったCD盤で真ん中が赤いもの二つをセットにし、枝にたらす。まあ、フクロウの目に見立てている。フクロウは肉食鳥なのでいわば天敵、フクロウの目を見たら逃げ出すのではないか、ということらしい。しかし、これは上手くいかなかったようだ。

もう一つは、これから試すらしいが、フクロウのほか、天敵の鷹や鳶の声を録音して(どこかで見つける・・・)、それを流してみよう、と言う。「上手くいけばいいね」と言っておいた。

街路樹は、出来上がった姿はいいけれど、植物なので成長もして枝葉を伸ばすし、動物も引き寄せるので、継続的管理は大変だな、と思った。

(写真は、ムクドリ)

地域で「紙芝居」をやる

2008-08-28 | NPO、ボランティア
本日、地域(けいはんな地域の加茂)で「グランマとグランパの会」で紙芝居をやったが、私が語りをやった。私としては私が主宰の「NPO地域支援研究フォーラムなら」の実践でもあった。

招いたのは、「けいはんな学研都市」内の「木津川市加茂」にある「NPO法人 夢街道・国際交流子ども館」で、応じたのが元気者の女性・小芝ルリ子さん率いる(?)「グランマとグランパの会」である。今日は私だけがグランパ、あと4人のグランマが参加。グランマはリコーダーの演奏を担当、私が紙芝居の読みをやった。この紙芝居は小芝ルリ子さん原作の「もっとくんとわけっこちゃん」。近くの保育園の年長組70人が見に来てくれた。私が紙芝居を見ながらあれこれ聞くと元気に答えてくれた。「掛け合い型」の紙芝居実践だ。

「NPO法人 夢街道・国際交流子ども館」は地域でフリースクールを経営している。雑誌「WEDGE」に理事長・比嘉 昇さんが教育論を連載している。

こういう風に地域にあるNPOやボランティアが協力していくのも今後の姿であろう。是非、地域のグランマ、グランパ(の年代の人達)に参加して欲しい。

(写真は、紙芝居「語り」の私ー「やいやい」さん撮影ー)

小池康博さんのアイデア生まれる場合

2008-08-27 | 色々な仮説や疑問
昨日、プロフェッショナル(NHKTV)で高分子科学者でガラスではなくプラスティックで「光ファイバー」(自由に光が曲がって進める)を初めて生み出した小池康博さん(慶応義塾大学教授)の研究室のことをやっていて、興味があって、その番組を久し振りに見た。

アイデアを「これから考えるぞ」という場合は、駄目らしい。そうだろうな、と思う。アイデアがあって、それを詰める場合は「これから詰めるぞ」でよいかもしれない。でもアイデアは、一寸リラックスした状況の時に生まれるのでは、とのことだ。私も「そうだろうな」と思った。小池さんは昼食を研究室の院生と食べに行く時、趣味のピアノを弾く前後に「アイデア・スポット」があるようだ。

私は「アイデア」という程でもないが、電車に乗っている時などトランスファー(移動)の時に、「ああそうだ」と新らしいアイデアを思いつくことが時々ある。

(写真は、小池康博さん)

立命館顧問・川本八郎さんの講演を聞く

2008-08-26 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
立命館大学生え抜きで大学の学生課長、総務課長、総務部長、法人の常務理事、専務理事、理事長を長年勤め、現在は顧問の川本八郎さんの「これからの私学経営のあり方」という講演を聞いた。

平安女学院(京都)で行われた「第51回聖公会関係学校教職員研修会」の基調講演であった。立命館と平安女学院との最近のつながりと言うか、川本さんと平安女学院理事長の山岡景一郎さんとのつながりで招かれたものである。

川本さんは1934年生まれの73歳(もうすぐ74歳)、石川県小松市出身、私は同じく石川県金沢市出身で7歳年下、夜の懇親会では 私は、いの一番に挨拶して名刺交換した。柔和な様子でにこにこしておられるが、講演は激しい押しの強い言葉の連続で印象深いものだった。

立命館の最近2,30年の目覚しい発展は、川本さんの立命館大学総務課長時代の1979年に始るようだ。それに先立つ「大学紛争時代」を思い出され、「砂をかむような苦々しい時代、あれで何か大学は変わりましたか?」と鋭く問われた。

その経験から「破壊は何も生まない、創造の苦労は大変でもやりがいがある」と立命館の現状を冷静に分析する作業をやられ、それに対する政策を練り上げ、発展するとしても敷地が狭かったので広小路学舎から衣笠学舎、理工学部の滋賀県草津への移転が行われた。衣笠から草津に移転するとき、ある教授が猛烈に反対したが、その理由たるや「金閣寺界隈を散歩できなくなる」というもので唖然とした、会社だったら「上海に工場作るから行ってくれ」と言われてそんなことを言う者はいまい、と言われた。

最近で、もっとも目覚ましいのは、大分・別府に「立命館アジア太平洋大学」(APU)をつくったことである。これに対しては学内の各学部教授会は殆ど反対(これに対しては、別大学を作ることは教授会事項ではなく法人事項と押し切る)、文部省と相談しても「大丈夫か」と言われる始末、先輩達も「川本君、そんな危ないことはやらないほうが良い」等と散々だった。しかし、現状分析を基にした政策の基本に国際化、ソフト化などがあり、欧米の留学生ではなく、アジア、太平洋地域の留学生を受け入れ、彼らの祖国の発展に資するという「志の高さ」を堅持していたので、教職員は燃えて開学にこぎつけた。「志の高さ」が批判、雑音をはねかえす原動力、と川本さん。日本の「辺境」の一つ、九州でも「裏九州」で学問することは、日本や世界の発展途上地域をどうするか、にも通じ、これも「志の高さ」かな、と私は聞いていて思った。

学生は日本人半分、留学生半分なのだが、アジア太平洋地域からの学生は「志は高くても」経済的に恵まれているとは限らない。むしろ貧しいと考えたらいいだろう。そこで、日本の一部上場企業を全部回って奨学金基金等の募金をお願いしたという。これによって寮を建設し、奨学金も出せるようになった、と。

これを聞いて、私は「立命館の伝統が生きているな」と思った。どういことかと言うと私の学生時代(1960年代)頃では、私学の中でも立命館の授業料は比較的安く、まあ言ってみれば「同志社はお金持ち」、「立命館は庶民」の子弟の大学と言う印象だった。だから、大学国際化の中でも立命館APUはアジア太平洋庶民路線だな、と思ったのである。どうでしょうか。

こういうAPUを出たアジア太平洋の学生達は祖国に戻って「出世」したら、APUをPRし、子弟を再度送り込み、奨学金等に感謝して寄付も厭わないのではないか。これは、以上のように学生中心で進めた場合の「好循環」予測である。


他に大学自治は極めて大切なこと、教員は組織的に動かないと言う特徴があるが、大学での大事なActorでありActressである。その演ずるドラマを筋書きの根拠をつくり支えるのは職員である。と、どちらも元気の出る位置づけの感じだった。

全体として、実績を背景にしたパンチの効いた話であった。

オリンピックが終わった・・・

2008-08-24 | 時論、雑感
今日の閉会式でオリンピックの北京大会が終る。

ほぼ毎日のようにテレビで競技を見てきたので、これから4年間はないとなると「淋しい」気もする。でも、よく考えてみると、ここから次のロンドン大会に向け「闘い」が始まっている。日本の各競技団体や選手(選手を目指す人達)、コーチ達は、今大会を分析、反省してそなえるのは当然で、明日から出てくる「マスコミ評」にも注目したい。

メインの陸上では、男子400メートルリレーで3位銅メダルは、立派だった。4人には100メートル9秒台は一人もいないが、全体で38秒台だった。その原因の一つであるバトンタッチの巧みさがクローズアップされた。記録では、日本を上回るアメリカやイギリスが決勝に残れなかったのは、バトンタッチの失敗による。日本は、ここによそではない工夫を01年からした。それは、それまでの「オーバーハンドパス」から「アンダーハンドパス」に変えたことだ。「オーバーハンド」よりも受け渡しをする両者の距離が近いため効率が悪く見えるが、当時、男子短距離部長としてこの方法を取り入れた高野 進・北京五輪陸上代表監督には「スピードに乗った状態で確実に渡せる。走力の差を技術でカバーするには有利」という信念があった、と言う。事実、01年から北京五輪まで計6回の五輪と世界選手権すべてでバトンパスを失敗せずに決勝に残っているのは世界中で日本だけだと言う。(『毎日』石井朗生記者による)日本独自の技術を工夫し、磨いた結果が銅メダルになったのだ。銅メダルの4人がこもごも「日本短距離界の先輩達からの伝統が生きた」と言っているのも腑に落ちる。直近では高野 進監督のアドバイス、決断などであろう。

これに引き換え長距離陣は不甲斐ない。男女ともマラソンで各1人欠場となった。外から見ると「無理な練習が、自らの首を絞めた(というか足を台無しにした)」といえないか。水泳8冠のフェルプス選手は、「きちんと食べ、きちんと寝るしかない。練習だけではだめなんだ。」と言っている。どうしても結果に直結と思われがちな練習の強度が上がり、肉体を酷使し、かえって肉体そのものを潰してしまうのだ。毎日毎日の食事、毎日毎日の休養・睡眠こそが合理的練習のベースであろう。

水泳では、北島康介選手の二種目連続二冠は立派だった。彼も日本水泳の特に平泳ぎの伝統に工夫を加味しているし、毎日の過ごし方も合理的に転換してきた。

柔道やレスリングでも連覇が目立つが、過去に勝った体験におごらず、地道に4年間の生活をトータルに合理的に過ごしてきた印象を受ける。後は体が「勝手に」動いて、前の勝利体験がそこで生きてきたみたいにみえる。毎日毎日の工夫、精進を怠るとたちまち負けてしまう。シンクロナイズドスイミングのチームプレーで中国に抜かれたのもその例かもしれない。逆に中国チームは井村コーチの下で日本の特徴も知った上で精進してきたのだ。体操は男子総合三位になったが、過去の栄光を知るものには「いまひとつ」だ。次回を期待する。

今まで目立たなかった種目で銀(フェンシング)や入賞(女子カヤック等)を果たしたのは、やはりそれなりの理由があろう。全体として、良い体験は、普及し、悪いところは改めて欲しい。

4年後にどうなるか、日本チームに期待しながら4年間、色々な種目を観察したい。


オリンピック野球結果の感想

2008-08-24 | 時論、雑感
昨日、北京オリンピック野球の3位決定戦、優勝戦が行われ、結局、優勝戦では韓国がキューバに勝ち、アメリカ、キューバに次ぐ優勝経験国になった。二位はキューバ、三位はアメリカが日本に勝って銅メダル、日本は四位になった。

一昨日の準決勝戦の韓国ー日本戦を見ていても、日本は逆転負け、昨日も三位決定戦でアメリカに逆転負け、日本は「不甲斐ない」の一語に尽きる。

日本は、バッティングがひ弱な感じ、韓国やアメリカと「振り」が全然違う。日本のピッチャーはここ一番で打たれている。

考えてみると、日本チームが勝ち続けるように導く「インセンティブ」が弱い。

韓国では、銅メダル以上を獲得すれば兵役を免れることになる、という「刺激」が働いている。キューバは、長年経済封鎖され抑圧されてきたアメリカには何としても「勝つぞ」の意気込みがある。
韓国は、隣国の日本には「絶対勝つぞ」の意気込みが、ある。ところが、日本は、それが「ない」。3A以下のメンバーで構成されているアメリカにまで負けるんじゃ日本のプロ野球は「強くない」ということになり、日本の「一流」選手はメジャーを目指すことに拍車がかかる。

選手ではないが、監督、コーチの顔ぶれをみると、星野、田淵、山本浩二、大野と「仲良しグループ」で、アドバイスがいまひとつだった。ピッチャーの起用、野手の起用で「温情主義」の面もあって「傷」を広げた面もある。

もうオリンピックで野球は当分ないが、世界に通用する日本チームはきちんと養成されねばならないだろう。

オリンピックの種目変遷で思うこと

2008-08-22 | 時論、雑感
明後日の24日(日)でオリンピック北京大会が閉幕する。この2週間余り、結構テレビを見ていた。日本も頑張った方ではないか。

で、普通は見られない馬術や近代五種などもチラッと見た。今回の男子の野球や女子のソフトボールは次回のロンドンでは行われないようだ。普段、野球やソフトボールが盛んにやられていてオリンピックに出てくる国や地域は決まっていて、その他の国々等から「面白くない」との声もあり、次回やられないことになったようだ。

そこで、種目別に参加の国や地域の分布の広がりがどうなっているのだろう、と考えてみた。まあ、正確には「オリンピック種目の変遷と参加国・地域の変遷に関する考察」と言った「体育学」の論文テーマになるかもしれない。

ざっと見てみると「陸上」は、ちゃんとしたトラック、陸上競技場が一つあれば、何処の国や地域でも参加できる。普段の練習は学校の運動場、野原や道でも出来る。一方「水泳」は、海や川で遊びとしてできるかもしれないが、国中(学校等)にプールがないと練習にならない。淡水も結構入れ替えも含め必要だ。要するに金も技術も要る。だから参加国や地域は「陸上」より限定される。

「サッカー」は、ボール一つとゴールがあれば、何処でも出来るし、普段の練習は運動場、野原や道でも出来、「陸上」と似ている。しかし、今までFIFAによる世界選手権がオーソライズされた大会だったので、「世界大会」をオリンピックと二重にやるのにFIFAが抵抗し、出場選手に制限を設けたりしてオリンピックは「一段低く」位置づけられている。

「サッカー」があるのに何故「ラグビー」がないのか。「フェンシング」があるのに何故「剣道」がないのか・・・、色々考える問題がありそうだ。次回のロンドン大会までゆっくり考えてみたい。「4年間の論文課題」だな。

「体験して知る食事と運動」健康ディナーの体験

2008-08-22 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
昨日、夜、奈良女子大学の生協食堂に「健康ディナー」体験に出かけた。
これは、ひょんなことで頼まれた被験者体験なのである。事前アンケートに答えて持っていった。

この「健康ディナー」プロジェクトは、生活環境学部食物栄養学科 栄養教育研究室 四回生S. K.さんの卒業研究プロジェクトで、テーマは「健康づくり支援で用いる通信型自主学習教材が行動変容に与える効果の検討」というものである。

要するに、忙しくて、食物栄養情報などが希薄な層に対して、的確な自主学習教材を通信教育のように適度に与えることによって、以前の食事(や運動)行動に良い変化がどの程度もたらせるか、その自主学習教材はどのように作ったらよいか、という問題である。

それで20歳代から60歳代までの就労男女に呼びかけての、最初のスタートがこの「健康ディナー」体験なのであった。全部で60数人の被験者が集まったようだが、日を分けてスタートするようで、この日は、大人8人(女性5人、男性3人)(付随の子供2人)だった。女子大生二人がK.さんを手伝っていた。

最初に、指導の上田講師のミニ講義があった。バランスよい食事と適度な運動の入門編で約30分、お腹も空いた19時半頃から「ディナー」に入った。

メニューは、ごはん(150g,200g,250gの三種)、豆腐ハンバーグ(レタス、トマト付き)、煮物(かぼちゃ、じゃがいも、インゲン豆)、ゴーヤチャンプル、味噌汁(シメジ、茄子入り)で、ご飯の量に応じて672kcal,756kcal,840kcalと表示してあった。

自分で、ご飯の量を決めて実際に計って茶碗に盛る。私は150gで充分と思い、そうしたが、思ったより量があった。皆は歓談しつつ食を進める。私は、たまたま前に座られた上田先生と駄弁った。丁度4年前に赴任で、私が辞めるのと同時なので面識がない。初めて色々と話した。その日、地域の「健康調理教室」にも行ったことを話した。

食後、お茶を飲みつつ感想を言いあった。私以外は20歳代から40歳代の人たちであろう。肉を使っていないと思いきや、豆腐ハンバーグには、ひき肉を少し使っている。でも全体として、植物系で、確かに健康ディナーだが結構ボリュームがあった。ご飯の量の話、塩分の話などがあった。私は、他に健康と言うと、食事や運動のほかに休養(睡眠)という要素もあり、アンケートに休養(睡眠)のことも入れるべきでは、と意見を言っておいた。21時前に感想文を出して終了。

私は、教材が送られてこない「対照群」になった。11月にアンケートが送られてくるようだ。自主的食生活改善をしていこう、と思う。

こういう市民参加型の調査プロジェクトには、地域支援研究フォーラムならのプロジェクトとも位置づけて協力、取り組んでいきたい。

「立っち」の視点

2008-08-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
以前、今年の正月に孫達三人+母親(娘)+父親がやって来たときの「エッセイ」を「おじいちゃんの這い這い」として書いたことがある。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/774066407f6c9f55028d37d8b11d4c5a

今回、その時に「這い這い」だった末孫(男、1歳4ヶ月)が今度は「立っち」でやってきた。私も、今度は自然と「立っち」の視点で家中を見ることになった。
「立っち」で歩き回る彼の視線を追うと、小学生の兄姉や我々大人を先ず見ているので、視線は上を向くことが多い。

で、その視線の範囲にあるものに注意が行く。そこで、棚の上に吊るしてあるバナナに気づいて「アン、アン」と「食べること」を要求する。別の棚の「眼鏡の小父さんの貯金箱」に注目し、指差して「もっと近くで見せろ」と要求する等々である。だから、注目したら困るものは、そういう棚には置かない。逆に注目して欲しいものは置く、という対応が必要だ。

机の上のものは、椅子によじ登って手を伸ばす。椅子によじ登れるのだが、後ろ向きに足から下りる方法が未だ分っていないので、前から下りようとすると危ないので注意が必要。

丁度、目線の高さにあるものは、とにかく近づいて触る。拙宅のレコード、CD、テープ、ラジオセットは丁度彼の目線の高さ、近づいてボタンをいじくり回して、電源スイッチオンにしてラジオをつけてしまう・・・。背伸びした所にスイッチのあるテレビは目を離すとつけたり消したりする。

床の上には「這い這い」の時より注目がいかないようだが、母親が半分冗談に「這い這いできる?もう忘れたのでは・・・」と言ったら、嬉しそうに這い這いしてみせたので、覚えていることは覚えているのだ。

今度「立っち」最初の「儀式」で柱に立たせて背丈を計って印をつけた。
彼の兄(12歳)や姉(7歳)の「柱のきず」も隣りにあって孫達の成長記録になっている。

5泊6日対応で、疲れたが良い思い出となった。

競泳で八冠フェルプス選手の言葉

2008-08-19 | 時論、雑感
北京五輪の競泳で八冠(アテネ五輪では六冠)を達成したアメリカのフェルプス選手の言葉が『朝日』の「天声人語」に載っていた。

「きちんと食べ、きちんと寝るしかない。練習だけではだめなんだ。」

前に田口信教さんの言い方を紹介したが、それによると、「毎日毎日の手を抜かない練習、工夫の積み重ねが大切、数日休めば大幅に後退、元の木阿弥になる。かと言って練習強度を無理に上げると体を壊してしまう。・・・」と、持続的適度な練習の重要性を指摘していた。

これらをまとめると「きちんと食べ、きちんと寝、そしてきちんと練習する積み重ねが大事」ということになる。

フェルプス選手の言い方の特徴は、結果にすぐ結び付けやすい練習にだけ目を向けるのではなく、そのベース、背景にあって、体と心の基礎をはぐくむ毎日毎日の食事と睡眠の重要性を指摘したものだ。

そうだ、水泳は、スイミン(睡眠)グなんだな。

住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える

2008-08-18 | 住まい・建築と庭
本日、大阪の大阪市立中央青年センターで日本家庭科教育学会第39回近畿地区大会があって、私は表題の「住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える」という講演をした。約30人位が聴講、全員女性だ。現在、地区会長の鈴木洋子さん(奈良教育大教授)に頼まれたものである。以下、レジュメを貼り付けておく。少し増補して12月以降に何かに書けるかな。


住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える
                     西村 一朗(平安女学院大学・教授、
                      NPO法人地域支援研究フォーラムなら)

はじめに―問題意識―
 家庭科の教科書(例えば高校)を一例としてみてみると、家庭生活―衣食住、家族生活等―を扱ったところでは、家族生活は別扱いで、衣食住に関しては、「食」「衣」「住」の順になっており、かつそれぞれのページ数が、実習のありなしもあるが、やはりこの順である。これだと、日本史で明治以降の近代、現代まで到達しない場合がしばしばなのと同じく住に到達しないうちに家庭科が終わってしまうのでは、と心配になる。
 そこで、住まいを舞台と考え、その上で「衣食住、家族生活」のドラマが展開していると捉える方法がないのかな、と考えてみた。

住まい舞台と食生活
 食の流れを考えると、農山漁村で食材が採れ、それらが流通経路を経て住まいに至る。(食物のことを考える場合、何処でそれらが採れるか―自然農業や有機農業をどう考えるか・・・―、どう身近に到達するか考えさせるのも大事)それらの食材は、住まいでは先ず「貯蔵」される。冷蔵庫・冷凍庫といった貯蔵設備が一般化しているが、「食品庫」、食品置き場という空間も必要と考えられる。例えば、地産地消で、泥付き大根などは何処に置いたらよいか。一度に買いだめるジャガイモや玉葱等は何処におくのか。土間空間が、段々少なくなっている住まいを考え直すいいチャンスではないか。
 次に冷蔵庫や冷凍庫であるが、「貯めて捨てる」のではなく、無駄なく食材を使い切る工夫も必要なのではないか。食材を調理する台所であるが、一人で効率よく台所作業が出来る、といった人間工学的取り組みも大事だが、今後は、親子が肩を並べたり、夫婦が肩を並べたり、友人同士が肩を並べて調理できる台所が必要なのではないか。
 配膳し、食べる場面だが、最近「早寝、早起き、朝ごはん」などと言って朝ごはんを食べようという運動もあるようだが、少なくとも日に一回位は、家族そろって食べる機会を設けるべきだろう。これは、食生活の問題であるとともに家族関係の問題でもある。
 そして、後片付けであるが、これは家族全員で取り組む問題ではないか。これは、家庭生活でも行為の切れ目はきちんとすることでもある。残った食物は、どうするのか、単に捨てるのか、「コンポスト」などに回して有機肥料とするのか、何処でそれをするのか、舞台装置を考えねばなるまい。
(どういう食品を食べたらよいか、栄養学的問題や、どう美味しく調理したらよいか、調理学的問題は、食固有の問題として教育すべきは論をまたない。)


住まい舞台と衣生活
 衣の住まい舞台での流れを考えると、何処に納めてあり、何処で着て、何処で脱いで、洗濯はどうするか。それらの洗濯前後の流れはどうか、などの問題があるだろう。下着を例に、拙宅での考え方を一例として述べてみる。
・二階に脱衣室=洗濯室・下着収納室、干し場・・・二階のベランダ中心、整理・・・二階の和室、収納・・・脱衣室、納戸(箪笥)
(繊維の質や、洗濯・洗浄のメカニズムは固有の問題であろう)


住まい舞台と家族生活
・子供部屋の問題・・・時期、設置の仕方(ドア・・・)、管理の仕方、
・子供の引きこもりの問題・・・家族での共同行動(家事手伝い)、居間・食堂への「匂い付け」


住まい舞台と福祉・高齢者生活
 住まい舞台での高齢者問題というと、「バリア・フリー化」の問題と思われがちであるが、高齢者が増え、住まいでの生活期間、時間も長くなってくると、住まいは、高齢者の福祉空間、療養空間としても捉える必要が出てきている。

・隠居ではなく「顕居」を、外との「つながり」の重要性・・・○自ら外出しやすいように、外との交流がしやすいように・・・、○医療関係者、福祉関係者がアプローチしやすいように、他の家族員の普通の生活ディスターブしないように・・・。


終わりに
 もう少しきめ細かく議論して、冊子(本)にまとめて発信するため、研究会を組織していこう。



研究会は、正式には12月以降立ち上がることになった。一石を投じた甲斐があった。


奈良女大卒30周年同窓会に参加

2008-08-17 | 奈良の思い出(助教授時代)
30年前、1978年(昭和53年)に奈良女子大を卒業したの同窓生のうち164名、当時の教員のうち38名(で例年よりやや多い)の約200名が参加した(第26回)「奈良女卒30周年同窓会」が、本日、奈良ホテルで行われ、私も当時教員の一人として招待され参加した。家政学部住居学科卒業生は、27名のうち15名が参加した。私は、今回は4回目の参加だった。

2007年の記録:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5afbbe7cccda59c0b535abac30e3a4d0
2006年の記録:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/8a1ee68075613856147532c3e0d68dbc
2005年の記録:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b15a6a51e931baeeb5dea11a58862445

何時もは8月第一週日曜日に行われる慣わしだが、去年、今年と第三日曜となった。旧教員では、元学長の田村さん、前学長の丹羽雅子さん、現学長の久米健次さんが参加し、久米さんが現状と来年の「創立百周年記念事業」のこと、田村さんが乾杯の音頭をとられた。私のテーブルは18卓で住居学科卓、近藤公夫先生(79歳)と疋田洋子先生(70歳)が来ておられた。昔の学生は皆、見た顔なのだが、扇田・西村ゼミだった富山和子(旧姓・三木さん)さん、静岡大の小川裕子(旧姓・相島さん)さん以外パッと名前が思い出せない。後で名札を見て確認させていただいた。皆、卒後30年なのでほぼ53歳である。立派なはずだ。

途中、旧教員の石川 実さんが近況報告、もう71歳のようだが「若い」感じだ。社会学で「男の嫉妬」の研究をしているようで、バートランド・ラッセル日記や、シェークスピアのオセロ、日本の源氏物語等も素材にしているようだ。確か、8年前の「定年退官」パーティで、そういう研究をしたいと言っていたから着々だな、と感心した。

料理も酒も美味しく酔ってしまった。最後に「一本締め」で締めるのも面白い。
例年のごとく、200名を越す記念撮影で「解散」となった。

参加の旧教員:文学部・・・丹羽、梶野 啓、田村 叔、山本邦彦、佐藤宗じゅん、牧野りゑ子、上杉孝実、松井春満、森田晴美、清水御代明、土居道榮、井上公正先生
理学部・・・池口信子、大石 正、高木由臣、香川貴司、川崎和子、久米健次、高橋壮二、渡辺仁治、吉岡恒夫、奥村晶子、木村 優、菅江謹一、山本正夫先生
家政学部・・・相川佳予子、丹羽雅子、石川 実、今村幸生、遠藤金次、梶田武俊、河合弘康、関川千尋、平松 毅、廣瀬正明、近藤公夫、疋田洋子先生、西村一朗

北島康介選手の二種目二連覇に田口信教さんの批評

2008-08-15 | 時論、雑感
昨日、北京オリンピックの水泳男子二百メートル平泳ぎ決勝で北島康介選手が二位に1秒以上の差をつけて2分7秒台のオリンピック新記録で優勝、これで百メートルに続きアテネ大会に続き二種目二連覇となった。凄い記録である。日本選手では史上初めてと言う。

夜、ラジオでミュンヘン大会の百メートル平泳ぎで金メダルの田口信教さん(鹿屋体育大学教授)が、元選手の体験を踏まえてコメントしていて興味深かった。田口さんがミュンヘンで金メダルを取るまでの経緯、泳法工夫などについて何日か前にテレビで見ていたので、なおさらだった。田口さんについてのブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b06b79d902805cdc7110a6f908de1f1a

「・・・最高の状態を保とうとすると毎日毎日が、ある意味で無味乾燥な練習の連続で、一寸手を抜くと元の木阿弥になってしまう。少し激しくやると体を壊してしまう。その間に泳法の工夫をしなければならない。例えば、冒険家の植村さんが成し遂げた結果は華やかだが、そこに至る毎日は地道な努力、前進だ。

北島選手は、泳法を完成したのではないか。今後、頂上から「降ーりた」ではなく後継に技術を見せながら伝えてほしい。水泳の教育は理論と実際を見せることである。今日の泳ぎについて言うと、最初の50メートルの入りが0.5秒早すぎた。ここで抑えていれば最後の50メートルも32秒台でいけて世界新が出ていたのに・・・(これは田口さん自身が、ミュンヘン大会で百メートルを泳いだとき、最初の50メートルを抑えて7位だったにもかかわらず後の50メートルでごぼう抜きで金メダルだった体験に基づいていて説得力がある)」

一日一日、地道に積み上げることの重要性は、「生きる」ということ自体にもあてはまるのではないか、と思った。

ヒヤリ・ハット21万件

2008-08-14 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
今朝、テレビで、この一年間、医療機関で「ヒヤリ」としたり「ハット」としたりの医療過誤一歩手前の事例が約21万件もあったと言っていた。

薬を良く似た名前で間違えそうになった事例もあるようだ。

おいおい、しっかりしてよ、と思う。確かに医師不足等が言われているが、それも含め国民的目線から、医療問題をじっくり考察すべき時代となってきている。

看護師の位置づけの問題、居住空間を医療空間とも考えていく問題、病室・病院のあり方を患者本位にする問題など色々考えていこう。