西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

人口70億人より

2011-10-31 | 時論、雑感
今日、世界人口が70億人に達したようだ。今日生まれる赤ちゃんは、国連によって皆、人口70億人目と認定されるようだ。

1959年(52年前、小生は高校2年生~3年生)には世界人口は30億人だったようだ。(1804年のナポレオン皇帝時代には10億人という。)えらいスピードで増えているということだ。

21世紀中には、100億人に達するのでは、とのこと、そうなると限度あるこの地表で生産される100億人を養うに足る食料は大丈夫か、命の真水は大丈夫か等の心配がつのる。

まあ、これは一種の動物の「爆発的発生」とみても良いのではないか。普通は、一種の動物の爆発的発生は、種全体の「生態学的バランス」から言って認められないのではないか。

旅鼠なども爆発的に発生したため氷の海に雪崩をうって飛び込み(集団自殺し)、絶滅した。赤腹マイマイは、爆発的に増殖した後、ウイルスにより腸が溶けて「悶死」する。人間種はどうなるのだろうか。理性で人口を食料や水の限度内に抑えれるかどうか、である。(決して馬鹿な核戦争などで「絶滅させる」等と考えないことだ。)

いわゆる先進国は、実際に減り気味であって、将来人口1億人を切る日本、1千万人を切るベルギーなどは、量的には相対的に小さくなっていかざるをえない。その世界実像はどんなものだろうか。

ブリュッセルの凱旋門

2011-10-31 | 訪問場所・調査地
ブリュッセルでバスの中から「凱旋門」を何度か見たが、行っていない。今度行く時?には、近づいてみて、屋上にも上がり、見晴らしの良いレストランで食事をしてみたい。

この「凱旋門」は建国50周年の1880年に完成の予定が大いに遅れて25年後の1905年に完成した。レオポルド二世のベルギー「絶頂期」である。

しかし、良く考えてみると、ベルギーは何処かに戦争をしかけて、勝って「凱旋」したことは一度もないのだ。

まあ、お隣のパリのナポレオンの凱旋門に「対抗」しているともいえるが、強いて言うと「未来における凱旋」を期待して、とのことだが、それから一世紀以上経った21世紀、今さら「戦争からの凱旋」なんて先ずありえないのだから、まあ「精神の勝利」「文化の勝利」そして「平和の勝利」を願うかな。

そういう思いで将来行って見たいと思うのである。

グランプラスという空間

2011-10-30 | 訪問場所・調査地
ブリュッセルの「中心空間」は、グランプラス(Grand-Place大きな広場)であろう。これはフランス語である。

ビクトル・ユーゴーは、「これは世界一の広場だ」と言ったようだ。世界遺産となっている。

プラスとは、Placeでありフランス語では「場所」という意味と「広場」という意味を併せ持つ。フランスなどヨーロッパでは、「大事な場所が広場」なのだ。

他国語では、場所及び広場を表す言葉は、ドイツ語ではPlatz(プラッツ)、スペイン語ではPlaza(プラザ)、イタリア語ではPiazza(ピアッツア)などで同じような言葉になっている。

このブリュッセルのグランドプラスには市庁舎(15cのゴシック建築)も面しているが、中世の職人の扶助組織の「ギルド」の建物も面している。それらの建物には、それぞれの守護聖人の彫刻も刻まれている。

また、ベルギー特産のチョコレートの老舗(ゴディバ)や新勢力の店も、この広場に面している。

ここで7月には盛大な祭りがあるようだが、今回は10月なので見られなかった。

このグランプラスからは色々な店があるレストラン街、世界一古い「アーケード商店街」、有名な小便小僧像にもすぐ行ける。

ところで、私たち夫婦は、夜の自由時間に、ここからホテルに帰るのに迷子になって1時間以上ウロウロした。こういう場合には、元に戻って、一度は歩いた道を行くのが一番いい。

こうして21時半過ぎにたどり着いたが、ホテル隣のレストランでビールにありついてホッとしたのだった。

ベルギーという国

2011-10-30 | 訪問場所・調査地
ベルギーは、「北」にオランダ、「南」にフランス、「東」にドイツ(ルクセンブルグ公国もあり)があって、北側はオランダ語圏(フランダース地方)、南側はフランス語圏(ワロン地方)、一部ドイツ語域、ほぼ真ん中の首都ブリュッセルは、フランス語、オランダ語両方が公用語になっている。

従って、ブリュッセルでは、交通標識も、フランス語、オランダ語両方で書いてあるが、オランダ語圏(フランダース地方)に行くと、オランダ語だけ、逆にフランス語圏(ワロン地方)に行くとフランス語だけになる。全体としてはオランダ語6割、フランス語4割だが、ブリュッセルではフランス語が6割になるようだ。

このツアーに一緒に参加した私より高齢の男性が、国内で違う言葉が公用語なんですねー、と感心していた。私は、他にはスイスのようにフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマン語の4つが公用語のところもありますよ、と言っておいた。日本にいると、考えもしないことだろう。

特にベルギー語というのがなく、こうなってきたのは、長い歴史の結果であろう。ベルギー史をしっかり勉強すると、ヨーロッパ史が分かるかもしれない。ベルギーはローマ帝国、フランク王国、ブルゴーニュ公国、ハプスブルグ家、ネーデルランド王国(オランダ)を経由して、ベルギーが独立した1830年(10月4日)ころからも、ヨーロッパの他国(ドイツ公国)から王様(レオポルド一世)を招いた国柄である。

日本の近代が1868年に始まったとするとベルギーはそれに先立つ1830年に「近代」が始まったと言える。ヨーロッパ列強に遅れて「植民地」を取りに行き、アフリカにベルギー領コンゴを得ている。ここのゴム採取や鉱産物などにより1900年前後のレオポルド二世時代が、「一番」繁栄したとのことだ。ブリュッセルにレオポルド二世が造ったという宝の蔵が五つもあり、1900年のパリ万博に日本から出展した「五重塔」をレオポルド二世が気に入って、買い取って、現在もブリュッセルに現存している。

ブリュッセル人もレオポルド二世を偲んで「レオポルド二世通り(LeopoldⅡ)」という通りをつくっている。

現在は、オランダ語圏は主にプロテスタント、フランス語圏は主にカソリックとのことだった。全体としてはカソリックのようだ。人口は全体でほぼ1千万人、首都のブリュッセルは1割のほぼ100万人である。全体面積は九州位である。

政治・軍事・経済から言うと、ヨーロッパ「全体」のEUの本部、NATOの本部がブリュッセルに置かれているが、国内的には、議会は、全体議会、ワロン地方議会、フランダース地方議会、首都圏議会が重層的にあって複雑なようだ。

オランダと合わせて「ネーデルランド」と言われ、平地が多いが、オランダが殆ど平地ばかり(海抜0メートル以下もある)なのに対してベルギーは北のオランダ続きのフランダース地方は、ほぼ平地だが、南のワロン地方のアルデンヌの森あたりは山地である。

案内人のS.さんに聞いたら、ベルギーのバス運転手でアルデンヌを走る分には良く起伏を知っているので安心だが、オランダからの続きでオランダのバス運転手で走る場合、気をつけないと、とのことだった。ブレーキを踏みすぎて煙が出たこともあったという。今回は、もちろんベルギー人の運転手でアルデンヌの森を走ったので安心だった。


ベルギーの3泊(実質)旅行

2011-10-29 | 訪問場所・調査地
前のブログに書いたように今回「古希自分祝い」旅行で、妻と一緒に初めてのベルギーに行ってきた。ベルギーは、余り良い気候の国ではないようだが、今回は、「行いが良かったか」明け方に二日ほど降られたが、目的地では、殆ど傘は要らなかった。

ブリュッセルに3連泊して、そこからバスで地方に行った。連泊は、スーツケースを整理して毎日ごろごろ転がす必要がなく、「年寄り?」には良いかもしれない。

ホテルで「枕銭」を試しに毎日徐々に「上げていったら」案の定、掃除のやりかたが段々丁寧になったような感じだった。そういう「遊び」も出来た。

今回は、某社企画のグループ旅行、結局全体で36人の参加、男性8人、女性28人で圧倒的に女性優位、このうち7組が夫婦ないしカップル、男性一人(60歳代)、女性で夫婦ないしカップル以外は、日本では夫婦ないしカップルなのだが旅行には単身で来たのか、元々単身なのか分からない。

まあ、目分量で年齢構成をみてみると、私ら夫婦より年配(70歳から80歳位)は、4組(8人)、「単身」60歳代は男女3人、50歳代夫婦2組(男性一人は自営、もう一人はサラリーマンだが夏休み取れず、その替わりに今回参加と言う)、あとは40歳代、30歳代で20歳代はいなかったと思う。私らも含めて65歳以上がほぼ1/3の11人、なかなかのものだった。

行った所は、一日目:ブリュッセル市内、   二日目:アントワープ、ブリュージュ、
三日目:アルデンヌ地方の古城など、   四日目:ゲント である。

毎日、ブリュッセル市内を抜けてバスで地方に行くのだが、大体行き帰りはブリュッセルの通勤ラッシュに巻き込まれた。特に三日目や最後の日は、例のギリシャ危機の処理の問題でのEUサミットがブリュッセルのEU本部であったので、サルコジ仏大統領やメルケル独首相らが集っていて交通規制がかかっていて大変だった。

ブリュッセルの交通渋滞は、毎日のようであった。歩道や自転車道も一部駐車場になっていて「大変だな」と思った。渋滞解消のため地下道もあちこちで掘っているが、バスは通行禁止で、我々はノロノロと地表を進むのだった。

以下、印象に残ったことを書いていきたい。

ベルギーに行ってきます

2011-10-21 | 訪問場所・調査地
明日からベルギーに短期間行ってきます。ベルギーに行くのは生まれて初めてです。
 古希(70歳)になったので、その「古希自分祝い」旅行です。

まあEUの本部が首都のブラッセルにある、という意味でヨーロッパの「中心」ではあるが、フランスやドイツに比べ遙かに小国である。

今までヨーロッパで行った国々は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スイス、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウエーの10カ国かな。

それぞれの国々は世界史、日本との関係では色々あり、結構はっきりしている。

ところがベルギーは、世界史での役割、日本との関係はどうなのか、私にとってはっきりしていない。皆さんは、どう位置付けられますか。

今度の旅は、それを明らかにするのも一つの目的かな。まあ気楽に楽しみたい。

ベルギーのこと、特に既に行かれた皆様、色々教えてくださいね。

世界と日本の色々

2011-10-20 | 時論、雑感
世界では、EUのギリシャでは10万人の大デモ、アメリカでも99パーセントを占める庶民を代表して若者や学生たちがウオールストリートでデモを敢行している。

ところで、日本では最近ようやく6万人の「脱原発」集会、デモがあった。

今朝の『朝日』で「街頭とは・・・」という特集があり、ある若い論者は、「街頭は日本では自動車用、フランスでは人間用・・・」と言っていて「そうだな」と思う。フランスデモは、街頭一杯に広がったデモで、正に街頭は人間用である。フランスでは、人々がデモを始めると警官は後ろに下がる。日本では警官は前に出てきて規制する。何たる違いか。

街頭、道には色々な使い道、意味があることを確認しつつ「道は未知に満ち満ちている」と言いたいし、それらの未知を発見していきたい。

また、世界では例えばタイで未曾有の大洪水が起こっていて、アユタヤは言うに及ばずバンコックも危ない状況だ。日本企業も多大の損害を被っている。

日本国内でも「大洪水、土砂崩れ」が起こっている。企業や住宅の立地は、よくよく考えなければなるまい。

助六鮨、市松模様

2011-10-19 | 言語・字・言語遊戯
『広辞苑』によると、

助六鮨(すけろくずし)・・・稲荷鮨と巻き鮨を組み合わせた鮨。「揚げ」(油揚げ)と「巻き」(海苔巻き)からなるところから、遊女「揚巻」が登場する歌舞伎「助六」に因んで言う。

市松模様(いちまつもよう)・・・紺と白とを交互に置いた碁盤縞を並べた文様。1741年(寛保1)江戸中村座の俳優初代佐野川市松がこの文様の袴を用いたのに起こる。

両方とも江戸時代の歌舞伎に由来している。佐野川市松が袴に「市松模様」を初めて使ったのが1741年で私が生まれた1941年の200年前である。(私としては覚えやすい)


で、上に示したのが「市松模様」である。『広辞苑』では、紺と白を交互に・・・、となっているが、その後、色はおいておいて、違う色を交互に・・・も「市松模様」と広義に呼んでいるようだ。

ところで、これらを都市の区画と考えて(大きさは様々に考えられる)、紺の部分を「建築領域」、白の部分を「公園、空地、オープンスペース領域」と考えると、例えば大震災で「紺の建築領域」が大きく破壊されても「白のオープンスペース領域」に直ちに隣りの壊された建築群を再建し、「紺の部分」の瓦礫を整理して「白の部分」に変えれば、この都市は、何時までも永続することになろう。これを私は「都市空間の市松模様計画」と呼ぼうかな。耐震予防?になるよ。

T.P.P.は「第二の大津波」では・・・

2011-10-17 | 時論、雑感
ナオミ・クラインさんの『ショック・ドクトリン』をざっと読んだせいか、どうか。

T.P.P.(環太平洋戦略的経済連携協定)は、農業を「壊滅」に導くだけでなく24分野全面的に日本にとって「厳しい」、特に対アメリカにおいて。

医療、福祉、雇用においても司法分野でも保険、金融でも大嵐、まあ一口に言って「T.P.P.はアメリカ発の「第二の大津波」」と言えるのではないか。これは、明らかに人災である。

「大津波」が迫っているのに、まだ「海岸」で、うろうろしている人々が多い。緊急事態ではないのか。

(こういうことを、今日、喋っていたら対話者は、対アメリカで「後から見たらやられた」というのが多すぎる、と言う。(最近では「小泉改革」がそうだ。)

その例にあがったのは昭和20年代のパンや牛乳の大宣伝だ。その人は、「米を食べると頭が悪くなる」「牛乳はカルシュウムを採るのに良い」などアメリカ発の大宣伝を知っていた。私も小学生時代そういうことを聞いたが、実は、当時アメリカで有り余っていた小麦や脱脂粉乳を日本に「圧入」するために「大作戦」を展開していたのだ。

今回も、アメリカから輸出をしやすくし(関税ゼロ、円高ドル安操作)、雇用を確保する(アメリカ企業ばかりでなく日本からの進出企業にも・・・。これって、日本の国内企業を潰し、失業者を増やすことだ)「大作戦」なのではないのか。農業どころではないのだ。)

東京、横浜「ボディーブロー」(放射性微量物質の検出)

2011-10-13 | 時論、雑感
今朝のニュースで、東京の世田谷区で1時間の放射線量(どの物質か?)が2.7マイクロ・シーベルト、年間14ミリ・シーベルトに達している所が発見された、と言っていた。20ミリ・シーベルトには達していないが、心配な値である。

また横浜でストロンチウムを検出、というニュースもあった。

これらは、東京や横浜の住民に対する「ボディーブロー」になるのではないだろうか。

成り行きを見守っていきたい。

10月14日・・・どうも世田谷の件は原発由来ではないようだ。

『ショックドクトリン』(岩波)読もうかな

2011-10-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
毎週火曜日の6時台ラジオNHK第一で評論家の内橋克人さんが色々時評をされているが、ここで内橋さんの推薦する図書は、大体「当たっている」。

今日の推薦は『ショックドクトリン』であった。ショックドクトリンとは「はてな」によると、

「「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革(The Rise of Disaster Capitalism)」という意味で、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クライン(Naomi Klein)氏が昨年(2007年ー私注)著した本のタイトルである。(注:私の洒落語では「ショックで得取りん」ということだ。)

 新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマンの「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という主張に対する批判となっている。」
とある。内橋さんの解説とほぼ同じである。

Disaster Capitalismは、惨事便乗型資本主義と「正しく」訳されているようだ。

戦争や災害などに当たって一気に「市場原理主義改革」をやってしまうことで、戦争の例では、9.11の後のアメリカのイラク「侵略」、イラクでは、大量破壊兵器をイラクが隠し持っているという理由で「押し入ったが」、実際は、そんなものはなく、それは「侵略のための単なる理由づけ」に過ぎなかったのだ。

その結果、イラクは「イスラム社会」から一気にアメリカ資本による「市場原理主義」の国に現在に変わったようだ。

災害の例では、ハリケーン・カトリーナの例(ニューオルリンズ周辺)では、公営住宅が撤去されて民間マンションに置き換わり(低賃金の公営住宅住民は追い出され)、公的教育がバウチャー制の私的教育に置き換わって(公的教育の教師は大半解雇されて)しまったなど。

この本は、日本の東日本大震災、原発大事故以前に書かれているが、今まさに「TPP」などは、単に日本の農業をつぶすだけでなく、医療や福祉等々も日本や「海の彼方の」大資本の餌食にするものだ、ということを強く示唆しているのではないか、と内橋さんは言う。つまり、これらの大震災、原発大事故などの「ショック」に国民が陥っていることを利用して、TPP参加もやむを得ないのではないか、今まで「止める」と言っていた八ん場ダムも(台風12,15号による土砂災害等にかまけて)建設やむなし等の「思考停止」の状況になりつつあるのだ。

国民は、冷静になって「脱原発」6万人集会、デモのように「押し返す」必要がある。

早速買って読んでみなくちゃ・・・。

東京を全国に分散せよ(帰宅困難者の問題テレビより)

2011-10-10 | 地域居住学
昨日、夜9時からのNHKTVで、スペシアル番組で「帰宅困難1400万人の警告」をやっていて、音声だけ聞いていた。妻は、熱心に見ていたようだ。3.11の時の東京のパニックを検証し、実際に「直下型地震」が起こったらどうなるか、の問題である。

ちらっと見て、関沢 愛君(現・東京理科大教授、東大教授より転身、京大建築学科卒、後輩)が、首都圏直下型地震(マグニチュウド7クラス)が東京を襲うと大火災が起こる可能性がある、とインタビューに答えているのが写っていた。「大分、年取った感じじゃないか」と言ってしまった。昔、都立大にいた中林一樹さんも「危険性」をコメントしていた。

とにかく、政府や東京都は、「大地震の際には、(まあ何時、どんな時に起こるか分からないが)もし平日の昼間に起こったら、急いで帰宅行動に移らず、職場に暫時留まって様子を見て欲しい」と言っている。

まあ外では、群集で大混雑の上に、高層ビルから割れたガラス破片が降り注ぐかもしれないし、階段などで「将棋倒し」になるかもしれず、大火災に巻き込まれるかもしれないからである。

まあ、職場への徹底で、水や食料、毛布などの備蓄があれば、現場に何日か留まるかもしれないが、そのビル自体が危険に陥ることもある。自宅の方でも「絶対安全」とは言いがたい。

沿岸部の石油備蓄基地も炎上し東京湾も使い物にならない、シュミレーションもやっていた。場合によって津波が襲うこともありうる。

近い将来、こんなことが起こるなら官庁や会社は、東京を離れて、より安全と思われる所に避難、疎開すべきであろう。

「東京は攻められている」と前に書いたが、その根拠傍証が次々に出てきているのだ。

ここまで、昨日(10月10日)書いたのだが、11日になってTTPと円高と経団連などの「法人税下げろ、そうしないと海外に行くぜ」要求を兼ね合わせて考えると、一つの構図が見えてくると思う。

つまり、大資本は、法人税減税で金を貯え、TTPでアメリカに出やすくし(同時にアメリカ商品が日本に入りやすくし)、円高で本当に出やすくしている、のだ。それは雇用が喉から手が出るほど欲しいアメリカの要求にもピタリ応えることになっている。東京の大企業は、ひっそりと或いは堂々とアメリカの「安全地帯」に移ることになるかも・・・。

3か月ほど前の7月11日のブログ:
じり、じりっ、と東京が「攻められている」?!
2011-07-11 | 地域居住学

今井町の町家芸術展示よりー大空写真ー

2011-10-10 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
ちょっと現物を示されないので申し訳ないが、一昨日、奈良県橿原市今井町に行って、公開町家に展示してあるアート作品を見て回って感銘を受けた写真について話したい。

その中で、ある町家で、町(都市)の写真を3枚飾ってあった壁に注目した。

一番左は、町の周辺の山の緑、次が緑の丘陵だが右端にちらっと宅地開発された姿(住宅群)が写っている。そして、右端の写真は、高層ビルの上の方だけが「大きな青空」のなかに写っているものだ。

一枚目、二枚目も大空をバックにしている。一緒に行った一人F.さんも「大空がいいですね」と言われたが、私が瞬間的に思ったことと一緒だった。

まあ、この写真セットは、色々ととりようがあろうが、左から右へ「町の推移」を示しているとも言え、最後は高層ビル群ばかりとなり、「大空を仰ぐことしか大自然を感じられない」という撮影者の「嘆き」を表しているとも感じられる。

町を歩きながら風景、景観を眺めるのは、好きなことの一つだが、町中自然は、ずたずたとなって、「大空」くらいしか自然を感じるものはなくなってきているとも言える。

私と同世代で「御巣鷹山」で亡くなった坂本 九さんが歌っていた「上を向いて歩こう」では、ぶつかるので、時々立ち止まって深呼吸をして「大空」を眺めたい。真上とは言わず、上方を見る視角を「新鮮」と感じる最近である。

憤(いきどお)れ、怒れ!のうねり

2011-10-08 | 時論、雑感
今、世界中で主として若者の「憤り、怒り」の行動が噴出している。

中東、アフリカの運動に続き、フランスやアメリカでも若者たちが、為政者や経済人、とりわけ銀行、金融関係者(トップ)に対して憤り、怒りをあらわにし、パリやニューヨークでデモも段々大規模になってきている。

フランスでは93歳の元反ナチ闘士エセルさんが「君たち、憤れ! indignez vous!」と薄い本で呼びかけ数百万部普及、パリで大デモが起こっている。

大西洋を渡ったニューヨークでは、金融の中心、ウオール街に向けてアメリカの若者がデモを敢行している。

今は、「世界史」の時代である。ネットによっても世界は緊密に結びついている。中東・アフリカそしてアメリカの運動には、facebookの情報が大きく作用している。

日本でも、若き文化人類学者の上田紀行さんが、『慈悲の怒り』(朝日新聞出版)を持て、と呼びかけている。

さて、わが日本の若者は、どうでるのだろうか。

「坂の上の雲」から「地の上の町や村」へ

2011-10-07 | 色々な仮説や疑問
今日、テレビ(再放送)で「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)を見た。途中までである。

しかし、今は日本は「右肩下がり」、登山でいえば、登頂して下山をしている時代とも言える。坂を駆け上がる時には、あるいは「上方の雲」、「目標としての雲」しか見えないかもしれない。

日本は、日露戦争を経て、あるいは太平洋戦争まで「駆け上がり」、一旦ダウン、また世界第二の経済大国にまで再度「駆け上がった」かもしれない。

しかし、今は「下山」していると認識すべきであろう。

登山は、上りより下りが難しい、という。

でも上りでは雲しか見えなかったとしても下りでは、はるか下界の平野や河川、遠くの海も見えている。何よりも、それらの自然に囲まれた人々の町や村が見えている。

そうだ、それらの自然や人工によって、この山も支えられているのだ。

そういう平和な、出来れば民主主義的な町や村に「着地」すべく、慎重に安全に下山していきたい。