西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

いるかいないか・・、口(くち)と口(さい)

2006-03-31 | 言語・字・言語遊戯
うつらうつらのラジオで聞いて・・「いるかいないかイルカにきけば、ゴンドウ(注:ゴンドウ鯨のこと)はいないと答えてる」

反芻:学問の問について「門に入るには口を出す、即ち質問したり意見を言ったりが必要」と門の中にあるのを疑問もなく口(くち)として解釈してみたが(3月29日ブログ)、白川 静先生によると、これは口ではなく、口(さい)という一種の祭器であるとのことだ。例えば、告げるの「告」も昔、俗に「牛の耳にひそひそ口で言う」みたいな解釈があったが、白川説では、祭器の口(さい)にお祈りの時に使う草が突き刺してある形のようだ。白川説では、口は安易に「くち」としてはならないようだ。

平安女学院大学生活福祉学部の立ち上げへ

2006-03-30 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
本日、平安女学院では、大学関係の学長以下の幹部が集まって、2007年度からの学部改組について、「つめ」の会議が行われた。京都キャンパスでの国際観光学部の立ち上げ、高槻キャンパスでの生活福祉学部の立ち上げについて、である。私のいる生活環境学部は、生活福祉学部となる予定だ。(2月18日ブログ参照)「生活福祉」という基礎、床に「4本柱」が立つ。保育、福祉臨床、建築インテリアそして健康福祉セラピーの4専攻・コースの柱だ。ソフトを主専攻としても関連ハードに理解があり、ハードを主専攻としても関連ソフトに理解がある人材を育てたい。それらの柱の上に、「四つの棟を持つ寄棟屋根」をかけて、この「生活福祉住宅」は完成する。その四つの棟とは、保育士、社会福祉士、(二級、一級)建築士そして園芸療法士等の棟である。
これらの4本柱、四つの棟を押し出していきたい。

孫達の来襲

2006-03-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、名古屋にいる娘と孫二人が春休みでやってきた。事前に家中の整理が大変だが、まあ年3,4回の楽しみだ。正月、春休み、ゴールデンウィークそして夏休みである。上の男の子が小3、下の女の子が4歳で幼稚園だ。夜、私は帰宅すると、孫二人が待ち受けていた。玄関の間で二人を抱っこした。かなり重くなっている。この「抱っこ慣習」は何時まで続くであろうか。上の子の通知表を初めて見せてもらった。今までも「どうだった?」と聞いていたので娘が持ってきたのだ。「へー、最近の通知表は大きいのだな」と思った。私の子どもの頃の紙も字も倍位の大きさだ。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが見ることを想定しているのかもしれない。まあ国、社、理、算数は「よく出来ました」になっている。図工、音楽、体育は「今一つ」である。まあ私の子ども時代とよく似た傾向だな、やはり孫かな、と思った。
「爺馬鹿チャンリン」である。

金閣寺と池、松

2006-03-29 | 住まい・建築と庭
松は、結構痩せた地に強く例えば桜島の噴火溶岩の隙間から松が生え出ていたのを昔、目撃したことがある。ところが、最近は全国的に松枯れ現象が起きている。京都の金閣寺では、薬剤を噴霧するのはやめて松枯れに強い苗木を数多く植えたようだ。将来が期待される。この画像をテレビで見ていて、金閣寺、池、松林、人間の視点とあって、金閣寺の風景を形成しているのが分かる。ここで大事なのは、金閣寺と言う建物だけでなく池や松林もセットで考えられていることだ。金閣寺は元々は室町時代のものだが、これらの配置は平安時代の寝殿造りを継承しているのではないか、と思った。これも「歴史とのつながり」の例ではなかろうか。

新入生へー学問の態度、対象そして伝授形式

2006-03-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
予稿(予行)練習。学部長・学科長として。「皆さん平安女学院大学生活環境学部生活環境デザイン学科御入学おめでとう。皆さんは、喜んで入学した人が大半と思いますが、中には不本意入学の人もいるかもしれませんね。そういう人に私は言いたいと思います。人生を90年の野球ゲームとすると、皆さんは10代後半なので2回裏位ですね。仮に同級生・友人が例えば国公立や「関関同立」等に行って、若干リードされた形になっても9回裏までには十分逆転出来ますよ。その方法も伝授したいと思いますので粘り腰でついてきて欲しいものです。私も人生7回表位で「まだまだ」とい思っていますよ。それで、そのためにも今日は三つのことを言います。一つ目は、学問の態度です。皆さんには今までのように学力ではなく、更に学問力をつけて欲しいということです。どういうことかと言うと、「真似ぶ」から来ている「学ぶ」だけでなく、口を出して問う、つまり質問し意見を言ってください。この二つが出来て初めて学問力なのです。是非4年間で学問力をつけてください。二つ目は、生活環境学の対象は、衣食住と言いますが正に毎日の日常茶飯の生活なのです。勉強、学問の対象がごろごろしているのですよ。ぼーとしている人には見えませんが、一寸コツを教えますから、それらをつかまえて考える楽しみにして下さい。考えるというのは、お金も要らないし、無料の、いや無量の楽しみで、何時でも出来ますよ。まあ自動車にぶつからない様に・・。三つ目に、大学の授業は、平安女学院では80分で、高校までの45分の2倍近くです。先生方も皆さんを飽きさせないよう工夫しますが、皆さんも大学生らしく、少し我慢して聞くこともおぼえましょうね。」(今日、実際に練習したが、このブログの方が「進化」している。)

白山

2006-03-29 | 言語・字・言語遊戯
白山(はくさん)は郷里・石川県(と岐阜県にまたがる)山である。今朝の衛星テレビ「日本の名峰」で紹介していた。標高2702メートル、日本列島で、これより西に2千メートルを越える山はなく、高山植物の西の端だ。「ハクサン」の名を冠する高山植物は30種もあり日本一という。高山植物では「黒百合」が有名。「黒百合は恋の花・・」という歌もあったっけ。日本三山(富士山、立山そして白山)の一つ。白山の名は雪が多いことからつけられた。そういう意味では雪の多い季節に行くのが良いのかもしれないが、まあ初心者として、先ず夏からでも行って見たいものである。

700kmのバス旅行

2006-03-28 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
年度末、有給休暇を取って家内と700km の日帰りバス団体旅行に行った。岡山県美作(みまさか)の湯郷(ゆのごう)温泉、そして倉敷の美観地区である。近所の高の原駅を7時15分に出発、京奈和道路で北上、ごちゃごちゃと行って名神高速道路、中国自動車道路経由、西宮北ICで1回下りて、寄り道し、又戻って今度は美作ICで下りて初めての湯郷温泉へ、昼食、入浴休憩、バスで倉敷へ、久し振りに美観地区等を散策、倉敷は何度来ても良い。大原孫三郎、児島虎次郎協力で出来た大原美術館にも行った。入場料千円と「高い」かもしれないが、本館のみならず別館等を含め西洋近代・現代絵画、日本の近代絵画(児島虎次郎含む)、河井寛次郎、棟方志功等を一度に鑑賞できて良い。西洋人も大分来ていた。又行って見たい。新婚旅行以来38年振りに先輩の浦辺鎮太郎さん設計の倉敷国際ホテルのロビーに家内と入った。(05年8月30日ブログ参照)因縁の大原孫三郎と児島虎次郎さん、そして大原総一郎と浦辺鎮太郎さんと歴史的に徐々に「郎の数」が減るのも面白い。全行程で桜は未だだったが倉敷川岸の柳が芽を出しているのが良かった。帰りは山陽自動車道路を通り、家に帰りついたのは21時過ぎ、バスに乗り疲れて(2/3はバス乗車時間)今日はこれを書くのが精一杯だ。

英語、小学校で必修・・どうかな?

2006-03-27 | 時論、雑感
今日の『日経』夕刊トップ記事は、「英語、小学校で必修 中教審部会報告 指導要領改訂へ」というものだ。しかし「・・小学校では英会話のスキル向上より「言語の面白さ、豊かさに気づかせること」を基本とすべきだと指摘。国語力低下などを懸念する声が強いことにも配慮し「言語への関心を高め、国語力の向上にも資するような教育内容が必要」とした。」NHKTVによると、うちの孫も上の男の子が小3なので、再来年の5年生から英語を習うことになる。どうかな、と思う。『国家の品格』の藤原正彦さんではないが、日本人だったら日本語の教養を第一にすべきであろう。日本語がしっかりしていなければ、英語も他の外国語も上手くいかないと思う。まあ英語も思想的、論理的に面白く教えるべし、と思う。

1階の四畳間(3)汲み取り空間

2006-03-27 | 金沢の思い出
私の子どもの頃(~1960年)、金沢では下水道が殆ど整備されていなかった。だからトイレも汲み取りだった。私の家の場合、雪のない季節は、家の向かって左側の家の外を通って庭に行き、そこからトイレに達して汲み取る。ところが雪の季節で大雪になると、家の外の通路は雪で通れなくなる。そこで玄関、玄関の間そして四畳間に茣蓙を敷いて、そこを通って桶を担いでトイレに至り汲み取りをしていたのだ。恐らく若い人には想像も出来ない出来事が金沢では冬には起こっていたのだ。

1階の四畳間(2)遊び空間

2006-03-27 | 金沢の思い出
四畳間は、長さが2間、更に先に半間の板の間、そこからトイレ前に下りる、そこには取り外し出来る板が置いてある。その先が又上がって「離れ」の間の縁側だ。このように直線的に真っ直ぐに伸びる空間なので、子供にとって「ホップ・ステップ・ジャンプ」の三段跳び空間だった。玄関の間で助走し、四畳の間で三段跳び、トイレの前に下りる。又は四畳の間で助走しトイレ前の板を三段跳びし「離れ」の縁側に飛び上がる、ということをやった。玄関の間に2階へのメインの階段があり、四畳間の先の板の間にも急な勾配の2階への狭い階段があった。そこで、子供は、これらの二つの階段を使って1階、2階ぐるぐる走り回る鬼ごっこをした。四畳間においてある洋服ダンスは隠れ場所にもなった。
縁側でブランコをした話は前に書いたが、四畳間や階段や洋服ダンスも子供にとって「遊び空間」でもあったのだ。

1階の四畳間(1)通路空間

2006-03-27 | 金沢の思い出
一寸試しに図面を取り込んでみる。図面をクリックすると一寸は拡大するが「いまひとつ」だ。これで言うと、ここにはかって住んだ二つの住宅の間取りがある。左が、金沢でほぼ高校まで住んだ家、右が現在の家の前、11年ほど前まで遡って10数年にわたって住んだ京都の向島(伏見区)の家である。
今日から、まず左の金沢市・桜畠の家を説明する。既に台所、玄関の間、茶の間(四畳半)、座敷(八畳間)そして縁側は説明した。ブログ・カテゴリー「金沢の思い出」で見てほしい。その座敷の右側の間が四畳間でいわば玄関の間から便所、「離れ」への「通路空間」であった。右半分には洋服たんす、和箪笥が壁に沿って並べられていた。昼間も薄暗い空間だった。(図面は、金沢の家、京都・向島の家)

今日は何の日ー3月27日

2006-03-27 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日は2006年3月27日である。昨日も話題にしたコーポラティブ住宅「つなね」は、オープニング式を2000年3月27日にした。そのことは入り口(中庭)の「はばたきの碑」に刻まれている。だから今日は満6年で7年目に入る。また、私達は1968年3月27日に名古屋で結婚した。38周年記念日である。(05年11月20日ブログ参照)そして、今日、生駒から近鉄「けいはんな」線が延長開業だ。ああそうなんだ、と朝起きて思った。

「つなね」理事会に行き、「自宅」にも寄る

2006-03-26 | 地域居住学
4月9日に23軒でのコーポラティブ住宅「つなね」の管理組合総会があるので、今日、準備の新旧合同理事会があり出かけた。私が今年度、理事長で次にバトンタッチするのだ。今年は、たまたま理事長の私だけが男性で残りの3人の理事は女性だった。ところが今度の新しい理事会構成は全て4人が男性なのだ。奥さんが前にやっていたり、働いていたりで止むを得ない。2000年3月27日に住み始めなので今度7年目に入る。23軒なので毎年4軒が理事になるとすると、6年で一巡し、7年目から平均して2度目の理事となる。集会所の南の庭に杏(あんず)が満開になっていた。一寸、桜と間違えた。室生犀星の「杏っ子」を思い出した。
ところで、私の「つなね」邸は「別宅書斎」になっており、NPO法人の事務所にもなっているが、今年は、私が奈良女子大学から平安女学院大学に再就職したので充分機能していない。今日は理事会の後で一寸「別宅書斎」に寄って若干資料(業績=論文等)の整理をした。(写真は、満開の杏)

超高層住宅は、なぜおかしいのか

2006-03-26 | 住まい・建築と庭
『建築とまちづくり』誌から依頼されて「超高層住宅は、なぜおかしいのか」を書いた。6月号掲載予定である。六つ位、理由をあげたが、簡単に言うと、私の持論で大事だと思っている「人々、環境(特に自然環境)そして歴史とのつながり」が切れてしまうからだ、ということだ。それにしても、超高層住宅は、結構「人気」があり、上に行くほど単位空間の値段が高いことになっている。眺望、優越感の値段なのか。今まで、関連で考えた超高層575の四つも論考に入れておいた。再度あげる。
超高層 春の香りも 知らざりき
超高層 エアコン効いて 夏はなし
超高層 ニューヨークの 秋悲し
超高層 降り立ち吹雪に 驚きぬ

『井上ひさしのボローニャ日記』を見る

2006-03-25 | 地域居住学
「ふじたさん」から貰ったDVD「井上ひさしのボローニャ日記」を見た、2時間番組だ。1月25日のブログ「様々な「つながり」、ボローニャの家畜市場跡地空間」を参照して欲しい。本日見た要約:800年前、神聖ローマ帝国から独立した都市だ。現在38万人の人口(高槻、金沢と似た人口規模)、80も図書館があるのは驚異、イギリス以上か。町の中心は「マジョーレ広場」だ。アクルシオ宮殿前にナチスに対して闘って犠牲になったパルチザン1800人の写真が貼ってある。14Cに出来たサン・ペトローニョ教会は凄く大きい。サラ・ボルサ図書館にガラス越しに地下の古代ローマ住居跡が見られる装置がある。昔の10万㎡に及ぶタバコ工場は映画関係施設に大変貌した。トスカーナは石、ボローニャは煉瓦と言う。ボローニャ大学の元は、学生が教授を雇い学長を決めていたことに始まっている。現在10万人の学生、都市人口の1/4が学生だ。ポルティコと呼ばれるアーケードは元々12C頃に学生のため出来た張り出した部屋の下に自然に形成された。
やはり一度、実物を見たいものだ。