西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

廣瀬正明さんに会う、最近は「宮沢賢治研究」らしい

2015-08-27 | 奈良の思い出(助教授時代)


日曜日(2015年8月23日)に「奈良女子大の横断同期会」で、昔、家政学部食物学科の助教授(栄養学)だった広瀬正明さんに会った。彼は、僕と京大同期(1964年卒)、僕は工学部建築学科だが、彼は農学部農芸化学科だった。

最近は、二足目の草鞋(わらじ)をはいて「宮沢賢治研究」をしているらしい。2013年に『宮沢賢治「玄米四合」のストイシズム』(朝文社刊)を上梓(じょうし:発刊)したようだ。ストイシズム:禁欲主義


別に医学者が書いた『少食が世界を救う』といった本もあったっけ。

広瀬さんの本を読んでみようと思う。廣瀬さんは奈良女子大に10年つとめ、今年まで「奈良女子大卒30周年記念同窓会」に出席、来年からは彼の後任の的場輝佳さんが出てこられるようだ。

広瀬さんには「御機嫌よう、さようなら」(又ね)と挨拶しておいた。

研究ノート 住宅企画展開過程と「情報」ー『朝日新聞』名古屋本社版1970年1月7日夕刊5面ー

2015-08-26 | 名古屋・豊田の思い出
今から45年前、私が28歳で、豊田工業高専に勤務していた頃、『朝日新聞』名古屋本社版1970年1月7日夕刊5面の片隅に「研究ノート」として書いた「住宅企画展開過程と「情報」」のコピーが書斎の片隅から出てきたので、将来書こうと考えている「自分研究史」の資料として、ブログ等に書き写しておきたい。

コピーではなく「書き写し」であるのは、一字一文を思い起こしてみたい、とも思ったからである。

住宅企画展開過程と「情報」  西村 一朗

 私は住宅の供給方式について少少研究してきた。そして今後もしてゆくつもりであるが、その場合、最も大切な前提作業の一つとして住宅需要の状態を把握(はあく)することがある。それは普通、顕在需要と潜在需要に分けられ、それぞれの内容、潜在需要から顕在需要への転化過程などが問題とされる。これらはいわば「マス」として把握され「マス的」-真のマスとは言えないが-公共供給のために活用されて来た。私は、需要と供給の対応という「第三者的見方」から一歩前進して需要を供給へと接続・展開してゆくための一つの方法論ととして住宅需要を個々の「住宅企画展開」として把握したいと思っている。
 すなわち「流動化」し「都市化」しつつある現状において、一般的には個人の住宅企画はきわめてソフトな状態から、いろいろな「情報」を獲得し、いろいろ「学習」しつつハードな状態へと移行するという風に認識するのである。従って「住宅企画展開過程」は「住宅情報収集過程」であると同時に「住宅企画学習過程」となるが、ソフトな段階-ロジャースの「技術革新普及過程」の段階分類を使うと認知、関心、評価の段階ということが出来よう-において、相互検討が加わるなら、現在のマス供給あるいは個人住宅獲得努力は新しい次元でもっと合理的に生かされるだろうと思われる。
 そのためには「住宅情報」をいわゆる「情報化社会論」で問題となっているような「商品化」された「情報」以外のところにも求め、創造的「学習」を行うことが緊要であるといえる。(豊田工業高等専門学校講師・建築学)


当時、私は名工大の服部千之先生の研究室に出入りして調査研究をしていた。建築学会東海支部の都市計画委員会では、名大の早川文夫教授を委員長とし、名工大の服部千之・助教授を幹事長とし、幹事・委員として日本住宅公団の長峰晴夫さん、玉置伸吾さん、名古屋市の松尾博雄さん、名大の佐藤圭二さん、名工大の桜井大吾さんらを擁していた。私も末席で参加していた。

だがこの年の4月に私は京大・助手(三村浩史研究室)に移って、上記の問題意識は一時棚上げとなった。この問題は、少し構え方が違うが、後に巽 和夫先生が精力的に取り組まれた。

「折々のことば」より

2015-08-25 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
『朝日』1面で毎日掲載の鷲田清一さんの「折々のことば」が4月に始まり、ほぼ5カ月経った。中々含蓄ある言葉に日々出会っている。今日は142日目の次のことばである。


「わたしたちがそれを頼りに生きている真理の圧倒的に多数は、検証されていない真理からなる。ウィリアム・ジェイムズ」である。

例えば、我々の体は、全体でバランスを取り、不都合な部分が見つかれば先ずは「自己免疫力」を動員して「正常状態」を回復しようとする。「全体関連バランス」である。「ホメオスタシス」という言い方もあったかな。これらの全体は無意識状態におかれた部分が大半だが、それらの部分の持っている「真理、法則性」が働いている、と取りあえず認識しておこう。

奈良女子大学卒後30周年(1984年、昭和60年卒生)記念同窓会に参加する

2015-08-24 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、奈良女子大学卒後30周年(1985年、昭和60年卒生)記念同窓会に参加した。JR奈良駅裏の「日航奈良ホテル」4階飛天の間で、2011年以来、5回目である。それ以前、私は、奈良女子大を2005年に定年退職以来「奈良ホテル」での会へ6回参加している。皆出席、と思う。

この会について、昔、同僚だった理学部生物学科の高木由臣さんは、当日配られた『恩師からのメッセージ』で次のように書いている。「卒業30年目という人生の最も充実した時期にある元学生が、新陳代謝しながら(毎年53歳前後の:私注)変わらぬ姿で登場するこの同窓会の仕掛けには、毎年のことながら感嘆します。そこに登場する元教師は一方的に老化・死に向かうというコントラストが、見事で素晴らしい!」「老化・死は進化の産物である。」・・・高木由臣(『寿命論』NHKブックスより)

今回、僕のように、まあまあ元気の部類は、参加できたが、「体調不良で欠席、老老介護のため欠席」などという人もいて、上記の高木さんの位置づけのとおりである。しかし、今年でこの会が「終わり」の人、今年から新たに「参加」の人もいて、平均年齢は一方的に上がる訳ではないが、暫時上がっていくことになるだろう。

参加は旧学生200人余、旧教官50人余であった。久しぶりに会った人もいた。奈良女の文学部(体育)にいた大築立志さん(東大名誉教授、70歳)だ。(『手の日本人、足の西洋人』(1989年、徳間書店刊)の著者)、鎌倉在住、地域スポーツに関したこともやっておられる風。「運動の他に、栄養や休養も大事ですよね」と言ったら、「何事も行き過ぎはダメ、ほどほどに!ということだった。異分野の人が集まると、耳学問が出来るなー。