西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

大学教養部時代のクラスメートに会って

2013-11-29 | 京都の思い出(学生時代)
昨日、京大教養部時代(1960年~1962年、1960年度は最後の宇治分校時代)の同じクラス(T3、第二外国語はドイツ語)の同期会が京都であった。2年前に初めてKKR京都くに荘で50年ぶりに会ってから2回目で、今回は京都の聖護院・御殿荘で行った。宿泊なしの午餐会だった。京都では聖護院に限らず例えば仁和寺でも境内に一般を対象にした宿泊所があり、仁和寺の宿泊所では高校(金大付属高校)の同期会をしたことがある。又、別のところも今後、探す「楽しみ」が増えたかもしれない。昨日は御殿荘の人に聞くと、修学旅行生も結構泊まっているようだ。気軽に泊れて値段もリーズナブルであると思う。

ところで、京大での僕らのクラスは、土木、建築、鉱山学科が主力三学科で他に原子核工学3人、電子工学1人(留学生)の40人のクラスであったが、5人が鬼籍に入ってしまった。会の冒頭に黙祷して冥福を祈った。その中に、今年度亡くなった土木工学科出身の山口嘉之君の思い出を少し語ってみたい。山口君は、京都の紫野高校の出身、手元に1回生の終わりごろ宇治分校でクラスメート36人が写っている写真のコピーがあるが、それには前列のほぼ真ん中に写っている小柄なハンサムボーイが山口君である。彼は河川工学を専攻、大学院修士課程を修了後、1966年に建設省に入省、河川畑を歩んでいて、1990年中国地方建設局河川部長の時に中公新書(976)で『水を訪れるー水利用と水資源開発の文化ー』を書いている。2年前のクラス会で、山口君に会えなかったので、土木出身の友人に山口君の動静を聞いたら、どうも土木のクラス会にも出てこなくなって、「付き合い」を拒否しているようだ、と聞いて、手紙を出してみたが、返信がなかった。中公新書は、専門外でも読みやすく、「小流域水備蓄ダム」の提案も、個人的とうたっているが、僕なんか「そうだな」と思うが、あるいは「大ダム方式(?)」の国土交通省主流とぶつかったのかも・・・、と勝手に推測している。水問題を文化問題として、日本列島の特徴を良く見て論じているる山口君の肉声を聞いて議論してみたかったが、出来なくなってしまった。ご冥福を祈りたい。

又、教養部時代のクラス担任、1回生の藤岡謙二郎先生(人文地理学)、2回生の多田政忠先生(物理学、湯川秀樹先生とは中学、高校、大学と同期)ともすでに亡く、思い出を語り合うのみであった。

で、こちらは元気にNPO住環境ネット理事長をしている建築学科出身の稲井信輝君には2年前も今回も会って、東京での活動について少し聞いた。稲井君は、福岡高校出身、京大建築学科を卒業の後、大成建設に就職、勤めあげて、10年前から「建築技術」の実績を背景にNPOで活躍している。稲井君の話に、後輩(京大建築学科)の西 和彦君の話が出てきて、彼も、大成建設OBで、稲井君のNPOの理事とのことだ。西君というと僕の金大付属高校の4年後輩でもある。3年前の2010年に幻冬舎ルネサンス新書で『60歳からの暮らしの処方箋』を出していて、中々「簡にして要」の本だと思う。

皆さーん、特に関東地方の皆さん、「http://www.npo-jyukankyo.net/」へどうぞ。

久しぶり MS君に会った

2013-11-21 | 地域居住学
久しぶりにMS君に会った。「・・君」などと言っているのは同い年(72歳)のためである。彼は早稲田大学を出て京大の大学院に来た。彼が京都に来たのは学生時代に京大教授の西山夘三先生にキューバで会ったためである。

元々は早稲田の吉阪隆正先生(ル・コルビュジェの日本人弟子の一人)の薫陶を受けている。彼が京都に来た時は私は修士2回生であったと思う。だから同い年だが学年は1年の差がある。

MS君は大学院では上田 篤先生の研究室に属し、万博のプロジェクトに参加していた。修了後、京都のコンサルに就職、最後の頃、奥田 東先生(京大総長歴任)の下、京阪奈学研都市プロジェクトにかかわった。その後、山陰の国立大学教授に就任、定年まで勤めた。

で、今日、電話がかかってきて、高の原イオンモールの喫茶店で久しぶりに会った。彼は、URに「総括のためのコメント」を言いに行ってきたようだ。聞くと、彼は現在一年のうち大半はベトナム・ホーチンミン市にコンサルとして出かけているようだ。2年前に奥さんを亡くして、最近、3回忌をしたばかりらしい。

まあ日本では寒い冬を越すのは大変だが温かい(暑い)ベトナムなら何とかなる、食事も美味しく安いし、生活は何とかなると言う。彼がベトナムにいる間に一度行ってみたいと思った。


梁瀬度子(やなせ・たくこ)さん叙勲おめでとう

2013-11-04 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
奈良女子大学で同僚だった七年ほど先輩の梁瀬度子さんが「瑞宝中授章」を受章のようだ。新聞で確認した。「おめでとう」と言いたい。

瑞宝章を『広辞苑』でしらべると、「公共の事業に貢献」に対する勲章と言う。他に「旭日章」というのもあり、「一寸上」と思われているが、趣旨が元々違っているようだ。

旭日章は、「国家及び公共に貢献」と「国家」が入っている。今までの国家は権力を握った少数者の権益を守る組織、まあある程度、庶民の利益も図らないと国会議員になれないのでポーズ上、庶民の味方みたいな顔をしているのがいやである。 梁瀬さんは日本家政学会でも副会長を歴任し、その点でも僕の先輩だ。梁瀬ゼミの学生さんたちに「梁瀬(やなせ)先生は、やーな先生ではありません、すばらしい学生・院生たちが(たくちゃん)いますよ。」と言っています。

末永く元気でね。僕らの「元気姉さん」なのだから・・・。