今年読んだ本で滋味があるな、と思ったのは宮崎市定著『アジア史論』(中公クラシックスJ7)である。中でも最初に読んだ「世界史序説」は、「目からうろこ」だった。
一口で言うと、すべからく歴史は世界史である、との把握を目指すべし、ということである。私達が高校時代に習った「世界史」では、古代に四大文明発祥地を置いて、一定の相互作用はあるものの、かなり歴史が進まないと世界が一体的に歴史を刻む感じにならなかった。
ところが宮崎先生(実は、宮崎市定先生は、私が京大に入学した1960年に教養部長で「世界史」を講じておられた。その講義をとらなかったのを今「残念だった」と思っている。)は、仮説的に西アジア(いわゆるメソポタミア及びその西方のシリア、地中海沿岸)に最古の文明発祥地をおいて、すぐ近くのエジプトへ、それから少し時をおいて東のインダス、黄河へと波及した、という説を立てておられるようだ。
まあ、考えてみると、人類はアフリカを出て、世界中に分散したということを前提すると、住みやすい地として最初に落ち着いた所が西アジアではないか。そこから更に東へ東へ、又一方では北や西へと分散したのではないか。そう考えると、先ず西アジアが人類歴史の最初の「橋頭保」になったということも良く分かる。そこが、現在は民族対立、宗教対立の「最前線」というのも皮肉かもしれない。
今後、宮崎市定先生の『アジア史論』を手引きにアジア史から世界史を見ていきたい。そして、日本史、地域史も位置付けていきたい。
この年末三日間、家族論(人々のつながり)、環境・土地論(環境とのつながり)、そして世界史論(歴史とのつながり)という私の最近の「繋がり論」の三つの方向、広がりを振り返ってみた。
一口で言うと、すべからく歴史は世界史である、との把握を目指すべし、ということである。私達が高校時代に習った「世界史」では、古代に四大文明発祥地を置いて、一定の相互作用はあるものの、かなり歴史が進まないと世界が一体的に歴史を刻む感じにならなかった。
ところが宮崎先生(実は、宮崎市定先生は、私が京大に入学した1960年に教養部長で「世界史」を講じておられた。その講義をとらなかったのを今「残念だった」と思っている。)は、仮説的に西アジア(いわゆるメソポタミア及びその西方のシリア、地中海沿岸)に最古の文明発祥地をおいて、すぐ近くのエジプトへ、それから少し時をおいて東のインダス、黄河へと波及した、という説を立てておられるようだ。
まあ、考えてみると、人類はアフリカを出て、世界中に分散したということを前提すると、住みやすい地として最初に落ち着いた所が西アジアではないか。そこから更に東へ東へ、又一方では北や西へと分散したのではないか。そう考えると、先ず西アジアが人類歴史の最初の「橋頭保」になったということも良く分かる。そこが、現在は民族対立、宗教対立の「最前線」というのも皮肉かもしれない。
今後、宮崎市定先生の『アジア史論』を手引きにアジア史から世界史を見ていきたい。そして、日本史、地域史も位置付けていきたい。
この年末三日間、家族論(人々のつながり)、環境・土地論(環境とのつながり)、そして世界史論(歴史とのつながり)という私の最近の「繋がり論」の三つの方向、広がりを振り返ってみた。