西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

都道府県一言面白紹介(未完)

2007-02-28 | 言語・字・言語遊戯
・北国で南国の酒飲む「あわもり県」
・陸奥(みちのく)に新幹線が来ました「祝って県」
・しょっつる鍋たらふく食べて「飽きた県」
・当たり前 蔵王の形は「山形県」
・美味しいな笹かまぼこの「土産県」

・南国で皆仲良し「大きな輪県」
・外人さんは「名が先県」
・可愛いな博多人形「ふくよか県」
・マドンナが沢山います「ええ媛県」(既出)
・世界遺産・原爆ドーム「披露しま県」

・羽二重(はぶたい)を皆が着ている「服いい県」
・遥かなる立山連峰「遠山県」
・楽しいな高山線の「ギフト県」
・自動車に指を挟まれて「あいチ県」
・東京に追いつき追い越せ目「血走る県」
・震災復興最後までの「標語県」

皆さんも参加されて未だないところ、べつの言い方にしたほうがいいところ御投稿ください。

俳人・飯田龍太さん逝去、86歳

2007-02-27 | 時論、雑感
飯田蛇笏の四男で、芸術院会員でもあった飯田龍太さんが25日に甲府市内の病院で逝去、享年86歳だった。故郷・甲府盆地を詠んだ句:ふるさとは坂八方に春の嶺
春の嶺は富士山であろうか。この飯田龍太さんについては最近、友人となった「とり」さんがその句を紹介してくれた。・白梅のあと紅梅の深空あり、・いきいきと三月生る雲の奥  丁度、これらの句にぴったりの季節に亡くなられたことになる。ご冥福を祈りたい。

触発されて・・ふるさとは犀川(さいがわ)戸室に医王山(いおうぜん) 市路
・友禅を流して寒し浅野川  市路

「地域居住」に寄せる私の思い

2007-02-27 | 地域居住学
現在のところ、2年前の奈良女子大を退職した時の「記念講演」で言った「つながりの豊かな地域居住」というのが一つの方向だ。これは、大阪市大を退職された住田昌二先生らとの座談会で1996年頃に私が言い出したことだ。もう10年位前になる。「つながり」を三つに分けて、人々、環境そして歴史との「つながり」ということにしている。まあ、これを具体的な都市空間等に当てはめてみると、●超高層居住の否定、中層、低層中心でのまちづくり、●モータリゼーションは、「もう足りてるゼーション」として、歩行、自転車中心のまちづくり、●地域住民の生活の総合性を「総合化」「複合化」への基本的力、「接着剤」とする(縦割り行政の克服)、●例えば小学校や道にその総合性を追及する、●商店街に商売以外の教育的、福祉的役割等も認めて再評価、位置づける、●国産材、とりわけ間伐材等の有効活用推進、例えば「木質手すり木」の普及、●自然環境とりわけ緑、樹木チェーン、ネットワークの追求、●農山漁村との積極的交流の追求・・等となろうか。

三遊亭円楽師匠引退の感慨等

2007-02-27 | 時論、雑感
昨日、テレビを見ていたら、三遊亭円楽師匠(74)が自ら引退を語っていた。とにかく話がスムーズに進まないというのだ。ご苦労さん、と言いたい。日曜日の夕方17時半からのTV「笑点」なかでも「大喜利」の司会を長く勤めていた。この裏番組NHKTVには、大相撲の初日、中日(なかび)、千秋楽があっても私は大抵「大喜利」を見ていた。回答者の洒脱な咄嗟の答は、さすがプロだが、何度か事前に問題が分かっていて考えてくるのでは・・という疑問が呈せられていたが、私は瞬間芸であると今も思っている。常日頃、色々ネタを溜め込んでいるのであろう。
私の「言語遊戯」でも、うまくいった話は別の所でも言ってみて自分流に「洗練」させているものもある。先日、あるところで高校時代の憧れの人について「私達のマドンナみたいな人でした」との話しに私は駄洒落の「突っ込み」を入れて「まあ、どんな女や!」と言ったのだが、これには別展開もある。府県別の特徴一言紹介に、「山があっても山なし県」といったのがあるが、その系列として「マドンナが沢山います ええ媛(ええひめ)県!」というのを考えた。夏目漱石の『坊ちゃん』にマドンナが出てくるのをイメージしている。この都道府県一言面白紹介は、未だ完成していない。

近鉄特急19時発奈良行きに乗る

2007-02-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
平安女学院大学(高槻)からの帰りにしばしば近鉄特急19時京都発奈良行きに乗り高の原まで行っている。京都発で高の原に止まる特急は、夕方の19時以降にしかない。まあ、高の原には結構な「サラリーマン」も住んでいて、東京から新幹線で19時以降に京都駅に着く人も多いから需要があると近鉄は考えたのだろう。で、私は何時も3号車に乗る、そのように言って指定券を500円で買う。一番で3号車の指定券を買うと9番席になることが殆どだ。そういう切符販売ソフトになっているのだろう。3号車の後ろの扉のほぼ前が高の原駅では階段、エスカレーターの前だ。
この特急では色んな人と一緒になった。薬師寺の管主、京都教育大学のNatukawaさん(丹波橋より乗車)、その他色々だ。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b922c3f210d9581fa83231bbb32e7f00

近鉄特急関連洒落:近鉄特急に横綱・朝青龍が乗ってきた。車掌は、貴方は禁煙車に乗れません、と言った。どうしてでしょうか?

答:No Smo-king(ノー相撲キング)

千の風になって、5000通に託す思いに寄せて

2007-02-26 | 時論、雑感
今夕、NHKTVの19時半からの国谷裕子キャスターの番組「クローズアップ現代」で表記の「千の風になって、5000通に託す思い」をやっていて涙を誘った。英語詩を自由訳し、読者から5000通の手紙を貰ったという新井 満さんも出演していた。私は、平安女学院大学客員教授としての新井 満さんと、一度お会いし一緒に食事もした経験がある。『千の風になって』もサイン入りで頂いた。新井さんは客員教授として来年度も何回か平安女学院に来られると思う。その時には、是非多くの方に一度「生」の話を聞いて欲しいと思っている。
過去の新井 満、『千の風になって』関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/77854ff9315f4b9a0aba894dc35368ee
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/12c2384f19eb24104fac323ad0b8a23d
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/814e6baeb2b6d52f39b5dd28b3b4c55b
他に多数あり、関心のあるかたは、「新井 満」「千の風になって」で検索されたし。

紅梅と白梅

2007-02-25 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今度の私のブログ背景は「梅に鶯」である。見たとおりだ。で、梅の花を見ると紅梅と白梅が混じっている。実際にこういう梅ノ木はないのではないか。一つのフィクションではないか。ところで、私の家の庭の梅は白梅であり、右隣の家の梅は紅梅である。今年は紅梅から咲き始め、現在、白梅も呼応して咲いている。毎朝、庭に面する雨戸を開けると、これらの「紅白梅」が目に入る。「やーいいなあ」と思う。両方の真ん中に低い鉄柵風の塀があるのだが、梅の花ははるか上に咲くので、紅梅、白梅は「垣根越しの付き合い」をしているようにも見えるのである。

紅梅と 白梅塀越し 挨拶し  市路

(写真は、グーグルイメージより)


保護者就職懇談会での内定学生の発言

2007-02-25 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
本日、日曜日だが、平安女学院大学(高槻)では、保護者で組織している後援会と大学のキャリアサポート課の共催で「保護者就職懇談会」が行なわれた。主に3回生で就職活動を始めている学生の保護者が参加されたが、2回生、1回生の保護者も少し来ておられた。教員側は、学長以下殆どが参加した。プログラムに就職内定し4月から働く予定の何人かが就職活動の報告をしたが、「へー、頑張ったんだな」と皆思えたが、ここで一例だけ紹介しておきたい。
私の所属する生活環境学部卒業予定のN.さんは「食物分野専攻」、京都の食品企業(出汁・つゆのメーカー)に就職が決まったのだが、その「出汁・つゆ」について彼女なりに徹底的に調べたようだ。デパートの大丸に当初置いていなかったその「出汁・つゆ」が置かれるようになった経緯(何か「蕎麦」の試食会でたまたまそのツユが使われ、お客が「これ美味しいわ」と言ったので、大丸も置き始めた・・、彼女は「大丸におけるツユ革命」と言っていた)等を足で調べた。で、そういうその「出汁・つゆ」の売れていくエピソードを面接で、入社したい理由(美味しい出汁・つゆを作って広く売っていきたい)に披露した。そういうことを聞いて、そのメーカーは気分が悪いはずがない、見事、内定した。
彼女は、内定が決まる前、二三社で落ちていて「うつ」状態の時、お母さんが「そんなに張り詰めなくても良いよ、就職できなくても死なないのだから・・」と言われ、気が楽になり再び就職活動に励んだ、と言う。「就職活動をして良かったことは?」と聞かれ、「今までは、何事につけどっちが良い?」と聞かれても適当に判断していたが、最近はきちんとしっかり考えて判断できるようになった、とはっきり答えた。聞いていたT.先生は「へー、1回生の時は、ちゃらんぱらんでどうなるかって思っていたのに・・」と瞠目しておられた。私も知らなかったその「出汁・つゆ」を今度スーパーか大丸に行ったら買ってみよう、と思うくらいだった。
大学は、卒業研究といい、進路決定といい「終わり良ければ全て良し」である。
一回生時に、仮に若干「不本意入学」だったとしても、こういう風に「昔のこだわり」を乗り越え成長してくれる学生がいる限り、教員冥利に尽きると言えよう。

タレント浅野史郎

2007-02-25 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
とにかく昨日の浅野史郎さんの講演は「型破り」だった。講演時間の前に「前座」で出てきてウオーミングアップ雑談はするし、司会者が浅野さんの経歴を紹介しだすと、横に行ってメモを覗きこんで、そこにない情報「1948年、昭和23年生まれ、団塊の世代、血液型B型」を付け加えるし、演台の前に出て演台に肘をついて足を組んでラフな格好で話をするし、会場から写真を写そうとすると、そちらに向かって「ピース」してにこっと笑うし、会場にある電波時計を見ながら、「16時きっちりに終わります」と宣言して2分前に腕時計でそれを知らせる「チ、チ」という音をマイクで入れるし、最後は秒読みして16時きっかりに「では、これで終わります」とやった。とにかく早口、駄洒落織り込み、身振り手振り色々で、横で「手話通訳」していた人たちは15分交代だったが大変だったと思う。

地域福祉の実践、障害者自立支援法ー浅野史郎(5)

2007-02-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
浅野史郎さんは、比喩的に施設福祉は「固定電話」、必要な人がそこに出向かないとならない。それに対して地域福祉は「携帯電話」、逆にどこへでも出かけて個人に寄り添わねばならない。その分、難しく手間もかかる。
で、地域で今、福祉とリンク出来そうなのは、学校(学校には先生以外多様な働き手を求めている)、防災分野(誰もがこうむる恐れ有り、例えば中学生全員に人工呼吸法を教える、防災マップを作る等々)等である。是非、高槻の社協でも例えば防災に取り組んで欲しい。
障害者自立支援法は、厚労省自体「出来が悪い」と言っている様だ。しかし「自立支援」などと銘打った法律は前代未聞とのことだ。NHKも批判しているが障害者の1割負担も問題だが、むしろ負担より障害者の「稼ぎ」が少ないのが問題。今後、障害者自立支援法の「1割負担」は、例の介護法の「1割負担」といずれドッキングするのでは・・という話で終わった。これから札幌に行き又講演のようだ。ご苦労さん、石原さんに対抗して黒川さんよりは、浅野さんが東京都知事選に出るのが良いのではないか、と思った。石原、黒川さんより遥かに若いもん・・。

団塊世代の「地域デビュー」支援ー浅野史郎(4)

2007-02-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
浅野史郎さん自身、1948年生れの団塊の世代である。自分は血液型B型ででしゃばり、世話好き、むくち(無口ならぬ六口)という。誰かに似ている。で、今年から団塊の世代が続々「会社」から「地域」に戻ってくるので、彼らが地域に溶け込み「地域デビュー」する手助けのNPO法人「地域創造ネットワークJAPAN」を「でしゃばり」で設立し浅野さんが代表理事をしているようだ。まあ、私の問題意識と似ている。浅野さんたちは、例えば「定年後のお散歩小父さん小母さん」に「小学生の登校、下校時間に合わせて散歩に出てください」と言っている様だ。自然と子供見守りにもなるからだ。それが地域貢献になると知って小父さん小母さんも「満足」のよう、と言う。
こういうことを進めるには、コーディネーター(推進役)が必要だろう。
で、ボランティアって何か、だが「人を助けたい」というのは「やむにやまれぬ」心の動きで、恋愛と似ていると言う。 だから何でもいいからボランティアしたいんです、という人はお断りしている、と言う。だって、誰でもいいから恋愛したいんです、という「出会い系」はお断りなんだ、とのことだ。「こういうボランティアがしたい」となって、お願いしている、と言う。
とにかく元気な団塊の世代は、巨大な地域福祉力と私も思う。
(写真は、NPO法人ホームページのトップ頁写真、「団塊の夜明け」)

知的障害者施設解体宣言ー浅野史郎(3)

2007-02-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
浅野史郎さんが宮城県知事時代のこと、宮城県有数の知的障害者施設の船形コロニーの職員自体が知的障害者484人の施設を解体し「地域福祉」に移すと提起、毎年50人位づつ一戸4,5人のグループホームに入れる、勿論、世話人もつける、とした。これを受けて浅野知事が「知的障害者施設解体宣言」を出したわけだ。
「解体宣言」を出したら県庁にすぐ地元の建設業者から電話があって「解体工事安くしとくから・・」と言ったようだ。そういう「すぐに」という意味ではなく、10年近くかけて施設収容の知的障害者を地域に移せば、結局、施設には収容者ゼロとなり、その時に解体せざるをえなくなる、という意味なのだ。
まあ、施設収容を地域福祉に移せば財政的にもプラスになることも狙いの一つにちがいない。
(写真は、船形コロニー、グーグル検索より)

障害者福祉と地域福祉ー浅野史郎(2)

2007-02-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
浅野史郎さんの講演は、14時半過ぎに始まり16時きっかりに終了した。全体として「地域福祉をどう進めるか」という話だが、浅野さん自身について言うと、仙台二高から東大法学部を出て厚生省(現・厚生労働省)に入省、昭和から平成にかけて児童家庭局障害福祉課長をしたことが、「障害者福祉をライフワークにしようと思った原点」と言う。で、今までは「施設福祉」だったのが、ここにきて「地域福祉」にならざるをえなくなってきた、と言う。その実例として最初に横浜市栄区桂台の日浦美智江さんたちのやっている障害者地域作業所『朋』、次に宮城県での「知的障害者施設解体宣言」と発祥地・船形コロニーを出され、一寸「幕間的」に団塊の世代の「地域デビュー」サポートのNPO法人「地域創造ネットワークJAPAN」のことを言われ、そして最後に「障害者自立支援法」のことで締められた。
まず横浜市栄区桂台とは、横浜の「田園調布」であり、日浦さんが最初に『朋』を設立しようとしたら自治会長に強く反対された。だがねばり強く説得し、ついに実現、桂台は「地域の底力」を発揮することになった、と言う。
(写真は、日浦美智江さん)

今、地域福祉に求められているものー浅野史郎(1)

2007-02-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
「第七回高槻市社会福祉大会」が一応14時15分前に終わって、司会者が「浅野史郎先生の記念講演-今、地域福祉に求められているもの-は15分後の14時半からです」と言った途端、袖から当の浅野史郎さんがマイクを持って現れたので皆びっくり、浅野さんは気さくな人のようで、「講演開始の14時まで前座を勤めます」と雑談を始めた。これが中々面白い。浅野さんは宮城県知事3期12年で辞めようと思ったのは、権力は沈滞する、と思ったから、と言う。部長も課長も3期12年も同じところにとどまる人はいない。だとすると、県の幹部会議で「10年前はどうだったかな?」と聞いても知っているのは自分(知事)一人、これでは「独裁」になる恐れがある。現在、知事を辞めて慶応の藤沢キャンパスで教えているようだが春学期講義の学生評価はきびしかったようだ。「単なる知事の体験談、学問ではないのではないか」「こんな人物を慶応に引っ張ったのは誰だ、授業料を返せ」等々。まあ15回の講義を面白くかつ理論的に深くやるのはやはり難しいに違いない。で、秋学期はしっかりやって大分評価が好転したようだ。そういう風に柔軟に直ぐ対応できる資質があるのは良い。とにかく今日の講演は面白かった。

第七回高槻市社会福祉大会に参加

2007-02-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、平安女学院大学人間社会学部長の野崎光洋先生と一緒に「第七回高槻市社会福祉大会」に参加した。この4月から高槻キャンパスで開設する生活福祉学部の将来と密接に関係があるからである。もう一つ、記念講演に浅野史郎さん(慶応義塾大学教授、前宮城県知事)が来るというので話を聞いてみたいということもあった。
今日の会は高槻市社会福祉協議会主催で、「社福設立55周年」「社福法人格取得35周年」記念だという。13時に高槻市現代劇場の中ホールで始まった。最初にアトラクションで平安女学院大学のブラスバンド部14人が松尾光洋先生(生活環境学部)の指揮で演奏した。ピンクレディーメドレー、レットイットビー(ビートルズ)、ジブリメドレーそしてルパン三世のテーマで締めた。やんやの喝采、こういう形でも地域貢献している。