西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

サクラダ・ファミリア教会のこと、一寸心配

2007-06-30 | 住まい・建築と庭
今朝の『朝日新聞』8面に「サクラダ・ファミリア大聖堂 崩落危険!? 地下にトンネル計画、振動で・・・教会「変更を」■政府「安全」」とある。記事では「教会は1882年に着工。・・これまで90㍍を超える塔8本が完成。今後は170㍍の塔も建設予定で、20年後とされる完成を目指し、・・」「だが、教会前の地下40㍍に、スペイン国鉄がフランスと結ぶ高速鉄道のトンネル建設を5年後の完成を目指して計画。教会の基礎部分と数㍍しか離れていないため、「工事や電車の振動のため壁の落下や、倒壊などのダメージにつながる可能性がある」という反対論が教会の建設関係者から持ち上がった。」・・・「この騒ぎで、教会が市(バルセロナ市)の建築承認を得ないで建設されていたことも判明し、論争は泥沼化しそうな雲行きだ。」とある。バルセロナのこの場所は、アテネのパルテノン神殿などと共に是非行って見たい所だ。一寸心配である。
過去記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ed84af0ff6c2b2b1689cdead10eb3b1d

日記シフト

2007-06-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は、1988年(昭和の終りごろ)から今まで足掛け20年、ワープロ、パソコンで日記を毎日のように書いてきた。平均日に1200字位だ。ところが、この二三年、ブログを書き出した頃から日々の日記はやせ細ってしまった。平均日に三行120字位、1/10になった。両方書く時間はないからである。
今までの日記では、出きるだけその日の「こと」や「もの」について具体的に書いてきた。時期により精粗があるが、三食何を食べたか、何処で、誰と食べたか、何時に寝て、何時に起きたか、その日の体重は何kgであったか、その日何処に行ったか、誰に会ったか等々覚えている範囲で書いていた。20年も通しで見れば、立派な「データー」と思うが、それを通しで見たことがない。昨日、奈良女子大百年史への記事を書くため、家政学部から生活環境学部への改組のあった1993年10月1日以前の準備活動、学部内部での諸種議論を生々しくみてみようと遡って1992年頭から読み出した。分量が多いので、一日かかって「一ヶ月分」読むのがやっと、でも色々記憶にないことが分かった。その件以外のことも「ああ、これはこの頃だったんだ」と改めて分かった。東京の親父がなくなったのは1992年1月15日だった。
それと細かいプライバシーに関することはブログには書きにくい。日記には、自由に書ける、自分の備忘録として・・。で、ブログも少しづつ記録として印刷してファイルしているが、日に数件書いていても、それで、その日の「思い」が終りではなく、粗い、しかし「まとまった考え」として書いている点が良い。これから両方使い分けていきたいが、使える時間が限られているので、重点を再び日記シフトにしたい、と思っている。

タオルケット、扇風機、夕涼み・・

2007-06-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
一昨日の夜から、掛け布団は止めてタオルケットで寝ている。お腹の上に載せるだけだ。とにかく暑く寝苦しい季節に入ってきた。で、昨日、帰宅すると居間に扇風機が出ていた。家内が屋根裏から下ろしたようだ。二階にも小型扇風機が二台置いてあった。「ああ夏だな」と思う。クーラーも居間や寝室についているが、去年あたりから出来れば扇風機や団扇ですませたいと努力しているが、中々上手くいかない。「心頭滅却すれば火も又涼し」という訳にはいかない。
私は寒がりの暑がりなのだ。北陸の雪国で子供時代を過ごしたが、しもやけになったりで冬も嫌だったが(それも雪国を「逃げ出した」一つの理由かな)、蒸し暑い夏も嫌だった。でも子供時代の金沢では夕涼みに犀川縁まで出かけたり、花火、夜店があったり、縁台将棋があったりで、暑さ逃れの工夫があったが、今の地域社会ではそういうのがすたれている感じだが、どうだろうか。梅雨が明けると夏本番である。

富山のライト・レールウエーの実践に希望の灯

2007-06-27 | 地域居住学
今朝のNHKTVで公共交通の復活の話題として、富山のLR(ライト・レールウエー)・富山港線のことをやっていて、日本における公共交通復活に少し希望の灯が見えた感じだった。沿線住民のニーズを徹底的に調査し、回線をJR線時代より大幅(6倍)に増加、結果、乗客は3倍(60歳以上は5倍)に増え、中には乗用車を止めた人まで現れている。電車は、名前の通り「軽い」(ライト)感じ、乗り降りは高齢者に配慮して低床、乗客は皆喜んでいる。富山市の計画では、現在、富山港ーJR富山駅を結んでいる路線を、富山駅南市街地の旧市電に接続して、更に郊外に延長、JRとの接続も良くし、各駅をバスのターミナル風にして、全体として公共交通システムを再建・活性化すると言う。私は、1970年~1974年に「京都の市電を守る会」運動をやった経験があるし、故郷の金沢の「市電」廃止も残念に思っている。京都でも、金沢でも市内電車の復活を望みたい。(写真は、富山のLR)

誕生日と努力目標

2007-06-26 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日6月26日は、私の誕生日だ。6.26は「露天風呂」の日であり、626はモーツアルトのケッヘル番号最後(レクイエム)である、と前に書いたことがある。で、太平洋戦争開戦の1941年(昭和16年)生まれなので満66歳である。「ぞろ目」である。実は、66歳というと母方の祖父・西村由森(よしもり)が亡くなった歳である。それをようやく越えようとしている。祖父は、金沢郊外の農村の三男坊、金沢に出てきて銀行づとめ、55歳の定年後、仲間と金融会社をおこし、死ぬまでそこで働いた。営業という仕事の関係もあり、付き合いでお酒を無理に飲んだことも影響して、肝臓がんで亡くなった。私が中3(15歳)の時だった。後に祖母、母、妹と女三人、私の男一人残され、私の責任も重大だったのだが、母と祖母の援護の下、のほほんと過ごした感じだ。前に書いたが母親が洋裁学校をおこして頑張ったのだ。それには、祖父の由森が借家不動産を少し残したお蔭もあった。祖父、祖母(すすむ)、母(愛子)、父(瓜生留雄)ももうこの世にはいない。しかし、苦労して私や妹を育ててくれた祖父、祖母、母に改めて感謝すると共に、バトンタッチで、妻、娘、孫3人をしっかり見守っていきたい。次なる「目標」は、祖母、父の亡くなった84歳であろうか。それは少し大変なので、もう一寸手前に何かクリアしやすい「目標」も考えたい。例えば、古稀(4年後、70歳)、孫(長孫、現在11歳)の成人式(9年後、私75歳)、我々の金婚式(11年後、同時に私の喜寿77歳にあたる)とか・・。先ず、元気に次の1年を過ごしていこう。

本日より、諸般の事情により「節ブログ」を実行させていただきます。

父に教わったこと

2007-06-25 | 金沢の思い出
昨日、日曜日の朝、ラジオの「お便り特集」で「父に教わったこと」をやっていた。そう言えば一ヶ月前には「母に教わったこと」をやっていたっけ。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5e027615acea11e7e7d7b6a6555a8525
で、昨日も聞きながら自分自身のことを考えてみた。父は、戦後、満州から引き上げてきて暫く西村家に逗留したが、やがて東京の鹿島組(後の鹿島建設)に就職し、色々の事情で昭和30年(1955年)頃に母と別れた。その間、盆や正月に「帰ってきて」私や妹を連れて「ターザン映画」を見せてくれたりした。寡黙の父だったが食事の時、妹がご飯を畳に落として、拾って食べなかったものだから、こっぴどく妹を叱った。その剣幕に普段の無口の父を知っていたので私も驚いてしまった。駅弁の蓋の裏の米粒まで食べるようになったのは、父のせいである。その後、私達のロンドン留学が決まったとき(1982年)、東京に招いてくれてロシア料理をご馳走になった。祖母がなくなった後で、旧制四高の同窓会で金沢に来た折、四高時代の思い出や母との馴れ初めも語ってくれた。何時かは、娘や孫のためにもノートメモしかないそれらのことを書き残しておきたいと考えている。
父のこと(再掲):http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/0941aba2c428c96c1f019812dcbc918b

色々の整理ー資料や組織などー

2007-06-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
「T.居住地」の第二書斎においてある段ボール資料は、半分以上は中を一度は開けてみているが、あと20~30箱残っている。昨日の日曜日も行って整理をしないといけないのだが雨で億劫な気分になって行けなかった。他に、整理するといえば入っている諸種学会や団体等の整理もある。奈良女現役の時は、関心のある学術情報はなるべく広くということで、10位の学会、5位の団体などに入っており、年間の会費も合計すると30万円を越えるくらいで馬鹿にならない。平安女学院に移って、学会費は研究費で出して貰えるけれども、五木寛之の『林住期』ではないが、将来は年金中心の生活になるし、整理しスリムにしようと考えている。もう少し、身近な地域の諸種団体には「つながり」を求めて力を入れていきたいものだ。

明日でブログ二周年

2007-06-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
2005年6月25日に、私はこのブログを書き始めた。だから今日で丁度365日×2=730日経ったことになる。調べてみると、このコンテンツが2663件目で、日平均約3.6件書いてきたことになる。良く続いたな、と思う。まあ「日記メモ」代わりでもあって、実際の日記のほうは「やせ細って」いる。このブログの1件どの程度の分量で書いているかだが、平均400字位ではないか。だとすると今日まで400字詰め原稿用紙2663枚書いたわけで、新書版7冊位の分量だ。実際にコンテンツ、カテゴリーによっては本にならないかな、と考えている。
今後は、ブログは日に1,2件にして、本来の日記をきちんと書いていこう。そして、ブログや日記をベースにした本を書くことも考えていきたい。
最近のアクセスは、平均で日に200を越え、一回のアクセスで平均3件のコンテンツを見ていただいている。まあ、200人位の方が良くアクセスして頂いている方と思っている。コメントは平均で日に(4コンテンツに)一件ほどである。出来れば1コンテンツに一件欲しいものだ。今後とも宜しくお付き合い下さいね。

苫小牧の肉加工業者の牛肉ミンチ偽装

2007-06-24 | 時論、雑感
これにも呆れた。社長が社員に「混ぜてしまえば分からない」と言っていたとは。牛肉といいながら実は豚肉、ミンチになると分からない・・、と。生協コロッケで出回っていたようだ。これを家で話題にしたら、家内が「この業者は、そのミンチ作る機械の工夫で文部科学省から表彰されているんだって・・」と言っている。「えー」と思ってしまう。食い物の表示と共に中身にも注意、だ。
おりしも、苫小牧では全国植樹祭という晴れがましい全国行事が開かれている、というのに・・。

北見市浄水場に濁水

2007-06-24 | 時論、雑感
これまた事故?北海道の北見市で浄水場に濁水が流れ込んで「水道水」の供給が止まった。一般に浄水場の立地は慎重に決められ、そういう濁水が流れ込むような可能性というか危険性は慎重に排除されているはずなのに・・。
水については、他に途中の幹線が破れて地上に水が噴出した事故も過去にあった。
水ではないが、ガス爆発事故も過去にあったと思う。これ全ては安全管理の問題である。都市の電気・ガス・上下水道、鉄道、バス、高層ビル、地下街等々を安全管理の面から総点検が必要ではないか。

早朝の散歩道と鳥達

2007-06-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今朝は、土曜日だけれど用事で出勤。早く6時半過ぎに家を出て専用歩道(散歩道)を通って近鉄・高の原まで行った。昨日が夏至で太陽は4時台に顔を見せ始めるので6時台は十分に明るい。でも散歩道は何時もの8時頃と違う雰囲気だった。小鳥達が低く飛んで木から木へと鳴きながら飛びわたっている。木に止まると足元を突いている。虫を食べているのか。朝日で動物達は一般に目を覚ます。で、夏場の丁度6時半過ぎは朝食の時間帯なのかな、とふと思った。鳥は、羽ばたいたり鳴いたりで良く我々に認識されるが、「足元の」虫は見えない。でも鳥の挙動で虫がいることが分る。
何の鳥で、何の虫を食べているのか、具体的に知りたいと思いつつ、並木道を過ぎた。向こうに「戦艦」のような「イオン」が見えてきた。

岡田光正先生との会話

2007-06-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
先日の「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」総会で、顧問の岡田光正先生に久しぶりでお会いした。岡田先生は、京大建築1952年(昭和27年旧制)卒で、阪大建築に「建築計画学」で長く勤められ、現在・阪大名誉教授である。私より一回り年上、喜寿になられたのではなかろうか。
会話(抄)私「先生、毎日の過ごし方はどういう風ですか?」岡田先生「サンデー毎日ですよ」私「いいですね。早くそうなりたいもの」岡田先生「そんなもの、何時でもできるじゃない 」私「・・・」
岡田先生「ところで、奈良女の住居学科の非常勤をしていたおかげで毎年、同窓会誌を送って貰ってるのは皆の動向がわかって嬉しいが、あの『第生会報』の「第生会」という謂れは?」私「亡くなられた花岡利昌先生が、同窓会をつくる時に名付け親になったと聞いています。第は聚楽第の第で、住まいという意味では・・、生は、そこに生きる、で住居のハードとソフトでは・・」岡田先生「ふーん、奈良だから、古事記とか万葉集に何か元があるのか、と思ったが・・」
奈良女・住居卒の皆さん、正確に「第生会(ていせいかい)とは?」について、訂正書いてくださいネ。

首都圏JRで架線切れ18万5千人に影響

2007-06-22 | 時論、雑感
又、事故だ。今回のJR事故は熱のため8時前に架線が切れて電流が流れなくなり電車がストップし、復旧は、長引いて13時過ぎになった。5時間もかかったのだ。では、何故、架線が切れたのか。電車の架線には電流が流れているが、所々に変電所があり、そこで変電された電流が流れるのだ。だから隣り合った二つの変電所の近くで架線はダブルになる。このダブル区間に、パンタグラフを架線につけた電車が止まると、ダブル架線の電圧の高い方から低い方へ一時に大量の電気が流れ、架線が過熱で溶けて切れるのだ。本来、その区間には電車を止めていけないように指導されているが、何らかの理由でその停車禁止区間に電車が止まったのだ。これで影響を蒙ったのは18万5千人と言う。
JRは、一般に管理が行き届いていることで定評があった。(でも、尼崎事故は、本当にいただけない!) 特に新幹線は1964年に走り始めて以来、40年以上、重大な人身事故を起こしていない。これは、深夜過ぎ新幹線が運行を止めている時間帯に全線にわたって生身の人間センサーでチェック、管理しているためだ。安全に万全を期すため、この丁寧な管理システムを更に在来線にまで及ぼして、管理にお金と人手を注ぎ込む必要があると言えよう。

カラー・セラピー

2007-06-22 | 色々な仮説や疑問
今日、平安女学院大学での「代替セラピー論」オムニバス授業(共同授業)で、O.先生の「カラー・セラピー」の話を聞いた。学生各人に好きな色、思い出す具体物、そこからイメージする言葉等を聞きだしながらの授業で、学生も乗ってきていた。まあ、日本色彩研究所が、色からの連想ー具体物、象徴語ーというのを表にまとめていて後でプリントが配られて「なるほど」と思った。色は、赤、黄、緑、青、紫、白、黒である。この色の捉え方は、国際的に「違っている場合」があるとのこと、例えばキリスト教国では、青と黄は、特別の色らしい。キリストの母・マリアさんは、青っぽく描かれ、裏切り者・ユダは黄色に描かれるのだという。私が一寸「茶々」を入れて、中国では黄色は皇帝の色で高貴なのになあー、と言うと「そうですね、臣下は黄色の服装は出来ませんね」とO.先生は応えておられた。食事も青っぽい蛍光灯の下より赤っぽい白熱電灯の下の方が美味しく感じるようだ。「ああ、そういえば、今日は夏至で、夜の20時から3時間、電気を消して蝋燭で静かに色々考える運動もあるようだ」と又「茶々」を入れてしまった。そういえば、茶色は私の好きな色の一つである。

「テレビを見ない」と宣言した「テレビっ子」

2007-06-22 | 名古屋・豊田の思い出
昨日の夜、家内と昔話をしていたら「豊田(豊田高専官舎)で結婚生活を始めた頃(1968年4月)、「テレビを見ていると時間も食うし目も悪くなるから見ない」と言っていたのに「一番のテレビっ子」になったのは誰?」と言われた。そう言えば、気負ってそういうこと言ったかなー、と思い出した。家内は、時々はテレビは見たいわ、と小さいテレビを持ってきたのだが、結局、私が「独占」の形となり、徐々に大きなテレビとなってきている。今度の地上波デジタルテレビはどうしようかな。

まあ、最近、眼科に通う身にもなってきたし、そろそろテレビは「自粛」しようかな、と思っている(ないのもさみしいが・・)。実際、最近は「ながら族」でラジオを聞いていることが多い。