西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

廣瀬正明さんに会う、最近は「宮沢賢治研究」らしい

2015-08-27 | 奈良の思い出(助教授時代)


日曜日(2015年8月23日)に「奈良女子大の横断同期会」で、昔、家政学部食物学科の助教授(栄養学)だった広瀬正明さんに会った。彼は、僕と京大同期(1964年卒)、僕は工学部建築学科だが、彼は農学部農芸化学科だった。

最近は、二足目の草鞋(わらじ)をはいて「宮沢賢治研究」をしているらしい。2013年に『宮沢賢治「玄米四合」のストイシズム』(朝文社刊)を上梓(じょうし:発刊)したようだ。ストイシズム:禁欲主義


別に医学者が書いた『少食が世界を救う』といった本もあったっけ。

広瀬さんの本を読んでみようと思う。廣瀬さんは奈良女子大に10年つとめ、今年まで「奈良女子大卒30周年記念同窓会」に出席、来年からは彼の後任の的場輝佳さんが出てこられるようだ。

広瀬さんには「御機嫌よう、さようなら」(又ね)と挨拶しておいた。

奈良女子大卒後30周年(1984年、昭和59年卒生)記念同窓会に参加する

2014-08-19 | 奈良の思い出(助教授時代)
2014年8月17日(日)日航奈良ホテル・飛天の間で奈良女子大卒後30周年記念同窓会があり、参加した。僕は、奈良女子大に1974年(昭和49年)4月に助教授で京大助手より赴任し、2005年(平成17年)3月に定年で退職した。都合31年間、勤めたことになる。卒後30周年の同窓会を三学部(文学部、理学部、家政学部ー家政学部は1993年10月より生活環境学部、現在に至る)全体、すなわち全学部で共同で行っている大学は、殆どないのではと思う。これは、何時から行っているのか、定かではないが、僕自身は、定年で退職する2005年(平成17年)より今年まで10回連続参加(皆出席)している。

奈良女子大の定年は、63歳だったので、その時教えた卒業生が30周年記念同窓会をする時には、教員は63に30を足して93歳になる計算だが、そこまで生き延びる人は少ない。今年93歳で参加されたのは文学部(哲学)の井上公正先生お一人だった。先生はめでたく奈良女子大の同窓会30年会を御卒業である。あやかりたいものと、ひそかに思うが・・・。

この30周年記念の合同同窓会が出来るのは、彼女らは奈良女子大卒後30年だから恐らく齢は52歳~54歳位であり、家庭的にも社会的にも安定し、余裕が出てきた時に当たっているからではないだろうか。僕たち教員だった者にとっても、「社会の中堅、人生折り返し点位の人達(特に女性)」が、どんな考えを持ち、どういう生きざまをしてきたのか、今後、どのように人生を展開しようとしているのか、聞きたくて期待と関心をもって毎年参加させてもらっている。

と同時に、諸先生方の元気な姿、謦咳に接しられるのも良い、と思っている。但し卒業生は、毎年52~54歳位であるが、参加される先生方は年々齢をとっていくのが特徴だ。(勿論、奈良女で30年経った若い先生方も入って来られている。理学部の何人かの先生や生活環境学部の瀬渡章子先生のように「現役教員」で参加の先生方もおられる。)

で、今回の参加は卒業生は200人を越えて204人、先生方は50人ということだった。先生方の大半は識別できるが、上述したように「若い」先生方には面識のない方々も出始めている。

会の持ち方は毎年の積み重ね(「見習い」で来年の予定幹事も二人参加)で、定型化しつつあるが、「まあ改良の余地」もあるかもしれない。「恩師代表」で挨拶、話をされた野口誠之(せいし)さん(前学長、物理学)も言っていたが、自己紹介されつつ、「私(野口さん)は、「恩師の代表でも何でもない」、幹事のたっての要望で出てきているに過ぎない。」その幹事さんの手紙には、「人生の後半戦のための有意義なお話を伺いたく・・・」みたいな言いまわしがあったが、私は人生全般の先達でも達人でもない。むしろ君たちから様々な人生の取り組みの苦労話などを聞きたいものだ・・・」といったお話があったが、同感である。

まあ、それは、10人位の丸テーブルで、それぞれやってください、ということかな、とも思うが、そうであれば、テーブルの幹事、世話役が何か「司会役」をやって簡単な自己紹介を兼ねて順に小話(テーブルスピーチ)などしたらどうだろう、と思う。僕にとっては、たまたま1984年卒の学生がいる時はイギリスに文部省在外研究員で1982年から1983年にかけて出かけていた年にもあたり、卒業研究指導にもタッチしなかったので、その頃学生だった卒業生の顔と名前が大部分一致しないから「自己紹介」があったらよかった、と思う。まあ何人かは席に寄って来ていただいて自己紹介があって良かった。

このブログをを見た来年の幹事、世話役の方々は、出来れば考えてみてください。まあ皆さんが主役だから、私は全体の聞き役に徹しても良いが、聞かれるなら「小話」もしてみたい感じです。

「そんなことやったらうるさくて仕方がない」と言われるかもしれないが、実際そうでなくとも結構「うるさい」し、」本来、丸テーブルでは、真向いの人に声が聞こえないと意味がないのだ。そうでないと話題が共有できないのである。うるさいのは仕方がないと思う。まあ、今までの日本人は、隣などとは小声で喋るが、「向こうまで聞こえる」風には喋っていない。一つ「脱皮」したらどうだろうか。

全体の奈良女子大学は、今までどうなって、今後どうなるだろうか?については、今岡春樹学長(生活環境学部出身、アパレル工学専攻)が、自己紹介も兼ね手短にまとめて報告された。今岡さんとも結構長い付き合いと思っていたが、あと5年しないと、この会への「参加資格」はないが・・・、と言っておられた。「少子高齢化が大学の進路に大きな影響をもっていること、そのなかでも色々工夫して改組などをしている、今年からの改組の概要を話された。(関心のあるかたは奈良女のホームページへどうぞ)

卒業生を代表して文学部英語・英米文学科卒の大倉玲子さん(旧姓、加納さん)がドイツに住んでおられる経験に基づいて話をされた。やはり国際的にもまれると話も面白く、うまくなるのかな、と思った。

順があちこち飛ぶが、乾杯の音頭を田村 俶先生(元学長、仏文専攻)が「たおやかになってください」と短く挨拶された。そういえば、今回の教員側の話、乾杯の音頭は現学長、前学長、元学長の学長シリーズであった。又そういえば、学長たちの出身学部が、生活環境学部、理学部、文学部と、幹事も気を使っておるわい、と思った。

午後13時から16時にいたる3時間のパーティも、一寸長かったが料理もおいしくて満足、皆さん今後も元気で進んでください。 「ご機嫌よう、さようなら!」


直木賞作家・坂東眞砂子さんが亡くなる

2014-01-27 | 奈良の思い出(助教授時代)
夕方のテレビニュースで坂東眞砂子さんが舌癌で高知の病院で亡くなったと言う。享年55歳だ。高知県出身、昭和55年(1980年)奈良女子大学家政学部住居学科卒、高口(恭行)ゼミ出身。私は昭和49年(1974年)に赴任、坂東さんは、僕の講義は聞いていた。学生時代から印象が型破りだった。

でも普通に住居学関係に就職したが、おさまりきらずイタリアに留学、イタリア時代から住居関係の小文を書いて日本の雑誌などに採用されていたようだが、帰国して認められて長文の小説(ホラー小説)を書いてやがて『山姥(やまんば)』で直木賞を受けた。新潟県(越後)の民話を取材し、方言も勉強して書いている。また、住居学出身の強みを活かしたというか、空間表現にも他の作家に比べユニークさがあると当時思った。奈良女子大出身の直木賞受章は初めてだったと言える。

ゼミ指導教官だった高口さん(現・一心寺長老)に聞いたところでは、坂東さんから恩師に毎作送って来ていたという。高口さんも細かくコメントしていたようだ。

一時期、イタリアに住んでいた時のことか、南の島にパートナーと住んでいた時か忘れたが、子猫を崖から落としていることを書いて、猫ファンからブーイングがあったこともある。

しかし、多くの人を小説で楽しませ、現代では「短く太い」人生を力強く駆け抜けたと言えるだろう。ご冥福をお祈りしたい。

奈良女子大1983年(昭和58年)卒30周年記念同窓会に参加雑感

2013-08-18 | 奈良の思い出(助教授時代)

一昨年から日航奈良ホテル(JR奈良駅裏)で行われている奈良女子大卒後30周年記念同窓会に今日(8月第三日曜日)招待されて参加した。今年は1983年(昭和58年)卒の同窓会である。私は奈良女子大学を定年退職した2005年から参加し、今年で9回目である。

2005年から2010年までは奈良ホテルで行われた。2011年、2012年、今年と日航奈良ホテルである。4階の飛天の間である。

又2006年までは8月の第一日曜日開催だったが2007年から今までは第三日曜日となった。

1983年卒というと、入学が1979年で「共通一次」一期生だった。実は彼女らが4回生だった1982年の秋(10月)から1983年の8月まで僕は家族(妻と娘ー中2~中3-)と文部省の在外研究員でイギリスに留学した。だから、彼女らの卒業に立ち会っていない。が、色々と思い出深い学年であった。1982年の夏ごろに完成したE棟にⅮ棟から引っ越ししたが、ゼミ生に手伝ってもらった。彼女ら(3人)の卒業研究は、未だ健在だった扇田 信教授、今井範子助手(当時)が指導した。僕自身は、イギリス留学準備の他、学位(工学博士)論文を京大(巽 和夫教授)に提出した「大変な」年だった。


今日の同窓会プログラムは、おおむね毎年同じだが、13時に始まる前に記念撮影、2010年までの奈良ホテル時代は、3学部(文学部、理学部、家政学部)一緒に同窓生、教員全員(約250名前後)を写していたが各人の顔を識別しがたく、2011年の日航奈良ホテル時代からは、各学部別(学長、同窓会長のみ3回とも入る)に撮影となり、写真は見やすくなった。

次に開会の辞、そしてこの1年間に亡くなった同窓生や教員に対して全員起立で1分間の黙とうをした。

・続いて学長が大学の現状等につき概略説明を兼ねた挨拶をされた。今岡春樹さんが、1983年以後の実情と今後の改組の話をされた。今後、何年かは18歳人口は横ばいだが、それ以後80万人ほどに激減、大変とのことだ。

・乾杯は、最年長の井上公正(92歳、哲学)さんが音頭を取られた。あと1回(来年)で93歳、「満期」となる。(奈良女子大では63歳が定年、その30年後は93歳なので定年退職した教員にとっては、93歳がこの卒後30周年記念同窓会の「満期」となる・・・)

それからテーブルごとの歓談、カメラマンがスナップを撮って回っていた。

住居学科は卒業生19人、教員7人(年齢順に近藤公夫、梁瀬度子、疋田洋子、僕、磯田則生、今井範子<以上名誉教授>、北口照美さん)が3テーブルに分かれて飲みつつ食べつつ駄弁った。卒業生は、久し振りに会った人ばかりである。今日、僕のアテンダントをしてくれたのは、安恒万記(旧姓・糸賀)さん(筑紫女学園短大・准教授)だった。同じテーブルは、教員は今井さんと私、元学生は1講座1名(伊東理恵さん、欠席は岡野良子さん、綿谷容子さん)、4講座が6人だった。4講座の先生(高口恭行さん、瀬渡章子さん)は欠席。他の2テーブルは、2講座(学生一番多い)と3講座である。

・「恩師お言葉」は、毎回一人「実行委員会」で選んで依頼する「恩師」が近況・雑感などを話す。今回は理学部の野口誠之さんだった。前学長である。

僕も2010年に「けいはんな市民雑学大学」のことなど話した記憶がある。一昨年年は松生 勝さん、昨年は石川 実さんで3年連続家政学部であった。


同窓会・佐保会の疋田洋子理事長の挨拶・・・初めて、来年の佐保会100周年の色々なイベントの説明があった。

・合唱で「校歌」と「ふるさと」を歌った。

・最後に実行委員長・藤原素子さん(教育学科、体育学専攻卒)の挨拶、バランスのとれた挨拶だった、やはり卒業30年もすれば、こうなるのか、と感心した。

ほろ酔いで16時頃に散会、(3時間余の)いい同窓会だったなー。元学生との交流の他、元先生同士の交流も良かった。

奈良女子大1982年(昭和57年)卒30周年記念同窓会に参加雑感

2012-08-20 | 奈良の思い出(助教授時代)
昨年から日航奈良ホテル(JR奈良駅裏)で行われている奈良女子大卒後30周年記念同窓会に昨日(8月第三日曜日)招待されて参加した。私は大学を定年退職した2005年から参加し、今年で8回目である。

2005年から2010年までは奈良ホテルで行われた。2011年、今年と日航奈良ホテルである。

又2006年までは8月の第一日曜日開催だったが2007年から今までは第三日曜日となった。

プログラムはおおむね毎年同じだが、13時に始まる前に記念撮影、2010年までの奈良ホテル時代は、3学部(文学部、理学部、家政学部)一緒に同窓生、教員全員(約250名前後)を写していたが各人の顔を識別しがたく、2011年の日航奈良ホテル時代からは、各学部別(学長、同窓会長のみ3回とも入る)に撮影となり、写真は見やすくなった。

次に開会の辞、そしてこの1年間に亡くなった同窓生や教員に対して黙とうする。

・学長が大学の現状等につき概略説明を兼ねた挨拶をされた。野口誠司さんが、法人化のイメージと以後の実情を話をされた。なにやかや業績上げろと言われ(書類書きが多くなり)、給料は下がっている・・・。(確かに国立大学時が良かった!)

・乾杯は、最年長の井上公正(91歳、哲学)さんが音頭を取られた。あと2回か3回「満期」までやられると良いと思う。(奈良女子大では63歳が定年、その30年後は93歳なので定年退職した教員にとっては、93歳(94歳?!)がこの卒後30周年記念同窓会の「満期」となる・・・) 井上さんが「今年91歳です」と言われたとき、期せずして拍手がおこった。(皆あやかりたい風情である)

それから奈良女子大管弦楽団アンサンブル演奏をバックにテーブルごとの歓談、カメラマンがスナップを撮って回っていた。

住居学科は卒業生10人、教員4人(年齢順に近藤公夫、疋田洋子、僕<以上名誉教授>、瀬渡章子教授)が2テーブルに分かれて飲みつつ食べつつ駄弁った。卒業生は、久し振りに会った人ばかりである。ただ一人、1980年代後半に『いい家みつけたーロンドン借家住まい日誌ー』(晶文社)を書いた後に、その印税で再度家族3人(妻に娘)でロンドンを訪れ、ピカデリー・サーカス近くの紅茶の「フォートナム&メイソン」の店に行ったこともあるのだが、そこで彼女に「ばったり会いましたね」、と話しかけられてびっくりした。私は彼女に後に『いい家みつけたーロンドン借家住まい日誌ー』を贈ったようだ。

そういえば、そいうことあったかな、とかすかに思い出した。彼女は今、国連職員の旦那とスイスに住んでいる。

・「恩師お言葉」は、毎回一人「実行委員会」で選んで依頼する「恩師」が近況・雑感などを話す。今回は家政学部の石川 実さんだった。彼は数年前にも話したのではないか。

僕も2010年に「けいはんな市民雑学大学」のことなど話した記憶がある。去年は松生 勝さんで3年連続家政学部である。

石川さんは社会学者らしく、高齢者の孤独死、孤立死と家族の問題を言われた。またご自身家族(妹や奥さん)の病気のことも言われた。(この話に触発された訳ではないが、帰りに本屋で『エンディングノート』(小学館刊)を買ってしまった。)

同窓会・佐保会の川崎和子理事長の挨拶・・・今回限りで理事長を辞められるので「挨拶」は最後、同窓会の社会的活動の活性化を訴えられていた。(実は、この理事長は洒落っ気があって、8月1日は佐保会の一般社団法人に「登記日(とうきび)」だったので祝いの会で正に「唐黍(とうきび)」を食べたようだ!!)

・合唱「ありがとう」を聞く、歌詞が長いが良い、作詞作曲:水野良樹さん。最初の「”ありがとう”って伝えたくて あなたを見つめるけど 繋がれた右手は誰よりも優しく ほら この声を受けとめている」 人生の最後に愛する人と右手で握手しながら”ありがとう”って言いたいな、と思う。

実行委員長・柳林和美さん(食物学科卒)の挨拶、バランスのとれた気配りの挨拶だった、やはり卒業30年もすれば、こうなるのか、と感心した。

ほろ酔いで16時頃に散会、(3時間余の)いい同窓会だったなー。

奈良女子大・卒後30周年同窓会に出席

2011-08-22 | 奈良の思い出(助教授時代)
昨日、8月の第三日曜日、奈良女子大・卒後30周年同窓会(29期、1981年昭和56年3月卒)に出席した。今年は、今までのように奈良ホテルではなく、JR奈良駅西口のホテル日航奈良の4Fの「飛天」であった。
―昨年以前にも参加しているので、それらの様子知りたい人は、今頃のブログを見て下さい。―

12時から受付だが、少し早く11時半に着いて受付し、控室に案内された。出席者名簿によると、先生方は、全体で57人、文学部21人、理学部19人、家政学部17人(私含む)だった。

やがて色々な先生方が来られて、広い控室のあちこちに座って近況を言いあったりした。最初に日本史(近代史)学の中塚 明先生、社会学の間場寿一先生が来られた。中塚先生は去年は「日韓併合100周年」にあたり夏休みには講演要望が全国的にあって、この「会」に欠席だったが今年は出席、昔、文学部長もされた間場先生は、今年初めての出席だった。

間場先生は元気そうだが、昨年末の大掃除の折り、自宅庭で階段から落下して意識不明、救急車で搬送、腰の骨を折り頭も4針縫う大けがをしたとのことだった。まあ多くは63歳を過ぎ90歳まで出席の高齢者では、「健康」が大きな話題の一つであろう。間場さんには、63歳で定年退職したら、30年後までこの「会」に招待され参加しようとすると93歳まで生きている必要がある、と言ったら「なるほど、そういうことですな」と言われた。

やがて12時半から記念撮影、去年まで奈良ホテル前の外部空間で三学部一気に撮影だったが、今年はホテル日航奈良内部での学部ごとの撮影だった。これだとルーペでないと確認できないような小さな顔ではなく比較的大きな顔に写って良いと思った。

その撮影場は、「飛天」の間の隅だった。その間(ま)は、奈良ホテル最大の「大和の間」よりも大きく、円系テーブル39卓ならべてもゆったりしていた。ひょっとして来年から会場はこちらになるかもしれない。

13時から「恩師入場」で、卒業生に率いられて57人が入場、私は「まるでサッカーでの子どもたちと手をつないでの入場に似ているなあ」と言ってみた。でも手をつないでは貰えなかった。(陰の声:当たり前!だよ。何考えてるんだ!)

参加卒業生は、名簿によると文学部71人、理学部62人、家政学部72人で、今年は家政学部が一番多かった。

13時15分頃からオープン、開会の辞の後、「黙祷」(亡くなられた恩師、同窓生、ニュージランド大震災、東日本大震災で亡くなられた方々に黙祷!)だった。(ニュージーランド大震災では英語研修中の奈良女子大生の川端恭子さん(2回生、文学部)が亡くなった。)

「学長ご挨拶」は、野口誠之さんの挨拶、野口さんは1975年に理学部助手で赴任、爾来、奈良女子大一筋のようだ。学長3年目、法人化で苦労している話があった。又、女性教員が、30%を越えたと言う。(私の在籍していた頃は半分ほどだった。)

「乾杯」は、先生最長老の井上公正さん(90歳、哲学)が音頭をとられた。「まあ入国審査で「一寸待って」という要注意人物になってください」とご自分のイギリス、アメリカ体験を語られたが、意味が今一つとりにくかった。(93歳まで「乾杯役」頑張って下さい。)

「歓談」は15時15分まで、私のテーブルは、「先生」は、私と今井範子さん(教授)「元学生」は7人、住居学科は三卓で、もう一つは、「先生」は元2講座(住居管理学)の近藤公夫、疋田洋子さん(以上名誉教授)、第三卓では、先生は瀬渡章子さん(教授)、北口照美さん(佐保短大教授、元講師)で「住居学科元学生」は、全員で19人だった。1講座(住生活学)は3人、一番多いのは2講座、3講座(生活環境学)も何人かいたが、先生方が来ておられなくて一寸「残念そう」、4講座(住居意匠学)は瀬渡先生はおられたが、湯川利和先生が退官後すぐに亡くなられ、高口恭行先生も欠席で、こちらも「残念そう」だった。来年はどうなるかな。

「恩師お言葉」は、松生 勝さん(名誉教授、66歳)で中国での(正式)教授体験から「中国との付き合い作法」を示唆された。中国の現状の一端が分かった。

「佐保会(同窓会)理事長のご挨拶」は、川崎和子さん(名誉教授)、 「1981年に皆さんが卒業した時は比較的就職も良かったが、その後10年刻みで大きな事があった、1991年頃にバブルがはじけ、2001年には(9.11事件が起き、かなと思ったが違うことを言われて面食らった)・・・、そして今年2011年は東日本大震災、東電福島第一原発事故、で佐保会として義捐金募集をしている、奈良女子大卒業生の横のつながりだけでなく佐保会を通じて縦のつながりもつけていこう。」と説得力をもって訴えられた。

最後に閉会の言葉で実行委員長の東井浩子さん(生物学科卒)が、しっかり締めていた。


教員参加者名簿(順不同、敬称略):
文学部:亀井雅司、遠藤邦基、奥野陽子;田村しゅく、山本邦彦;中塚 明、佐藤宗諄;金 文子;戸祭由美夫;間場寿一、新 睦人;井上公正;高橋史郎;松井春満;清水御代明、土居道栄;大築立志、小田切毅一、丹羽・・、河本洋子、山本徳郎

理学部:赤川安正、吉岡恒夫;野口誠之、川崎和子、見目正克、藤原 昇;奥村晶子、山本正夫、木村 優、海崎純男、岩井 薫;高木由臣、清水 晃、大石 正、高橋壮二、池口信子、磯辺ゆう、野口哲子、菅沼孝之

家政学部:遠藤金次、梶田武俊、河合弘康、丸山悦子、廣瀬正明;相川佳予子、中川早苗、松生 勝;近藤公夫、疋田洋子、西村一朗、今井範子、瀬渡章子、北口照美;石川 実、今村幸生、竹田美知

本同窓会の元教員としての楽しみ方、味わい方私案

・出来るだけ毎年出れるまで出る、そのことによって健康維持の励みになる。教員同士で情報交換(健康上の留意点、学問上の興味ある点、最近読んだ面白い本ー今回「一冊」読もうと思う本の示唆をえた。)
・会いそうな先生を予測し日ごろから聞いてみたいことを用意しておく。
・他学科、他学部の先生とは、パーティが始まると中々「遠くまで」出向いて話しにくい。何故なら、その学科の同窓生との会話を阻害するからだ。だから、受付前位に行って控室で話をする。質問して話を聞く。

・卒業生名簿を同窓会誌よりコピーして持って行き、顔と名前を出来るだけ一致できるように・・・(30年ぶりの人もいて、同じゼミ以外は、なかなか難しい)
「昭和史年表」(そのうち「平成史年表」も)調べて、彼女らの学生時代の世相を復習するか、間に合わねば持って行って彼女らとチェックする。―今回、川崎和子さん(同窓会理事長)は、調べてきておられて挨拶された。―
・卒業生の生活ぶりを出来るだけ聞く。(最近の仕事上も新しいことを聞いて刺激を受ける)
・「地域人間」としての経験も話して、将来の参考に供する。

大体、先生方にも卒業生にも「最近、どうしておられますか」と聞かれるのが標準質問なので、予め答を用意しておくのが良いと思った。

同窓生の皆さん、元気の限り毎年今頃に「報告ブログ」書く積りなので、出来れば読んでコメント下さいね。(これにも)

奈良女子大1980年卒30周年同窓会での私の話

2010-08-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
昨日(8月22日)奈良ホテルで開かれた奈良女子大卒30周年同窓会(1980年卒生)に例年のように出かけた。今年は、どういう風の吹きまわしか分からないが私に壇上で話(「恩師お言葉」)をせよ、とのことで話をした。

メモを作って、一応それを頭に入れて後は自由に話をしたのだが、乾杯のあと席で周りの卒業生と歓談しつつ結構飲食もした後での登壇だったので、少し話が乱れたところもある。

そこで、メモを基に、話したことを思い起こしつつ、下記にブログ版テキストをつくってみた。
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(改訂ブログ版)
卒後30周年おめでとうございます!(2010年8月)西村一朗(家政学部、生活環境学部)

皆さん、奈良女子大学ご卒業30周年おめでとうございます。昔、言っていた「人生50年」を健康で見事クリアされ、『論語』にいう「天命を知る」世代に入られた訳ですね。

今日は、お招きにあずかり有難うございます。一言、話をさせていただきます。

私は、紹介されましたように家政学部に所属していました西村一朗です。昭和49年(1974年)32歳の時、助教授として赴任し、5年前の2005年63歳の定年まで31年間、奈良女子大に勤めました。

皆さんが卒業された30年前、1980年には私は38歳であり、教育のかたわら研究のまとめ(学位論文作成)のため日々呻吟していました。

その後、現在の皆さんの年齢(52、3歳)の頃に、どんなこと考えていたかと言うと、研究、教育の取り組みのほか「10年後には定年退官(当時は国家公務員で「退官」と言っていたが、最近は「退職」である)になる、つまり「会社人間から居住地人間」になるので、今から居住地人間作法を身につけていく必要がある」と、指摘していました。

それで、5年前に定年退職し、以後4年間ほど平安女学院大学に勤め、今は名目的客員教授ですが、実際は5年前から「職場人間から地域人間」に転換したと思っています。もう一つ、定年退職後の人生は余生ではなく本生、あるいは前史から本史へだと思うのです。(まあ、余生という言い方はよせ!ですね)

私は、現在、地域でボランティア的に色々なことをやっていますが、今日は、一つだけ「けいはんな市民雑学大学」の立ち上げ・運営をあげてみたいと思います。

「けいはんな地域」とは、「けいはんな学研都市地域」(けいはんなの8市町―京都の精華町、木津川市、京田辺市、大阪の四条畷市、交野市、枚方市そして奈良の奈良市、生駒市―にまたがる、人口23万人地域)なのですが、退職したのち、精華町に住んでいるので、在職中の研究関連で「けいはんなのまちづくりを考える会」に参加して一メンバーで活動していました。(「私の仕事館」存続シンポジュウムなどの取り組み)その中から派生した地域SNS(けいはんな)(mixiの地域版、現在会員300人余)を7人ほどで立ち上げ、それらの活動から「けいはんな市民雑学大学」が2年半ほど前(2008年3月)に立ちあがったのです。地域の市民を「市民教授」「市民学生」と考え、「まちづくり」に資すると共に「市民教養」を豊かにするために「市民雑学」の講座を月一回開いて30回近くになります。地域で11名の運営委員でボランティア的に運営し、現在私が代表をしています。(俗称「学長」と言っています)講座には、毎回30人から60人位の参加ですがピアノやヴァイオリンの演奏付き講座を2回開いた時には奈良女子大学の記念講堂や100年ピアノを使わせてもらい300人ほどの参加でした。奈良女子大関係の諸先生にも協力していただいています。他にこの地域にある諸大学や諸研究所のメンバーにも協力を求めていますが、基本は地域に住みあるいは働いている市民自身が「市民教授」となり「市民学生」となることです。
私自身は、この取り組みをも通じて「頭のつくりかえ、再開発の楽しみ」を味わっており、一つだけ言うとすれば「雑学は楽しい、それを追求していくと、これぞ学問、that’s学になるのではないか」、と思っています。
是非、ネットで「けいはんな市民雑学大学」で検索していただき、ホームページ等を覗いてください。また、可能ならば参加ください。「市民大学」あるいは「雑学大学」でネット検索すると沢山出てきますが、「市民雑学大学」で検索すると、今のところ「けいはんな市民雑学大学」がトップに出てきますよ。

今後、10年ほど経つと働いている皆さんは我々と同じ「地域人間」になる人が多いと思うので、ここでその時を目指す一つの提案をしておきたいと思います。今からウオーミングアップ、準備をされたらどうか、と思います。

奈良女子大学は、文学部、理学部そして家政学部(現在は生活環境学部)で出来ているので、卒業生の皆さん方も、そこに基礎をおく諸学校、諸塾などをあちこちで立ち上げたらどうかと思うのです。同窓会の佐保会が行っている「佐保塾」の地域版といってもいいかもしれません。卒業生には先生経験者も多いと思うので好都合かもしれません。例えば、文学部出身者は、「文化学校」を、理学部出身者は、「自然学校」を、家政学部出身者は、「生活学校」を地域、地域で盛り上げていったらどうでしょうか。そういう要求が地域に満ちているのでは、と思います。例えば、現在、私は地域の「健康調理教室」に行っていますが、それは基本的生活力をつけるためです。もちろん楽しみもあります。私は基本的生活力として「炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合い」の七つほどあげていますが、これが欠如すると将来「孤独死」の危険が迫ってくると思っています。だから高齢者、特に男性に基本的生活力を付ける要求が大きいとみています。3学部出身者共同で地域、地域の「市民雑学大学」開設という手もありますよ。「指導要領」や「シラバス」等の外的拘束に煩わされず自由に活動できますよ。場所として、既存の小中高校を活用する手もあるし、福祉系など他の施設を利用する手もあると思います。地域の高齢者も子どもも主婦も期待していると思います。私も期待しています。

最後に言いたいのは、「乾杯の音頭」の時、井上公正先生(私注:1921年お生まれ)が話された戦争体験のことです。年代、年齢により様々と思いますが、私は1945年当時、金沢に住んでおり4歳でした。終戦間際に、後で分かったのですが、富山方面の爆撃に飛んでいくB29編隊を恐る恐る見上げていました。幸い金沢は爆撃されませんでしたが、もし私が、原爆が投下された広島や長崎、「鉄の暴風」が吹き荒れていた沖縄、大空襲のあった東京、大阪、名古屋などに住んでいたら、今生きていないかもしれないのです。だから戦争は絶対してはいけないと思うのです。皆さんは戦後の生まれですが、ご両親などから聞かれたのでは、と思います。仮にご両親が戦争で亡くなっておられたら、皆さんも今いないのですよ。良く考え後の世代にも伝えていきたいものです。以上で私の話を終わります。どうも有難うございました。
(2010年8月22日)

もう少し詳しく「職場人間から地域人間へ」を知りたい方は、次のブログ参照:http://blog.goo.ne.jp/in0626/d/20100725
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同窓会の他の様子や感想は別件で・・・。

家族での夏の国内旅行

2010-08-01 | 奈良の思い出(助教授時代)
私が奈良女子大学で助教授だったのは32歳から44歳までで、娘は5歳から17歳だった。西暦で言うと1974年から1986年までである。まあ娘は、幼稚園児から高校生までである。中心は、小学生、中学生と言ってよい。

その間、私は大学の教育、管理のことをやりながら研究では「学位論文」に取り組んでいた。妻は、仕事を「間歇的」にしていた。そのため家族三人が一緒にいるのは夕食時位だが、それもしばしば二人となっていた。

人間は、関係ーつながりの生き物で、一緒の行動をしていないと徐々に疎遠になってしまう。そこで、娘の成長に合わせて、せめて夏休みには家族三人で家族旅行をしようと決めた。

順不同で次のような所に行った。合わせて、私の、その場所を選んだ当時の気持ちの一端も記しておきたい。

(1)京都丹後の伊根町・・・伊根町は「町」と言っても性格は漁村である。私は当時も今も農山漁村のありかたに関心をもっており、伊根町は、その調査原点の一つだった。海辺にずらりと並ぶ舟屋の風景が圧巻だった。それをみせたいな、と思ったのと近くの浜辺で海水浴をしたいとおもったのである。

(2)伊勢鳥羽の水族館など・・・御木本真珠の島にも行った。近鉄沿線で行きやすかったこともある。

(3)広島など・・・中国道、山陽道である。姫路城、岡山城を見てから広島に行った。美術館を見、原爆ドームにも行って娘に原爆のことを話した。

(4)大山など・・・山陰道にも行こうと思った。大山中腹の神社まで歩いて登って、そこでスケッチをした。

(5)東京NHK、いわさきちひろ美術館・・・東京も見せる要があると思った。私は子どもの頃にアナウンサーになりたいこともあった。娘は当時、絵画に興味をしめしていた。それらの組み合わせである。

(6)箱根・・・これも関東である。圧倒的自然である。富士山も見えた。

(7)能登・・・私の郷里は石川県(金沢市)である。妹家族は金沢に住み、娘が二人いる。私たちの娘とほぼ同じ年頃だ。いい従姉妹関係も大事と思った。

その他、私の郷里・金沢、妻の郷里・名古屋には何かと行った。

家族三人の旅行の仕上げは、国内旅行ではないが、娘が中二の時のイギリス・ロンドン10ヶ月の旅であろう。私が文部省の在外研究員になったからである。

それ以後、娘とは一緒に旅行していない。彼女が「家族旅行」の時代から「友達旅行」の時代に移行したからである。

今後、私達にとっては「孫達との旅行」がありうるかな、と思う昨今である。でも一緒に行ってくれるか心配だ。行くなら計画はある。皆さん、如何ですか。


浜田ひとみさん「東洋医学」鍼灸院開設おめでとう

2009-09-14 | 奈良の思い出(助教授時代)
一寸さかのぼるが、9月9日にかっての奈良女子大の大学院の教え子の浜田ひとみさんが、「東洋医学」鍼灸院を開設した。「おめでとう」と言いたい。

大学、大学院で住居学、地域居住学を専攻したのだが、それに飽き足らず「東洋医学」に挑戦、西洋の医学(京都府立医科大学)も学んでいる。

とにかく、現在、何びとも「健康指向」である。しかし、それは、対症療法の西洋医学では完全に得られないと思う。ガンや心臓病などは生活習慣病で、生活習慣を直さなくては予防できないのは明らかだ。

その点、東洋医学は、西洋医学のように「患部」にのみ注目するのではなく、体全体は「つながっている」との認識をベースに、体全体の持てる力を活性化して病気をふせいでいくという考え方と思う。

それを針や灸で整えて行こうということだ。

で、9月9日、これは重陽の節句の日だ。2009年9月9日、9が並ぶ日に開設したというのも「思い入れ」が感じられる。

そのうち、一度訪問して激励したいと思うが、皆さんもぜひ御ひいきにしてくださいね。

浜田ひとみさんのブログ:http://blog.goo.ne.jp/luxfiat/e/6d8c74c74efa876f4acc6b48cf2d67ee

奈良女子大・卒後30年同窓会に出席

2009-08-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
2005年から奈良女子大学・卒後30年同窓会に出席してきた。

過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c1d2d31655996bb19cdbb0a9d46397b6

昨日も1979年(昭和54年)卒業の同窓会が奈良ホテルであった。私が参加した過去4回は新館地下の一番大きな「大和の間」で収まっていたが、今回は「あふれて」廊下を隔てた「若草の間」まで使っていた。乾杯の時には、「若草の間」の人々は「大和の間」まで出てきてやっていた。私の席は幸い「大和の間」にあった。

参加同窓生+次回同窓生:文学部65名、理学部51名、家政学部48名 計164名

招待された先生(順不同、敬称略・・・30年前に教官だった人達より)
文学部:千田 稔、丹羽・・、中塚 明、佐藤宗諄、牧田りゑ子、遠藤邦基、上杉孝實、松井春満、森田晴美、杉峰英憲、清水御代明、土居道栄、奥野綾子、山本邦彦、田村しゅく、梶野 啓(16名)

理学部:野口誠之、久米健次、藤原 昇、吉岡恒夫、高木由臣、清水 晃、大石 正、高橋壮二、池口信子、磯部ゆう、西村公臣、野口哲子(?)、和田悟朗、菅江謹一、奥村晶子、山本正夫、木村 優、海純男、池原健二、阿部百合子(20名)

家政学部:堀川蘭子、遠藤金次、梶田武俊、広瀬正明、三好正満、丹羽雅子、相川佳予子、石川 実、平松 毅、今村幸生、関川千尋、近藤公夫、高口恭行、西村一朗(14名) 教員計50名(最高齢は85歳か)  総計214名

昔、「大和の間」で、□テーブルで着席方式で250名を越すパーティをしたことがあるが、今回は○テーブルのため「あふれた」のかな。

最初に、この間に亡くなられた人々に黙とう、実行委員長の桑原祐子さんの挨拶、野口誠之学長の近況報告があって、久米健次前学長の乾杯音頭で宴が始まる。

私は、住居学科のテーブル、先生は近藤公夫先生、高口恭行先生そして私の3人、卒業生は、6人、大学教師1名、中学教師1名、設計事務所(兼大学院生)1名、専業主婦3名(?)だった。卒業生が30名ほどいたから他学科に比べて出席率は「悪い」、この30年間で3名が亡くなっている。幹事のY.さんが色々出席に向け働きかけたが、「介護のこと」「子供のこと」「仕事の都合」等で欠席が増えたようだ。

テーブルでは、ひとしきり、わいわい喋った。皆、卒後30年なので52~53歳で「脂の乗った」年ごろ、それぞれの道で元気にやっている様子が分かって良かった。私のブログを時々見てますという卒業生も二人いた。これも見てくれているかな。

先生方の「スピーチ」も毎年あって今年は、田村しゅく先生(元学長、フランス文学)と遠藤金次先生(元学生部長、図書館長、食物学)だった。

田村先生のは、「老人と海」「赤と黒」「罪と罰」などの「と」の違いについて・・・。
遠藤先生のは、30年~34年前(卒業生の学生時代)の歴史レビュー、ベトナム戦争後のこと、中国の文化大革命後のこと、ロッキード事件等・・・。

他学科の卒業生で話をしたのは、被服学科の小柴朋子さん(東京の文化女子大の先生)、家政学会を通じての知り合いだ。文化女子大には私と同年の田村照子さんがいる。物理学科の三澤文子さん(建築家、専門学校で建築を勉強。夫婦で協力して木質住宅設計の事務所を経営)、ジャーナリズムで奈良女子大出身と知って、注目していた。

最後に、暑い中、全員で記念撮影をして16時頃に「お開き」、次は20年後に50周年があるらしいが、私としては、その時、生きていると「米寿」、出れるかどうか微妙だな、と思う。

初めてのヨーロッパ旅行(1974年8月)

2009-07-20 | 奈良の思い出(助教授時代)
私の初めての海外旅行である「ヨーロッパ旅行」は、1974年(昭和49年)8月19日から8月31日までの「国土研」10周年記念の「足かけ」13日間であった。奈良女子大の助教授になりたての33歳であった。35年前のことである。

団長は、木村春彦先生(京都教育大教授)、幹事が私であった。団員は13人、木村先生、私以外には中西宏次さん(吹田高校教諭)、大橋隆憲さん(京大経済学部教授)、大橋満子さん(京都府立盲学校勤務、大橋教授の奥さん)、青柳和愛さん(京都勤労学園理事)、国府長男さん(共和建設社長)、富樫さん(大阪市大講師)、坂本竜三さん(住研設計役員)、持田紀治さん(石川農業短大教授)、富山和子さん(評論家=水問題等)、早川幸恵さん(主婦)そして金田(小林)勲さん(豊田高専非常勤講師)だった。

この(研修)旅行の目的は、「ダム崩壊現場訪問」である。ついでに都市、地域見学である。

旅程は、一日目(8月19日Mon.:伊丹から羽田、羽田からアンカレッジ(KLM)。
二日目:アンカレッジからアムステルダム(スキポール空港)、ゾイデル海に面するアフスルイトダイク・ダム見学(私個人としては、1964年9月に当地で交通事故で亡くなった恩師の一人、故・絹谷祐規京大助教授の「殉職地」に花束を捧げた)、アムステルダムのホテル・Museumに宿泊。
三日目:アムステルダム自由行動、夕方にフランスのニースへ(KLM)、ニース駅近くのChoiseul Hotelに宿泊。
四日目:フレジュス村のマルパッセダムを見学、Choiseul Hotelに宿泊。
五日目:ニースからスイスのジュネーブへ(AF)、ジュネーブから列車でシオンへ、Continental Hotelに宿泊、結婚式披露宴を見る。
六日目:エレメンス渓谷のグランド・ディクセンス・ダムの半日見学、Continental Hotelに宿泊。
七日目:シオンからイタリアのヴェニスへ列車(direct orient express)、Hotel Graspo de Uaに宿泊。
八日目:ロンガローネ村のバイヨント・ダムの見学、Hotel Graspo de Uaに宿泊。
九日目:ヴェニス自由行動、夕方ヴェニスからパリへ(AZ)、Hotel Presidentに宿泊。
十日目:午前パリ市内観光、午後デファンス地区見学、Hotel Presidentに宿泊。
十一日目:午前パリ自由行動、午後パリからアムステルダム、2時間ショッピング、アムステルダムからアンカレッジへ(KLM)。
十二日目:アンカレッジから羽田、4時間遅れで伊丹への接続便なく東京の高輪ホテルに泊まる。
十三日(8月31日Sat.)新幹線で無事帰宅。

最近、中西宏次さんからメイルを頂いた。お元気なようだ。木村先生、大橋先生、坂本さんは鬼籍に入られた。他の方の動静はあまり分からない。評論家の富山和子さんは相変わらず水や米の問題を追求しておられる。富樫さんは、私と同じ時期に大阪市大を定年退職し、現在、美作の私学(大学院)に勤めている。

ホテル名や位置も分っているので、再度行ってみたいと思うが、行く元気が残っていればいいが・・・。

関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a60367ad54a4307ab612d4a2f7c2e204
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/3f6358ece646ea97dcc7b277306ad395
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/e22ff8bd6ffebacafc007482203a2403
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ab3331974fad3ffd6f6d6043064aba1b

奈良女大卒30周年同窓会に参加

2008-08-17 | 奈良の思い出(助教授時代)
30年前、1978年(昭和53年)に奈良女子大を卒業したの同窓生のうち164名、当時の教員のうち38名(で例年よりやや多い)の約200名が参加した(第26回)「奈良女卒30周年同窓会」が、本日、奈良ホテルで行われ、私も当時教員の一人として招待され参加した。家政学部住居学科卒業生は、27名のうち15名が参加した。私は、今回は4回目の参加だった。

2007年の記録:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5afbbe7cccda59c0b535abac30e3a4d0
2006年の記録:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/8a1ee68075613856147532c3e0d68dbc
2005年の記録:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b15a6a51e931baeeb5dea11a58862445

何時もは8月第一週日曜日に行われる慣わしだが、去年、今年と第三日曜となった。旧教員では、元学長の田村さん、前学長の丹羽雅子さん、現学長の久米健次さんが参加し、久米さんが現状と来年の「創立百周年記念事業」のこと、田村さんが乾杯の音頭をとられた。私のテーブルは18卓で住居学科卓、近藤公夫先生(79歳)と疋田洋子先生(70歳)が来ておられた。昔の学生は皆、見た顔なのだが、扇田・西村ゼミだった富山和子(旧姓・三木さん)さん、静岡大の小川裕子(旧姓・相島さん)さん以外パッと名前が思い出せない。後で名札を見て確認させていただいた。皆、卒後30年なのでほぼ53歳である。立派なはずだ。

途中、旧教員の石川 実さんが近況報告、もう71歳のようだが「若い」感じだ。社会学で「男の嫉妬」の研究をしているようで、バートランド・ラッセル日記や、シェークスピアのオセロ、日本の源氏物語等も素材にしているようだ。確か、8年前の「定年退官」パーティで、そういう研究をしたいと言っていたから着々だな、と感心した。

料理も酒も美味しく酔ってしまった。最後に「一本締め」で締めるのも面白い。
例年のごとく、200名を越す記念撮影で「解散」となった。

参加の旧教員:文学部・・・丹羽、梶野 啓、田村 叔、山本邦彦、佐藤宗じゅん、牧野りゑ子、上杉孝実、松井春満、森田晴美、清水御代明、土居道榮、井上公正先生
理学部・・・池口信子、大石 正、高木由臣、香川貴司、川崎和子、久米健次、高橋壮二、渡辺仁治、吉岡恒夫、奥村晶子、木村 優、菅江謹一、山本正夫先生
家政学部・・・相川佳予子、丹羽雅子、石川 実、今村幸生、遠藤金次、梶田武俊、河合弘康、関川千尋、平松 毅、廣瀬正明、近藤公夫、疋田洋子先生、西村一朗

昭和61年度公開講座「平城京の生活をめぐって」

2008-02-25 | 奈良の思い出(助教授時代)
昭和61年度(1986年度)、今から22年前、夏休みに表題のような「平城京の生活をめぐって」という公開講座が奈良女子大学家政学部の主催で行われた。近藤公夫教授が中心、奈良国立文化財研究所の高瀬要一さんも協力している。奈良女子大家政学部からは近藤先生以外、高口恭行さん(奈良計画について)と私が喋っている。

私の演題は、「平城京での庶民都市生活を想像する」であった。残っている「レジュメ」をみると、◎都市庶民の日常生活を明らかにする意義  ◎方法について(科学と想像)  ◎西洋都市(例、アテネ、ローマ)と平城京の違い  ◎住まいについて  ◎都市生活について
と、全く簡単なものだ。

高校の先輩で、当時、奈文研におられた鬼頭清明さん(故人)に聞き取り、勉強に行った。私の過去ブログより:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ad531a7055c511532d366b9f8208dd09

講座が終わって近藤先生がまとめられたメモ(コピー)が手元にあるが、これによると、参加者は50名(奈良市25名、大和郡山・生駒市6名、県内8名、大阪府9名、静岡県1名、千葉県1名)だった。受講者の感想・要望・質問と解答要旨もまとめられている。
特に私に対しては、生駒の男性から「・・・西村先生の講義は楽しかったが、資料が現存しないとのこと、一番に興味があるので折にふれて研究成果を発表されるよう要望したい。」はい、そうでしたね。今からでも遅くないから、やろうかな。
奈良市の男性から「2年後の奈良シルクロード博にNHKから出向している者として、近年の大映像中心の大博覧会に対する新しい方向に「テーマ館」「なら郷土館」の展示(コンセプトのディスプレイ)が今後の課題である点、各講義は示唆的であり、今後の展開を期待したい。西村先生には、庶民生活の模様から郷土館の展示に示唆をいただいたが、今後の深い「つっこみ」を願いたい。・・」

当時は、まだ、こういう問題意識は新鮮な部類だったが、その後、鬼頭さん自身も、一定「平城京での庶民生活」を明らかにしておられる。一度、再度、勉強しようかな。

奈良女子大学卒業30周年記念同窓会(第25期 1977年3月卒)

2007-08-19 | 奈良の思い出(助教授時代)
本日の午後、奈良ホテルで奈良女子大学卒業30周年記念同窓会(第25期 1977年3月卒)があり、招かれて出席した。一昨年から参加させて頂き三回目である。何時もは8月に第一日曜日開催と決まっているようだが、今年は奈良ホテルの都合で第三日曜日となったらしい。1976年当時は、私は扇田 信先生の下で助教授、住居学科の教授には扇田先生の他に花岡利昌先生、近藤公夫先生、湯川利和先生がおられた。助教授は私の他、梁瀬度子先生、疋田洋子先生、高口恭行先生だった。花岡、扇田、湯川先生は既に鬼籍である。今日参加したのは、近藤公夫、梁瀬度子、疋田洋子先生に私の4人だった。近藤先生が乾杯の音頭を取られた。卒業生は28人中8人参加でそんなに多くない。全体では、卒業生151人、旧先生36人、計187人、今までで最も多い参加だ、と言う。特に理学部が卒業生も先生方も多い感じだった。卒業生の実行委員会委員長は理学部生物学科の春本晃江教授、副の一人に家政学部住居学科の瀬渡章子教授がいて、二人とも私は面識がある。学長の久米健次さんも「恩師」の一人で来ておられ挨拶で最近の法人化下での奈良女子大の状況を説明された。途中でアトラクションで歌が元音楽部の合唱であったが、奈良女高師の校歌と「千の風になって」だった。後者は主に先生用かもしれない。話もあれこれ弾み、何せ30年振りなのであっという間に3時間が経ち、最後に外の炎天下で187人全員で記念撮影をし、16時頃にお開きとなった。(家政学の生活経営学科卒業生は初めて参加、従ってその学科の先生方も初参加)

メモ:お会いした先生方(敬称略、順不同、上記以外)・・田村 俶、佐藤宗諄、井上公正、清水御代明、丹羽劭昭、井上裕正(特別参加・副学長)以上文学部、
赤川安正、川崎和子、松尾欣枝、塩見直子、菅江謹一、奥村晶子、山本正夫、木村優、阿部百合子、高橋壮二、渡辺仁治、高木由臣、野口哲子 以上理学部、
遠藤金次、梶田武俊、河合弘康、堀川蘭子、丹羽雅子、相川佳予子、石川 実、今村幸生 以上家政学部

小国弘司先生の思い出

2007-07-30 | 奈良の思い出(助教授時代)
昨日、奈良女子大(及び奈良女子高等師範学校)の同窓会「佐保会」の追悼会、懇親会、講演会に客員として参加した。何時もは、奈良ホテルであるのだが、今回は県の新公会堂(ビッグ・ルーフ)であった。追悼会で客員の小国弘司先生が今月に亡くなられたことを聞いた。家政学部・生活経営学科の教授で、住居学科の扇田 信先生と同期に御退官になられた。だから、私より19歳上、享年は85歳ではなかろうか。「平均寿命」は越えておられる。
思い出すと、私が奈良女子大に助教授で赴任したのは32歳の時で、その時、小国(おぐに)先生は、51歳の教授、最初の教授会で、来た早々あれこれ発言する私は、後で小国先生にたしなめられた。お生まれは岩手県、京大農学部農業経済学出身、東北弁でとつとつと語られた。奈良女子大を退官されて少し経ってご本(『組織論的管理論的家庭経営学』)が送られてきた。「やりくり、切り盛りが家庭経営の要諦」ということを、じゅんじゅんと語られていたと思う。学生からも「やりくり、切り盛りの小国先生」と親しまれていた。ご冥福をお祈りする。
(写真は、奈良県新公会堂)