「地域居住懇話会」が再開されたと既にブログに書いた。
地域居住懇話会再開ブログ:
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a2175ea3a2f886b2208a8734c4c28987
で、再発行されだした『地域居住研究』(Vol.10 2010.6)に載せた小文をここに再掲しておきたい。少し長いが、現在の生活の分析、位置づけと取り組み方向を述べている。
是非、感想も寄せていただくと有難い。
「職場人間」から「地域人間」へ―人生二期(毛)作の実践へ―
西村 一朗
はじめに
私は、2005年3月、今からほぼ5年前に奈良女子大学を63歳の定年で退職した。以後4年間ほどは、縁あって平安女学院大学(高槻キャンパス)に勤めたが、2009年3月に退いて、2009年4月以降、現在はほぼ「地域人間」である。平安女学院大学に通っていた4年間も、それまでの「地域生活」を大きく変えていたと言ってよい。だから、ここでは、最近5年間ほどの私の「地域人間」ぶりについて報告し、今後の抱負も述べて、今後の「地域居住学」の研究調査の進化や読者諸子の今後の「地域人間」への移行に資してみたい。
「職場人間」から「地域人間」へ(多くの日本人のライフコース)
日本では会社員や公務員、要するに「職場人間」には「定年」という働く年齢制限があって、昔は55歳というのが多かったが、現在では60歳から65歳までが多いと言えよう。私自身は、先に述べたように5年前に満63歳で奈良女子大学を定年退職したのである。それに先立って、満50歳前後から「会社人間より居住地人間へ」とあちこち(大学や高校の同窓会誌、同期会誌など)で言い出していた経緯がある。最近では、より一般的に「会社人間」を「職場人間」に、「居住地人間」を「地域人間」にしている。
まあ、農業、商業の中の自営業者や医者、弁護士、芸術家等のいわゆる自由業の場合は、死ぬまで現役で働くというライフスタイル、ライフコースもあるけれども、多くの日本人のサラリーパーソンにとっては、定年を境にして主に「職場人間」から「地域人間」へ変わる、というライフコースをとる。
その場合、昔は「人生50年」で、定年から寿命がつきるまでの平均余命が少なかったが、現在は平均余命が20年にもなっている。こうなってくると、単に悠々自適の「隠居」以外のライフスタイルを少しばかり「顕居」スタイルで考え実行しても良いのではないかとなってくる。
「地域」は、先ずは小学校区、中学校区だが・・・
では、「地域人間」と言った場合の「地域」の範囲はどのようなものだろうか。これをライフ・ステージの進展の中で位置づけてみよう。
考えてみると、子どもは成長・発達につれて行動する生活空間を拡張させているといえる。母親に抱きついていた段階から、部屋中を這い這いする段階、たっちして家中歩き回り「危ない」地上に降りたり、場合により二階等にまで行こうとする段階、履物を履いて外に出る段階、乳母車・バギー車等に乗って「遠出」する段階、保育園・幼稚園に通う段階、以下小、中、高と生活圏域は拡張していく。大学や社会人になると、全国的、さらには全世界的に活動し、世界中が「生活空間」とも言える。
しかし、一方、高齢者、とりわけ定年退職し、「職場人間」から「地域人間」に変わってからは、肉体的「老化」もあり、物理的には徐々に生活空間は縮小していく傾向にあると言えよう。ただし、精神の持ち方如何では、「精神的空間」は、最後まで「拡張・進化」するのではなかろうか。私自身そのような期待を持って日々過ごしている。その場合の肉体的・物理的生活空間の目安として、先ずは小学校区、中学校区の区域をイメージしたい。そこでは、正に小学生、中学生の生活空間であり、地域高齢者のそれと重なるのである。しかし、より広い地域(私の場合、主に「けいはんな学研都市域」であるが)にも元気を出して取り組んでいきたいと考えている。
「地域居住学」専攻者は、率先して「地域人間」へ、はどうだろう
地域居住学では、地域での住民のより良い生活、それらを支える生活空間のより良いあり方を追求している。だとすると、私は、以前から「地域居住学」専攻者は自ら自分の居住する居住地での生活や生活空間に関心を持ち、追求する必要がないのか、と思ってきた。しかし、研究テーマの展開や取り組みの緊急性等から自分の居住地以外の他の典型的地域で調査研究せざるをえない場合も多かった。
しかし、「地域人間」になった「地域居住学」専攻者は「職場人間」時代と全く別のライフスタイルをとっても構わないのであるが、時間、労力、費用等を勘案して、率先して自らの居住地において生活や生活空間の改善に取り組むというライフスタイルもありうる。
例えばイギリスの都市計画家のレイモンド・アンウィンは、死ぬまで自ら計画・設計したロンドン郊外のハムステッド・ガーデン・サバーブ(ハムステッド田園郊外)に住んで、その完成・成熟に取り組んだのである。今でも、かってアンウィンの住んだ家には「ブループラーク(青銘板)」(有名人の居住を示す青い銘板)がかかっている。
以下、ここ5年間の私自身の「けいはんな学研都市域」での「地域人間」実践を中心に報告をしておきたい。
具体的居場所の追求と設定―NPOとブログ開設など―
「職場人間」の場合は、「新入り」の場合、一定の「教育」を受けて徐々に「職場」に馴染んでいき、それぞれの持ち場を与えられて「仕事」に励み、ポストも一般には徐々に上がって「権限」と「責任」が増えてくる。また、「職場」は一般にピラミッド型の組織になっていて、「職場」全体の進む方向や責任も明確になっている。
ところが、「地域人間」の場合は「地域人間」になると言っても、その「通過儀礼」も振る舞いかたの「教育」も社会的強制としては一切ない状況と言える。だから個々人で手さぐり状態で進まざるをえない状況である。私の場合、「地域居住懇話会」の協力も得て、10人ほどの方の賛同で定年退職とほぼ同時にNPO法人「地域支援研究フォーラムなら」を立ち上げ奈良県に登録し、私の「セカンドハウス」の「書庫住宅」(近鉄・高の原徒歩5分のコーポラティブ「つなね住宅地」にあり)を事務所とした。しかし、私以外に「専任」の働き手がいず、私自身が以下のボランティア的活動で「忙しく」なり、それらが日常の「居場所」になるにつけ、NPOは開店休業の状態となり現在に至っている。
NPO法人を立ち上げた2005年4月以降、当時まだ院生だったI.さん、A.さんの協力を得て、パソコン上にNPOのホームページを立ち上げ、また色々と発信するために私自身のブログを立ち上げた。(ブログ「西村一朗の地域居住談義」:http://blog.goo.ne.jp/in0626/)
このブログは、この6月で満5年となるが、2010年4月1日現在3650以上のコンテンツがあり、今まで平均日に2件のコンテンツ作成(最近は日に1件弱の作成)、アクセス人数は現在、日平均350人位であり、gooブログ百万人以上の3千位のアクセスランクである。勿論、「地域居住懇話会」メンバーにも熱心な読者がいる。投稿カテゴリーは30設定しているが、「地域居住学」は、「時論、雑感」についでコンテンツの多いカテゴリーとなっている。また、奈良女子大学在職当時から、全国的SNSのmixiにも参加しているが、その日記は、現在、このブログ「西村一朗の地域居住談義」にリンクし、代替している。
「けいはんなのまちづくりを考える会」に参加
私は、現在、京都府精華町桜が丘に住み、書庫のある「セカンドハウス」は一つ南とも言える奈良市にある。精華町も奈良市も「関西文化学術研究都市」(「けいはんな学研都市」とも称する)を構成する市町である。「けいはんな学研都市」全体は、八つの地方自治体のそれぞれ一部の集まりより成っている。その八つとは、京都府では、精華町、木津川市、京田辺市、奈良県では奈良市と生駒市、大阪府では、交野市、四條畷市、枚方市である。八市町全体の人口は百万人を越えている。「けいはんな学研都市域」だけでは、23万人余である。それで、私が5年前に定年退職した時に、この「けいはんな学研都市域」には、既に「けいはんなのまちづくりを考える会」という任意のボランティア組織があり活動していた。その代表が、木津川市に住む知り合いの杉原五郎さん(コンサルタントのアルパック社長)だったこともあり、即座に参加して会員となった。
http://blog.goo.ne.jp/keihanna-machizukuri/3
この会では、当時、頻繁に「学習会」というか、色々な人を招いて「まちづくり講演会」を行っていた。そこで、私も「コメンテーター」で参加したこともある。講演したのは、前田真子さん(当時、奈良女子大非常勤講師)で、2005年7月15日であり、場所は「けいはんなプラザ」の会議室であったと思う。演題は「これからの戸建住宅地―平城・相楽ニュータウンの調査研究を踏まえて-」というもので、私の定年退職に際して前田さんと共著として発行した『これからの郊外戸建住宅地―「思い出し・思い入れ」から「つながり」へ[平城・相楽ニュータウンを事例に]―』(せせらぎ出版、2005年5月6日発行)に基づくものだった。このテーマは、当地域では依然として正に私自身のものでもある。
前に地域計画の常道で、先ず小学校区、次いで中学校区の範囲で考えよう、と言ったけれども、それはそうとして、実際に則して言うと、私が現在住んでいる地域では上位の「けいはんな学研都市」域のありかたは更に重要で、正に行政の「縄張り」を越えるまちづくりの課題を多々含み、誰もが未だきちんと解いたことのない課題ではなかろうか。
「地域SNSけいはんな・理事」と発信活動
既に述べたように退職以前からSNSのmixiに入会していたのだが、そこで以前から知り合いの藤田 忍さん(大阪市大教授)にも出会って、少ししてmixiのような巨大なネットではなく、まちづくりにも役立つ「けいはんな学研都市地域に限定した招待制の地域SNSをけいはんな学研都市域で立ち上げないか」という話が起こってきて、その研究会に集ったメンバーで、2007年2月3日に「地域SNSけいはんな」を立ち上げ、藤田 忍さんが代表となり、私は7人の理事の一人となった。
藤田 忍さんによると、最近の「住民参加のまちづくり」の発展経過を見ると、関連NPOの設立と発展、ワークショップという手法の開発と発展、そしてこの地域SNSの出現とコミュニケーションの推進が大きいのでは、とのことである。
まちづくりの現実の決定、前進は、勿論リアルな住民の話し合いや調査や作業や多数決等によらざるをえない。だが、その過程で、地域SNSでは空間、時間を越えて意見交換が出来、それがそのまま記録になるなどの機能があり、図面や写真や動画、更に「マップ」や「ストリート・ビュー」も活用できるのである。これらについては、藤田さん等と共同で調査研究をしつつあり、日本建築学会等に発表している。(注1)
(注1)「地域SNSが市民まちづくりに及ぼす効果」(1)(2) 藤田 忍、西村一朗、吉村輝彦、水野義之 2008年9月、日本建築学会大会発表
「けいはんな市民雑学大学・代表」として活動
「けいはんなのまちづくりを考える会」では、多くの講演会を重ね、その延長上に「市民大学」を構想していた。(私自身も1991年段階で、「関西学研都市機構」の研究会で「市民大学」(学ぶだけでなく教えることも含む)を提案している。)また、地域SNSけいはんな」での意見交換を通じて、この種の「大学」の先輩格の「東京雑学大学」から菅原珠子さんを招いて講演会を開催したのが契機となって、2008年3月に「けいはんな市民雑学大学」が発足し、私が11人の運営委員を代表して「学長」(正式名称ではない、運営委員会代表が正式)となり、2010年3月まで満2年23回(ほぼ月に1回)の講座を行っている。
「けいはんな学研都市」域で住み、働き、そこに関心を持つ市民が、「市民学生」となり、同時に「市民教授」になる。
講座では、まちづくりに資するテーマと雑雑とした市民興味にもとづくテーマを展開しているが、今のところ「雑学」方面に多くのテーマがあるようだ。だが、地域史のテーマなどは良く考えると、まちづくりのテーマでもある。私は、「雑学」を積み重ね、相互に交流・ブレンドしていくと「これぞ学問(That’s 学)」となるのでは、と夢を抱いている。
(ホームページがあるのでアクセスしてみてください。検索で、「市民大学」「雑学大学」でみると多数出てきますが、「市民雑学大学」では、トップに「けいはんな市民雑学大学」が出てきます。)
けいはんな市民雑学大学等からの派生活動
けいはんな市民雑学大学の一回一回の講座を、「聞き流す」のはもったいない、と思っているが、今のところ中々それらの継続・発展がはかられていない。普通、大学では、継続した「ゼミ活動」によってテーマを深めていくのだが、けいはんな市民雑学大学の一つの可能性として、「地域SNSけいはんな」の「コミュニティ」でそれぞれの「テーマ」を立てることがある。例えば、現在のところ、「内藤湖南」の「コミュニティ」があるが、余り活発ではない。他に「健康調理」に関しても別の「コミュニティ」(「家基都」(かきつ)と称する)が動いているが、こちらは活発である。今後の可能性に期待したい。
既存の民間全国組織との情報交流
以上の「けいはんなのまちづくりを考える会」、「地域SNSけいはんな」、そして「けいはんな市民雑学大学」の三つは、いわば「兄弟関係」にあり、ある意味で一体的なものである。それに対して以下に上げるのは既存の全国の組織(研究・運動組織)であり、退職以前ないし退職頃から入会し、情報交流しているところの一部である。
(1)新建築家・技術者集団・・・奈良支部の二代目の代表幹事をしている。初代は、亡くなられた湯川利和先生である。奈良での伝統的建築・住宅の保全問題、ならまちや今井町の町並み景観保全問題など奈良固有の問題の他、超高層住宅の是非、デザインと形の問題、視覚の問題等の一般的問題にも関心を抱いている。出来る限り研究会、現地視察、懇親会等に参加している。
(2)日本科学者会議・・・40年以上前の20歳台から活動している。科学・技術の民主的発展、民主的活用を他の分野の人たちとはかってきた。今後も機関誌等を通じて交流していこうと考えている。
(3)家庭科教育学会・・・以前、小中高の「家庭科」の教科書を見たときに、衣食住、家族などのテーマについて、例えば、家族、食物、衣服、住居の順に並んでいて、住居が最後であり、それぞれのページ数を見ると、住居が一番少ないという状況だった。授業でも、これだと例えば「日本史」が明治維新あたりで終わって尻切れトンボだったように、住居に行く前に学期末になってしまう恐れが強いと感じて、ある時、家庭科教育学会で「住居を基本舞台として家庭生活を総合的に」という講演をした。その後、奈良教育大学の鈴木洋子教授を中心に研究会をして、奈良教育大学附属小学校でも、教育実践があり、今度7月の家庭科教育学会(京都)で、それらを共同で研究発表する。
住居だけでなく地域も同じく地域生活の「基本舞台」なのであり、各種地域生活を総合する場と捉え、考え、取り組んでいきたい。
行政―地方自治体―への協力、参画
地域での「まちづくり」住民参加と言うと、具体的に何か問題が起こっている時(具体的に見えているとき)には、そこに参加して具体的に実践していけばよい。
そうではない時には、それらの問題を発掘し認識するためにも地域の行政が行う企画に協力、参画して考え、意見も言っていくことが大切と思う。
そこで、一昨年(2008年)頃から精華町福祉課管轄、精華町社会福祉協議会等のイニシアで始められた「隣人祭り」へ参加してみている。「隣人祭り」とは、パリで生まれた「運動」で、普通の「祭り」は地域共同体で行われるのであるが、都会で孤立した個々人も最低、隣人と交流する「祭り」が出来るのでは、として始り日本にも波及して来たものである。精華町では今年の3月に2回目の「隣人祭り」があった。関連で4月14日に私の住む町内で「高齢者(60歳以上)サロン」が集会所を場として発足する。これらの動きと自治会、精華町との関係も「好循環」で回していきたいものだ。
一つの生活バックボーン―「健康調理教室」など―と展開方向
私は、以上のように「職場人間」より「地域人間」になった場合、家に閉じ篭るのではなく、正に地域に出て行って活動するのが、「動物」として基本のことだと考えている。しかし、「職場人間」時代のように「家事のことを殆ど省みない」のは、拙いと考え、「地域人間」になった場合、誰でも特に男性は、「基礎的生活力」を身につけるべし、と言ってきている。「基礎的生活力」とは、「炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合い」の能力である。私自身、これら全てに合格点か、というと必ずしもそうでもない。自覚して「基礎的生活力」をしっかり付けたいと考えている。先ず「トップ」の「炊事」について、2008年5月頃から近所の友人(大学後輩)宅で行われる「健康調理教室」(最近は月一回、始めは毎週一回)に通い始め、ほぼ2年が経過した。実際には、朝食(和食)は私が作ることになり、現在に至っている。
健康のベースが食事のあり方と考え、それらをベースに置くと、そこから四方に関連する強い「つながり」領域が見て取れる。それらを食事のあり方から発しての展開方向を考えてみる。一つは、健康な食品を供給する農林漁業のあり方だ。今のところ自然農をイメージしている。二番目は、健康をサポートする医療・医学のあり方だ。最近、奈良県立医大の「住居医学」講座からの依頼で研究の外部評価委員をしているが、医療を通じてまた住居(健康住居)に戻ってくるのである。三番目は、食育を通じて教育のあり方につながる。四番目は、家族や地域での人々のつながりのあり方だ。これらを総合すると、正に地域のまちづくりのあり方になるのではなかろうか。
利他(愛他)行為としてのコミュニティ活動(対子ども、対同年輩)
前に、地域(小学校区、中学校区)は、それらに通う子供たちの生活領域であり、同時に「職場人間」から定年退職で「地域人間」になった人たちの生活領域でもあって、それらは交錯するのではないか、と把握してみた。だとすると、子供たちと「高齢者」が上手く交流し、相互にプラスになるのではないか、と考えられる。ただ、子供たちは、小学校、中学校が責任をもって受け入れているが、「地域人間」になった「高齢者」を全体として責任を持って引き受ける組織は今のところない。だから、子供たちと「高齢者」の意義ある交流の仲立ちを先ずは小中学校にしてもらうのはどうだろうか。また行政の「地域福祉」部門(社会福祉協議会含む)も世話したら良いのではなかろうか。これらの交流は、まあ「地域孫」と、「地域お爺さん・お婆さん」との交流であり、「地域お爺さん・お婆さん」は、実の孫達に対するのと同じように、いわば利他(愛他)行為として愛をもって行うものではなかろうか。(注2)注2:他に、地域小父さん・小母さんもいるであろう。
一寸、対組織関係が複雑になるが、別の事例で奈良女子大学が、奈良地区とけいはんな学研都市地域を対象にした科学好き子どもをつくる「まほろば・けいはんな科学ネットワーク」活動へ市民として昔科学好き人間の地域人間・高齢者が協力しても一向構わないのである。また、子供たちに対するだけでなく、同年齢の困っている人たちに元気な高齢者が手を差し伸べるのも利他(愛他)行為としてのコミュニティ活動と言ってよい。
おわりに―地域人間のモデルの追求―
今までの定年退職、地域人間の活動イメージは、美味しいものを飲食し、好きな趣味に力を入れ、海外や国内の旅行にも力を入れ、晴耕雨読の悠々自適の生活をすることだったのではないか。それはそれで良いだろう。だが、そういう「生活の慣性」から脱して、同世代や次々世代に接して「生活の創造」をはかり、種としての人間の継続力をつけることが、一つの個性的地域人間活動ではなかろうか。この活動を通じて、私は、人生二期(毛)作に取り組みだしたのである。(2010年4月吉日、散る桜を愛でつつ)
追記:なお、本論考で紹介した「地域SNSけいはんな」に入会して、「けいはんな学研都市」域の「まちづくり」等について「受信・発信」したい人は、メイルアドレスを付して申し出ていただくと、私が招待します。地域SNSの中で「地域居住懇話会」の「コミュニティ」つくってもいいですよ。
また「けいはんな市民雑学大学」については、原則毎月第四土曜日の午後14時より高の原イオン4階の「こすもすホール」で開講しています。参加費100円(資料代)、詳細はホームページを見てください。