西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

千の風になって、イマジン

2006-12-31 | 時論、雑感
紅白歌合戦は昭和20年代の小学生の頃より聞いている。公衆浴場(銭湯)ががら空きになったこともある。ただ、最近は殆どしっかり聞いていなくてバックグランドミュージックのようである。で、今日、新聞で「紅白歌合戦」の歌一覧を見たら「千の風になって」「イマジン」があるので「ヘー」と思った。二つとも新井 満さんが自由訳して今年話題になったものだ。前者が輪廻転生を達観した歌、後者は地上に平和な世界国家をつくろうよ、想像してみてよ、のジョン・レノンの呼びかけ歌とでもいえようか。今年の紅白の心棒の歌と勝手に思った。
私の今年のブログでも両方にふれている。以下以外にもあり。
千の風になって:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b1125fee2554117b0c8e79edce46fe7e
イマジン:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/9111a3fa5180943ec2fe06d8e2b15cce

禁煙、21世紀の都市像、木造建築

2006-12-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
年末に来た『学士会会報』最新号(No.862)をつらつら眺めた。表題の三つ「禁煙、21世紀の都市像、木造建築」は別に三題噺ではなく目に付いたものだ。禁煙については「禁煙のすばらしさ」という題で「日本禁煙科学会」の副理事長の奈良女子大教授の高橋裕子さんが書いている。高橋さんは奈良県出身、京大医学部(昭和53年)卒、現在、奈良女子大学保健管理センター所長である。私が奈良女の現役の時、うつ病の相談をしたり、生活環境学部長の時、理学部長だった高木由臣さんと三人で会食し、大いに盛り上がり駄弁ったこともある。禁煙運動専門家として『朝日新聞』にも取り上げられた全国区の才女である。元気に活躍していることが分かり心強い。
「21世紀の都市像」を書いているのは大阪市大・創造都市研究科教授の小長谷一之(こながや・かずゆき)さんである。京大理学部(昭和57年)卒の異色である。都市空間を都心、インナーシティ、内郊外、外郊外の四つに分け、放っておくと都心以外「衰退する」と予測している。「コンパクト・シティ」や「創造都市」についても言っている。先日mixiでFUTANさんから聞いた言葉だ。「創造都市」とはシリコン・ヴァレーのように衆知が創造につながる仕組みを持っている都市だ。我々が「市民」の「けいはんな市」はそうなるだろうか。
「木造建築という文化の危機」を書いているのは藤井恵介さんである。東大大学院助教授で建築学科(昭和51年)卒業と思われる。私も全く同感だ。私の京大学生時代は金多 潔先生(本来、鉄骨構造の専門家)が助教授で木構造を教えておられた。木構造普及、材木利用(特に国内材利用)は大変重要な課題である。日本建築学会でも本格的に取り上げるべきである。
(写真は、高橋裕子教授)

大掃除や買い物

2006-12-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、今日と年末大掃除等であるが、以前ほど「大」でなくなった感じだ。昨日は少し暖かだったので外に出て窓拭きをし、玄関上の小屋根のフラット部の苔を洗い流した。買い物にも行った。窓拭きはガラスが大きいので拭くのに三段の脚立を立てて上がって拭く。拭く雑巾は使い古しの下着やパジャマを切ったものだ。1階南側の窓部だけで畳8枚分位で大汗をかいた。玄関上の小屋根の部分はトタン板でほぼフラットになっているので水の流れが悪く、苔むしてくる。それを二階の脱衣室から出て、箒の先で、お湯をかけながら掻き落し洗い流す。樋の部にも溜まっているので、そこも洗い流す。ここも畳4枚分位で結構な仕事だ。今日も残った窓拭き、家中のカレンダーの取り替え等がある。「紅白」までに一応終わりたい。別に私は「紅白」を熱心に見るわけではない。ちびちびやりながら炬燵で本を読んだり、mixi見たりする「楽しみ」が待っている。

今年、悼んだ身近な人たち

2006-12-31 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今年、悼んだ身近な人たちに、安藤元夫さん、地井昭夫さん、木村春彦さんがいる。安藤さんは京大・建築の後輩、少し「早い」逝きだった。阪神・淡路大震災復興計画に取り組み、西山記念文庫を支えて「走り去った」。近畿大学教授歴任。地井さんは早稲田の建築出身だが同期だった。計画畑で誰も漁村に力を入れていなかった時代から取り上げていた。先駆者といえる。広島大学教授歴任。木村さん(先生)は、国土研を理論的に引っ張った先生(京大理学部卒、京都教育大教授歴任)で「住民主義、現地主義、総合主義」をはっきり定式化した先生である。それぞれ一緒に議論したり、語り合ったり、旅行したりしたことを思い出す。かみしめて以後の人生を歩みたい。
安藤元夫さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/005905e940c6f860453d9f6b44c1db36
地井昭夫さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ae3c0578b9dd90eae09eae710f9a7c4b
木村春彦さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/6d7f25ad87d03a005a02f0b1f3a3fc21

ありがとうアマデウス!

2006-12-30 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今晩、NHKハイビジョンで21時より「ありがとうアマデウス!」をやっていた。ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトのことだ。今年NHKTVの「毎日モーツアルト」では216曲紹介したようだ。モーツアルトは700曲ほど作曲と言う。その中で楽譜もはっきり残っているのはケッヘルが整理した626曲である。今年は「モーツアルト」年であるが、そうでなくともクラッシック音楽で最も人気のある作曲家の一人である。来年からもモーツアルトを楽しんで生きたい。
(写真は、モーツアルト)

アルヴァー・アールトの「森の家」

2006-12-30 | 住まい・建築と庭
今日、アルヴァー・アールトの「森の家」(自邸)を録画で見た。前に書いたフランク・ロイド・ライトの「落水荘」やル・コルビュジェの「サヴォア邸」の続きである。「落水荘」記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/281cce15f57033bbb29a7f189ff6580c
「サヴォア邸」記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/d4bf270879b8206ecc6622937b7a0168
アルヴァー・アールト(1898~1976)はフィンランドを代表する建築家、ヘルシンキ工科大学で建築を学ぶ、同級生のアイノと結婚、1936年にヘルシンキ郊外で竣工した自宅兼アトリエの「ふたりの森の家」が有名。二階建て、一階はリビングが中心で、一方に一段上がったアトリエがあり、私的部分との間に大きな引き戸があるが、これは日本の影響ではないか、と言う。他方に家族のダイニングや台所等がある。二階には夫婦寝室、子供室、家族リビングと広いベランダがある。回りは庭、森につながっている。庭には飛び石やベンチがあるが、リビングルームの椅子に座ると、それらの庭の人工物が見えないように庭木や森の緑のみが見えるように窓の高さが計算されている。又、窓には鉢植えが置かれ、内部の「緑」と外部の「緑」は「つながっている」のだ。アルヴァーはCIAM(Congrès International d'Architecture Moderne近代建築国際会議、ル・コルビュジェ等)に属しインターナショナル・スタイルを目指していたが、妻アイノの影響もあり、次第に自然との「つながり」、フィンランドの風土性を重視するようになった。フィンランドの長い暗い冬に積極的に対応するため、照明器具や暖炉の設計にも力を入れた。また、人間に密着する家具の設計にも力を注ぎ、パイミオ・チェアはフィンランド特産の白樺の木でつくった。カーブも職人との共同で実現、アールト・カーブと呼ばれている。自然との「つながり」では、蔦の這い上がるポールを壁部に用意、壁もレンガに漆喰を塗って「白樺風」を演出している。今度フィンランドに行く時には是非、確認したい。私の言う「環境とのつながり」豊かな住まいの代表例かもしれない。アールトは生涯300軒の家、50の家具を設計している。(写真は、アールト・カーブを持つアールト設計の椅子)

今年、悼んだ人々

2006-12-30 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
『読売新聞』を見ていたら、今年亡くなった「有名人」が載っていた。で、私も今年、ブログで追悼した人も結構いたな、と思ってチェックしてみた。私がブログに書いた「有名人」は亡くなられた順に(1)都留重人さん(経済学者、享年93歳以下同じ、2月5日)(2)茨木のり子さん(詩人、79歳、2月17日)(3)米原万里さん(通訳、作家、56歳、5月25日)(4)網干善教さん(考古学者、78歳、7月29日)(5)白川 静さん(漢字学者、96歳、10月30日)(6)宇井 純さん(公害学者、74歳、11月11日)(7)青島幸男さん(タレント、74歳、12月20日)である。
他に阿部謹也さん(一橋大学学長歴任、ヨーロッパ史、「世間」の研究他、71歳、9月4日)がいる。この方達の年齢を見ると、90歳代がお二人いるが、80歳代はいなくて後は70歳代以下である。80歳代まで元気だと勢いで90歳に到達するのかもしれない。以下に私の記事をあげておく。
都留重人さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/80ee9fc34dea957c0a69ad63dc02e88a
茨木のり子さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c2ed7abec51f04590170bdd073abe72d
米原万里さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/12fbb5934baa6d213d4c333baf3e255d
網干善教さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7b1131debabaf205eef4cb9617ec2dfd
白川 静さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/2451bf8038917582b63ba66acb181c8e
宇井 純さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/077d44327743cbde417deb6f2d2049eb
青島幸男さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a6b37c52ad346197bfb8e65739c6c72c
阿部謹也さん:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cac58c2aee6342513cf7c80e7d722c97

今年の顧みーブログと日記などー

2006-12-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ブログを書き出して1年半ほどになる。コンテンツは2200を越えている。平均して日に4つ書いていることになる。前にもう少しペースダウンしたいと言っていたが中々「慣性の法則」が働いてブレーキが効きにくい。だが、最近は漸くブレーキがかかってきて落ち着いたペースになりつつある。ブログにその日の出来事を書くと、勢い日記は「手薄」になる。ここ1年半の日記を見ると、日に数行、あったことしか書いていない。日記は1988年2月頃よりワープロ(OASYS)で書き出して、パソコン(WORD)になってきた。日に400字×3,4枚の字数であった。1990年頃から2005年3月までの15年間位の「個人史」(奈良女子代時代の後半)なら、ばっちり書ける基本資料と思っている。
でもブログは、色々なメモの面もあって、日平均の4コンテンツ合わせるとそれまでの日記以上の字数となる。カテゴリーも20あるので事象の整理にもなっている。
来年は、もう少し、日記、ブログ、mixiコメントを統一的に考えていきたい。

SKYPEに入会

2006-12-29 | 時論、雑感
インターネット無料電話のSKYPEに入会した。番号はichirosan3である。SKYPEに入っておられる方は、小生のメール、又はmixiの小生宛に番号を連絡下さいね。今のところ二人に連絡。SKYPEにはmixiと同じく600万人以上が加入しているようだ。

「毎日モーツアルト」最終回

2006-12-29 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今年は、「モーツアルトの年」、私のブログでも「モーツアルト」で検索すると、この記事の前まで22コンテンツがある。で、今日、衛星テレビで「毎日モーツアルト」最終回を10分間見て聞いた。バックグランドミュージックに「アイネ・クライネ・ナッハト・ムジーク(Eine Kleine Nachat Musik) K525)」が鳴っていた。モーツアルトの35年10ヶ月の人生を駆け足で紹介している。つないで見ると「なるほど」と思うところもある。(1)1756年ザルツブルグで生まれる。幼少時代から親父さんについて演奏の旅から旅の生活。(モーツアルトは「旅は人間を賢くする」といったようだ)天才ぶりに王侯貴族が絶賛。(2)ロンドンで初めて交響曲をつくり演奏。(3)ミラノでオペラ。(4)パリで母の死に会う。(5)ミュンヘンで失恋。(6)大司教との衝突。(これは、「教会音楽」の時代から、「市民音楽」への時代を象徴か。)(7)ウイーンで25歳、郷里から決別、自立。コンスタンツエと結婚。(8)プラハでのオペラ「フィガロの結婚」絶賛される。(9)1791年、庶民の楽しむためのオペラ「魔笛」作曲。(10)1791年12月5日35歳の人生を駆け抜けた。
「フィガロの結婚」も、領主の思惑を出し抜いて結婚にいたる「庶民のオペラ」の色合いがあるし、「魔笛」もそうなのか、と思った。フランス革命が1789年だから、モーツアルトの死の2年前である。そういう社会的背景、雰囲気がモーツアルトの音楽にも反映しているのであろう。「魔笛」を一度しっかり聞いてみたい。私として、あと35年生きれば(先ず無理)、「モーツアルト没後250年」となる。とにかく、それへ向かってモーツアルトを楽しんで生きたい。

ディープ・インパクト引退、ご苦労さん

2006-12-28 | 時論、雑感
生涯、14戦、12勝して、昨年の有馬記念と今年のフランス凱旋門賞で2敗したサラブレッドのディープ・インパクトは今年限りで引退する。ご苦労さんである。ジョッキーは武 豊であった。組み合わせも良かった。最後尾から最終の3、4コースからスパートをかけ、ブッチギリで勝ってしまうのは凄い。老若男女が、中山競馬場で涙している。他の動物(や植物)に感情移入し感涙するのは人間だけであろう。ディープに並び、更に凱旋門賞も制するサラブレッドは次に何時出てくるだろうか。期待して生きたい。過去の記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/afb3b5c62ff34157e068228fe4936c4a
この記事が2200コンテンツ目である。年内達成だ。

モーツアルトの歴史的影響

2006-12-28 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
モーツアルトに作曲を頼んだパトロンと彼等へのモーツアルトのサービス精神について前に述べた。今度は後世の作曲家への歴史的影響にふれたい。これもNHKTVハイビジョンでやっていた。クラシック作曲家を三人あげなさい、という問いがあれば、恐らくバッハ、モーツアルトそしてベートーベンとなるのではないか。歴史的にはこの順であり、ベートーベンが先ずモーツアルトの影響を受けている。18世紀から19世紀にかけて、だ。続いてブラームス、チャイコフスキー、リヒャルト・シュトラウス、彼等は19世紀の作曲家だ。20世紀ではストラヴィンスキーが影響を受けている。21世紀でも影響を受ける作曲家が出るに違いない。

モーツアルト「レクイエム」(K626)の話ほか

2006-12-28 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
昨日の忘年会(於:たかつき京都ホテル)でのクイズに「今年はモーツアルト没後250年である。○か×か。」という問題があった。勿論×で、正しくは「生誕250年である」その年も暮れようとしている。今日、NHKハイビジョンのモーツアルト特集(再放送)で「レクイエム」のことを作曲家の池辺晋一郎さんが解説していて面白かった。前にもブログで何回か話したが、この「レクイエム」はモーツアルト最後の曲で、ケッヘル番号626番(6月26日は私の誕生日!)である。モーツアルトは1791年12月5日の死の直前まで取り組んだが未完成に終わったが早急に完成させねばならない事情(作曲料を前倒しで貰っていた)があり、奥さんが知り合いの作曲家アイブラーに頼んだけれど、途中投げ出し、結局モーツアルトの弟子のジュスマイヤーが初めて「完成」、最近、演奏されているのは、この「ジュスマイヤー」版が多いという。しかし、その後も何回も未完成の部分を埋める仕事がなされ、現代まで続いていると言う。ナポレオンの葬儀にも「レクイエム」が流されたと言うが、時代が近いので多分この「ジュスマイヤー」版であろう。ほかに、興味深いのは、モーツアルトの時代は、親父さんやバッハの時代のように主に教会のみが「パトロン」ではなく、フランス革命前後であり、王侯貴族なども状況に応じて作曲を依頼、モーツアルトはサービス精神旺盛に作曲したようだ。例えば、チェロ好きの王様の依頼に対しては、それまでチェロはヴァイオリンの陰に隠れていたのを主役に引き立てたり、フルートとハープのための協奏曲の場合、新しい低いドの音も自由に出るフルートを手に入れた依頼主のために、そのドの音を多用する曲にするとかしたようだ。モーツアルト自身は作曲家であると同時に素晴らしい即興演奏も出来るピアニストであり、観客はモーツアルトの作曲をモーツアルトのピアノで聞くのを楽しんだようだ。ヴァイオリン協奏曲でも、ヴァイオリンと共にモーツアルトのピアノも聞かせたようであり、「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲」のようだったらしい。そういう「裏話」を知って曲を聞けば、別の楽しみが加わることになろう。今年は、「モーツアルトの年」だったが、実際十分に楽しめなかった。来年からもゆっくり楽しんで生きたい。

宮本憲一先生の著書「多産」、最後は・・

2006-12-27 | 色々な仮説や疑問
昨日お会いした宮本憲一先生(76歳)は著書「多産」である。やり方は、比喩的に言うと、「樹木」を太くしつつ、「枝」や「葉っぱ」を茂らせていく方法だ。つまり考え方の基本はぶらさずにしっかりしておいて、日々新たな学習、調査研究でのデーターを使って新しい「枝」や「葉」を茂らせていく方法だ。だから、新しい本を読んでいても樹木の生長の跡が良く分り、安心で、そんなこともあるのか、良く調べ勉強しておられるな、といつも思う。あやかりたいものだ。
で、昨日のパーティで現・滋賀大学長の成瀬龍一さんが「宮本先生には3年間、学長をしていただき、ありがたかったのだが、先生の「公害史の研究」を少し遅らせてしまい、申し訳ないことをした。今後、心おきなく公害史の研究をまとめてください」と言っていた。へーそうなんだ、と思った。私は、生活空間をリッチにしていく上で、三つのつながり、即ち人々とのつながり、環境とのつながり、そして歴史とのつながりの三つを豊かにしていく必要があるが、中でも「歴史とのつながり、は意識的に取り組まないと豊かにならない、としてきた。で、最後の仕事は「歴史的研究」になるかな、と現在思っている。歴史学以外の学問において、同じなのでは・・、と成瀬発言を聞いて思った。

宮本憲一先生の先生の水田 洋先生に会う

2006-12-26 | 京都の思い出(助手時代)
今日、宮本憲一先生の環境経済学確立という業績に対する京都新聞「文化学術大賞」受賞記念パーティがあり、滋賀県の石山まで出かけた。宮本さんは、金沢の旧制・四高の出身で私と同郷、1953年名古屋大学経済学部卒、金沢大学助教授を経て大阪市大教授、立命館大学教授、滋賀大学学長歴任の先生である。宮本さんの後に学長となった成瀬龍夫さん(私が奈良女の学生部長と時、彼も滋賀大学生部長、京大経済学部卒)の配慮によるパーティであった。宮本さんと言うと、公害という言葉を国民の間に定着させた人、私は京大助手の時に宮本さんがヘッドの科研費による学際的調査研究で水俣病患者の住宅問題を調べてまとめた。
私としては、西山卯三先生始め建築・地域計画関係の先学、先輩を除く専門外で教えを直接身近に受けた先生は、自然科学関係では、前に紹介した木村春彦先生(国土研理事長、京都教育大学教授歴任、故人)http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/6d7f25ad87d03a005a02f0b1f3a3fc21
そして社会科学関係では、この宮本憲一先生と言ってよい。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/2338e263d2edf9bdbc206308479df5e2で、今日のパーティでは久しぶりに懐かしい人たちに多数あったが、宮本先生の名古屋大学での先生、水田 洋先生(日本学士院会員、名古屋大学名誉教授・社会思想史)に初めて会うことが出来てよかった。水田先生は東京商科大学(現・一橋大学)のご出身(高島善哉先生門下)、1919年生まれで87歳、お元気な秘訣を聞くと、「権力と闘うことです」と言われた。検索情報では、「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟」の原告になっておられる。http://www4.pf-x.net/~sashidome/nagoya_web/koutoubenron_mizuta.htm
私は、住宅・居住地の計画・設計の専門です、と言ったら水田 洋先生は「私の家は名工大の服部千之さん(故人)に設計してもらいました」と言われた。へー世の中狭いものだ、と思った。隣りで聞いておられた三村浩史先生(京大名誉教授、京大建築大学院修士1959年修了)が、「服部君とは大学院同期です」と話しておられた。