西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

京大T3会第三回集まりでのスピーチより

2015-11-27 | 地域居住学


昨日、京大T3会(京大工学部1960年入学3組クラス会、1,2回生時、第二外国語→ドイツ語組)があって参加した。現存46名中24名の参加だった。5名なくなっているので1960年入学時は51名のクラスメイトだったことになる。

現在は、各学科ごとにクラス編成されるようだが、1960年当時は、専門学科が違う学生ミックスでクラスが構成されていた。僕らのクラスは、土木、鉱山、建築、原子核、電子の順で混じっていた。2年間、このクラス分けは維持されるが、担当の教授も割り当てられていて、僕らの場合、1回生時は人文地理の藤岡謙二郎先生だった。(小柄だがエネルギッシュで早口の先生、先生は文科系だが、持論で、理科系の学生クラスを担当、先生宅にお邪魔したクラスメートもいたが、僕はクラスコンパの時に同席した。)

2回生時は物理の多田政忠先生が担任で、温厚な紳士、旧制一中、三高では、あの湯川秀樹先生と同期である。

昨日のクラス会は、24名の参加で初めて京大時計台の2階の会議室に時計台内にあるレストランの「出前」で行われた。挨拶、乾杯のあと少し歓談の後、「近況報告」に移ったが、予め各自提出の報告書(A4一枚)があるので、それ以外に2名のスピーチとなった。代表幹事の渡邊英一君(土木出身、京大名誉教授)の「指名」で僕が当たった。もう一人はM君で、彼は詩吟、白 居易(白楽天ともいう)の「酒に対す」だった。「蝸牛角上何事をか争う 石火光中この身を寄す 富に随い貧に随い且らく歓楽せん 口を開いて笑わざるは是れ痴人」(M君メモによる)やんやの拍手喝采だった。

さて僕の番、何をやるか言うか、もう「とっさ技」しかない。M君と違う調子の「大声」、皆に共通の何かを含むこと、出来れば「しゃれて・・・」

「僕らは学生時代の2年間、ドイツ語や体育など一緒に習いましたが、とにかく今までもこれからも「京大つながり」、兄弟同様お付き合いのほどを・・・、さて京大つながりは京大に入学してからですが、僕が合格電報を受け取ったのは1960年3月20日の日曜日、時あたかも大相撲春場所千秋楽、栃錦と若乃花の14勝同士の決戦、その時の立行司・木村庄之助・・・(行事の口調で)「何たることもなく、ここにいたったるところ、片や栃錦、栃錦、こなた若乃花、若乃花 この相撲一番にて千秋楽にござりますー」

結果は、若乃花の全勝優勝、僕は「ファンだった栃錦が負けて残念」と思うとともに「京大合格を喜んだのでした」
皆様は如何に? (拍手、笑い)木村庄之助の「まね」は「受けたようだ。」

あとで発見した巧まざる洒落・・・M君は「白 居易(はっきょい)」 僕は「はっけよい」  どうでしょうか。



パリへのまなざしー100年前と現在ー

2015-11-20 | 旅はたびたび

最近、翻訳(改訳ー鹿島出版会刊)した100年前の1915年に原書発刊の『進化する都市』で、著者パトリック・ゲデス(スコットランド生まれのイギリス人)は第八章 市民権を得るための旅行とその教訓 において、

「・・・30年の間、知人であるスコットランドやロンドンの学生を、その専門の必要に応じて外国へ行くよう、また大陸やその他の立派な大学へ行くよう熱心に勧めてきた。またそのなかでもパリへ行くよう勧めてきた。なぜ特にパリを推薦してきたのか。それは、何よりまず、学生たちがその大学や町の雰囲気、それはもっとも鋭く、もっとも明るく、もっとも知的で、もっとも勉学的で、もっとも生産的な雰囲気であり、それによって覚醒させられ、教化されるからである。まず専門家として、もちろん一般的知識人として、あるいはまた一般的文化人としても、その詩や劇などの芸術とか、芸術作品の批評や洗練された意見交換とか、そして社会に先んじてこれらすべてのための場所と、必要とするものを備えていることなどのすばらしさに鋭敏に対応する人となるためである。しかしすべてのこれらの理由を超越し、学生は―道徳的に教化されるため―パリに行くべきなのであって、それは次の二つの理由による。

第一に欠点や汚点を持ってはいるが―それらは数も多く、量も少なくないが―全体としては、最高で、最も共同意識を持ち、もっとも社会的であり、もちろんもっとも文明的である大都市(パリ)住民に、いつも接触できるからである。第二には、1870年から71年にかけての、あの物凄い事件の数々(訳注:パリ・コミューンなど)によって奮起させられ、苦悩に満ちた坩堝(るつぼ)のなかで鍛えられたため、わが国(訳注:イギリス)のような平和で、それだけ覚醒の遅れた国においては知られていない能力を、強烈な純粋さを保ちつつ、持続的に緊張させ、そのまま発展させてきた人格に直接接触したり、刺激を受けたりすることによって、今でもほんの2,3年の間に、非常にまれな経験を得ることができるからである。・・・(182頁~183頁)」と言っている。

さて、現在、ゲデスが生きていたら何と言うだろうか。(パリッとしていたパリのイメージがバリバリと崩れていくのだろうか。)この本によって100年前の一イギリス文化人の捉え方もみていきたい。