昨日、京大T3会(京大工学部1960年入学3組クラス会、1,2回生時、第二外国語→ドイツ語組)があって参加した。現存46名中24名の参加だった。5名なくなっているので1960年入学時は51名のクラスメイトだったことになる。
現在は、各学科ごとにクラス編成されるようだが、1960年当時は、専門学科が違う学生ミックスでクラスが構成されていた。僕らのクラスは、土木、鉱山、建築、原子核、電子の順で混じっていた。2年間、このクラス分けは維持されるが、担当の教授も割り当てられていて、僕らの場合、1回生時は人文地理の藤岡謙二郎先生だった。(小柄だがエネルギッシュで早口の先生、先生は文科系だが、持論で、理科系の学生クラスを担当、先生宅にお邪魔したクラスメートもいたが、僕はクラスコンパの時に同席した。)
2回生時は物理の多田政忠先生が担任で、温厚な紳士、旧制一中、三高では、あの湯川秀樹先生と同期である。
昨日のクラス会は、24名の参加で初めて京大時計台の2階の会議室に時計台内にあるレストランの「出前」で行われた。挨拶、乾杯のあと少し歓談の後、「近況報告」に移ったが、予め各自提出の報告書(A4一枚)があるので、それ以外に2名のスピーチとなった。代表幹事の渡邊英一君(土木出身、京大名誉教授)の「指名」で僕が当たった。もう一人はM君で、彼は詩吟、白 居易(白楽天ともいう)の「酒に対す」だった。「蝸牛角上何事をか争う 石火光中この身を寄す 富に随い貧に随い且らく歓楽せん 口を開いて笑わざるは是れ痴人」(M君メモによる)やんやの拍手喝采だった。
さて僕の番、何をやるか言うか、もう「とっさ技」しかない。M君と違う調子の「大声」、皆に共通の何かを含むこと、出来れば「しゃれて・・・」
「僕らは学生時代の2年間、ドイツ語や体育など一緒に習いましたが、とにかく今までもこれからも「京大つながり」、兄弟同様お付き合いのほどを・・・、さて京大つながりは京大に入学してからですが、僕が合格電報を受け取ったのは1960年3月20日の日曜日、時あたかも大相撲春場所千秋楽、栃錦と若乃花の14勝同士の決戦、その時の立行司・木村庄之助・・・(行事の口調で)「何たることもなく、ここにいたったるところ、片や栃錦、栃錦、こなた若乃花、若乃花 この相撲一番にて千秋楽にござりますー」
結果は、若乃花の全勝優勝、僕は「ファンだった栃錦が負けて残念」と思うとともに「京大合格を喜んだのでした」
皆様は如何に? (拍手、笑い)木村庄之助の「まね」は「受けたようだ。」
あとで発見した巧まざる洒落・・・M君は「白 居易(はっきょい)」 僕は「はっけよい」 どうでしょうか。