西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

スティーブ・ジョブス後の夢のコンピューターとは?

2011-12-31 | 思いつきから仮説へ
コンピューターのあり方に「革命」を起こしたスティーブ・ジョブスが今年56歳で亡くなった。

彼は、使いやすいアイコン方式を発明し、i-phon、i-padまで到達、庶民が聞きたい音楽や読みたい書籍にも簡単に近づけるようにした。

では、今後の「夢」は何だろうか。

私は、ジョブ自身が56歳で亡くならざるをえなかった”癌”など生活習慣病を予知し対策群を提案できる「システム」ではないかと思う。

人間が住んで生活している住環境、その変化、そこでの人間関係、食べている食い物、着ている被服、身体状態や心理状態、それら全ての状態を感知し、それらの履歴を記録し、時々刻々分析し、何か「怪しい兆候」を発見したら知らせ、とるべき対策のオルタナティブ(諸策)を提示する、こういうものである。

これがあれば、ジョブ自身が50歳代で癌になり亡くならなくても良かったにちがいない。

でも、こんなこと出来れるのであれば、医療制度は「あがったり」になるよね。

「君子豹変す」って・・・

2011-12-30 | 時論、雑感
昨日、政府・民主党は、消費税を段階的に10%に上げるという方針を決めた。

で、その場でインドから帰ったばかりの野田首相は、「消費税増税反対派」も多く参加していた民主党の税制調査会に、あえて政府トップとして出席し「(昔、民主党が野党の時、自民党の消費税引き上げ方針に噛みついたのだが)君子豹変す、で皆さまに消費税アップをお願いしたい」などとぬけぬけと述べたのだ。

野田さんは「君子だったの?」と改めて思った。仮に君子だったとしても、普通は「君子危うきに近寄らず」であるはずだ。

野田さんのような自称君子が「悪い方に」豹変したら大変なことになるのだよ。

「人生への不意打ち」と「対応」について

2011-12-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
一般に、人生は平坦な道を坦々と進むものではなかろう。

突然の「不意打ち」に見舞われて、どうして良いか分らない状況に陥ることもしばしばだ。精神的に落ち込んでストレスに見舞われることもある。

私の場合、祖父や母や祖母に、前触れもなく突然に亡くなられたことが、突然の「不意打ち」だった。茫然自失だったと言ってよい。

祖父がなくなったのは中学三年の時(祖父66歳、肝臓がん)、母は大学二年の時(母43歳かな、働きすぎの肺炎)、祖母は私が30歳代後半の時(祖母83歳か、残念な交通事故)だった。でも、これらの場合、自分より年上が亡くなった。

この世では、自分より若い世代が亡くなることもある。愛するペットが亡くなることもある。また病気ではなく、突然の大震災や原発大事故で亡くなることもある。今年は、そういう年だった。

思い起こすと、私が高校に入った時(1957年)に英語のI.先生が、英詩の一つを取り上げて「大事なのは過去を振り返ることではなく未来を見つめて進むこと」ということを言われた。これで私も「救われた気分」になったのを覚えている。

「不幸なこと」、その不意打ちにこだわるとストレスが増えて自分の健康もおぼつかなくなる。それらをしっかり掴んだ上で、未来に向って、しっかり歩んでいきたい。

年末の大掃除の一コマ・・・

2011-12-27 | 住まい・建築と庭
年末に来て、賀状も書かねばならないし、年末年始用の買い物はあるし、住まい内外の大掃除もあって忙しい。

で、今日は、年末の大掃除の一環として一階の雨戸(アルミ製)6枚の沢山ある桟の上の埃を拭き取る作業を2時間半ほどした。午前1時間、午後1時間半である。

古い手ぬぐい等を使って拭く雑巾とする。寒いので庭用バケツに温水を入れて雑巾を絞って、雨戸を脚立を使って上から下へと拭いた。

雑巾は余り「硬く」絞らずに「ゆるゆる」にして拭いた。年末の大掃除の一コマである。

時代の違う二冊の本の共通点

2011-12-26 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
今年も色々な本を乱読した感じだが、その中に発行された時代が違うが、大きく見て同じ問題意識だなと思う二セットの本があった。

一つは、江戸時代の貝原益軒の『養生訓』と明治末期に書かれた幸田露伴の『努力論』(1940年発行、2011年2月第15刷りの岩波文庫による)が「似ている」ことであり、もう一つは、最近出た岩波新書の羽田 正著『新しい世界史へ』と2009年10月第15刷りの岩波文庫、宮崎市定著『史記を語る』が「通底」しているということである。

貝原益軒と幸田露伴の似ているのは、ともに「気」の重要性を根底においていることではなかろうか。まあ「東洋的考え方」とも言える。

また羽田 正氏と宮崎市定さん(東洋史学)が似ているのは、羽田さんが現在、東大教授(東洋文化研究所長)ではあるが、京大文学部出で京大で学んだ時には、既に宮崎市定さんは京大教授をやめていたが、京大東洋史学の雰囲気は感じたのではなかろうか。それと、ひょっとして羽田 正さんは羽田 亨さんの孫ではないのかな。私が京大に学生でいたころ、羽田 亨さんが京大文学部教授(東洋史)でおられたのではないか。

ここで、世界史というのは、高校時代に習ったようなヨーロッパ史中心の「世界史」ではないのである。

で、宮崎市定さんも、「歴史は世界史でなければならない」ということを率先して言った方なのである。その伝統を羽田 正さんが引き継いでいるとも言えるのである。  あにはからんや、羽田さんは、その新書で宮崎市定先生を「引いている」。

これからは、内にあっては「気」の重要性を、外にあっては世界史の重要性、面白さをしっかりと学んでいきたい。

2011年(平成23年)と私

2011-12-25 | 時論、雑感
昨日、「つなね」居住地で恒例の「家族の1年」の「しゃべり」があった。

この機会につらつら自分の身に引き当てて考えてみた。世の中をみると、東日本大震災、東電福島第一原電の大事故(3月11日以降)が大きな衝撃だった。台風等による洪水、土砂崩れも国土の「脆弱性」があらわになった。これらにきちんと対応するには21世紀全部必要かもしれない。

私個人をとってみると、今年、満年齢で「古希」(70歳)となった。年末に新たに始めたのは「詩吟」である。どこまで続くか分らないけれど、今年、百歳になられた日野原重明さんは哲学者マルチン・ブーバーの言葉を引用して「始めることさえ忘れなければ、人はいつまでも若い」とされているが、自分も「若い」ことを信じて始めてみたのである。

で、今後の「思い」としては、貝原益軒の『養生訓』や『楽訓』ではないけれど、健康第一で人生を楽しんでいきたいものだ。健康であるためには、栄養(食物など)、休養(眠りなど)、運動の三分野での追求が大事と言われるが、まずは、体温を高めに保つというか冷え症にならないようにして自己免疫力を高めていきたい。

そのため、最近AVA血管をオンにして動脈から「バイパス」のAVA血管を通じて静脈に温かい血液を流し、手足の末端を温めるためには、首周りを温めることが効果があるらしいので、ハイネックの、しかも「ヒートテック」の下着(ユニクロの「安い」もの)、外気の寒さ防ぎのマフラー、手袋、腹を温める腹巻などを着用している。

晩酌も擂り生姜入りの焼酎の湯割りを飲みだした。少し慣れると「いける」と思う。

前述の『楽訓』によると、人生の楽しみを得るのに、そんなにお金は要らず、むしろないほうが十分に楽しめると言っている。(私の言う「無量(無料)の楽しみ」である。)

貝原益軒は①四季移り変わる大自然に五感で接する楽しみ、②それらや他に人間の営みが含まれる異郷の地を旅する(そして記録し、後で反芻する)楽しみ、③友人と様々な問題について談笑する楽しみ、④古今東西の書籍を読み(著者に出会う感じの)楽しみなどが主なものとして挙げられ、るる述べられている。私も大体「そうだな」と思っている。

それで、今年は私の「古希」を自分で記念して妻とベルギーへ出かけたのである。(周りのオランダ、フランス、ドイツは行ったことがあり、間のベルギーがぽっかり「穴」となっていたので・・・)まあヨーロッパばかりでなく他にも、また国内にも旅したいところは多い)

本は、「晴読?雨読」で大分読んだ。ブログにも一部反映していると思う。

友人との談笑は、「けいはんな市民雑学大学」や「地域snsけいはんな」や様々な機会で楽しませてもらった。来年も宜しく、と言っておきたい。

今年の「末広会」の様子

2011-12-23 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
大分前から年末にやっている「飲み会」は、奈良女子大学家政学部、生活環境学部で教員やっていてリタイアしたメンバーの会であるが、2年前(2009年12月13日)にK先生の提案で私が思いついて「末広会」と名がついた。まあ8人でスタートしたことと、今後益々元気にということと、メンバーも「末広がりに」増やしていきましょう、ということだ。

今年はE先生のお世話で京都の伏見で行われた。「月の蔵人」という「月桂冠」の会社系列のレストランである。13時過ぎから2時間、「飲み放題」の牛シャブコースだった。

今日集まったのは7人、最長老のK先生、私より一寸上のM先生が欠席し、かわりに新顔の現役教授Iさんが参加した。たまたま、全員、学生部長、図書館長、人間文化研究科長、生活環境学部長、副学長などの経験者である。

その現役I先生からは、奈良女大全体の様子(改組のこと等)、生活環境学部の様子を伺って、国立大学法人は「大変なのだな」と思った。厳密に言うと「国家公務員」ではないので、失業保険もかけているようだ。人事権は、教授会にあるというより学長に集中しているようだ。

でも学際的、総合的に今後を考えると三学部のうち文学部や理学部より生活環境学部が前面に出る方が良いと思われる。

ところで、M先生が編集した「奈良女子高等師範學校校歌」その他のCDを買った。

森羅万象、議論はあちこちに飛んだが私も大いに参加して喋りまくった感じ、他の先生方もそうだった。現役のI先生に「先輩達の元気は全然衰えていませんね」と言ってもらった。

最後にK先生の提案で年一回の集まりを冬と夏の二回にしたら、となり、次回は7月(第四土曜除く)に奈良で行うことになった。

記念撮影をし、大手筋の喫茶店でお茶を飲んで17時前に解散となった。

冷え性を防ぐために

2011-12-22 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
2日前の12月20日のNHKTV「あさイチ」で冷え性を防ぐことがテーマとなっていた。

で、特に「冷える」手足の先にあるAVA血管のことが話題になっていた。この血管は、毛細血管の先で動脈と静脈を直接結ぶ血管で、これが開くと血流が早くなり熱量も早く末端に届けられ手足の先はポカポカするのである。

AVA血管について、そういう機能があることを明らかにしたらしい平田耕造さん(神戸女子大教授)が出演していた。家政学会の集まりで時々言葉を交わした仲である。

ところでAVA血管が開くのはどんな時なのか。特に冷えを感じる体表の場所を特定する実験を広くしたのは文化女子大(現・文化学園大か?)の田村照子教授のようである。久し振りにテレビ画面で会った感じ、彼女と私は1941年(昭和16年)生まれで同期だ。日本家政学会の役員を共にした時期もある。お茶の水女子大・家政学部・被服学科の出身。

田村教授の実験によると、一番敏感に冷えを感じるところは、首の裏と言う。そこを温めると手足の先でAVA血管がオンになり、血流が増え、温かくなるようだ。

それで、ネック・ウオーマーとかマフラー(襟巻き)が流行るのだ。
人間の体は「ホメオスタシス」で、全体連関の下にある。体全体を大事にすべき由縁である。

写真は、田村照子教授


「金王朝」は何時まで続く?

2011-12-21 | 時論、雑感
金 正日(キム・ジョンイル)が亡くなって(享年69歳、1942年生まれ)、息子の一人、金 正恩(キム・ジョンウン)が後継につくようだ。「社会主義」を標榜する北朝鮮が最高権力者を世襲で決めるとは、前から分かってはいるが、おかしいことに変わりはない。

北朝鮮が、どうなるか、これは隣の同民族の韓国への影響はもとより我が日本や同じく隣国で「社会主義」の中国にどういう影響を与えるのか。同じく隣国のロシアへの影響は?

そしてアメリカやヨーロッパへの影響、南米やアフリカへの影響は・・・?という世界史的検証が続くべきであろう。

跳ね返って北朝鮮はどうなるのか。今のまま「締め付け」国家を続けるのか、中国のように「改革・解放」をするのか、あるいはまったく別の道に行くのか。未知ではあるが、見守っていきたい。

書籍の分類:経史子集の四部

2011-12-19 | 文化論、科学・技術論
『史記を語る』(宮崎市定著、岩波文庫)を読んでいたら、

中国では伝統的に、あらゆる書籍を分類して経史子集の四部に纏める方法が行われる。経は儒教の経書、史は『史記』を初めとする史籍、子は諸子百家の書、集は文学を主とする文集であって、経書を経典たらしめた編者は言うまでもなく孔子であり、史学の創始者は明らかに司馬遷であるが、子部、集部は集合名詞であって、創立者を持たない。こうした点から見ると、学問の上から言って、司馬遷は孔子と肩を並べる地位に立つものと言うことができる。」という文言にぶつかった。

さもありなん。

で、昨日、日本最古の書籍ともいうべき『古事記』について誰が何のために書いたか、ということがシンポジュウムで問題になっていた。これは古代の「憲法」をめざしたもの、という意見があった。まあ史書にとどまらない、という認識である。

日本の古代史書では、この『古事記』のほか『日本書紀』がある。『万葉集』や『懐風藻』は、古代の集であるだろう。

では、日本古代の経書はあるのだろうか。『古事記』自体に、大陸から『論語』などが持ち込まれた記事が見えるが、それが中国と同じように日本の経書にならなかったとしたらどうしてだろうか。その代わり持ち込まれた仏典が経書の役割を果たしたのだろうか。

それと、もう一つ日本古代の「子」(諸子百家の説)は何なのか、はっきりしない。

日本古代では、中国古代のように「がっちり」した論理体系を持てなかった(なぜか)、あるいは持たなくてもやっていけた(なぜか)ということが言えるかもしれない。

高槻市のブランド化について

2011-12-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
高槻市は、京都、大阪のちょうど中間にあって「どちらつかず」の印象もある。

で、それでは拙いと何年か前から高槻市が主導して我々「有識者」や市民、業界代表、市の行政マンらで「高槻市のブランド化」について議論してきている。

僕は、歴史と環境との豊な「繋がり」をアピールしたらどうか、と言っている。歴史では、今城塚(いましろづか)古墳が一番有名、継体大王(天皇)陵ではないか、と学会では定説になりつつある。

大化の改新に関しては、高槻辺りに「中臣(後の藤原)鎌足」が住んでいて、彼は中大兄皇子(後の天智天皇)の「呼び出し」に応じて明日香南の「談山神社」裏山(かたらい山)に出かけ、史上最初の「談合」をしたのだ。

古代のみならず中世、近世でも色々な人材が高槻に住んだり通り過ぎたりしている。これらを調査し、色々全体歴史との「つながり」を明らかにしていったらどうか、と思う。

環境では、何といっても芥川(あくたがわ)である。淀川に流れ込む支流ではあるが、環境美化の住民運動が、全国の「グランプリ」を最近受けたようだ。

まあ芥川を「縦の線」、今城塚古墳を「横の起点」として盛り上げていきたいものだ。

piano-forteの第17回演奏会へどうぞ

2011-12-14 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
12月17日(土)の午後2時より奈良女子大学講堂で学生のピアノ・サークル「piano-forte」の第17回演奏会がある。関心のある方は、どうぞお運びください。

実は、このサークルの演奏会プログラムの巻頭に10年以上前から小文を書かせてもらっている。当時「学生部長」だったせいだ。今度のは、以下のようなものだ。当日行かれたら再度、目にすることになりますが、コピーをアップしておきたい。


アレグロ・アッサイ、アンダンテ・カンタービレそしてアダージョ                      西村 一朗(名誉教授)

西洋音楽では、演奏するスピードを指定する記号がある。
アレグロ・アッサイ(allegro-assai 非常に速く)、アンダンテ・カンタービレ(andante-cantabile 歌うようにゆっくりと)そしてアダージョ(adagio 遅く静かに)などである。

私は、これらには、時代的背景もある、と考えている。「疾風怒濤」の時代ならアレグロ・アッサイがふさわしいだろう。「高度経済成長時代」でも同じかもしれない。
しかし、今や日本では人口減、低成長時代である。東日本大震災で大津波が日本を襲い、東電の原発も大事故を起こしている。こういう時代、「それ行けドンドン」という訳にはいくまい。じっくりと考え、着実に前進すべき時代と言えよう。

だから音楽でもアレグロ・アッサイではなくアンダンテ・カンタービレかアダージオの時代と言えるかもしれない。今度の「ピアノ・フォルテ」の演奏会ではどうなるのだろうか。演奏題目には勿論、そのスピードにおいて、彼女らが発するメッセージに期待しておきたい。(2011年9月22日)

ピカソを「超える」画家・ジャクソン・ポロック←ジクムント・フロイト

2011-12-13 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
日曜日の美術番組(NHK)で、ピカソを「超える」画家ということで、若くして(1912~1956、享年44歳)亡くなったアメリカ人画家・ジャクソン・ポロックをやっていた。

まあ画布、画板等を床に置いてする「アクション・ペインティング」、上から絵具を動的に垂らす(ポーリングというらしい)技法を編み出した。

見ていると筆さばきなど「偶然」にも頼っているように見えるのだが、本人は「偶然に頼っていない」と言う。日本人アーティスト石井竜也さん、美術館の学芸員の大島徹也さんが色々語っている。

ピカソ以外、無意識を正面に据えたシュール・リアリズムの巨匠・ミロにも傾倒していたようだ。それを聞いていたら、無意識を「引きずり出した」心理学の創始者の一人・ジクムント・フロイトのことを思い出した。こういう風に「学問」と「芸術」はつながっているのだな。

ポロックの絵を見て石井さんは「神経や血管のネットワークのようにも見えるし、大都市を上空から見た景色のようにも見える」と言っていたが、確かに見る人によって色々に見えるのが特徴の一つだろう。

そして、その線や点の「上」にポロックの筆、ポロックの身体の動きをつなげて想像できるとゾクゾクしてくる。

「晩年」は、その抽象画から一部「具象」が現れたのも面白い。

石井竜也さんは「ポロックはピカソのように完成された画家ではなく、後輩の我々に大いなる示唆を与えた画家である」と、言っていたのが耳に残る。

画像検索:http://www.google.co.jp/images?hl=ja&source=hp&q=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3+%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&gbv=2&rlz=1R2ADFA_jaJP451&oq=jyakusonn/porokku&aq=0r&aqi=g-r4&aql=&gs_sm=c&gs_upl=5528l11527l0l14772l17l8l0l0l0l0l952l6279l5-1.7l8l0&oi=image_result_group&sa=X

ヨーロッパ石畳に対応する車椅子を!

2011-12-09 | 地域居住学
10月下旬にベルギーに初めて旅したが、南部のデュルブイに行って町を歩いたら石畳で歩きにくく、こりゃ車椅子での移動は無理かな、と思いブログには「バリアありー」と書いた。

ところが昨日ある地域グループの「忘年会」でこの話をしたら、友人の一人が「それなら石畳を直すより(それには莫大な費用がかかる)、車椅子の方を改良して、ガタガタの道でも応できる車椅子を変える技術開発する方が良い。日本の出番では・・・」と言われ「ああそうだな」と思った。

物と物の対応が問題の時、一方だけの「物」で考えるのではなく両方で考えるべきだろう。ひょっとして、ガタガタ道に適応する車椅子は出来ているのかな。

知っている人は教えて下さいね。

今日は、何の日?

2011-12-08 | 時論、雑感
今日は12月8日である。

で、「この日って何ー?」と若い人に聞くと「さー」という人も多くなっているようだ。

中には「ジョン・レノンの命日でしょう」との答えもあるようだ。そのことには間違いない。(1980年12月8日ニューヨークにて)

だが1941年(昭和16年)のこの日、早朝ラジオからは

「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部発表、本日未明、西太平洋において帝国陸海軍は米英と戦闘状態に入れり」との声が流れていたのだ。

で、昨日テレビで1945年(昭和20年)の大阪大空襲の市民被害に対する国家賠償責任裁判の結果、原告敗訴になったことを報じていた。

これって、おかしいと思う。国は、戦後すぐに軍人、軍属には「賠償」というか「恩給給付」のような措置をしている。広島、長崎原爆被害者にも後に色々配慮する法律もできている。

ところが、東京大空襲や大阪大空襲などの空襲による市民被害に対して今まで何も「措置」をとっていないのだ、日本政府は。

「空襲は米軍がやったので日本政府は責任ない」とでも言うのか?
それなら米軍の戦争責任を追及するのが筋である。出来るのか?

あるいは、「戦争のような事態に対して国民は受忍すべし」と言うのか。
それなら幹部を除く一般軍人・軍属、原爆被害者と大空襲被害者は違うと言うのか。違わない、同じく戦争犠牲者なのである。

昭和12年勅令で決まった「防空法」、それは昭和16年(1941年)11月に「改正」(まあ今の感覚では「改悪」)、それによると、

「働ける市民全員は都市からの退去を禁止」(母親や子供、高齢者は別、疎開もあった)
「残留した市民全員に(空襲による火事に対して)消火活動を義務付け」を規定しており違反すれば、「懲役または500円以下の罰金」となっている。
当時、小学校教諭の給与は55円だった。

大阪市民は3日前に東京大空襲があり沢山亡くなった情報があったのに、この法律により逃げ出せなかったのだ。これは、法律を作った国家の責任ではないのか。

70年経っても被害、責任、賠償等がはっきり解決していない。これが戦争なのだ。

少し違う問題かもしれないが、ひょっとして現在の原発大事故の被害、責任、賠償問題なども70年経っても完全に解決していないかもしれない。しっかりしなければ・・・!!