かぶれの世界(新)

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安保法制を友人関係に例え考える

2015-09-22 10:39:26 | ニュース
「友達が不意に暴力を受け、助けを求めてきたとする。放っておいたら、自分まで命を奪われかねない場合にかぎり、助けてもいい。ざっくりいえば、これが新法(安保法制)の趣旨だ。」(日本経済新聞9/20)

同紙の1面の囲み記事で秋田浩之編集委員は安全保障関連法を要約し、「反対は強いが、内容は理にかなっている。」と評した。私はかねてから安保法制を友人との関係に置き換えて支持して来たが、珍しく同じ考えを見つけた。国の方針を人間関係に単純化することに批判もあるだろうが、私は寧ろ人間関係の延長になければならないと考える。

反対論者が掲げる「戦争法案」という言葉に私は強い違和感がある。反対する人達を友人関係に置き換えてみると何故か分かる。そうすると彼等反対論者は実に不誠実で嫌な人間に見えて来る。こんな友達だけは持ちたくない、それ以上にこんな人は人としてどうなのかと思うのは私だけだろうか。仕事で知り合い、困難な時に懸命に働き助けてくれた海外の友人達の顔を思い出して思った。

冒頭の比喩のように人間関係に置き換えて反対論を特徴づけると、反対論者は普段は共に働き助け合い苦楽を共にした「友達が不意に暴力を受け、助けを求めて来ても知らん顔して見捨てる」人達だ。なんという卑劣な奴だと思われても仕方がない。世間はそう見るだろう。私から言えば恥を知れだ。私には世間の声即ち世界の声だ。

今回世界の声はどうだろうか。安保法案の成立を受けて世界各国は概ね前向きに評価している。米英始め先進国は積極的に支持した。明らかに懸念を示したのは中国だけ、韓国でさえ北朝鮮との有事を考え微妙な反応が垣間見えた。アジア諸国は中国との距離に比例して賛成かもしくは微妙な表現に留まり、明らかな反発の声は全く聞こえてこなかった。

言い換えると、安保法制に対する強い反対は中国と国内反対派だけだった。皮肉なことに、国内の強い反対は図らずも中国と足並みを合わせることになった。理由は別だとしても自由な言論が抑圧され少数民族が迫害されている中国とである。実はこの傾向は必ずしも今回だけではない、過去にも反対運動にこのような傾向がある。これが何を意味するか私は勉強不足でコメントできないが気になる。

安全保障関連法案が成立後にマスコミ各社は緊急の安倍内閣支持率調査を実施し、その結果私にとっては意外にも各社とも支持率が微減に留まったと報じられた。マスコミの安保法制に関わる一連の報道を見て、もっと大幅に支持率低下が起こると私は予想した。

最後に例によって誤解を恐れず大胆に私の予測を述べる。最近の安倍首相の不支持率は女性の支持低下の為だ。言い換えると政策の内容云々より感情的ポピュリズムの反映であった。だが今がポピュリズムのピークであり今後沈静化するにつれ安倍内閣の支持率は回復するだろう。感情をベースにした不支持は長続きしない、コロコロ変わる性質がある。これはデータに基かない随分失礼な言い方だと分かっている。現実は民主党等野党のふがいなさや国際情勢・経済動向の変化等で状況は一変する可能性の方が高いかも知れない。■
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俄ラグビー・ファンの言訳

2015-09-21 21:15:04 | スポーツ
世界を驚かせた日本ラグビーの奇跡的な勝利の翌日、マスコミは今迄の無視したのを忘れた様に手の平返しでラグビーのワールドカップ(W杯)を報じ、日本国民の多くが俄ラグビー・ファンになった(と思う)。ここ四半世紀W杯で1勝もしたことのない日本が、こともあろうに優勝候補の南アフリカに勝ったのだから無理もない。

レスリングやソフトボールみたいなマイナーで面白くないスポーツ(失礼!)でも、日本が世界一になった瞬間にマスコミの扱いが変わり俄ファンが急増した立派な歴史が我が国にはある。かくいう私も昨日のニュースを見て昼間放映された再放送に食いついた。ど素人の私が言うのも何ですが、日本は堂々と戦って勝ったという印象だ。

俄ファンなりの言訳が私にはある。若い頃は自分でプレーすることはないが、テレビを通じてラグビーのファンだった。当時は大学ラグビーが人気で伝統の早慶や早明戦で満員の国立競技場や、その後社会人リーグで新日鉄釜石が7連覇した時の森や松尾の華麗なプレー等々いまだに記憶している。言い訳するとラグビー特有の分かりにくいルールを知らない俄ファンとは違うのです。

だが、W杯で惨敗を続け英仏や豪NZ等のトップクラスどころか、太平洋の小さな島国フィジー等にも歯が立たないことを見せつけられ、ラグビーの国内人気は徐々に萎れて行った印象がある。テレビ中継の数も減り、私は看板の日本選手権すら面白くなくなった。世界三流のゲームは見たくなかったというのが私の言訳です。東京郊外の私が住む街には社会人チームを代表する東芝やサントリーの練習場もあるが今迄はまるで興味なかった。

南アとのゲームの再放送を見て当時の日本チームと決定的な違いに気が付いた。ヘッドコーチから選手までカタカナの名前が3-4割いたことだ。番組によると日本の高校に入学しずっと日本でラグビーして帰化した選手もいれば、外国籍のまま日本の社会人リーグでプレーしている選手もいた。サッカーや野球等スポーツ界では外国人選手も多いが、ナショナルチームのメンバーになるには制約がある。

詳細は知らないがラグビーのナショナルチームは他のスポーツに比べると国籍条項が緩やかなようだ。テレビ放送を見て推測するに国籍に関係なくその国でプレーしているかどうかで選択できるようだ。一方、日本の社会人リーグをかつて経験した南アの選手が数人南アチームにいると紹介されていた。

つまりラグビーは多国籍化しているのだ。我が国の一般社会や実業界とかスポーツ界に比べても多国籍化が進んでいると私は感じる。それが我らラグビー三流国が強くなった要因の一つだと思う。フランスW杯でフランス・サッカーが初優勝した時、原動力となったジダン等の主力選手がアルジェリア移民の子で、その後仏国内の移民排斥の感情が好転したと言われている。今回の日本ラグビーチームも同じことが言えるのではないだろうか。

もう一つ興味があるのが負けた南アのチームが祖国でどう評価されているかだ。勿論、ラグビー先進国らしく敗因について厳しい分析がされている。しかし、選手や監督の個人攻撃よりも相手国(日本)が如何に素晴らしかったか称賛する報道が目立ったという。南アのマスコミは少なくともラグビーについては先進国、日本のマスコミも見習って欲しいものだ。■
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田舎暮らし雑感15(10)

2015-09-20 12:27:47 | 日記
彼岸入りの今日お墓掃除にお寺に行った。普段より駐車場の車が多く、お墓参りの人達を沢山見かけた。4月に田舎に来て以来私がお墓にお参りしたのはたった一度だけだった。予想通りお墓の周りの木が伸びてホラー映画みたいにおどろおどろしく我が家のお墓を覆っていた。私は脚立と剪定ばさみを携え庭師の格好で、黒ずくめの典型的なお墓参りの姿には見えなかった。

作業が終り住職の奥さんに挨拶すると普段から気を付けて少しは手入れして頂いているとのことだった。だが、我家のお墓の隣と上側のお墓のスペースが空き地になり境の樹木の手入れが全くされてなかった。ここでも少しずつお墓の引っ越しが続いて歯抜けが増えているらしい。全国的な傾向だからどうしようもないのかも。

先々週飛び込みの電話で太陽光を利用した温水器の点検の勧誘があった。私が物心ついた頃には農作業で汚れを家に持ち込まないよう母屋とは別棟の「風呂小屋」があった。温水器設置はまだ父が生きていた頃で、40年以上経っており寿命が来ているはずでお湯の出も悪かった。

売り込みだと分かっているが温水器が寿命だと思っていたのに加え、電話の相手の女性の声に惹かれて話し相手になった。長々と話し相手になった結果、有料で点検して貰うことにした。先週2人の作業員が点検に来て、温水器が修理不可能なほど壊れており、撤去して屋根を修理するよう勧められた。ボイラーの温水器も錆が入っているのが分かったが、取り敢えずそのままにした。母屋の風呂があれば十分だ。

多分温水器だけでは済まないと想定した通りで、色々やり取りはあったが結局30万円で温水器の撤去と屋根の修理を依頼することにした。ほっておくと小屋全体の解体になるのでやむを得ない。父母が温水器と灯油ボイラーの設置を依頼したのは農協だったが、今後メンテを依頼することもないので飛び込みでもいいと判断した。

一昨日から2日かけ職人さんが屋根の補修をやってくれた。彼は職人らしい生真面目な対応で安心して任せた。屋根の状況は予想していたより悪いといい、瓦の交換が10枚以上、残りは硬化ゴムの樹脂で屋根瓦全体を固定して行ってくれた。予定の2日では作業が終わらず、今週末に追加作業をしてくれることになった。

ママさん主体のバドミントンクラブの練習に参加して3週間たち、バドミントン特有の動きに体が徐々に慣れて来た。初めの頃は足が動かずついて行くのに精一杯だった。先週は少し余裕があるとしっかりクリアが飛ぶようになった。クリアがエンドラインまで飛べば更に余裕が出て来る好循環でスマッシュも打てるようになった。

だが、クロスカットを打たれると一瞬足が出ずバタバタして上手く対処できない。クロスが来そうだと分かっていても駄目。1か月後に帰国して地元のクラブの練習に参加して何とかやれるところまで回復したい。ハードに動くと膝がガクガクしたり、体幹がしっかりしてきてお尻の筋肉の張りも少しずつ和らいできた気がする。■
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民主党の先祖返りは没落の始まり

2015-09-19 09:55:38 | ニュース
安全保障関連法案は今日未明参院本会議で採決可決された。集団的自衛権の行使を認める内容で戦後安保政策の大きな転換点になると言われている。5月26日に安保法案が衆院で審議入りしてから4か月弱という極めて長い国会審議を経た難産の結果だった。

私はこの安保法案に反対した最大野党の民主党の情けない対応に深く失望した。端的に言うと安保法案を巡り民主党は「何でも反対する社会党に先祖返り」した。

民主党は国の安全保障が必要だという考えが無い訳ではないのに、自分の考えを示さず与党案に只々反対した。理由は民主党は保守的な現実派から平和主義的なリベラル派まで広範な人達で構成されており、党内で考えを纏められなかったからだ。都合のいい事に憲法学者が安保法案を違憲と決めつけたので、違憲か否かの入口の議論に留まり内部の対立を避けた。だが、それは国民の安全を考えるべき国会議員の責任放棄である。

国会の内外で反対論を述べる議員の顔ぶれが、東日本大震災の対応で迷走した政府責任者の顔と重なって見えた。我が国の安全保障を揺るがせた鳩山元首相は実質追放されたが当時の幹部はまだ残っている。そういう連中が次々と出て来て安保法案反対の発言を繰り返しても、私には白々しくて何の説得力もないように感じた。

そして最後に参院での醜態だ。一昔前の国会とか後進国の議会の様子を見るようであった。このみっともない醜態が世界中に流れ、子供達も見たと思うと恥ずかしい限りだ。力づくで法案を阻止する姿はどう見ても先進的民主主義国のやることではないし、子供の教育にも良くない。国辱もので辞職勧告に値すると私は思う。

これ等の醜態は最大野党の民主党に責任があると国民は冷徹に見ている。安保法案に反対するのに民主党の支持が伸びないのはこのためだ。反対するなら自党の主張に出来るだけ近づけるよう粘り強く法案修正を求め、足りない分は選挙で勝ち政権を取戻して法律を作り直すのが筋だ。

民主党は民主主義の基本が出来てない、先祖返りしたと多くの国民は見限っていると私は感じる。安保法案の取り組みで旧社会党が消滅したように、今回の醜態で民主党は与党に代わり国政を担当する責任政党としての信を失い没落が始まったのではないかと憂慮する。■
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「普通の国に反対」論への僅かな希望

2015-09-17 11:51:47 | ニュース
安全保障関連法案の採決を巡り昨夜から国会は緊迫していると報じられた。「戦争法案」とか「違憲法案」のプラカードを掲げてシュプレヒコールを上げ国会前でデモする姿をテレビで見て、日米安保反対デモのニュースを横目で見ながら職場に急いだ若い頃の自分の姿を思い出した。

私にはどうしてもあの頃の先入観があって、デモをする人達を見ると過激派の学生や労組員を連想してしまう。朝日等の大新聞も好意的な報道を続けていたが、反対運動が過激化するに従い報道する内容に困惑が混じって行った様に感じた。反対運動の過激化は世論を一気に沈静化させる役割を果たすことになった。

そんな心配がある中で、昨日のインタビューに答える若い女性を見て私にはある種の清涼感があった。彼女は「普通の国になることを反対します」と答えた。彼女はよく分かっていると思った。「世界の国々は自国の安全保障の為に軍隊を持ち、他国と連携して世界平和の為に自国の軍隊を出兵する」ことを分かった上で答えた。

それを承知した上で日本だけは出来るだけ血を流さない道を選ぶということだ。悪く言えば自国だけ良ければ良い、いわゆる「一国平和主義」だ。そういう意味で彼女は「普通の国でなくていい」と言ったと私は受け取った。この若い女性がそれを理解しいざという時世界からどう扱われるか覚悟の上で言ったのなら、それはそれで立派な意見だと思った。つまり話せる人だと。

だが、多くの人達はその覚悟が無いように感じる。欧州に向かう何十万というシリア難民問題や世界各地で起こる非人道的なテロリズムへの無関心は、自国だけ良ければ良いという考えと裏返し、敢えて言えば表裏一体の考えだと思う。余程注意しなければ、日本は経済的利益ばかりを追求すると世界から見下げられた国への道を歩むことになる。

経済繁栄が続けばいいが、高齢化で経済力が落ちた時どの国からも相手されなくなるのを懸念する。そこまで考えたたかどうかは分からないが、彼女のインタビューの言葉にはそのような覚悟を感じた。覚悟の上ならそれはそれで良い、そういう人達が沢山いれば最善でなくても次善の解を見つけてくれる希望を感じた。問題は何人彼女がいるかだ。■
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