かぶれの世界(新)

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老け方を考える

2015-09-04 22:18:24 | 日記
鏡に自分の父親を見た、つまり鏡に映る顔が父親とそっくりになったと、出演者が語るラジオ放送を今朝方聞いて心を打たれた。私は鏡を見て自分の顔が見知らぬ他人、しかも醜い老人の顔になっていくのだ。というのは祖父は数えの25才、父は満55才で死んだ。私がどう老け顔になるのか想像できないのだ。実家に飾ってある彼等の写真は若々し過ぎて、68才の私にとって参考にならない。

雑誌やテレビに出て来る渋い老人とはかけ離れている。だが死ぬ直前まで出来るだけ健康で他人に迷惑をかけず、家族の負担にならない人生を送りたいと思う。先日発表された日本人の寿命は世界最長、男性だけでも世界3位の長寿国になったという。だが、男性が健康でいる平均年齢(健康寿命)は71才だという。つまり、残りの9年は健康でなく誰かの世話になっているということだ。これは長すぎる。

一方個人的には私の健康寿命までに平均で3年しか残されていないということになる。今迄はどう死ぬか、死に方を考えて来た。私の死に方の目標は、死ぬ直前まで仕事をする、つまり「死に場所は仕事場」にしたいと思ってきた。だが、それは理想であっても現実的ではない。今では如何にして健康寿命を伸ばすか、その間の生活をどう充実させるかに重点を置いて考えるようになった。

そうすると何故か私が今後どんな老け顔に変化していくのか気になり始めた。若い頃は自分の老け顔は父親のようになるだろうと想像した。だが、父より10年以上生きて今のような禿げ頭に老人特有の下がり眉毛で頬が垂れ堕ちた酷い「老醜」になるとは思わなかった。顔だけじゃなく、ポッコリお腹も健在だ。だったら見かけが駄目でも体力は維持したい。

だが、今日まで3日続けてバドミントン練習をやった結果その自信もなくなった。半年間のブランクの影響は大きく、瞬間的な反応が遅れミスを連発してラリーが続かなかった。膝を支える前後左右の腿の筋肉が劣化したようだ。結果として体力を消耗する前に練習時間が終わり、筋肉痛が出ないのも当然という気がする。だが今のところ練習を続ければ運動能力は回復出来るかもしれないという希望が残っている。

最後に頭もボケてはいないと思う。記憶力は劣化した様に感じるが、お金の計算など数字には強い。興味のあることなら深く突っ込んで考えることも苦にならない。見かけはダメでも出来るだけ運動能力を維持し、ボケないように頭の体操を続ける。これ等の要素をどうバランスをとれるか分からない。だが、死に方よりも老け方を考える方が楽しい。■
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