このブログに時々登場する近所のオジサンの一人が亡くなった。一昨日の午後買い物に出掛ける途中の消防団詰め所に人だかりがあり救急車が止まっていた。暫くすると担架が運び込まれ、けたたましいサイレンを鳴らして救急車は走り去った。もしかしたらと思った通りオジサンだった。
トラックターで畑仕事をしていて気分が悪くなり帰宅中のことだったらしい。自宅まで数十メーターのところで気分が悪くなり座り込んでいたらしい。その日も朝夕は涼しかったが昼の日差しは強かった。後から聞くと、翌朝3時過ぎにはもう亡くなったという。
昨晩、地区の連絡係りのオバサンがお通夜と葬式の時間を伝えに戸別訪問してきた。昔からのしきたりで葬儀には地区として参列・香典は不要、行くなら個人としてだと確認した。同じ地区だが、違う組内なのだ。私は個人で行くことにした。
今朝ゴミ出しに行った時、彼の息子と会った。オジサンは私の母より1歳上、息子は私より2つ下のはずだから、全く同じ年代を生きてきたことになる。オジサンは家族がいくら止めても畑仕事を止めなかった、昨年買った新しいトラックターをまだ使いこなしていたという。
息子は無理やり農作業を止めるとオジサンは怒り狂って大変だったので、ある程度言って後はオジサンの好きなようにやらせていたという。私は彼の顔色を見計らって、「こんなこと言うのは何だけど、オジサンは見事な死に方だったね」と言った。
死ぬ直前まで仕事して、野良仕事中に死ぬなんて、百姓の死に方のお手本みたいだと言うと、彼はその通りだと答えた。「長い間寝込んで家族に負担をかけなかったこともあるが、無理やりオヤジに仕事をさせないで不満を抱きながら死なせなかったのがよかった。」私は母のことを思い出して胸が痛くなった。
開始時間から2時間弱遅い時間にお通夜に伺った。親戚や近所の人達で混雑する時期を避けたいと思ったからだ。この辺のしきたりでご馳走とお酒が用意されており、子供が駆け回る雰囲気が私は好きだ。オジサンは安らかで起き出してきそうな顔だった。見事な死に方だと思った。■