暫らくの間何故か雲海がでなかった。10月の初めころから寒い朝で快晴の日なのに、雲海の気配がなかった。私の仮説は崩れた。ところが、今週の月曜日に1日中雨が降った翌火曜日から今日まで連続して雲海が現れた。今朝の雲海は特に濃い霧で、実家のある谷間でさえ霧で白けていた。
朝食を取りながら私の仮説が崩れた理由と、何故この3日間続けて雲海が再び現れたのか理由を考えた。食事を終え庭に出ると霧は一層濃くなったように見えた。突然、山裾歩きをしようと思った。大急ぎで昨日午後のバドミントン練習後の洗濯物を軒下に干し、7時半前に準備なしで家を出た。
盆地の南側にあたる徳森地区から山裾にとりつき、そこから東に向かって和田地区から稲荷神社まで歩き、光明寺まで引き返して農道を通り実家に戻った。残念ながら今日はいつもより霧が濃く、約2時間弱の7キロの行程の間に見えたのは盆地の北側の山裾のみだった。
夜のローカルニュースは今シーズン初の「肱川嵐」が吹いたと報じていた。この現象を作り出すほどの量の雲が大洲盆地に溜まってたことになる。肱川嵐とは大洲盆地の雲海が肱川に沿って流れ下流の長浜から伊予灘に嵐のように吹き付ける冬の現象だ。道理でずっと雲を見ながら歩いた。いよいよこの地の冬の名物の雲海と肱川嵐が始まる兆しだと思った。
今朝歩き始めた時に私の頭の中には、20年前頃に甲武信岳の登った時に見た景色があった。西沢渓谷から雁坂峠に登り、西に向かって尾根を歩いて破風山に登った。そこから一旦下り始めた所から見た景色が凄かった。南に富士山、北に雲海(多分川上村)を見ながら甲武信に向かって歩いた。
甲武信小屋のすぐ横にテントを張って一泊し翌日乾徳山を経由して下山した。まだ50代後半で若かった。大洲盆地の雲海と南アルプスの2500mクラスの山々から見た風景と比較するのは違うかも知れない。富士山もない。だが、雲海の景色は山の高さに関係なく美しいと思う。
途中で出会った道を清掃していた初老の女性によれば、雲海を見るなら山裾ではなく北側にある雲海展望台(標高4-500m程度)に行くべきだと助言してくれた。全くその通りだと思ったが、何しろ朝食後急に思いついたので何の準備もしてなかった。次の機会を待とう。■
朝食を取りながら私の仮説が崩れた理由と、何故この3日間続けて雲海が再び現れたのか理由を考えた。食事を終え庭に出ると霧は一層濃くなったように見えた。突然、山裾歩きをしようと思った。大急ぎで昨日午後のバドミントン練習後の洗濯物を軒下に干し、7時半前に準備なしで家を出た。
盆地の南側にあたる徳森地区から山裾にとりつき、そこから東に向かって和田地区から稲荷神社まで歩き、光明寺まで引き返して農道を通り実家に戻った。残念ながら今日はいつもより霧が濃く、約2時間弱の7キロの行程の間に見えたのは盆地の北側の山裾のみだった。
夜のローカルニュースは今シーズン初の「肱川嵐」が吹いたと報じていた。この現象を作り出すほどの量の雲が大洲盆地に溜まってたことになる。肱川嵐とは大洲盆地の雲海が肱川に沿って流れ下流の長浜から伊予灘に嵐のように吹き付ける冬の現象だ。道理でずっと雲を見ながら歩いた。いよいよこの地の冬の名物の雲海と肱川嵐が始まる兆しだと思った。
今朝歩き始めた時に私の頭の中には、20年前頃に甲武信岳の登った時に見た景色があった。西沢渓谷から雁坂峠に登り、西に向かって尾根を歩いて破風山に登った。そこから一旦下り始めた所から見た景色が凄かった。南に富士山、北に雲海(多分川上村)を見ながら甲武信に向かって歩いた。
甲武信小屋のすぐ横にテントを張って一泊し翌日乾徳山を経由して下山した。まだ50代後半で若かった。大洲盆地の雲海と南アルプスの2500mクラスの山々から見た風景と比較するのは違うかも知れない。富士山もない。だが、雲海の景色は山の高さに関係なく美しいと思う。
途中で出会った道を清掃していた初老の女性によれば、雲海を見るなら山裾ではなく北側にある雲海展望台(標高4-500m程度)に行くべきだと助言してくれた。全くその通りだと思ったが、何しろ朝食後急に思いついたので何の準備もしてなかった。次の機会を待とう。■