goo blog サービス終了のお知らせ 

かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

山裾歩きで感じた仮説

2021-10-23 17:02:37 | 社会・経済
胃腸炎は完治したと投稿したが、それは生活に支障が無くなったということで、大便を見ると完全に以前の状況に戻った訳ではなさそうだ。多分、胃腸の働きという点ではどこかが完璧に機能してないのだろう。だが、後期高齢者直前のジーサンはどうせ体のアチコチが劣化してるはず。

ということで今日の午前中に久し振りに以前と同レベルの距離の山裾歩きを再開した。1.3万歩9キロの道のりだった。別に投稿したように、最近の大股で急ぎ足の散歩を心がけて来た効果が出て、散歩に比べ結構アップダウンがあったが歩数も時間も5-10%短縮できたように思う。

土地の人でないと分からないだろうが、記録を残すために「西和田の光明寺から山裾を歩き徳森地区に下り、更に丘を登り平小学校を横目に下り、旧医師会のビルから国道沿いの新興商店街に向かい、再度丘を登り徳森地区に戻り、往路と逆に国道・JR・高速・矢落川を横切って実家に戻った。

途中であちこちに廃屋を見かけた。廃屋の分布には山裾の高低差に従って高低差に従い三つの傾向があると感じた。L1:昔は田畑だった山裾に繋がる住宅地、L2:平地に接する山裾の農家、L3:その上方の住宅の3つに分類できた。50年以上前はL1とL3には住宅は殆どなかった。

私の推測では、典型的なL1の住宅はアパートと一般住宅、L3は見晴らしがよく介護施設と高級住宅と感じた。今住むならL3だ。3年前の西日本豪雨で水害を被ったのはL1だった。ところが、意外にもL2で廃屋が目立った。農家の高齢化と子供が都会に出て後継者がいなくなったせいだ。

農機具や自動車が普及する前の農村では、農家にL3に住む選択はなかった。一方、L1も農作物を生む貴重な農地であり家を作る選択はなかった。ところが、皮肉にもL2に住む農家そのものが必要とされない時代になった。内外からの安価な食品を売るスーパーやコンビニで足りる。

上記のように西日本豪雨で被災した多くはL1だったが、意外にも今でも住宅の新築工事が目立つ。裏付けは豪雨後の堤防補強工事が最優先で対応されているからだ。肱川と矢落川の合流しJR鉄橋が交差する地点の補強工事は今も続いている。多分、自治体の予算の大部分を占めているだろう。

これが、私の実家の周りの山裾住宅地の3レイヤー仮説だ。私の実家も例外ではない。実家はL2で、他から引っ越してきた新しい住宅L地L1が繋がる。L3はない。西日本豪雨で浸水被害を受けたのはL1だけだった。そして我が家も含めL2は10年後には消滅してるかもしれない。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする