都知事選の争点
22日告示の都知事選は有力候補者が揃ったが、オリンピック開催か否かが主要な争点になりイマイチ盛り上がりに欠けている。今回の都知事選は国政の争点の延長線上で政策がぶつかる激しい戦いにならなさそうだ。勝敗を決める無党派層の投票率は低いかもしれない。
国政レベルで安倍内閣が憲法改正を最大のテーマに掲げ、宮崎県知事選の結果をみて候補者が政党推薦を辞退する状況では地方選の争点がぼやけるのもやむを得ないかもしれない。首長選こそ財政立て直しと格差解消や公共投資の資源配分・教育問題が議題になるべきだろうが、生憎というか東京都の財政はそれほど逼迫していない。
私は別の視点から都知事選の行方を注目している。それは50%から60%に達するといわれる無党派層の動向と、そのうちどれだけが「ネチズン」といわれる人達で、彼等がどのような投票行動をとるか、それが先々参院選にどう影響を与えるか指標になるからである。
何度も引用するが、昨年の長野県知事選のネチズンと選挙民全体の投票行動のギャップを分析した朝日新聞の記事は出色だった。事前のネット世論調査は田中前知事支持、電話世論調査は村井知事支持とはっきり分かれ、出口調査は電話調査と一致した。その差は両調査の年齢ピークが夫々40歳と70歳だったことが極めて示唆的だった。
ネチズンの時代はいつ来るのか
ネット世代は若く年々その比率が高まるので彼らが選挙結果を左右し、政治的影響力を行使する時代、ネチズンの世紀になるのは間違いない、時間の問題だ。ただ、このネチズン世代を一塊として性格づけることが出来るかどうかまだ分からない。
その視点から宮崎県知事選では「そのまんま現象」といわれた無党派の投票率の高まりは、ネチズンの果たした役割が大きかったのではないかと私は仮説を立てた。残念ながら朝日新聞社からの返事によると長野県知事選と同様な調査分析をしなかったようだ。
都知事選でも無党派層が動かない、つまり「風」が吹かなければ、ネチズンが決定的な影響力を行使しないことになるだろうと思われる。彼らをドライブする怒りや熱い争点がないと日本のネチズンは動かない可能性が高い。
Pew Research Centerによると2006年の米中間選挙で選挙民の1/3がインターネットを経由して政治関連の情報を入手し意見交換したと報告している。そのうちの1/4が政治的な意見を書き配信したという。データはないが、東京都民だけならこれに近い数字になる可能性は十分ある。
日本のネチズン像
しかし、日本のネチズン像は一体どういう人達なのか団塊の世代ほど明確な全体像が浮かんでこない。今日の朝日新聞によると評論家池内ひろ美さんのブログ記事に反発した人達が「ネット炎上」させ、彼女の講演会を中止させNHKのラジオ番組出演をキャンセルさせたと報じている。
彼らがネチズンの本質なのか一部の跳ね上がりなのかも分からない。日本だけではないがネチズンは論争に火を注いで極端な動きに発展させる怖さがある。その一つの理由はインターネットの匿名性であることは間違いないようだ。
このネット人格は必ずしも技術に起因するものでなく、寧ろ国民性によると思われる。例えば米国や韓国は自分が誰か明らかにして発信する所謂「署名文化」が圧倒的に優勢だと報じられている(日川佳三氏07/01/16)。名を名乗って堂々と論陣を張るスタイルは責任の所在を明確にする。
一方日本のように匿名性を保つことにより主張・意見にのみフォーカスしコンテンツで勝負するというメリットもある。しかし今までのところ日本の場合に限って言えば、匿名性はネチズン世論形成においてマイナス面のほうが大きい。
日本でも友達向けのブログやSNSが広まっているのは、こういう状況にウンザリしている人達も又沢山いることの証左である。こういった状況で日本のネチズンは政治・社会的影響力を持つグループになりうるだろうか。日本だけではない。数年前携帯電話は中国の反日運動を暴動にした。
メディアへの期待
もう一つ気になる動きがある。それは米国の20代のWeb利用者比率がこの5年間で半減した(23.6%→11.9%)したという報告だ(大前研一氏:2006ネットレイティングズ社調査)。彼らは物心ついたときパソコンも携帯もあった、一括りでネチズンとは呼べないかもしれない。日本も同じ現象が起こるかもしれない。
テレビ・新聞などのメディアは是非この視点から都知事選・参院選を調査分析してもらいたい。誰が当選するか、与野党の勢力と政策がどう変化するかが勿論重要だが、選挙民がどう変わっていくかも極めて重要、特に時系列変化で捉え将来予測することを期待したい。■