さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ベイルート その6

2019年08月22日 | 海外旅行
国立博物館の見学を終えて外の壁を見ると、レバノン内戦の銃痕を修理した跡がみられました。

最近耳にするようになった「ダークツーリズム」の範疇に含まれるレバノン内戦の痕跡を、今回の旅でも多く見ることができました。レバノン内戦は、複雑な経過をたどりますが、以下のように要約できるかと思います。

中東では、イスラム国家が大部分を占めますが、レバノンではキリスト教徒が中心の国になっています。第一次世界大戦後、事実上の宗主国となったフランスは元来のマロン派キリスト教徒が支配する「小レバノン」を大幅に越えて、「大レバノン」と呼ばれる元来シリア領域とされるベッカー高原、レバノン北部及びトリポリ市、レバノン南部をも含めた国境線を作成しまた。レバノン独立時には、大統領はキリスト教徒、首相はスンナ派、国会議長は同シーア派……というように宗派ごとの閣僚・議席のポストを配分した紳士教徒が結ばれました。しかし、国勢調査は行われず、イスラム教徒の増加を無視する形でこの「国民協約」に則った国家運営が続けられたことから、イスラム教徒の反発を高めることになりました。さらに、多数のパレスチナ難民がレバノン国内に流入し、イスラム教徒数の自然増加と相まって政治バランスが崩れ始めました。1975年4月13日のキリスト・イスラム両派の衝突に端を発してベイルート内戦が勃発し、シリアとイスラエルといった隣国の介入を招き、さらに多国籍軍派遣の失敗によって内戦は泥沼化し、1990年にようやく終戦しました。



住民の残る廃墟ビル。



弾痕の残る壁。



現在も使用されている建物ですが。



アップしてみると壁には大小の弾痕が見られます。



廃墟ビル。



レバノン内戦のシンボル的遺構でもあるホリデイイン・ベイルート。

当時数少ない高層建築だったこのホテルは、狙撃手の格好の拠点となり、それに対抗して隣接のホテルも対抗勢力によって占拠され、それぞれの拠点からの攻撃が行われました。これによって、「ホテル戦争」とも呼ばれる戦闘が行われることになりました。

銃痕もですが、砲弾によるものと思われる大穴も開いています。周辺の再開発は進んでいますが、このホテルを壊さないのは、記念碑として保存する意図があるのでしょうか。



地中海沿いのシーフード・レストランで昼食をとってひと休み。地中海もこれで見納めです。



昼食後、旧市街の見学を行いました。



街中にローマ浴場がありました。





脇にもローマ時代の遺跡が広がっていました。



エトワール広場(ネジメ広場)。国会議事堂に隣接しているため、厳重な警備が行われていました。



広場の周りは再開発されてきれいな建物が並んでいました。





広場の東側には聖ジョージ教会がありました。



ギリシャ正教の教会で、入り口から眺めると、正面には奥の礼拝所との境界となるイコンで覆われた壁(イコノスタス)が設けられていました。



イコノスタスのアップ。



聖ジョージ教会の入り口からエトワール広場(ネジメ広場)を振り返ると、中央に建てられた時計塔を良く眺めることができました。



聖ジョージ教会の背後に回ると、ムハンマド・アミーン・モスクの眺めが広がっていました。4本のミナレットは、高さ約70mあります。



ムハンマド・アミーン・モスクに周囲には、発掘途中のローマ遺跡が広がっていました。



レバノンでは、再開発のために地面を掘り返すとローマ遺跡が現れて工事がストップしてしまうことがたびたびあるようです。



続いてアル・オマーリ・モスク。ベイルートで一番古いモスクです。元々のモスクの建物は地震によって崩壊し、十字軍によって教会として再建後、1291年にモスクとして建て替えられました。教会の鐘突き塔がミナレットとして用いられています。



アル・オマーリ・モスクに入場しました。



アル・オマーリ・モスクの内部。建物の形は教会風です。写真の奥がキリスト教会であったら主祭壇が設けられているところですが、モスクとしては右手が正面になっています。



メッカの方向を示す壁の窪みであるミフラーブはなく、家具状の置きものが置かれていました。その左脇には説教台(ミンバル)が置かれていました。



二階は女性専用の礼拝所になっているようです。



アル・オマーリ・モスクの先の交差点部に、レバノン産の高級チョコレートであるパッチ・チョコレートの店がありました。ドバイなどの中東方面では、高級チョコレートの代表的ブランドになっているようです。



通りには、ジャカランダが植えられており、花が咲いていました。



最後にベイルート・スークで自由行動になりました。



スークに隣接して近代的な建物が建築中でした。



世界の都市で良く見かける観光客向けの看板。



スークというと露店も出ている雑然とした市場を思い浮かべるのですが、ここでは再開発されてこぎれいな店が並んでいました。地元の人のショッピングには良いのかもしれませんが、観光的には面白みに欠けていました。



ベイルート・スークの入り口には古い建物が残されていました。

これでレバノン観光は終わりとなって、帰国のために空港に向かいました。

レバノンは、事前の予備知識もほとんど無いままに訪れたのですが、中東の国というイメージとは大きく違っていました。
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