
日本人墓地跡からウランバートルに戻ってガンダン寺を見学することになりました。
正式名称ガンダン・テグチンレン寺は1838年に活仏ボグド・ハーン5世によって建立されたチベット仏教寺院です。社会主義政権でも仏教は許されていましたが、1930年代に入って、モンゴル人民革命党の仏教弾圧が始まり、1937年にはモンゴル全土で3万人の僧侶が殺される大粛清が起きました。1940年代に宗教活動が回復した後は、1970年に宗教大学が併設されるなど、チベット仏教の中心的存在になっています。
まず、山門をくぐって境内に進みます。

境内に進んでいくと、幾つものお堂が並んでいました。写真の右手には持金剛堂、左は釈迦堂です。

持金剛堂の右手前にあるのは活仏殿。

持金剛堂の右奥には本堂。

持金剛堂では、読経が行われていましたが、内部は撮影禁止でした。

香炉。

釈迦堂の脇のお堂。五体投地をしてお祈りをするための台も置かれていました。

マニ車が並べられていました。

お堂の中の像は黄色い帽子を被っているので、ゲルク派(黄帽派)が伝わっているようです。

マニ車の並んだ小広場から脇に出ると、仏舎利塔と観音堂が見えてきました。

僧侶が歩いていました。

観音堂へと広場を進んでいきます。

観音堂は、大きな像を収めるために、高さのある建物になっています。

屋根飾りとして、チベット仏教の特徴である法輪を挟んで二匹の鹿が向かい合う像が置かれていました。

屋根の上にもマニ車が置かれていました。

観音堂の前には獅子像が置かれていました。

内部に入ると高さ25mの巨大な観音像を見上げることになります。
なお、お堂の内部は、撮影料金が別途必要になりました。モンゴルの施設のほとんどで撮影料金が別途必要になります。

この像は、盲目になったボグド・ハーン8世がその治癒を祈願して建立した開眼観音です。初代のものはスターリン時代にソ連に持ち去られてしまい、現在の二㈹目は1996年に完成したものです。

堂内には他にも多くの仏像が置かれていました。

お参り用の小型仏が置かれていました。

左脇の像。

右脇の像。金剛手菩薩でしょうか。

開眼観音像の背後には回廊が設けられており、マニ車を回しながら時計周りにお参りすることになります。

壁には膨大な数の小さな仏像が置かれていました。

開眼観音像の背後の見にくい場所には、誕生したてで唯我独尊と唱えた釈迦の像が置かれていました。

また、涅槃物像も置かれていました。

観音堂の見学を終えてバスに戻りました。

昼食のレストランに向かう途中、ゲルの形の相撲会館の前を通りました。屋内スポーツスタジアムでモンゴル相撲の資料展示も行われているようです。

これは、もと国営ダパートであったノミンデパート。六日目に買い物を行うことになります。

教会も見かけました。十字架の形を見て、ロシア正教ではないのだと不思議に思いました。モンゴルに大きな影響を及ぼしていたソ連時代は、ロシア正教も弾圧を受けていたので、勢力を広げるどころではなかったはずですね。

通り沿いに置かれた木製のプレハブ小屋は、小規模の商店でした。

この後は都会から離れてゲル泊まりが続くため、水やビール、菓子類の購入のためにスーパーマーケットに案内されました。日本から持ってきたものもあったのですが、少し買い物をしました。
正式名称ガンダン・テグチンレン寺は1838年に活仏ボグド・ハーン5世によって建立されたチベット仏教寺院です。社会主義政権でも仏教は許されていましたが、1930年代に入って、モンゴル人民革命党の仏教弾圧が始まり、1937年にはモンゴル全土で3万人の僧侶が殺される大粛清が起きました。1940年代に宗教活動が回復した後は、1970年に宗教大学が併設されるなど、チベット仏教の中心的存在になっています。
まず、山門をくぐって境内に進みます。

境内に進んでいくと、幾つものお堂が並んでいました。写真の右手には持金剛堂、左は釈迦堂です。

持金剛堂の右手前にあるのは活仏殿。

持金剛堂の右奥には本堂。

持金剛堂では、読経が行われていましたが、内部は撮影禁止でした。

香炉。

釈迦堂の脇のお堂。五体投地をしてお祈りをするための台も置かれていました。

マニ車が並べられていました。

お堂の中の像は黄色い帽子を被っているので、ゲルク派(黄帽派)が伝わっているようです。

マニ車の並んだ小広場から脇に出ると、仏舎利塔と観音堂が見えてきました。

僧侶が歩いていました。

観音堂へと広場を進んでいきます。

観音堂は、大きな像を収めるために、高さのある建物になっています。

屋根飾りとして、チベット仏教の特徴である法輪を挟んで二匹の鹿が向かい合う像が置かれていました。

屋根の上にもマニ車が置かれていました。

観音堂の前には獅子像が置かれていました。

内部に入ると高さ25mの巨大な観音像を見上げることになります。
なお、お堂の内部は、撮影料金が別途必要になりました。モンゴルの施設のほとんどで撮影料金が別途必要になります。

この像は、盲目になったボグド・ハーン8世がその治癒を祈願して建立した開眼観音です。初代のものはスターリン時代にソ連に持ち去られてしまい、現在の二㈹目は1996年に完成したものです。

堂内には他にも多くの仏像が置かれていました。

お参り用の小型仏が置かれていました。

左脇の像。

右脇の像。金剛手菩薩でしょうか。

開眼観音像の背後には回廊が設けられており、マニ車を回しながら時計周りにお参りすることになります。

壁には膨大な数の小さな仏像が置かれていました。

開眼観音像の背後の見にくい場所には、誕生したてで唯我独尊と唱えた釈迦の像が置かれていました。

また、涅槃物像も置かれていました。

観音堂の見学を終えてバスに戻りました。

昼食のレストランに向かう途中、ゲルの形の相撲会館の前を通りました。屋内スポーツスタジアムでモンゴル相撲の資料展示も行われているようです。

これは、もと国営ダパートであったノミンデパート。六日目に買い物を行うことになります。

教会も見かけました。十字架の形を見て、ロシア正教ではないのだと不思議に思いました。モンゴルに大きな影響を及ぼしていたソ連時代は、ロシア正教も弾圧を受けていたので、勢力を広げるどころではなかったはずですね。

通り沿いに置かれた木製のプレハブ小屋は、小規模の商店でした。

この後は都会から離れてゲル泊まりが続くため、水やビール、菓子類の購入のためにスーパーマーケットに案内されました。日本から持ってきたものもあったのですが、少し買い物をしました。