さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ルクソール神殿 その1

2018年02月08日 | 海外旅行
カルナック神殿の見学を終えてバスでルクソール神殿に向かうと、巨大な第一塔門が見えてきました。現在は寸断されていますが、ルクソール神殿からカルナック神殿までスフィンクス参道が延びていました。



スフィンクス参道沿いには、スフィンクス像が並んでいます。



カルナック神殿前のスフィンクスは牡羊の頭を持っていましたが、こちらは通常の人形の頭を持っています。



ルクソール神殿から見たスフィンクス参道。



ルクソール神殿の第一塔門。

逆光で見にくくなっています。ルクソール神殿は入口から南西に直線的に延びているので、午後になると、逆光の条件で見ながら奥に進んでいくことになります。そのために、ツアー日程では、ルクソール神殿は夕暮れ時に見学することが多いのかなと思います。



第一塔門は、ラメセス2世が建てたもので、左右にラメセス2世の巨像が置かれています。



ラメセス2世の像となると、その足元に王妃ネフェルタリの小さな像が置かれていることが多いです。

また、ファラオの像は、生きている姿を現している場合は、左足が前に出ているのが通例です。この理由には諸説ありますが、心臓があるため左の方が重要な部位になっているからとも言われています。



門の左にオベリスクが立っていますが、対になる右側のオベリスクはパリのコンコルド広場に持ち去られています。

フランスのナポレオン3世は、エジプトを支配していたムハンマド・アリ将軍に当時としては大変高価な時計をプレゼントします。そのお礼に好きなものをお持ちくださいと返事をしたところ、「ルクソールにあるオベリスクを一本ください」と答えます。まさか持っていかないと思ってどうぞと返事をしたところ、軍艦を派遣してオベリスクを持ち去ってしまいました。時計は、現在、カイロのムハンメド・アリ・モスクの時計台に飾られていますが、故障して動かなくなっているようです。

ムハンマド・アリは、ロンドンに立っていて「クレオパトラの針」と呼ばれるアレクサンドリアにあったオベリスクもイギリス政府への贈り物にしてしまっています。また、これと対になるオベリスクもニューヨークにも持ち去られています。ただ、これらのオベリクは、輸送費用が膨大になるため、なかなか実行に移されなかったものが、他の都市にオベリスクが立つならば我が都市にもということで費用が集まったようです。



オベリスクの台座部には、ヒヒが彫られています。また巨像の頭だけが、地面に置かれています、



第一塔門を抜けるとラメセス2世の中庭です。



奥に大列柱廊が見えています。



ラメセス2世の中庭の脇も列柱廊になっています。



広場の隅には広場に面して、ラメセス2世の巨像が並んでいます。



ラメセス2世の中庭から第1塔門を振り返ると、その下にはハトシャプストの祠堂があります。



また、ルクソール神殿に食い込むように建てられているのは、ガーマ・アブー・イル・ハッガーグと呼ばれるイスラム教のモスクです。遺跡の上に13世紀頃に建てられたもので、現在では立ち退かせることはできない状態です。

かつては、ルクソール神殿は砂に埋もれていて、壁画が設けられた下の窓のレベルが入口であったといいます。



ラメセス2世の像。



ラメセス2世像の台座には、パピルスとハスを結んで、上・下エジプトの統一を表すレリーフが描かれています。



首をパピルスで縛られたアジア諸国(シリア、イラク、トルコ)の捕虜たち。



ヌビアの捕虜たち。

同じ意匠のレリーフは、ラメセス2世が建てたアブシンベル神殿でも見ることができます。



大列柱廊に入ったところには、ツタンカーメンと王妃アンケセナーメンの像が置かれています。

古代エジプトでは、夫婦の像が同じ大きさで作られることはまれでした。
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