さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 カラク城 その2

2014年03月26日 | 海外旅行
カラク城の南側には、サラディンのアイユーブ朝をついだマムルーク時代に建てられた宮殿が広がっています。



宮殿の中に入っていきます。



ここにはモスクも設けられていました。



宮殿を出て北に向かいます。



十字軍の教会跡が遊歩道の左手に見えてきました。



アーチ状の天井が残っています。



東壁の窓。



壁の間からのぞくと、高度感のある眺めが広がっていました。車道が左上でカーブする所が、最初にカラク城を眺めた展望地です。



振り返って宮殿跡を眺めたところ。



キッチンへの入り口。



バンケットホール。



キッチンには、竈や調理台などの施設が残っていました。



北壁。



ナバタイ人の胸像レリーフが残されていました。



十字軍の兵士溜りへの入り口。



壁には、矢を射るための隙間が開けられています。



十字軍の兵士溜りは、かなりの広さがあります。



投石器用の丸石も置かれていました。



十字軍の兵士溜りを出て振り返ったところ。これで城内を一周しました。



ローマ時代のものか、彫刻の施された石も置かれていました。

ヨーロッパの古城は、十字軍遠征によって知ることになったイスラムやビザンチンの築城技術を導入して発達しました。

その例として、第2回十字軍の遠征に参加したフランドル伯フィリップ・ダルザスが1180年に再建したベルギー・ゲントのフランドル伯の城が挙げられます。さらに、第8回十字軍に参加したイングランド王エドワード1世は、ウェールズ攻略に際して、カナーヴォン城やコンウェイ城などの堅固な城を建築しました。



馴染みの薄いカラク城ですが、現代のヒットメーカーのスコット監督(プロメテウスはがっかり映画でしたが)による「キングダム・オブ・ヘブン」で重要な舞台になっています。

カラク城主のルノー・ド・シャティヨンらによるキャラバン隊の虐殺によって、サラディーンは、休戦協定を破って、カラク城に攻めてきます。主人公のバリアンは領民が避難するのを守るため、城外に出てサラディーンと対峙します。



戦いの末にバリアンは負傷して捕虜になりますが、エルサレム王ボードゥアン4世率いる援軍が到着し、和平交渉が行われてバリアンは開放されます。

その後、サラディンと十字軍の間で行われたハッティンの会戦において十字軍側は大敗して壊滅状態になります。バリアンは、エルサレム城の守備と開城を指揮して、住民を安全に退去させ、エルサレムを去ります。

映画では、カラク城は砂漠の中にある平城でしたが、実際には、地形を利用した山城でした。映画を見てからカラク城を訪れるととまどうこともありますが、感情移入の点では映画を先に見ておくことを勧めます。



これが、悪名高きカラク城主ルノー・ド・シャティヨン。三国志における董卓みたいなヒールですね。

「キングダム・オブ・ヘブン」は、歴史好きはもちろん、投石器や攻城塔の兵器が活躍するエルサレム城攻略戦が迫力充分に描かれているので、城好きにも興味深く見ることのできる映画です。

カラク城の見学を終えて城の脇のレストランで昼食を終えると雨が降り出してきました。今回のヨルダン旅行では、実害はほとんどなかったのですが、天候にはらはらされることになりました。

バスは一路ペトラへと向かいました。
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