
第五日目は、成都に戻って観光の予定でしたが、黄龍観光を終えて茂県の国際飯店に到着したところで、行きに使った道路が土砂崩れによって通行止めになっており、帰りは別な道の綿陽経由になること。成都との間にある桃坪羌塞の見学は行えず、さらに成都まで時間もかかることから都江堰も省略。成都市内で昼食をとり、武候祠見学と錦里散策を行うという計画変更を知らされました。
今回の一番の目的の九寨溝・黄龍観光を最高の天候のもとに行えたことに満足していたことから、この計画変更もそれほど残念なことには思いませんでした。むしろ行きにこの通行止めに合わなくて良かったという気持ちの方が強かったです。
ここまでは6時モーニングコール、7時半出発というパターンでしたが、この日は5時半モーニングコール、7時出発ということになりました。
ホテルからは九十九折の坂道を下っていくと、川沿いの集落に出ました。

壁の飾りは、ヤクの頭でしょうか。トウモロコシが飾りに使われています。この一帯も羌族(ちゃんぞく)のテリトリーのようです。

川沿いの細い道が続くようになりました。所々で路肩の崩落部が補修されています。大型バスのすれ違いが困難な場所もあり、交互通行のためにしばらく待つこともありましたが、ほどなく動き始めることができました。前日のツアーバスの場合は、落石もあって、1、2時間待たされたようです。

大きな籠を背負って歩く地元民。

新しい街並みが広がっている北川の街に到着しました。
北川は、四川大地震の際に最大の被害が生じ、町の再建は不可能と判断し、住民全員を移住させて元の街からは20km程移動した位置に新しい町を作りました。
北側の町外れの粗末なドライブ・インで休憩をとりました。ドライバーは、サービスの水でバスの洗車を行い、この後は通常の舗装道路が続くようになりました。

綿陽の街を過ぎると高速道路に乗って順調なドライブが続くようになりました。車窓から見える民家の壁の多くには、童子の絵が描かれていました。

高速道路の分岐で、都江堰への道に進んだのでアレっと思ったのですが、ここまで順調に走ることができて時間に余裕ができ、またこのまま進むと成都周辺の渋滞にはまってしまうということで、再度計画変更になりました。都江堰のホテルで昼食をとって、その後に都江堰の見学を行い、武候祠見学は場合によっては翌日になるかもしれないということでした。

13時半に都江堰のホテルで遅い昼食をとり、14時半から都江堰の見学の開始になりました。
丘の上にあって全体像を把握するのによい泰堰楼から入場しました。

都江堰(とこうえん)は、秦の時代に造られた古代水利施設です。
紀元前256年、岷江の反乱を防ぐため、蜀郡太守の李氷(りひょう)が指揮をとって工事を開始し、息子の李二郎が受け継ぎましたが、この大工事が完成したのは彼の死後数世紀経ってからになりました。
これは上流方向の眺めですが、岷江は、人工的な中洲の先端の魚嘴で手前に見える内江と奥の外江に分かれます。

下流方向の眺め。
外江はそのまま下流に流れますが、内江は灌漑用水として宝瓶口(写真左端)を経て幾つかの水路に分かれて成都平野に導かれます。洪水の際には中洲の下流部の飛砂堰から外江に水が戻されます。

中洲に渡る吊り橋の安瀾橋が見えています。かなりの標高差がありますが、そこまで下ることになります。

長い階段下りが続きました。

下っていくと、安瀾橋の入口に出ました。

下ってきた泰堰楼への入口。

堤防は、このような石を詰めた細長い竹かごを川の中に投入して造られました。

沢山結びつけられた赤い布も中国的です。

安瀾橋を渡ります。

吊り橋の途中から振り返ったところ。丘の上に泰堰楼が見えています。

揺れる吊り橋でした。

吊り橋は、中洲から右岸に向かっても付けられていましたが、渡っている人はおらず閉鎖になっているようでした。、

中洲の先端部の魚嘴の広場は、大勢の観光客で賑わっていました。

中洲先端部の魚嘴の眺め。

都江堰は現在に至るまで改良が加えられ、外江部にはコンクリート製のダムが造られていました。

広場に置かれていた説明板ですが、こちらが李氷。秦時代の人の肖像画がそのまま残っているはずはないでしょうけど。

再び安瀾橋を渡って左岸に戻ります。左下に見えているのが、李親子を祀った二王廟のようです。時間の関係かガイドの省略によるものなのか、残念ながら訪れませんでした。
なお、李二郎は、道教の治水の神顕聖二郎真君のモデルとされています。
二郎真君は、額に縦長の第3の眼を持ち、変化の術を得意として、武器は先が3つに分かれた大刀である三尖両刃刀と弓を使い、哮天犬(こうてんけん)という名の神犬と鷹をつれている姿で現されます。
西遊記においては天界で暴れる孫悟空を捕らえる大立ち回りを行っており、また封神演義では楊戩(ようせん)という名の道士として登場しています。
ガイドの説明には無かったけれど、古代水利施設の説明を受けるよりは、このような伝説の方に興味がひかれます。

二王門から退出しました。

二王門には彫刻が飾られており、古いもののようです。四川大地震では都江堰は大きな被害を受けて、二王廟などは再建されたといいますが、この二王門は無事に昔の姿を見せているようです。

時間も限られており、一部の見学に留まったようですが、都江堰の全体像を把握することはできました。

都江堰の街では、パンダ模様に塗られたタクシーが目立っていました。
この後は、成都に戻り、当初の予定通りに武候祠見学と錦里散策を行うことになりました。
今回の一番の目的の九寨溝・黄龍観光を最高の天候のもとに行えたことに満足していたことから、この計画変更もそれほど残念なことには思いませんでした。むしろ行きにこの通行止めに合わなくて良かったという気持ちの方が強かったです。
ここまでは6時モーニングコール、7時半出発というパターンでしたが、この日は5時半モーニングコール、7時出発ということになりました。
ホテルからは九十九折の坂道を下っていくと、川沿いの集落に出ました。

壁の飾りは、ヤクの頭でしょうか。トウモロコシが飾りに使われています。この一帯も羌族(ちゃんぞく)のテリトリーのようです。

川沿いの細い道が続くようになりました。所々で路肩の崩落部が補修されています。大型バスのすれ違いが困難な場所もあり、交互通行のためにしばらく待つこともありましたが、ほどなく動き始めることができました。前日のツアーバスの場合は、落石もあって、1、2時間待たされたようです。

大きな籠を背負って歩く地元民。

新しい街並みが広がっている北川の街に到着しました。
北川は、四川大地震の際に最大の被害が生じ、町の再建は不可能と判断し、住民全員を移住させて元の街からは20km程移動した位置に新しい町を作りました。
北側の町外れの粗末なドライブ・インで休憩をとりました。ドライバーは、サービスの水でバスの洗車を行い、この後は通常の舗装道路が続くようになりました。

綿陽の街を過ぎると高速道路に乗って順調なドライブが続くようになりました。車窓から見える民家の壁の多くには、童子の絵が描かれていました。

高速道路の分岐で、都江堰への道に進んだのでアレっと思ったのですが、ここまで順調に走ることができて時間に余裕ができ、またこのまま進むと成都周辺の渋滞にはまってしまうということで、再度計画変更になりました。都江堰のホテルで昼食をとって、その後に都江堰の見学を行い、武候祠見学は場合によっては翌日になるかもしれないということでした。

13時半に都江堰のホテルで遅い昼食をとり、14時半から都江堰の見学の開始になりました。
丘の上にあって全体像を把握するのによい泰堰楼から入場しました。

都江堰(とこうえん)は、秦の時代に造られた古代水利施設です。
紀元前256年、岷江の反乱を防ぐため、蜀郡太守の李氷(りひょう)が指揮をとって工事を開始し、息子の李二郎が受け継ぎましたが、この大工事が完成したのは彼の死後数世紀経ってからになりました。
これは上流方向の眺めですが、岷江は、人工的な中洲の先端の魚嘴で手前に見える内江と奥の外江に分かれます。

下流方向の眺め。
外江はそのまま下流に流れますが、内江は灌漑用水として宝瓶口(写真左端)を経て幾つかの水路に分かれて成都平野に導かれます。洪水の際には中洲の下流部の飛砂堰から外江に水が戻されます。

中洲に渡る吊り橋の安瀾橋が見えています。かなりの標高差がありますが、そこまで下ることになります。

長い階段下りが続きました。

下っていくと、安瀾橋の入口に出ました。

下ってきた泰堰楼への入口。

堤防は、このような石を詰めた細長い竹かごを川の中に投入して造られました。

沢山結びつけられた赤い布も中国的です。

安瀾橋を渡ります。

吊り橋の途中から振り返ったところ。丘の上に泰堰楼が見えています。

揺れる吊り橋でした。

吊り橋は、中洲から右岸に向かっても付けられていましたが、渡っている人はおらず閉鎖になっているようでした。、

中洲の先端部の魚嘴の広場は、大勢の観光客で賑わっていました。

中洲先端部の魚嘴の眺め。

都江堰は現在に至るまで改良が加えられ、外江部にはコンクリート製のダムが造られていました。

広場に置かれていた説明板ですが、こちらが李氷。秦時代の人の肖像画がそのまま残っているはずはないでしょうけど。

再び安瀾橋を渡って左岸に戻ります。左下に見えているのが、李親子を祀った二王廟のようです。時間の関係かガイドの省略によるものなのか、残念ながら訪れませんでした。
なお、李二郎は、道教の治水の神顕聖二郎真君のモデルとされています。
二郎真君は、額に縦長の第3の眼を持ち、変化の術を得意として、武器は先が3つに分かれた大刀である三尖両刃刀と弓を使い、哮天犬(こうてんけん)という名の神犬と鷹をつれている姿で現されます。
西遊記においては天界で暴れる孫悟空を捕らえる大立ち回りを行っており、また封神演義では楊戩(ようせん)という名の道士として登場しています。
ガイドの説明には無かったけれど、古代水利施設の説明を受けるよりは、このような伝説の方に興味がひかれます。

二王門から退出しました。

二王門には彫刻が飾られており、古いもののようです。四川大地震では都江堰は大きな被害を受けて、二王廟などは再建されたといいますが、この二王門は無事に昔の姿を見せているようです。

時間も限られており、一部の見学に留まったようですが、都江堰の全体像を把握することはできました。

都江堰の街では、パンダ模様に塗られたタクシーが目立っていました。
この後は、成都に戻り、当初の予定通りに武候祠見学と錦里散策を行うことになりました。