さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
http://iide.hp.infoseek.co.jp/

さすらいの風景 クルカ国立公園

2014年06月20日 | 海外旅行
昼食をとったスクラディンを出発してから尾根越えをすると、クルカ川が見えてきました。クルカ川は、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境の近くのディナル・アルプス山脈から流れ出ています。

見学するスクラディンスキー・ブグは、写真の左手にあたる下流部にあります。



バスを降りて公園内に進むと、水の流れの中に木道が巡らされていました。



ここの滝は、日本で見られる深い渓谷の中で高みから流れ落ちるというものとは違って、小さな段差の滝が広がっていました。



作業小屋が設けられていましたが、これは水力洗濯機のようです。



これは、水力粉挽き器。



作業小屋を対岸から見たもの。滝が生活の助けに使われてきたことが判ります。



滝の見晴らし台に出ました。



ここのところ雨が多かったためか、水量も豊富で、迫力が増していました。



ヨーゼフ一世展望台からの眺め。



下流方面にも滝がかかっているようです。





下に見えているのが、この公園で有名なスクラディンスキー・ブグのようです。



坂を下っていくと、水力発電所跡に出ました。

この水力発電所は、近接するシベニクに1895年8月28日から電力を供給し始めました。ナイアガラ滝近くのアダムス電力発電所ではそれよりも3日早い8月25日に操業開始しましたが、バッファローへの送電は1年以上後の1986年11月16日になりました。見方によりますが、世界で最初あるいは二番目の水力発電所といえます。

交流発電機はニコラ・テスラによって発明されましたが、彼は当時オーストリア帝国であったクロアチアで生まれました。その関係でここに水力発電所が造られたのでしょう。

ニコラ・テスラはアメリカに渡るとエジソンの会社に入りますが、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案し、これによりエジソンと対立して1年ほどで職を失うこととなりました。独立したステラは、交流発電機を完成させ、ウェスティングハウス・エレクトリック社によりナイアガラの滝の発電所に取り付けられました。

ニコラ・テスラは、交流電流の他にもラジオやラジコン、蛍光管等、エジソン以上の発明を行いましたが、情報とエネルギーを無線で地球上のあらゆる場所に瞬時に送ることができる「世界システム」の開発に莫大な資金をつぎこんだあげく失敗し、このあたりからマッド サイエンティストの噂が付きまとうようになりました。

晩年は一人でホテル住まいを続け、亡くなった後、死体が運び出された直後にFBI捜査官がテスラの部屋を物色し、テスラが発明した超兵器の資料を没収したという噂が立ちました。

ニコラ・テスラは、エジソン以上の発明を行った天才科学者にもかかわらずマッド サイエンティストと呼ばれるようになり、オカルティストの人気を誇るようになりました。

興味のある人は、発明超人ニコラ・テスラ (ちくま文庫)を是非お読みください。偉人伝といった枠を超えた面白さです。



坂を下った所で、スクラディンスキー・ブグの下流部を木の橋で渡ります。



大小が合わさってできるこのような滝は、カルスト地形で岩盤が堅いため、一か所が深くえぐられることがないために形成されたのでしょうね。



滝を眺めながら対岸に渡りました。



今度は、坂を登り返します。結構体力を使いました。



滝の落ち口まで登ると、見所を一周したことになりました。

クルカ公園は、旅の終盤に訪れるプリトヴィッツェ湖群国立公園と似た感じですが、スケールは少し小さく、より人里に近い感じでした。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さすらいの風景 リエカから... | トップ | さすらいの風景 スプリット... »
最新の画像もっと見る

海外旅行」カテゴリの最新記事