
旅の4日目は、オパティアからクルカ国立公園までおよそ300kmの長距離移動になります。バスの中では寝ている者も多くいましたが、車窓から眺めるアドリア海の眺めは楽しめました。
オパティアを出発すると、ほどなくリエカの街を通過しました。リエカはクロアチア最大の貿易港で、ビルも立ち並んでいました。

高台を通過していくと、リエカの旧市街地を見下ろすことができました。

街を見下ろす高台にトルサット城を眺めることができました。現在の城は、中世にローマ時代の砦の上に建てられ、19世紀に大改築されました。

車窓からは、アドリア海を眺め続けることができました。

アドリア海の沿岸部には、多くの島が点在し、しばらくはクルク島が見え続けました。

時折り、海辺に広がる小さな街を通過しました。

オレンジ色の屋根の町並みの上に、教会の塔が突き出ています。ヨーロッパの田舎町といったイメージに合っています。



セニの街にやってきました。
セニは、クロアチアの北アドリア海沿岸の都市でもっとも歴史が古い街で、オスマン帝国とヴェネツィア共和国の侵入に対する防御地点で、獰猛な海賊「ウスコク」の本拠地だったようです。

港に沿って古い街並みが広がっていました。

海賊の拠点を偲ばせるように、海に向けて大砲が置かれていました。


街から上がった所のガソリンスタンドでトイレ休憩になりましたが、街の上に聳えるセニ・ネハイ要塞を良く眺めることができました。

セニの街からは内陸部に入り、高速道路に乗りました。

高速道の周囲には、カルスト地形が広がっていました。表土が薄いため耕作地には向いていないようで、荒野が広がっていました。

走るうちに山が見えるようになってきました。

ドライブ・インで休憩しました。クロアチアでは、バスの運転手の勤務規定が厳重で、一定時間ごとの休憩や1日の運転時間を厳密に守る必要があるようです。トイレ休憩の必要もあって途中での休憩はこちらにも必要なことですが、アクシデントで遅れた場合、ホテルに到着できなくなるというリスクがあるようです。

バスの外に出ていると凍えるような寒さになってきましたが、山の頂上部にも雪が積もっているようです。
車窓から見えている山は、カルスト地形や渓谷を楽しむことができるバクレニツァ国立公園に属するもののようです。

強風のために高速道の橋が通行止めとのことで、一旦下道に下りました。1時間ほど余計にかかったようで、この日最後の訪問地のシベニク観光に少し影響が出ました。

高原地帯から一旦海辺近くまで下っていきました。その途中、クロアチア紛争による廃屋が多く見られました。
この一帯は、ボスニアヘルツェゴビナとの国境近くにありセルビア人も多く住んでいたため、クロアチア独立に反対する勢力によって「クライナ・セルビア人共和国」が設立されて、戦闘が激化しました。
国連によって平和維持のために国際連合保護軍(UNPROFOR)が派遣されましたが、民族問題の最終的な解決にはなりませんでした。
この廃屋の壁にUNと書かれているのも、国際連合保護軍と関係があるのかもしれません。

アドリア海から延びる湾に面した小さな街を通り過ぎて、再び高原への上りになりました。

街の上に要塞跡を見ることができました。

この要塞を良く見ると、要塞の壁の背後にトーチカが三つ設けられていました。
クロアチア紛争は、、1991年から1995年にかけての、ほんの少し前の出来事であったことが改めて思い知らされました。

高速道路に戻って、再び高原地帯の走りになりました。

アドリア海の沿岸部に再び下っていきます。



通り過ぎる街の多くで、背後に古い要塞が聳えるのを見ることができました。


クルカ国立公園の入り口の一つであるスクラディンに到着しました。
スクラディンでは昼食をとるだけで、クルカ国立公園へは別な入り口から入場しました。

この街の背後の丘にも要塞が設けられていました。

街の中心に向かう道。

古い教会もありました。

街には、昼下がりの静けさが広がっていました。

昼食を終えて、クルカ川河畔に出ました。スクラディンは湾の奥にあり、船の係留所になっていました。

新しい家が並んでいますが、ここもクロアチア紛争時の戦闘地になっていたようで、戦後に立て直されたもののようです。

バスに戻った後、前方に見える橋を渡って、クルカ国立公園に向かうことになりました。

古い教会の塔を眺めることができました。塔の上部が黒くすすけているのも、戦闘行為によるものかもしれません。また、塔の下に見える屋根が、オレンジ色と褐色の二通りに分かれているのも、戦争によって破壊されて再建された跡と思われます。

バスに戻ってクルカ国立公園に向かい、クルカ川の対岸に出ると、スクラディンの街の眺めが広がりました。

高度を上げると、スクラディンの街の全容を眺めることができました。ヨットが停泊する平和な眺めです。
オパティアを出発すると、ほどなくリエカの街を通過しました。リエカはクロアチア最大の貿易港で、ビルも立ち並んでいました。

高台を通過していくと、リエカの旧市街地を見下ろすことができました。

街を見下ろす高台にトルサット城を眺めることができました。現在の城は、中世にローマ時代の砦の上に建てられ、19世紀に大改築されました。

車窓からは、アドリア海を眺め続けることができました。

アドリア海の沿岸部には、多くの島が点在し、しばらくはクルク島が見え続けました。

時折り、海辺に広がる小さな街を通過しました。

オレンジ色の屋根の町並みの上に、教会の塔が突き出ています。ヨーロッパの田舎町といったイメージに合っています。



セニの街にやってきました。
セニは、クロアチアの北アドリア海沿岸の都市でもっとも歴史が古い街で、オスマン帝国とヴェネツィア共和国の侵入に対する防御地点で、獰猛な海賊「ウスコク」の本拠地だったようです。

港に沿って古い街並みが広がっていました。

海賊の拠点を偲ばせるように、海に向けて大砲が置かれていました。


街から上がった所のガソリンスタンドでトイレ休憩になりましたが、街の上に聳えるセニ・ネハイ要塞を良く眺めることができました。

セニの街からは内陸部に入り、高速道路に乗りました。

高速道の周囲には、カルスト地形が広がっていました。表土が薄いため耕作地には向いていないようで、荒野が広がっていました。

走るうちに山が見えるようになってきました。

ドライブ・インで休憩しました。クロアチアでは、バスの運転手の勤務規定が厳重で、一定時間ごとの休憩や1日の運転時間を厳密に守る必要があるようです。トイレ休憩の必要もあって途中での休憩はこちらにも必要なことですが、アクシデントで遅れた場合、ホテルに到着できなくなるというリスクがあるようです。

バスの外に出ていると凍えるような寒さになってきましたが、山の頂上部にも雪が積もっているようです。
車窓から見えている山は、カルスト地形や渓谷を楽しむことができるバクレニツァ国立公園に属するもののようです。

強風のために高速道の橋が通行止めとのことで、一旦下道に下りました。1時間ほど余計にかかったようで、この日最後の訪問地のシベニク観光に少し影響が出ました。

高原地帯から一旦海辺近くまで下っていきました。その途中、クロアチア紛争による廃屋が多く見られました。
この一帯は、ボスニアヘルツェゴビナとの国境近くにありセルビア人も多く住んでいたため、クロアチア独立に反対する勢力によって「クライナ・セルビア人共和国」が設立されて、戦闘が激化しました。
国連によって平和維持のために国際連合保護軍(UNPROFOR)が派遣されましたが、民族問題の最終的な解決にはなりませんでした。
この廃屋の壁にUNと書かれているのも、国際連合保護軍と関係があるのかもしれません。

アドリア海から延びる湾に面した小さな街を通り過ぎて、再び高原への上りになりました。

街の上に要塞跡を見ることができました。

この要塞を良く見ると、要塞の壁の背後にトーチカが三つ設けられていました。
クロアチア紛争は、、1991年から1995年にかけての、ほんの少し前の出来事であったことが改めて思い知らされました。

高速道路に戻って、再び高原地帯の走りになりました。

アドリア海の沿岸部に再び下っていきます。



通り過ぎる街の多くで、背後に古い要塞が聳えるのを見ることができました。


クルカ国立公園の入り口の一つであるスクラディンに到着しました。
スクラディンでは昼食をとるだけで、クルカ国立公園へは別な入り口から入場しました。

この街の背後の丘にも要塞が設けられていました。

街の中心に向かう道。

古い教会もありました。

街には、昼下がりの静けさが広がっていました。

昼食を終えて、クルカ川河畔に出ました。スクラディンは湾の奥にあり、船の係留所になっていました。

新しい家が並んでいますが、ここもクロアチア紛争時の戦闘地になっていたようで、戦後に立て直されたもののようです。

バスに戻った後、前方に見える橋を渡って、クルカ国立公園に向かうことになりました。

古い教会の塔を眺めることができました。塔の上部が黒くすすけているのも、戦闘行為によるものかもしれません。また、塔の下に見える屋根が、オレンジ色と褐色の二通りに分かれているのも、戦争によって破壊されて再建された跡と思われます。

バスに戻ってクルカ国立公園に向かい、クルカ川の対岸に出ると、スクラディンの街の眺めが広がりました。

高度を上げると、スクラディンの街の全容を眺めることができました。ヨットが停泊する平和な眺めです。