さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 キリグア遺跡 その3

2018年05月14日 | 海外旅行
広場の奥に進むと、アクロポリスに通じる石段が見えてきました。



石段に向かって左には、二つの祭壇が並んでいます。



祭壇M。

731年にカワク空王によって造られたもので、738年の18ウサギ王の殺害によるコパンからの独立前のもののため、小型のものになっています。



祭壇N。

造られたのは731年と同時期のもののようですが、不明とのこと。亀の甲羅を背負って、片方からは生きた人間、もう一方からは骸骨が顔を出しているとのこと。



階段の下には、二つの覆いが並んでおり、手前には祭壇Oと獣形神Oが置かれています。



祭壇O。

790年に空シュル王によって奉納され、平らな石に人か神が東側を頭にして彫られ、南側の 3分の2には神聖文字が刻まれています。



獣形神O。

骸骨のようになった怪物の面が彫られています。



祭壇P。

祭壇Oと獣形神Oの奥に、祭壇Pと獣形神Pが並んで置かれています。 795年に奉納された空シュル王最後の奉納物になります。彫の深い細かい模様が彫られていますが、何が描かれているか判り難くなっています。雨の神チャークがV字型に割れた地面から姿を現しているところが描かれているようです。



獣形神P。

中央に描かれているのは王の姿のようです。



階段を上がると、アクロポリスの眺めが広がっていました。



アクロポリスには、キリグアの王族たちの宮殿等がありました。目立った建物は残っておらず、中央の広々とした草地の方に目がいってしまいます。



石碑と祭壇の並ぶ広場を振り返ったところ。現在は、痕跡も僅かになっていますが、球戯場もあったようです。



石碑を眺めながら来た道を戻りました。

コパンに代わって盛隆を誇ったキリグアですが、翡翠の空王を最後にキリグアの王の記録は消え、他のマヤ古典期の都市と同じように滅亡を迎えました。

これでキリグア遺跡の見学は終わりで、後はフローレスへの長距離移動になりました。



キリグア遺跡から1時間ほど走るとイサバル湖に出ました。



湖にかかる橋の上からは、美しい湖の眺めが広がりました。イサバル湖は、グアテマラで1番大きな湖です。、



橋を渡ると、リオ・ドゥルセの街に出ました。イサバル湖からはリオ・ドゥルセ(甘い川)という名の川がカリブ海に流れ出ており、この街は川と同じ名前が付けられています。、



湖畔のレストランで昼食をとりました。駐車場からは、湿地の上に設けられた木道を歩くことになりました。



レストランからは、目の前にイサバル湖の眺めが大きく広がっていました。遠くに渡った橋が見えています。ここの魚介類を使った料理は特徴的でしたが、それについては別項目にて。、



低地で高温多湿な気候のため、熱帯の動植物が数多く生息していて、人気の観光地になっているようです。



レストランに通じる木道から見ると、湿生植物が広がっていました。



日本の植物で該当するものが思いつきません。



食後は、夜までの長いバス移動になりました。途中、県の境で、植物検疫のためのゲートが設けられていました。同じ国内での植物検疫というのは、これまで経験したことがありません。

判らない果物が多いですが、バナナはグリーンカテゴリーで移送可能。グアバは赤のカテゴリーで禁止のようです。バスから降ろされて係員が乗り込みましたが、この看板を眺めて写真を撮っていると、検査は終わってバスに戻ってと催促されました。スーツケースをいれたバスの荷物室を開けもしませんでした。
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