オスロの湾内に突き出た半島のビュグデイにフェリーで渡ると、海に関する博物館が並んでいます。
まずは、コンチキ号博物館。
ノルウェーの人類学者ヘイエダールは、ポリネシア人は東南アジアから移住したいうこれまでの通説に対し、南米のペルーから移住したという説を唱えました。
これを実証するため、有史以前にペルーのインディオが使った筏船を復元し、1947年、ペルーからポリネシアへと、800km、101日の漂流で到達しました。
「コンチキ号漂流記」として出版されて、有名になっています。肝心のコンチキ号の写真がなくてすみません。
1969年には古代エジプトとペルーの交流を証明するため、パピルス製の葦舟ラー号で大西洋横断を試み失敗しましたが,翌年ラー2世号で成功しました。
この写真がラー2号です。
帆の模様は、日の丸に見えますが、太陽神ラーの印です。
続いて、バイキング船博物館。デンマークのロスキレにもありますが、ここに展示されているオセベルグ号は、舳先に美しい渦巻き模様を持っています。長さ30m、最大幅6mの大きな船です。アーサ女王の棺として埋葬につかわれたとのことです。
渦巻き模様のアップ。他に二隻の船が展示されています。
フラム号博物館。
フラム号は、木造スクーナー。ナンセンは、この船を使用し、北極海の海氷に閉じ込められたまま漂流し、3年かかって北極海を横断するという観測探検に成功しました。
また、1911年、アムンセンは、ナンセンからこのフラム号を受け取り、始めは北極点到達をめざしましたが、ヒアリーによる北極点到達の報せを聞いて、南極点到達に目標をかえました。結局、スコット隊との先陣争いに打ち勝って、世界最初の南極点到達に成功しました。
このフラム号は、北極と南極の大冒険に参加し、ノルウェーの誇りになっているといいます。
ナンセンやアムンセンといった冒険家がこの艦橋に立ったと思うと、昔本で読んだ冒険が、身近なものに思えてきます。
こういった展示物を見ていると、北欧各国の中でも、ノルウェーがバイキングの血を一番濃く伝えているように思えます。
まずは、コンチキ号博物館。
ノルウェーの人類学者ヘイエダールは、ポリネシア人は東南アジアから移住したいうこれまでの通説に対し、南米のペルーから移住したという説を唱えました。
これを実証するため、有史以前にペルーのインディオが使った筏船を復元し、1947年、ペルーからポリネシアへと、800km、101日の漂流で到達しました。
「コンチキ号漂流記」として出版されて、有名になっています。肝心のコンチキ号の写真がなくてすみません。
1969年には古代エジプトとペルーの交流を証明するため、パピルス製の葦舟ラー号で大西洋横断を試み失敗しましたが,翌年ラー2世号で成功しました。
この写真がラー2号です。
帆の模様は、日の丸に見えますが、太陽神ラーの印です。
続いて、バイキング船博物館。デンマークのロスキレにもありますが、ここに展示されているオセベルグ号は、舳先に美しい渦巻き模様を持っています。長さ30m、最大幅6mの大きな船です。アーサ女王の棺として埋葬につかわれたとのことです。
渦巻き模様のアップ。他に二隻の船が展示されています。
フラム号博物館。
フラム号は、木造スクーナー。ナンセンは、この船を使用し、北極海の海氷に閉じ込められたまま漂流し、3年かかって北極海を横断するという観測探検に成功しました。
また、1911年、アムンセンは、ナンセンからこのフラム号を受け取り、始めは北極点到達をめざしましたが、ヒアリーによる北極点到達の報せを聞いて、南極点到達に目標をかえました。結局、スコット隊との先陣争いに打ち勝って、世界最初の南極点到達に成功しました。
このフラム号は、北極と南極の大冒険に参加し、ノルウェーの誇りになっているといいます。
ナンセンやアムンセンといった冒険家がこの艦橋に立ったと思うと、昔本で読んだ冒険が、身近なものに思えてきます。
こういった展示物を見ていると、北欧各国の中でも、ノルウェーがバイキングの血を一番濃く伝えているように思えます。