
ツエルマットとマッターホルンを語る時に、忘れてならないのが、ウィンパーの初登頂です。「アルプス登攀記」として本にもなっており、名前だけでも知っている人も多いでしょう。
この初登頂の時も含めて定宿にしていたのが、このホテル・モンテローザです。創業160年とのこと。

壁には、ウィンパーの碑が取り付けられています。なんだか厳しい顔をしています。
ウィンパーによる初登頂は、1865年7月14日午後1時40分。日本では慶応元年の幕末になります。少し先発してイタリア側からルートをとったイタリア隊との競争に、一歩先んじてのことでした。

中央通りには、観光名所のひとつでもある教会があります。

その近くの墓地には、アルプスで亡くなった登山者の墓が、美しい花に飾られながら並んでいます。

そこには、マッターホルン初登頂の際に、ウィンパーを助け常にリードしながら、下山時に他三名と共にロープにつながれて転落して亡くなった、シャモニー生まれの名ガイドのミシェル・クロのお墓も見ることができます。一緒に亡くなった人のお墓も脇に並んでいます。
ウィンパーら残りの三名は、自己確保したところ、ロープが途中で切れたため、助かることができました。
この事故の発生直後に、アーチに囲まれた巨大な2つの十字架が空に浮かんだといいます。
下山後、ウィンパーは裁判にかけられ、無罪になるものの、新聞でたたかれたようです。いつの時代でも変わらないようですね。
この一連の報道によって、ツエルマットの町も、広く知れ渡ることになったとのこと。
この当時は、山歩きを趣味とはしていなかったため、このツエルマットの予備知識も、一部を読んだだけの「アルプス登攀記」しかなかったわけですが、マッターホルンを巡る物語の真っ只中に入った感じがしてきました。
さて、次回はいよいよゴルナーグラートへ。
この初登頂の時も含めて定宿にしていたのが、このホテル・モンテローザです。創業160年とのこと。

壁には、ウィンパーの碑が取り付けられています。なんだか厳しい顔をしています。
ウィンパーによる初登頂は、1865年7月14日午後1時40分。日本では慶応元年の幕末になります。少し先発してイタリア側からルートをとったイタリア隊との競争に、一歩先んじてのことでした。

中央通りには、観光名所のひとつでもある教会があります。

その近くの墓地には、アルプスで亡くなった登山者の墓が、美しい花に飾られながら並んでいます。

そこには、マッターホルン初登頂の際に、ウィンパーを助け常にリードしながら、下山時に他三名と共にロープにつながれて転落して亡くなった、シャモニー生まれの名ガイドのミシェル・クロのお墓も見ることができます。一緒に亡くなった人のお墓も脇に並んでいます。
ウィンパーら残りの三名は、自己確保したところ、ロープが途中で切れたため、助かることができました。
この事故の発生直後に、アーチに囲まれた巨大な2つの十字架が空に浮かんだといいます。
下山後、ウィンパーは裁判にかけられ、無罪になるものの、新聞でたたかれたようです。いつの時代でも変わらないようですね。
この一連の報道によって、ツエルマットの町も、広く知れ渡ることになったとのこと。
この当時は、山歩きを趣味とはしていなかったため、このツエルマットの予備知識も、一部を読んだだけの「アルプス登攀記」しかなかったわけですが、マッターホルンを巡る物語の真っ只中に入った感じがしてきました。
さて、次回はいよいよゴルナーグラートへ。