
ピラミッドパノラマポイントの後は、スフィンクスへ向かいました。スフィンクスは、カフラー王のピラミッドの東側にあります。
この眺めは、エジプトというと思い浮かべる代表的なものですね。

ピラミッドの背後には、三大ピラミッドが並んでいます。
以前は、スフィンクスはカフラー王のピラミッドの守護神と考えられていましたが、石材の種類や石組の方法が異なることから、ギザにピラミッドが造られる以前にあったとされています。

スフィンクスを眺めながら、カフラー王の河岸神殿に向かいます。

スフィンクスが大きく迫ってきます。

カフラー王の河岸神殿に入城します。ピラミッドは、ピラミッド・コンプレックス(複合体)といって、河岸神殿、参道、葬祭殿、ピラミッドなどが一体となって構築されています。
河岸神殿は、巨石が積み上げられて造られています。

柱などは良い状態で残されていますが、後の時代の神殿と比べると、彫刻が施されていないのは、ちょっと不思議です。

この神殿の地下で、カフラー王の座像が発見されています。カイロ考古学博物館で見ることができました。
古代エジプト芸術の最高傑作の一つとされています。ネメシス帽子をかぶり王家の守護女神のシンボルであるコブラを中央に付けて、王権のシンボルである付けひげを付けています。頭の後ろには、ホルスト神を現すハヤブサ像が付けられています。王の力強さが良く表現されています。

河岸神殿から参道に進むと、スフィンクスの展望台になっているテラスに出ます。
スフィンクスは、全長57m、高さ20mの石灰岩を削った彫像です。
スフィンクスは、ネメシス帽を被った王の頭に、ライオンの胴体をもっています。アラブ人の進入後に華を削られたり、付けひげをイギリスに持ち去られたりと、被害を被っています。付けひげは、大英博物館に収蔵されており、返還交渉中とのことです。

スフィンクスとは、古代エジプト語の「力強き王の生ける似姿」に由来するといいます。新王国時代に造られたカルナック神殿などでは、羊の頭をした像として現されています。

テラスは記念写真の観光客で大賑わいになっていました。

スフィンクスは、前足を大きく伸ばしています。

前足の間に石碑が見えます。これは、トトメス4世の「夢の碑」です。
アメンヘテプ2世の王子であったトトメスが、砂に首のあたりまで砂に埋もれていたスフィンkスの傍らで仮眠していると、夢の中でスフィンクスが現れて、「この砂を取り除いてくれたら汝を王にしてあげよう」という言葉を聞きました。お告げに従ったトトメスは、王位に就くことができました。
新王朝トトメス4世の時代には、アメン神宮団の力が強大になっており、それを嫌ったトトメス王はメンフィスで信仰されていたラー・ホルアクティ神(スフィンクスは具象化した姿の一つ)の力を借りて即位したという逸話を残して、自身を正当化したようです。
このアメン神宮団との対立は、二代後のアメンヘテプ4世によるアテン神の宗教改革へと続いていきます。

スフィンクスのお尻。
ピラミッドとの間に深い溝があるのは、当時の地表が低かったことに由来します。

スフィンクスの前には、市街地が迫っています。ギザ台地の高台の背後は砂漠ですが、ナイル川から台地の下までは市街地になっています。

日本のクイズ番組で有名になったことですが、「スフィンクスは、ケンタッキー・フライドチキンを見つめている」というのがありました。これは現地で確かめたかったことなのですが、本当でした。
上の写真を拡大してみると、ピザ・ハットの看板が二階に、ケンタキー・フライドチキンのカーネル・サンダー像が一階にあるのを確かめることができます。エジプトでは、この二つの店が一緒になっているとのことです。
スフィンクスは、ピザとフライドチキンのどちらが好きなのだろう。

テラスは上下二段になっています。

スフィンクスを眺めながら戻りました。

スフィンクスからピラミッドに向かって、観光客の列が続いていました。
ピラミッドとスフィンクスは、姿かたちを知らないもののない遺跡ですが、やはり実物に対面すると、そのスケール感は予想を越していました。
この眺めは、エジプトというと思い浮かべる代表的なものですね。

ピラミッドの背後には、三大ピラミッドが並んでいます。
以前は、スフィンクスはカフラー王のピラミッドの守護神と考えられていましたが、石材の種類や石組の方法が異なることから、ギザにピラミッドが造られる以前にあったとされています。

スフィンクスを眺めながら、カフラー王の河岸神殿に向かいます。

スフィンクスが大きく迫ってきます。

カフラー王の河岸神殿に入城します。ピラミッドは、ピラミッド・コンプレックス(複合体)といって、河岸神殿、参道、葬祭殿、ピラミッドなどが一体となって構築されています。
河岸神殿は、巨石が積み上げられて造られています。

柱などは良い状態で残されていますが、後の時代の神殿と比べると、彫刻が施されていないのは、ちょっと不思議です。

この神殿の地下で、カフラー王の座像が発見されています。カイロ考古学博物館で見ることができました。
古代エジプト芸術の最高傑作の一つとされています。ネメシス帽子をかぶり王家の守護女神のシンボルであるコブラを中央に付けて、王権のシンボルである付けひげを付けています。頭の後ろには、ホルスト神を現すハヤブサ像が付けられています。王の力強さが良く表現されています。

河岸神殿から参道に進むと、スフィンクスの展望台になっているテラスに出ます。
スフィンクスは、全長57m、高さ20mの石灰岩を削った彫像です。
スフィンクスは、ネメシス帽を被った王の頭に、ライオンの胴体をもっています。アラブ人の進入後に華を削られたり、付けひげをイギリスに持ち去られたりと、被害を被っています。付けひげは、大英博物館に収蔵されており、返還交渉中とのことです。

スフィンクスとは、古代エジプト語の「力強き王の生ける似姿」に由来するといいます。新王国時代に造られたカルナック神殿などでは、羊の頭をした像として現されています。

テラスは記念写真の観光客で大賑わいになっていました。

スフィンクスは、前足を大きく伸ばしています。

前足の間に石碑が見えます。これは、トトメス4世の「夢の碑」です。
アメンヘテプ2世の王子であったトトメスが、砂に首のあたりまで砂に埋もれていたスフィンkスの傍らで仮眠していると、夢の中でスフィンクスが現れて、「この砂を取り除いてくれたら汝を王にしてあげよう」という言葉を聞きました。お告げに従ったトトメスは、王位に就くことができました。
新王朝トトメス4世の時代には、アメン神宮団の力が強大になっており、それを嫌ったトトメス王はメンフィスで信仰されていたラー・ホルアクティ神(スフィンクスは具象化した姿の一つ)の力を借りて即位したという逸話を残して、自身を正当化したようです。
このアメン神宮団との対立は、二代後のアメンヘテプ4世によるアテン神の宗教改革へと続いていきます。

スフィンクスのお尻。
ピラミッドとの間に深い溝があるのは、当時の地表が低かったことに由来します。

スフィンクスの前には、市街地が迫っています。ギザ台地の高台の背後は砂漠ですが、ナイル川から台地の下までは市街地になっています。

日本のクイズ番組で有名になったことですが、「スフィンクスは、ケンタッキー・フライドチキンを見つめている」というのがありました。これは現地で確かめたかったことなのですが、本当でした。
上の写真を拡大してみると、ピザ・ハットの看板が二階に、ケンタキー・フライドチキンのカーネル・サンダー像が一階にあるのを確かめることができます。エジプトでは、この二つの店が一緒になっているとのことです。
スフィンクスは、ピザとフライドチキンのどちらが好きなのだろう。

テラスは上下二段になっています。

スフィンクスを眺めながら戻りました。

スフィンクスからピラミッドに向かって、観光客の列が続いていました。
ピラミッドとスフィンクスは、姿かたちを知らないもののない遺跡ですが、やはり実物に対面すると、そのスケール感は予想を越していました。