さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 セルギエフ・ポサード その3

2012年08月07日 | 海外旅行
トロイツェ・セルギエフ大修道院内にある多くの建物の中でも、中心になっているのが、このウスペンスキー大聖堂です。この教会の中を見学することになりました。



ウスペンスキー大聖堂の中に入る前に、入り口左手を注意してみましょう。ボリス・ゴドゥノフとその家族が埋葬されている墓があります。

イワン4世(雷帝)が亡くなった後は、病身で知的にも劣る皇太子フョードルが即位しました。フョードル1世には政治担当能力はなかったため、フョードルの后の兄である大貴族のボリス・ゴドゥノフが政治の実権を握ることになりました。フョードルは、1589年に亡くなってリューリック朝は断絶してしまいます。ボリス・ゴドゥノフは皇帝に選ばれますが、イワン雷帝の子でフョードルの異母弟ドミトリー暗殺の疑惑を受けて、皇位簒奪者としてのイメージがついてしまいます。ポーランド貴族の援助を受けた偽ドミトリーがロシアに進軍してきたり、農民一揆が起こる中、1605年にボリス・ゴドゥノフは急死してしましました。

ボリスの死後は、偽ドミトリーによってモスクワが占領されるなどの動乱期に入り、これは、ボジャルスキー公が率いた国民軍によってモスクワが解放されて、ロマノフが皇帝に選出されてロマノフ朝が始まるまで続くことになります。



このボリス・ゴドゥノフについての物語は、ムソルグスキー作曲のオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」によって知られるようになっていますね。

CDも多く出ていますが、ビデオでは、このボリショイ歌劇場による公演がスタンダードでしょうね。

1965年、ユーゴスラビアのザグレブ国立歌劇場を中心にした歌手、合唱、バレエ団等で構成されたスラブ歌劇団がNHKによって招聘され、テレビでも放送されました。この時の演目が「ボリス・ゴドゥノフ」でした。なお、指揮はマタチッチで、オーケストラはN響でした。

この時のテレビで見たオペラ体験によって、ボリス・ゴドゥノフの物語は心に深く刻まれました。

見せ場になっている第2幕の皇帝ボリスのモノローグと第4幕ボリスの死。バス歌手によって歌われる曲を聴くと、簒奪者として憎めず、悩める人間として同情の念も湧いてきます。

ボリス・ゴドゥノフの墓は、簒奪者ということで、場所も転々としているようですが、教会中には入れてもらえず、入り口の脇とはいえ、大修道院の中で守られていることに少し安心しました。



ウスペンスキー大聖堂の中に入ってみましょう。



立派なイコノスタスが設けられていました。







イコンも多く飾られていました。





信者が奉じたロウソクが輝いていました。



柱にも、一面に聖者の絵が描かれていました。



堂内に差し込む光が荘厳な雰囲気を高めていました。





柱を見上げながら堂内を歩くことになりました。



聖セルギイが生前に自分で作った棺も置かれていました。



これも聖遺物でしょうか。



続いて、トロイツキー聖堂に入りました。



トロイツキー聖堂は、1423年に完成し、聖セルギイの墓所の上にたてられています。



トロイツキー聖堂は、信者の礼拝場所で、内部の撮影はできませんので、地元で購入のガイドブックからの写真です。

聖セルギイの不朽体(聖人の遺体もしくは遺体の一部)の棺が安置されています。



お祈りをするために信者が長い列を作っており、観光気分の見物は場違いな感じでした。



修道院内には、その他にも、それぞれ特徴的な姿をした多くの建物が並んでいました。





セルギエフ・ポサードの観光を終えて、一路モスクワに向かいました。
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