
部屋にツーツケースを運び上げてくれるのを待つ間に、ホテルの最上階のレストランのテラスに出ると、メコン川沿いの眺めが広がっていました。

屋外レストランや露店の灯りが川沿いの彼方まで続いていました。

ホテルの付近は、屋外レストランが並んでいます。
メコン川は、この付近では、ラオスとタイの国境になっています。対岸に連なる明かりはタイの街です。

設備不良による部屋変えで少々手間取りましたが、スーツケースを開くのも後回しにして、夜歩きに出ました。
夜も遅くなって、人出は減り始めてきているようです。

貝や海老。右は烏賊か蛸の足のように見えるのですが、ラオスは海に面していない国なので、何なんでしょうか。

竜(ナーガ)の飾り付けを施した観光船。

屋外レストランの調理法は炭火焼が多いようです。魚はメコン川で採れたものでしょう。

夜になっても蒸し暑く、川沿いの屋外レストランは楽しめそうです。

ビエンチャンには高層ビルがほとんど無く、このドーン・チャン・パレス(14階建てホテル)が最も高い建物だといいます。

ドーン・チャン・パレスの灯りが、メコン川を美しく照らしていました。

川沿いに歩いていくと露店が現れてきました。

ダーツを投げて風船を割るというゲームでした。割った風船から番号を書いた紙でも出てきて景品がもらえるのでしょうか。露店で見られたのはこのゲームばかりで、日本で見られる射的や輪投げのようなものはありませんでした。

煮物を得る露店もありました。

干しイカかと思ったら、干し魚のようです。

果物を売る店。

川沿いの広場に出ると、衣類の店が並んでいました。ただ、10時近くなって店じまいをする店が多くなっていたので引き返しました。

朝になってから見たSENTAWAN RIVERSIDE HOTEL。

ネット上のホテルの口コミでも書かれていることですが、このホテルの最上階のテラスは、メコン川の最上級の展望台でした。

朝日によって薔薇色に染まったメコン川を眺めながら朝食をとりました。異国にやってきたなという気持ちが高まりました。
メコン川は、チベット高原に源流を発し、中国の雲南省、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通って南シナ海に抜ける国際河川です。中流域のビエンチャン付近では豊富な水を湛えて流れているように見えますが、上流部の中国国内で建設された数多くのダムが、水量の減少や、氾濫による畑地の肥沃化の抑制といった環境問題を引き起こしています。

二日目の朝は、早立ちでプー・カオクアーイ山ハイキングに出かけてしまいましたが、三日目の朝は余裕があったので、ホテル周辺を歩きました。
川沿いの道から内陸部の道に入ると、お寺があり、托鉢風景を見ることができました。ビルマは、敬謙な上座仏教の国で、毎朝僧侶が裸足で街を歩いて、喜捨を受ける姿が見られます。

ラオスのツアーでは、托鉢体験が組み込まれているものもありますが、朝の散歩で出会うことができました。この托鉢風景は、ルアンパバーンでも見ることができました。

お寺の前ということもあるのか、喜捨を受けた後、お寺に向かってお経を上げていました。

川沿いに歩いていくと、初日に夜店が並んでいた広場に出ました。

さらに進んでいくと、アヌ(アヌウォン)王の像が対岸のタイを見張るように立っていました。

ラオスの歴史上の人物、アヌ(アヌウォン)王が登場したことから、ラオスの歴史を振り返ってみましょう。
ラオスは、14世紀のラーンサーン王国によってまとめられ、16世紀のセーターティラート王の時代に勢力は拡大し、17世紀のスリニャウォンサー王の時代には仏教・芸術の最盛期を迎えました。しかし、スリニャウォンサー王の死後は、ビエンチャン王国とルアンパバーン王国、さらにビエンチャン王国からチャムパーサック王国が分裂し、勢力は弱まってしまいました。1770年代末には、三つの王国すべてが、シャム王国の属国あるいは朝貢国として支配下に収められてしまいました。
1804年にビエンチャン王国の国王になったアヌ(アヌウォン)王は、シャムに反旗を翻しましたが戦いに敗れて、最後はシャム軍に捕らえられてバンコクで死去しました。その後、ビエンチャン王国は廃絶され、ビエンチャンの町も徹底的に破壊されました。
アヌ王の反乱は、ラオスでは、敗れたとはいえシャムからの独立を計った英雄的行為とされています。
19世紀初頭、チャムパーサック王国はシャムの属国、ルアンパバーン王国はシャムとベトナムに朝貢することによってかろうじて存続していました。
19世紀半ば以降、カンボジア・ベトナムを植民地としたフランスは、ルアンパバーン王国がベトナムに朝貢していたことを理由に、ラオスも植民地としてしまいます。ルアンパバーン王国は、統治上の権限は取り上げれて、名ばかりの保護領として続くことになりました。
このルアンパバーン王国から独立までの動きは、ルアンパバーンの王宮見学の際に触れることにしましょう。

世界史の勉強でも触れられることのないラオスの歴史ですが、銅像を見ると、少し馴染み深くなる感じがします。

ビエンチャンでは、通りを歩いていると、ガイドブックに記載されていないお寺に数多く出会いました。

ラオスは敬謙な仏教国ですが、それとは別に、大木や家の前などに小さな祠が設けられているのが良く見られました。
これは、ピーと呼ばれる精霊・妖怪・小さき神々または先祖の霊を祭った祠です。ピーを軽んじると様々な困難に見舞われると考えられています。このピー信仰は、東南アジア北部や中国雲南省などに分布しており、特にタイ族の土着信仰として知られています。
木の下に置かれているのは、樹霊を祀ったものでしょう。

これも木の下に置かれた祠。

ホテルの前庭に置かれた祠。家を守る守護霊を祀ったものでしょうか。

祠の中に収められた像を見ると、上座仏教から離れたヒンドゥー教の影響があるように思えます。
釈迦如来だけが信仰される上座仏教の国で、民間信仰が普及しているのは、個人的なこまごまとしたお願いごとをするには、いろいろな神様が必要になるからでしょうか。

早朝から、通りには庶民の足のトゥクトゥクが客待ちをしていました。
早起きしての街歩きで、ツアーに参加しているだけでは味わえない街の表情を眺めることができました。

屋外レストランや露店の灯りが川沿いの彼方まで続いていました。

ホテルの付近は、屋外レストランが並んでいます。
メコン川は、この付近では、ラオスとタイの国境になっています。対岸に連なる明かりはタイの街です。

設備不良による部屋変えで少々手間取りましたが、スーツケースを開くのも後回しにして、夜歩きに出ました。
夜も遅くなって、人出は減り始めてきているようです。

貝や海老。右は烏賊か蛸の足のように見えるのですが、ラオスは海に面していない国なので、何なんでしょうか。

竜(ナーガ)の飾り付けを施した観光船。

屋外レストランの調理法は炭火焼が多いようです。魚はメコン川で採れたものでしょう。

夜になっても蒸し暑く、川沿いの屋外レストランは楽しめそうです。

ビエンチャンには高層ビルがほとんど無く、このドーン・チャン・パレス(14階建てホテル)が最も高い建物だといいます。

ドーン・チャン・パレスの灯りが、メコン川を美しく照らしていました。

川沿いに歩いていくと露店が現れてきました。

ダーツを投げて風船を割るというゲームでした。割った風船から番号を書いた紙でも出てきて景品がもらえるのでしょうか。露店で見られたのはこのゲームばかりで、日本で見られる射的や輪投げのようなものはありませんでした。

煮物を得る露店もありました。

干しイカかと思ったら、干し魚のようです。

果物を売る店。

川沿いの広場に出ると、衣類の店が並んでいました。ただ、10時近くなって店じまいをする店が多くなっていたので引き返しました。

朝になってから見たSENTAWAN RIVERSIDE HOTEL。

ネット上のホテルの口コミでも書かれていることですが、このホテルの最上階のテラスは、メコン川の最上級の展望台でした。

朝日によって薔薇色に染まったメコン川を眺めながら朝食をとりました。異国にやってきたなという気持ちが高まりました。
メコン川は、チベット高原に源流を発し、中国の雲南省、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通って南シナ海に抜ける国際河川です。中流域のビエンチャン付近では豊富な水を湛えて流れているように見えますが、上流部の中国国内で建設された数多くのダムが、水量の減少や、氾濫による畑地の肥沃化の抑制といった環境問題を引き起こしています。

二日目の朝は、早立ちでプー・カオクアーイ山ハイキングに出かけてしまいましたが、三日目の朝は余裕があったので、ホテル周辺を歩きました。
川沿いの道から内陸部の道に入ると、お寺があり、托鉢風景を見ることができました。ビルマは、敬謙な上座仏教の国で、毎朝僧侶が裸足で街を歩いて、喜捨を受ける姿が見られます。

ラオスのツアーでは、托鉢体験が組み込まれているものもありますが、朝の散歩で出会うことができました。この托鉢風景は、ルアンパバーンでも見ることができました。

お寺の前ということもあるのか、喜捨を受けた後、お寺に向かってお経を上げていました。

川沿いに歩いていくと、初日に夜店が並んでいた広場に出ました。

さらに進んでいくと、アヌ(アヌウォン)王の像が対岸のタイを見張るように立っていました。

ラオスの歴史上の人物、アヌ(アヌウォン)王が登場したことから、ラオスの歴史を振り返ってみましょう。
ラオスは、14世紀のラーンサーン王国によってまとめられ、16世紀のセーターティラート王の時代に勢力は拡大し、17世紀のスリニャウォンサー王の時代には仏教・芸術の最盛期を迎えました。しかし、スリニャウォンサー王の死後は、ビエンチャン王国とルアンパバーン王国、さらにビエンチャン王国からチャムパーサック王国が分裂し、勢力は弱まってしまいました。1770年代末には、三つの王国すべてが、シャム王国の属国あるいは朝貢国として支配下に収められてしまいました。
1804年にビエンチャン王国の国王になったアヌ(アヌウォン)王は、シャムに反旗を翻しましたが戦いに敗れて、最後はシャム軍に捕らえられてバンコクで死去しました。その後、ビエンチャン王国は廃絶され、ビエンチャンの町も徹底的に破壊されました。
アヌ王の反乱は、ラオスでは、敗れたとはいえシャムからの独立を計った英雄的行為とされています。
19世紀初頭、チャムパーサック王国はシャムの属国、ルアンパバーン王国はシャムとベトナムに朝貢することによってかろうじて存続していました。
19世紀半ば以降、カンボジア・ベトナムを植民地としたフランスは、ルアンパバーン王国がベトナムに朝貢していたことを理由に、ラオスも植民地としてしまいます。ルアンパバーン王国は、統治上の権限は取り上げれて、名ばかりの保護領として続くことになりました。
このルアンパバーン王国から独立までの動きは、ルアンパバーンの王宮見学の際に触れることにしましょう。

世界史の勉強でも触れられることのないラオスの歴史ですが、銅像を見ると、少し馴染み深くなる感じがします。

ビエンチャンでは、通りを歩いていると、ガイドブックに記載されていないお寺に数多く出会いました。

ラオスは敬謙な仏教国ですが、それとは別に、大木や家の前などに小さな祠が設けられているのが良く見られました。
これは、ピーと呼ばれる精霊・妖怪・小さき神々または先祖の霊を祭った祠です。ピーを軽んじると様々な困難に見舞われると考えられています。このピー信仰は、東南アジア北部や中国雲南省などに分布しており、特にタイ族の土着信仰として知られています。
木の下に置かれているのは、樹霊を祀ったものでしょう。

これも木の下に置かれた祠。

ホテルの前庭に置かれた祠。家を守る守護霊を祀ったものでしょうか。

祠の中に収められた像を見ると、上座仏教から離れたヒンドゥー教の影響があるように思えます。
釈迦如来だけが信仰される上座仏教の国で、民間信仰が普及しているのは、個人的なこまごまとしたお願いごとをするには、いろいろな神様が必要になるからでしょうか。

早朝から、通りには庶民の足のトゥクトゥクが客待ちをしていました。
早起きしての街歩きで、ツアーに参加しているだけでは味わえない街の表情を眺めることができました。