チェヘル・ソトゥーン庭園の見学を終えて、隣接するエマーム広場にやってきました。前日に夜景を見学しましたが、昼間はまた違った雰囲気です。
エマーム広場は、別名でナグシェ・ジャハーン広場と呼ばれ、これは「全世界の図」という意味です。サファヴィー朝のアッパース1世の命によって1598年に着工され、完成までには数十年かかりました。この広場に付けられた「エスファハーンは世界の半分」という言葉が良く知られています。また、イラン革命までは、王の広場とも呼ばれていました。
まずは、マスジェデ・エマームを見学しました。マスジェデ・エマームは、別名「マスジェデ・シャー(王の寺院)」とも呼ばれます。
アッパース1世の命によって1612年に着工されましたが、完成したのは王の死後の1638年でした。
二本のミナーレが入り口に設けられています。
入り口の上部には、タイルで飾られたムカルナス(鍾乳石飾り)が設けられています。
ムカルナス(鍾乳石飾り)を下から見上げたところ。
入り口の奥に中庭が見えています。
中庭を囲む回廊には、礼拝所が設けられていました。
壁を飾るタイル装飾も見事です。
回廊のアーチの奥に中央礼拝堂が見えています。
中央礼拝堂はメッカの方向を向く必要があるため、この中庭とエマーム広場とは45度の角度で折れ曲がっています。
中央礼拝堂の入り口のエイヴァーンには、二本のミナレーが設けられています。
中庭には、四方にエイヴァーンが設けられています。これは入り口から見て右のエイヴァーン。
これは左のエイヴァーン。
入り口のエイヴァーン。
広場の隅に移動すると、中央礼拝堂の奥にあるドームが見えてきます。
回廊の壁を飾るタイル装飾。
壺や花の模様が描かれています。
中央礼拝堂の両脇には、17世紀に増築された神学校があります。この向かって左のマドラセイェ・ナーセリーイェは、冬用の学舎でした。小さな中庭の周りに部屋が並んでいます。
中央礼拝堂のドームやミナーレが見えています。
ここのタイル装飾では、青の他に黄色のタイルが用いられています。
見学者も他におらず、静かな空間が広がっていました。
エマーム広場は、別名でナグシェ・ジャハーン広場と呼ばれ、これは「全世界の図」という意味です。サファヴィー朝のアッパース1世の命によって1598年に着工され、完成までには数十年かかりました。この広場に付けられた「エスファハーンは世界の半分」という言葉が良く知られています。また、イラン革命までは、王の広場とも呼ばれていました。
まずは、マスジェデ・エマームを見学しました。マスジェデ・エマームは、別名「マスジェデ・シャー(王の寺院)」とも呼ばれます。
アッパース1世の命によって1612年に着工されましたが、完成したのは王の死後の1638年でした。
二本のミナーレが入り口に設けられています。
入り口の上部には、タイルで飾られたムカルナス(鍾乳石飾り)が設けられています。
ムカルナス(鍾乳石飾り)を下から見上げたところ。
入り口の奥に中庭が見えています。
中庭を囲む回廊には、礼拝所が設けられていました。
壁を飾るタイル装飾も見事です。
回廊のアーチの奥に中央礼拝堂が見えています。
中央礼拝堂はメッカの方向を向く必要があるため、この中庭とエマーム広場とは45度の角度で折れ曲がっています。
中央礼拝堂の入り口のエイヴァーンには、二本のミナレーが設けられています。
中庭には、四方にエイヴァーンが設けられています。これは入り口から見て右のエイヴァーン。
これは左のエイヴァーン。
入り口のエイヴァーン。
広場の隅に移動すると、中央礼拝堂の奥にあるドームが見えてきます。
回廊の壁を飾るタイル装飾。
壺や花の模様が描かれています。
中央礼拝堂の両脇には、17世紀に増築された神学校があります。この向かって左のマドラセイェ・ナーセリーイェは、冬用の学舎でした。小さな中庭の周りに部屋が並んでいます。
中央礼拝堂のドームやミナーレが見えています。
ここのタイル装飾では、青の他に黄色のタイルが用いられています。
見学者も他におらず、静かな空間が広がっていました。