さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 銀川 その1

2019年09月02日 | 海外旅行
銀川では、寧夏海天酒店に泊りました。

銀川は、イスラム教を信仰する回族の多い寧夏回族自治区の首都になっています。地方都市かと思っていましたが、かなり大きな街でした。



客室の整備は整っていました。ただ、サービスのためか、ベッドの上には飾りの紙が置かれていましたが、寝るときは片付けが必要でかえって邪魔でした。



朝になって外を眺めると、高層ビル群と再開発地区の街並みが広がっていました。



朝のホテル。

今回の旅では、銀川中心地の観光は含まれていません。朝食前と夕食後に銀川の街歩きを行いました。



ホテルは、地球の歩き方の地図では旧市街地の東の端から僅かに外れた所にあります。とりあえず、鼓楼を目指して通りを西に進みました。



銀川が中国史の中で存在を際立たせていたのは、西夏王国の首都の興慶府がここに置かれていたことによります。井上靖の小説「敦煌」は、宋時代に西夏王国の皇帝李元昊が敦煌を占領した際、経文が保護のために莫高窟に隠され、これ再発見されて敦煌文書になったというエピソードがもとになっています。小説の主人公も、興慶府で西夏文字を習って辞書造りを行う様子が描かれています。「敦煌」の物語は、さらに映画によっても描かれて、西夏についての興味が増すことになりました。



王皇閣が現れました。写真は解放東街の通りを渡った所から撮影しています。

王皇閣は、明代の楼閣で、高さ19mの基壇の上に主楼と角亭が設けられています。



王皇閣の北側に回り込みました。



夜にイベントが行われるようで、ステージが設けられていました。



解放東街をさらに西に進むと鼓楼が現れました。中国の古都では、ほとんどで鼓楼が街の中心になっています。

高さ36mの基壇の上に三階建ての楼閣が置かれています。創建は清の時代の1821年で、1908年に三階建て楼閣、1917年に隅の角坊が増設されました。4つの面には東面に「迎恩」、北面に「拱极」、西面に「挹爽」、南面に「来薰」と、それぞれ異なる石刻が置かれています。そのため四鼓楼、十字鼓楼と呼ばれます。

この東面には、「迎恩」と書かれています。



鼓楼の周りを一周しました。





時間も限られているので朝の散策では鼓楼で引き返しました。すぐ近くにある寧園を見学しながら通り抜けました。



残念ながら池の水は抜かれていました。



中国ながらの朝ダンスが行われていました。



こちらは、太極拳なのか、体操系。



公園にはなにやらスローガンが飾られて江いました。



解放東街を戻りました。



店先で朝食を売っていました。右上は油条ですね。揚げたてで美味しそうです。


朝食を終えて、まずは西夏王墓の見学に向かいました。
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