![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/db/0035a86c42c7240ec5605c082011cc98.jpg)
カンタベリーは、ロンドンの東南約100kmの距離にあります。
597年に、ローマからキリスト教の布教のためにセントオースチンがやってきて以来、イングランドにおけるキリスト教の中心地になってきました。
街は城壁で囲まれていましたが、現在でも東半分が残されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/84/9ed32ba8921150861c50c2e36b2263ea.jpg)
古い家並みが見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/98/acff1fa419b229305c37ab94dfe7593b.jpg)
歴史のある町ということで、現在では巡礼者ならぬ観光客で賑わっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/45/cb644c5a5f2dff2506057f4a3ef5c8da.jpg)
通りを歩いていくと、カンタベリー大聖堂入り口のクライストチャーチ門が現れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/de/a9569676dc6237c08f37bd3cbdc71c92.jpg)
クライストチャーチ門は、聖人や紋章で、華やかに飾られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f8/c57675079a6b49057f743508f4d6f094.jpg)
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入り口から入ると、カンタベリー大聖堂が姿を現しました。
現在の建物は1070年~1180年にロマネスク様式、1379年~1503年にかけてゴシック様式で建設された歴史的建造物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1c/4b5199f794fb29406cacf3704eeedfbe.jpg)
閉ざされた門の奥で、司祭が佇んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/03/4ec451eae645a9783db9e1ca9f474ce1.jpg)
14~5世紀に建てられた身廊の内部です。この部分は、垂直性を極端に強調した、「パーペンディキュラー様式(垂直様式)」で建てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ed/6dcd2d883ac5519498277d9c10ecaded.jpg)
ヘンリー8世によって破壊される以前にトマス・ベケットの墓所があった場所には、蝋燭がともされています。
トマス・ベケットは、イングランド王ヘンリー2世に大法官として仕えましたが、大司教に叙階された後は教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立するようになり、この大寺院の中でヘンリー2世の部下の手によって暗殺されました。
ローマ教皇はトマス・ベケットを殉教したとして列聖し、 以後、聖トマス・ベケット殉教の地として、「カンタベリー詣で」として、多くの巡礼者が訪れるようになりました。
後に、離婚を認めないローマ法王庁と喧嘩別れして英国国教会を創設したヘンリー8世は、「ベケット批判」ということで、トマス・ベケットの墓所を壊してしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/d5/2048fe9ffa4c6f2786de4756d44a1756.jpg)
カンタベリー大聖堂の中には、多くの墓が置かれていますが、その中でも有名なのが、黒太子エドワードの墓です。
エドワード黒太子は、イングランド王エドワード3世の長子で、フランスとの百年戦争で重要な役割を果たし人物として知られています。
エドワード黒太子は、ほとんどの戦いで勝利を収めていますが、中でも、1356年のポワティエの戦いではフランス王ジャン2世を捕虜とし、イングランドの勝利を決定的にしました。しかしスペイン遠征の際に病にかかり父王より早く亡くなった為、王となることはありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/19/c0593cee0a86322496f765eb7a907297.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/87/39d2a207f17b2a7e9f7ae63342b87ee7.jpg)
黒太子エドワードの武具のレプリカ
赤と青の地にイングランド王家のライオンとフランス王家の百合をあしらった華やかな武具になっています。彼の使った本物の武具も別なところで展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/56/c8039ae0bc69e2d1c790c7009a30fcec.jpg)
他にも多くの墓が置かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e5/3d2bd47dbe13d0a96cd12055c9780f45.jpg)
ヘンリー4世とその后の墓。
ヘンリー4世は、リチャード2世を倒して王位につき、ランカスター朝を創立しました。
シェイクスピアの史劇の「ヘンリー4世」で登場しますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d1/ddfe5ad92da41b35da6ca192e422e083.jpg)
カンタベリーで忘れてはいけないのは、チョサーの書いた「カンタベリー物語」です。
カンタベリー大聖堂への巡礼の途中、たまたま同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎに自分の知っている物語を順に語っていく話です。
カンタベリーは、イギリスの歴史を振り返っていく際に欠かすことのできない場所になっています。
597年に、ローマからキリスト教の布教のためにセントオースチンがやってきて以来、イングランドにおけるキリスト教の中心地になってきました。
街は城壁で囲まれていましたが、現在でも東半分が残されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/84/9ed32ba8921150861c50c2e36b2263ea.jpg)
古い家並みが見られます。
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歴史のある町ということで、現在では巡礼者ならぬ観光客で賑わっています。
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通りを歩いていくと、カンタベリー大聖堂入り口のクライストチャーチ門が現れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/de/a9569676dc6237c08f37bd3cbdc71c92.jpg)
クライストチャーチ門は、聖人や紋章で、華やかに飾られています。
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入り口から入ると、カンタベリー大聖堂が姿を現しました。
現在の建物は1070年~1180年にロマネスク様式、1379年~1503年にかけてゴシック様式で建設された歴史的建造物です。
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閉ざされた門の奥で、司祭が佇んでいました。
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14~5世紀に建てられた身廊の内部です。この部分は、垂直性を極端に強調した、「パーペンディキュラー様式(垂直様式)」で建てられています。
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ヘンリー8世によって破壊される以前にトマス・ベケットの墓所があった場所には、蝋燭がともされています。
トマス・ベケットは、イングランド王ヘンリー2世に大法官として仕えましたが、大司教に叙階された後は教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立するようになり、この大寺院の中でヘンリー2世の部下の手によって暗殺されました。
ローマ教皇はトマス・ベケットを殉教したとして列聖し、 以後、聖トマス・ベケット殉教の地として、「カンタベリー詣で」として、多くの巡礼者が訪れるようになりました。
後に、離婚を認めないローマ法王庁と喧嘩別れして英国国教会を創設したヘンリー8世は、「ベケット批判」ということで、トマス・ベケットの墓所を壊してしまいました。
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カンタベリー大聖堂の中には、多くの墓が置かれていますが、その中でも有名なのが、黒太子エドワードの墓です。
エドワード黒太子は、イングランド王エドワード3世の長子で、フランスとの百年戦争で重要な役割を果たし人物として知られています。
エドワード黒太子は、ほとんどの戦いで勝利を収めていますが、中でも、1356年のポワティエの戦いではフランス王ジャン2世を捕虜とし、イングランドの勝利を決定的にしました。しかしスペイン遠征の際に病にかかり父王より早く亡くなった為、王となることはありませんでした。
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黒太子エドワードの武具のレプリカ
赤と青の地にイングランド王家のライオンとフランス王家の百合をあしらった華やかな武具になっています。彼の使った本物の武具も別なところで展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/56/c8039ae0bc69e2d1c790c7009a30fcec.jpg)
他にも多くの墓が置かれています。
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ヘンリー4世とその后の墓。
ヘンリー4世は、リチャード2世を倒して王位につき、ランカスター朝を創立しました。
シェイクスピアの史劇の「ヘンリー4世」で登場しますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d1/ddfe5ad92da41b35da6ca192e422e083.jpg)
カンタベリーで忘れてはいけないのは、チョサーの書いた「カンタベリー物語」です。
カンタベリー大聖堂への巡礼の途中、たまたま同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎに自分の知っている物語を順に語っていく話です。
カンタベリーは、イギリスの歴史を振り返っていく際に欠かすことのできない場所になっています。