さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ジェラシュ その1

2014年05月08日 | 海外旅行
ウンム・カイスに続いてジェラシュ遺跡を見学しました。

ジェラシュの街に到着して、まずは昼食のためにレストランに向かいましたが、街中に広がる遺跡が目に飛び込んできました。



ジェラシュ遺跡の駐車場から歩き出すと、まずは凱旋門が現れました。

ジェラシュは、ローマ人がアラブに造った都市の中でも最大級のものです。ポンペイウス率いるローマ軍は、紀元前64年にジェラシュを植民地に吸収しました。紀元前50~60年頃からローマの繁栄とともに、ジェラシュは富を蓄え、劇場や神殿が造られるようになりました。106年にトラヤヌス帝がペトラをローマ帝国に併合すると東方との交易路がつながるようになり、ジェラシュも繁栄し、現在残されているゼウスやアルテミスの神殿が造られました。3世紀初めに絶頂期を迎えましたが、その後の海上輸送の発達やパルミラの陥落によって徐々に衰退していきました。その後ビザンチン帝国のもとに300年の繁栄を続けていましたが、ペルシャ軍の襲来、イスラム軍の征服、8世紀の大地震によって破壊されることになります。ジェラシュ遺跡が再発見されるのは、19世紀になってからになります。



この凱旋門は、129年に皇帝ハドリアヌスが訪れたのを記念したものです。



凱旋門を抜けると、競馬・戦車競技場に沿って長い通路が延びています。



彫刻の施された石材の断片が置かれています。



競馬・戦車競技場の向かいにマリアノス教会があります。



マリアノス教会の中をのぞくと、モザイク模様の床が残されていました。



競馬・戦車競技場の壁が長く続いていました。



ツアーの一行はそのまま進んでいくので、急いで中をのぞいてみました。

競馬・戦車競技場は、長さ245m、幅52mで、当時は戦車競技が行われ、15000人もの観客を収容したといいます。現在でも、当時の競技を再現したショーが行われているようです。



長々と歩いていますが、まだ遺跡の核心部には到着していません。



ようやく南門に到着しました。この手前のゲートでようやく入場チケットを切ることになります。



南門をすぎるとフォルムが見えてきます。



左手にはゼウス神殿が広がっています。ゼウス神殿は、162年に建てられました。



イオニア式の列柱で囲まれた卵型の広場であるフォルム。市場か宗教的儀式に用いられたようです。



フォルムの中心に置かれた柱。



列柱が美しいカーブを描いています。



南劇場に向かう坂を少し登った所から見たフォルムの全景。



南劇場に向かって坂を登りながら脇のゼウス神殿を眺めました。



壁に囲まれている所がゼウス神殿の聖域。



南劇場に入りました。



90年頃に造られ、当時は5000人もの観客を収容したといいます。ジェラシュには、二つの劇場があるので、これは南劇場、もう一つは北劇場と呼ばれています。



この南劇場は補修も良くされており、7~8月にはジェラシュ・フェスティバルが開催されているようです。



劇場の座席には番号や文字が刻まれていました。



南劇場の上部からは、遺跡を見下ろすことができました。



南劇場に向かって歩いていく途中、音楽が聞こえていました。その正体は、このバグ・パイプの演奏団でした。チップ目当ての演奏です。演奏している曲はアラブ音楽ではなく、スコットランド音楽でした。このバグ・パイプの演奏は、かつて英国が支配していたことによるようです。パキスタンのフンザでもバグパイプの演奏を行っており、かつての大英帝国の栄光の名残りを思わぬところで思い知ることになりました。



フォルムから北に延びる列柱通りがメインの通りですが、南劇場を出てからは、丘の上に延びる道を進みました。



フォルムも姿を変えてきました。



列柱通りが下に見えています。



丘の先にアルテミス神殿が見えてきました。



列柱通りの途中にある四面門に向かっても列柱が延びています。その先には、モスクがのミナレットが見えています。

ジェラシュ遺跡は広大で、見学のために歩く距離も長く、体力が必要になりました。
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