
南劇場を出て丘の上の道を歩いていくと、聖ゲオルキウス教会、洗礼者ヨハネ教会、聖コスマス・ダミアヌス教会の遺跡が見えてきました。

小規模な三つの教会の遺跡が並んでいます。ジェラシュでは、現在まで15のビザンチン時代の教会が発掘されていますが、地中にはもっと多くの遺跡が眠っているようです。

ここでの見どころは、聖コスマス・ダミアヌス教会で、モザイクの床が残されています。内部は立ち入り禁止で、上から覗き込むことになります。


このモザイクは、553年に造られました。




ヨルダンで見たモザイクの中でも保存状態の良いものでした。

続けてアルテミス神殿に向かいました。

12本の太い柱が印象的です。
ジェラシュでは、セウス神殿とこのアルテミス神殿が規模の大きなものになっています。ゼウスは、ギリシャ神話での最高神なので当然ですが、アルテミスは狩猟の神、さらに出産の守護神ではありますが、少し格が落ちます。
トルコのエフェソスは、アルテミス女神崇拝の一大中心地で、この地にあったアルテミス神殿はその壮麗さで古代においては有名であったといいます。アルテミス女神崇拝は、大地母神信仰と混じって小アジアを中心に広がっていたようですが、その影響がヨルダンの地まで及んでいたのでしょうか。

建物の奥には壁や天井のアーチが残されていました。

柱頭の飾りも立派です。


この柱は、地震に耐える柔構造になっているということで、スプーンを石の間に挟んで柱を押すと揺れる状態を観察することができました。

この柱は、耐震構造といっても今にも崩れ落ちそうですがね。

アルテミス神殿を振り返りながら坂を下っていきます。

逆向きに歩いていますが、アルテミス神殿に向かっては立派な参道が設けられています。

途中のテラス。

アルテミス神殿入り口の門。


メインの列柱通りに出てアルテミス神殿入り口の門を振り返ったところ。

列柱通りの北側を見たところ。通りの突き当りに四面門が見えています。

北側にもまだ遺跡が広がっているのですが、ここで入り口に向かって引き返すことになりました。

半神半獣のニンフに奉げられたニンファエウムが現れました。191年に建てられたものです。


大聖堂の入り口。大聖堂は4世紀に建てられ、ナバタイ人の聖堂がもとになっています。

列柱通りを戻っていきます。雨も本降りになって、見学もつらい状態になってきました。


フォルムに戻ってきましたが、駐車場まではまだ歩く必要があります。

小規模な三つの教会の遺跡が並んでいます。ジェラシュでは、現在まで15のビザンチン時代の教会が発掘されていますが、地中にはもっと多くの遺跡が眠っているようです。

ここでの見どころは、聖コスマス・ダミアヌス教会で、モザイクの床が残されています。内部は立ち入り禁止で、上から覗き込むことになります。


このモザイクは、553年に造られました。




ヨルダンで見たモザイクの中でも保存状態の良いものでした。

続けてアルテミス神殿に向かいました。

12本の太い柱が印象的です。
ジェラシュでは、セウス神殿とこのアルテミス神殿が規模の大きなものになっています。ゼウスは、ギリシャ神話での最高神なので当然ですが、アルテミスは狩猟の神、さらに出産の守護神ではありますが、少し格が落ちます。
トルコのエフェソスは、アルテミス女神崇拝の一大中心地で、この地にあったアルテミス神殿はその壮麗さで古代においては有名であったといいます。アルテミス女神崇拝は、大地母神信仰と混じって小アジアを中心に広がっていたようですが、その影響がヨルダンの地まで及んでいたのでしょうか。

建物の奥には壁や天井のアーチが残されていました。

柱頭の飾りも立派です。


この柱は、地震に耐える柔構造になっているということで、スプーンを石の間に挟んで柱を押すと揺れる状態を観察することができました。

この柱は、耐震構造といっても今にも崩れ落ちそうですがね。

アルテミス神殿を振り返りながら坂を下っていきます。

逆向きに歩いていますが、アルテミス神殿に向かっては立派な参道が設けられています。

途中のテラス。

アルテミス神殿入り口の門。


メインの列柱通りに出てアルテミス神殿入り口の門を振り返ったところ。

列柱通りの北側を見たところ。通りの突き当りに四面門が見えています。

北側にもまだ遺跡が広がっているのですが、ここで入り口に向かって引き返すことになりました。

半神半獣のニンフに奉げられたニンファエウムが現れました。191年に建てられたものです。


大聖堂の入り口。大聖堂は4世紀に建てられ、ナバタイ人の聖堂がもとになっています。

列柱通りを戻っていきます。雨も本降りになって、見学もつらい状態になってきました。


フォルムに戻ってきましたが、駐車場まではまだ歩く必要があります。